バイトに入ってから1週間程経つ。学校がある日は夕方からだけど、土日はフルで入っている。でもまだまだ覚えることがたくさん。
あとで聞いた話、ここの本のほとんどは人から譲り受けたものらしい。だから未処理の本が山ほどあるらしく、てんちょー一人じゃ手に負えないみたいだ。それと、その本の山を見るとやる気が失せて、読む方にいってしまうらしい。私がバイトに入ってからもう文庫本3冊目に突入しているのがその証拠だ。
てんちょーのなかでの目標は『全ての本を整理すること』。途方もない時間が必要になる。でも、初日のスピードだと、無休で入ればすぐに終わりそうとのこと。てんちょーも手伝ってくれれば、すぐ終わると思うんだけどな。
分けるのは早いとして――次は並べ作業も追加された。出版社・五十音順・著者・ジャンル……分け方はそれぞれだけど、なんとなく並べておけばいいみたい。あとでてんちょーがそれとなく並び順を変えるだけだという。さてはてんちょー、楽してるな。私が「やりましょうよ」って言わなきゃ動いてくれないのが一番厄介だ。このてんちょー、職務放棄にもほどがある。
本を運び、並べ、たまに埃を払って。汗が滲むなか、ふとカレンダーに目をやった時に見つけた『七夕』の文字。
「もう少しで七夕なんですねぇ」
「んぁ?」
腑抜けた返事を返すてんちょーは、本を読んでいた顔を上げ、こちらに視線を向ける。
「だから、七夕なんですねって」
「あぁ……」
なんだかてんちょー、上の空だ。夏バテかな。そうめん好きかな。お昼に持ってってあげようかな。
「なんか、イベントやるみたいですよ? この近辺で」
「そうか」
「一緒に行きません?」
「一人で行けばいいだろ。俺を誘う理由はないだろ」
ぶっきらぼうにそう返される。
「私、方向音痴なんですよ」
「だからなんだ」
「ついてきてもらってもいいですか?」
本の背表紙を確認して五十音順に並べながら、そう言ってみる。
「行く道理はない」
いつまでもこの調子で返されるから、ちょっと意地悪な心が顔を出した。てんちょーを少し煽るように、にやついたまま聞いてみる。
「てんちょー、もしかして、女の子と出かけるのは、ハードル高いですか?」
「……うるせぇ。夏が苦手なだけだ」
少し間があったな。図星……? そんなわけないか。でも夏が苦手って何だろう。なにかあったのかな。
「――そうですか……」
仕方なく引き下がる。
でも、他の人を誘う気にもなれなかった。きっともう予定も誘う人も決まっているんだろうな。今のところ予定空いてそうなのてんちょーだけだし。というか最近てんちょーとしか会話してない気がする。あと、私にとっての大親友は文庫本だし。
自分から誘っておいてしょぼんってするめんどくさいやつだなって思われてそう……。最初から言わなきゃよかったぁー……。
「……」
しおしおと仕事に戻る私を見かねたのか、諦めたのか、てんちょーは「はぁ」とため息をついて、カウンターから出てくる。
そして、山積みになった本を数冊手にして、横に並ぶ。身長が高い分、高い場所にすぐ届いていてとても羨ましい。もはや妬ましい。
その横顔はなんだか、一瞬だけ、寂しそうに見えた。
「――――この段ボール分、全部整理出来たら、考えてやる」
「えっ……」
急に口を開いたかと思えば、七夕の話。夏、苦手だって言ったくせに……この人は……。
「あと、別に俺がお前と並んだとしても、初見だったら親子だろ。ハードルなんて元からねぇよ」
「んなっ、だっ、誰がちっさいですか!! 器は大きいですよ!!」
「器じゃなく、態度が、だろ」
「デカくないですよ!!」
「口動かすより手ぇ動かせアルバイト」
「んむむ……」
そんなこと言われたらもう言い返せない……。でも、てんちょーよりも働いてる気がするんですけど私。
ふと、壁に掛けられた時計が目に入った。7時半をさしている。やばい、もうこんな時間――!!
「――すみません、てんちょー! 今日はあがらせてください!」
「んぁ? 職務放棄か?」
「ちっ、違いますよ! それを言うならてんちょーの方じゃ――じゃなくて、家のことしなきゃなんです! 明日いっぱい働きますから! お願いします!」
「あー、そうか。じゃあ……」
てんちょーは数冊の本を持ったままちょっと考えて、それからまた口を開く。
「段ボール1箱分は今からでも、数日経っても無理そうだから――そうだな。夏関連の本の紹介文、書いてきたら、俺の貸し出しを許そう」
「課題難しすぎません!? それなら本の整理のほうがいいですよ!」
絶対行きたくないやつだこれ。だから無理な条件出してきてるんだこの人!!
