夜はまだまだ明けない。歩いているだけでじっとりと汗ばむほどの気温。それでもどこにも立ち寄ることなく歩き続けた。私にふさわしい場所なんてどこにもないんだよなあ。家に帰ってベッドでごろごろするくらいが私にはお似合いなんだ。

 でも三十分もしないうちに頭が痛くなってきた。まずい、熱中症になりかけているかもしれない。とにかく涼んで水分をとらなきゃ。コンビニに行こうと来た道を引き返す。先生と出会ったコンビニはやっぱり賑わっていた。
 スポーツドリンクとバニラモナカを買ってお店を出る。とにかく飲まなきゃ。スポーツドリンクを三口飲んでふうと息を吐く。お酒を飲むと喉が渇くものなんだな。これも初めて知った。今夜は初めてがいっぱいだ。

 もう初めて尽くしは疲れた。知らないことを知るって自分のできないところを自覚させられてつらい。
 いや、違うか。先生と会ったから昔のことを思い出すのか。私は一番になれないって思い知るのか。
 はあと溜め息をついてバニラモナカの袋を開ける。きのこの山をもりもり食べたのに、またお腹がすいた。夜中にこんなに食べてたら太るかなあ。

舞原(まいはら)さん」

 見ると先生が両手を大きく振りながらやってきた。バッグは持ってない。

「まだ始発電車出てないけど、行くところあるの?」

 嘘をつこうかと思ったけど先生には見透かされそうで首を横に振る。

「今夜は暑すぎる。外にいたらゆでだこになっちゃうよ」

 そう言われてもどうしようもない。

「アイス、溶けてるよ」

 見るともうバニラモナカはしおしおになっている。あわてて齧りついてぺろりとたいらげた。

「そういえば、舞原さんはアイスが大好きだったよなあ。主食にしてたもんなあ」

 先生に話したことはないのになんでそんなこと知ってるんだろう。

「全種類のアイスを制覇したって売店の杉崎(すぎさき)さんが驚いてたもんだよ」

 売店のおばさんは杉崎さんって名前だったのか。知らなかった。というか知ろうと思ったこともなかったな。けど杉崎さんは私のことを知っていてくれたんだ。

「学校で一番アイスを買ってくれるって嬉しそうだった」

「そんなことで喜んでくれるって杉崎さんは良い人なんですね」

 きっとほかの生徒の特徴もいろいろ知っているんだろう。そういう人って世の中にはいる。そういう人のおかげで世の中は回っているのかもしれない。

「『そんなこと』じゃない。すごいことだよ、これは」

 なにが?と首をかしげると先生は腕を組んだ。

「北高で一番アイスの味にくわしい生徒なんだぞ、舞原さんは。一番だぞ、一番」

 そんなことで一番になってもなあ。自然と苦笑が浮かぶ。でも悪い気はしない。

「俺はアイスはあんまり食べないんだ。おすすめを教えてくれ」

 そう言って先生はコンビニに入っていく。付いていくとよく効いた冷房のおかげで息苦しさが消えた。快適な気温って偉大だな。気分が少し良くなった。いや、もしかしたら先生と一緒だからなのかもしれないけど。

「たけのこの里が好きなんだったら、このビスケットサンドは口に合うと思います。しっとりした歯ざわりです」

「おお、迷いなく選んだな。さすが」

「これくらい褒めてもらうほどのことじゃないですけど」

「ほかにもおすすめある?」

「そうですねえ」

 的確なものをおすすめできるほど先生のことをよく知らないかもしれない。知っていることと言えば和歌が好きすぎて蘊蓄が止まらないこと、生徒のことを気にかけてくれて覚えていてくれること、運動は苦手でバレー部の顧問で四苦八苦してたこと。
今日新しく知ったこと。音楽が好きでこれも蘊蓄が止まらないこと、子どもが大好きなこと、奥さんに弱いっぽいこと、友達が多いこと、そうだ、焼酎が好きなこと。

「焼酎に合わせてこのチョコミントもいいと思います」

 カップ入りのチョコミントアイスはミントが強くて芋焼酎の香りに負けないと思う。

「あずきアイスの和な感じもいけると思います。そうだ、ボサノヴァはブラジルの音楽なんですよね。そしたらこっちのチョコボールアイスはどうだろう。ブラジルにブリガデイロっていうお菓子があるんです。めちゃくちゃ甘いチョコレート菓子なんですけど。雰囲気だけでも似せてみるのもありかも」