「つべこべ言うな。まつりまで一週間もないぞ。どうする」
「や、やりますよ!! やってやりますよ!! てんちょーを外に引きずり出します!!」
「いや言い方」
「――――ただいまぁ」
時刻は、夜8時半。暗く、狭い玄関には散乱した無数の靴。質素なダイニングキッチンには、弱く頼りない電気がついていて、そこにはラップがしてある一人前の夕飯。シンクには乱雑に置かれた数人の食器。
「お姉ちゃん!! おかえり!」
「ただいま、璃子。亜希。遅くなっちゃったね」
玄関まで来てくれたのは、小6の璃子と小4の亜希。年の離れた妹たちだ。
「もうおかーさん、おしごと、いっちゃったよー?」
「あはは、そっかぁ。お姉ちゃんが遅かったんだもん。仕方ないね。優真と雪は、寝ちゃった?」
「うん! ねんねしちゃった!」
「いつも早寝だねぇ。いい子たちだ」
なんとなく微笑を浮かべつつ、妹たちの頭を撫でる。
「ご飯も食べなきゃだし、お風呂も――あぁー、てんちょーから課題出されてるんだったなぁ……」
しなければいけないことをぶつぶつ言いながら、部屋に向かう。私にとっては部屋だけど、一般的には押し入れだ。本が床にいっぱい積まれた、小さな小さな秘密基地。私の、一番の居場所。
「ほら、璃子も亜希も早く寝な? お姉ちゃんはお皿のお片付けと、お勉強しなきゃだから」
「はーいっ」
そう言って、自分たちの寝室に入っていく。
とてとて去っていく後ろ姿を見送ってから、電池の切れかかったデスクライトをつける。小さなハードカバーのノートを取り出して、ぱらぱらページをめくる。これは、私が毎日の出来事を少しでもいいから書いている日記である。特に何でもない日は本当に数行、一大イベントがあったらページいっぱいに。
バイトが始まってからというもの、毎日びっしりいろいろなことが書かれている。てんちょーが仏頂面だとか、てんちょーが人間関係不器用代表すぎるとか、てんちょーの血液はコーヒーでできてるんじゃないかとか。
シャーペンを数回ノックして芯を出し、かつんと真っ新な罫線の入ったページにその先を当てる。
今日の日付を書いて……今日は何があったっけな……。そう思い出しながら、日記を綴ろうとした。
ふと弟や妹たちの寝ているほうを見る。暗くて見えないけれど、きっともうすやすや夢の中なのだろうな。
「――――ほんとに、いい子たちだな」
――私とは違って。
力ない笑顔が自然に出る。一度目を伏せて、シャーペンを走らせた。
あとで聞いた話、ここの本のほとんどは人から譲り受けたものらしい。だから未処理の本が山ほどあるらしく、てんちょー一人じゃ手に負えないみたいだ。それと、その本の山を見るとやる気が失せて、読む方にいってしまうらしい。私がバイトに入ってからもう文庫本3冊目に突入しているのがその証拠だ。
てんちょーのなかでの目標は『全ての本を整理すること』。途方もない時間が必要になる。でも、初日のスピードだと、無休で入ればすぐに終わりそうとのこと。てんちょーも手伝ってくれれば、すぐ終わると思うんだけどな。
分けるのは早いとして――次は並べ作業も追加された。出版社・五十音順・著者・ジャンル……分け方はそれぞれだけど、なんとなく並べておけばいいみたい。あとでてんちょーがそれとなく並び順を変えるだけだという。さてはてんちょー、楽してるな。私が「やりましょうよ」って言わなきゃ動いてくれないのが一番厄介だ。このてんちょー、職務放棄にもほどがある。
本を運び、並べ、たまに埃を払って。汗が滲むなか、ふとカレンダーに目をやった時に見つけた『七夕』の文字。
「もう少しで七夕なんですねぇ」
「んぁ?」
腑抜けた返事を返すてんちょーは、本を読んでいた顔を上げ、こちらに視線を向ける。
「だから、七夕なんですねって」
「あぁ……」
なんだかてんちょー、上の空だ。夏バテかな。そうめん好きかな。お昼に持ってってあげようかな。
「なんか、イベントやるみたいですよ? この近辺で」
「そうか」
「一緒に行きません?」
「一人で行けばいいだろ。俺を誘う理由はないだろ」
ぶっきらぼうにそう返される。
「私、方向音痴なんですよ」
「だからなんだ」
「ついてきてもらってもいいですか?」
本の背表紙を確認して五十音順に並べながら、そう言ってみる。
「行く道理はない」
いつまでもこの調子で返されるから、ちょっと意地悪な心が顔を出した。てんちょーを少し煽るように、にやついたまま聞いてみる。
「てんちょー、もしかして、女の子と出かけるのは、ハードル高いですか?」
「……うるせぇ。夏が苦手なだけだ」
少し間があったな。図星……? そんなわけないか。でも夏が苦手って何だろう。なにかあったのかな。
「――そうですか……」
仕方なく引き下がる。
でも、他の人を誘う気にもなれなかった。きっともう予定も誘う人も決まっているんだろうな。今のところ予定空いてそうなのてんちょーだけだし。というか最近てんちょーとしか会話してない気がする。あと、私にとっての大親友は文庫本だし。
自分から誘っておいてしょぼんってするめんどくさいやつだなって思われてそう……。最初から言わなきゃよかったぁー……。
「……」
しおしおと仕事に戻る私を見かねたのか、諦めたのか、てんちょーは「はぁ」とため息をついて、カウンターから出てくる。
そして、山積みになった本を数冊手にして、横に並ぶ。身長が高い分、高い場所にすぐ届いていてとても羨ましい。もはや妬ましい。
その横顔はなんだか、一瞬だけ、寂しそうに見えた。
「――――この段ボール分、全部整理出来たら、考えてやる」
「えっ……」
急に口を開いたかと思えば、七夕の話。夏、苦手だって言ったくせに……この人は……。
「あと、別に俺がお前と並んだとしても、初見だったら親子だろ。ハードルなんて元からねぇよ」
「んなっ、だっ、誰がちっさいですか!! 器は大きいですよ!!」
「器じゃなく、態度が、だろ」
「デカくないですよ!!」
「口動かすより手ぇ動かせアルバイト」
「んむむ……」
そんなこと言われたらもう言い返せない……。でも、てんちょーよりも働いてる気がするんですけど私。
ふと、壁に掛けられた時計が目に入った。7時半をさしている。やばい、もうこんな時間――!!
「――すみません、てんちょー! 今日はあがらせてください!」
「んぁ? 職務放棄か?」
「ちっ、違いますよ! それを言うならてんちょーの方じゃ――じゃなくて、家のことしなきゃなんです! 明日いっぱい働きますから! お願いします!」
「あー、そうか。じゃあ……」
てんちょーは数冊の本を持ったままちょっと考えて、それからまた口を開く。
「段ボール1箱分は今からでも、数日経っても無理そうだから――そうだな。夏関連の本の紹介文、書いてきたら、俺の貸し出しを許そう」
「課題難しすぎません!? それなら本の整理のほうがいいですよ!」
絶対行きたくないやつだこれ。だから無理な条件出してきてるんだこの人!!
「つべこべ言うな。まつりまで一週間もないぞ。どうする」
「や、やりますよ!! やってやりますよ!! てんちょーを外に引きずり出します!!」
「いや言い方」
「――――ただいまぁ」
時刻は、夜8時半。暗く、狭い玄関には散乱した無数の靴。質素なダイニングキッチンには、弱く頼りない電気がついていて、そこにはラップがしてある一人前の夕飯。シンクには乱雑に置かれた数人の食器。
「お姉ちゃん!! おかえり!」
「ただいま、璃子。亜希。遅くなっちゃったね」
玄関まで来てくれたのは、小6の璃子と小4の亜希。年の離れた妹たちだ。
「もうおかーさん、おしごと、いっちゃったよー?」
「あはは、そっかぁ。お姉ちゃんが遅かったんだもん。仕方ないね。優真と雪は、寝ちゃった?」
「うん! ねんねしちゃった!」
「いつも早寝だねぇ。いい子たちだ」
なんとなく微笑を浮かべつつ、妹たちの頭を撫でる。
「ご飯も食べなきゃだし、お風呂も――あぁー、てんちょーから課題出されてるんだったなぁ……」
しなければいけないことをぶつぶつ言いながら、部屋に向かう。私にとっては部屋だけど、一般的には押し入れだ。本が床にいっぱい積まれた、小さな小さな秘密基地。私の、一番の居場所。
「ほら、璃子も亜希も早く寝な? お姉ちゃんはお皿のお片付けと、お勉強しなきゃだから」
「はーいっ」
そう言って、自分たちの寝室に入っていく。
とてとて去っていく後ろ姿を見送ってから、電池の切れかかったデスクライトをつける。小さなハードカバーのノートを取り出して、ぱらぱらページをめくる。これは、私が毎日の出来事を少しでもいいから書いている日記である。特に何でもない日は本当に数行、一大イベントがあったらページいっぱいに。
バイトが始まってからというもの、毎日びっしりいろいろなことが書かれている。てんちょーが仏頂面だとか、てんちょーが人間関係不器用代表すぎるとか、てんちょーの血液はコーヒーでできてるんじゃないかとか。
シャーペンを数回ノックして芯を出し、かつんと真っ新な罫線の入ったページにその先を当てる。
今日の日付を書いて……今日は何があったっけな……。そう思い出しながら、日記を綴ろうとした。
ふと弟や妹たちの寝ているほうを見る。暗くて見えないけれど、きっともうすやすや夢の中なのだろうな。
「――――ほんとに、いい子たちだな」
――私とは違って。
力ない笑顔が自然に出る。一度目を伏せて、シャーペンを走らせた。