「ほかには?」

 コンビニのアイスケースはもう選び放題にアイスがぎっしり詰まっている。自分で食べるだけだと考えないようなマリアージュというのか、お酒との相性を想像するのが楽しい。

「そうだ、先生はコーヒーより緑茶派でしたよね」

「えー、よく知ってるね」

 体育祭の打ち上げで男子とペットボトルを交換してたのを覚えてる。手を合わせて頼み込むくらいだから、そうとう緑茶が好きなのか、コーヒーが苦手なのかと思ってた。

「それなら、あえてこのコーヒー牛乳アイスをおすすめします。コーヒーとは思えない甘さと香りの良さが特徴です。子どものころから好きで食べ続けてるんですけど、時代とともに味を変えてるんです。それでも思い出の味から変わらないっていう不思議なアイスです。きっと私の舌もコーヒー牛乳アイスと一緒に変化してるんだと思います」

 先生はにこにこして聞いてくれてる。

「舞原さん、楽しそうだね」

 うん、すごく楽しい。普段だれかとアイス談義なんかしないから。

「やっぱり舞原さんは一番アイスを愛する人だよ」

「それギャグですか?」

 先生はあわてて顔の前で両手をぶんぶん振って否定した。

「違うよ、そこまでオヤジじゃないよ俺は」

 子どもがいるなら普通に親父だと思うけど。それは言わない方がいいんだろうな。

「じゃあ、舞原さんおすすめのアイスを買おう」

 先生はカゴをとって私がおすすめしたアイスをカゴに入れていく。全種類六個ずつ。アイスケースがすかすかになる量だ。

「はい、舞原さん。半分持ってくれ」

 コンビニのポリ袋をひとつ手渡された。

「急いで店に戻ろう。溶けちゃう」

 なんだかんだで先生は私をお店に連れ戻す気満々だったみたいだ。一度出てきたお店にまた戻るのってなんか恥ずかしいけど仕方ない。アイスを溶かすわけにはいかないから。

「お帰り、かおりちゃん」

 ミキさんが出迎えてくれる。まるで常連になったみたいで嬉しい。もとのカウンター席にはまだお菓子の盛り合わせが残されている。

「ミキちゃん、冷凍庫に入れて」

「そんな量入らないよ」

 そう言いながらミキさんは先生が持ってきた袋ひとつだけを受け取る。

「かおりちゃん、そのアイスはみんなに配ってあげて」

「え、でも」

 先生のお金で買ったものなんだけど。見上げると先生はうんとうなずく。

「溶けるまえに」

 もともとみんなに差し入れするために大量に買ったんだろうから、遠慮なく配る。

「どれも舞原さんのおすすめだから美味しいはず」

 先生はそう言うけどアイスの好みは人それぞれ。これは先生の味覚に合わせたつもりだから、ほかの人にはどうだろう。
 心配したけどみんな美味しいって食べてくれた。胸を撫でおろす。罪のないアイスを嫌いになってもらったらいやだ。そう言うと先生は「アイス愛がすごい」と言ったけど、やっぱりギャグだと思う。

 私も先生のアイスをごちそうになった。好きなだけ食べていいと言われてやっぱり遠慮なく全種類いただいた。至福だ。さっきまで落ち込んでたのが嘘のように幸せになった。
 私なんか単純な生き物だ。

「一番があるって幸せなことだよなあ」

 先生は芋焼酎とコーヒー牛乳アイスだ。

「俺は音楽。舞原さんはアイスかな」

「そうですね。アイスになら人生をかけられます」

「すごい愛だ。熱烈だな」

 そうかもしれない。

「世界のアイスを制覇してみたいです」

「おー。壮大な夢だな」

「それで、全人類に愛されるオリジナルアイスを作ってみたいです」

「良い夢だ。やりがいがありそうだ」

 夢。こんな食いしん坊な願望を夢と呼んでいいんだろうか。

「それじゃ旅行費用を稼がなきゃならないんじゃないか」

「そうですね。もっとバイトしなきゃ」

「今もバイトしてるの。なにしてるんだ?」

「アイス屋さんで働いてます」

 先生はうんとうなずく。

「だと思った」

 見透かされてた。

「舞原さんがオリジナルアイスを作ったら食べさせてくれな」

「食べてもらえますか」

「もちろん。楽しみにしてる」

 私の食いしん坊なだけの夢を先生に楽しみにしてもらえる。なんだかすごいことのような気がする。

「今日もバイトなんです」

「そりゃたいへんじゃないか。寝不足でへろへろにならないか」

「大丈夫みたいです。なんかすごくやる気出ました」

「そうかそうか」

 先生はにこにこだ。そうだ、進路指導の時もこうやってにこにこしてくれたんだった。私が英語の点数悪いのに英語学科に行きたいって言ったとき先生だけはにこにこしてくれた。

「やりたいことを思いっきりやってほしい」

 昔も今も先生はそう言ってくれるんだな。やることといったら売店のアイスを全制覇するくらいしかなかった高校時代も私には大切な時間だったのかもしれない。

「そういえば寝不足だけじゃなくて酒も抜けないんじゃないか」

「もしかして私、お酒臭いですか」

 飲みすぎてるせいか自分の息の臭いがもうわからない。

「俺も飲んでるからわからないけど。アキラくん、どうかな」

 カウンターから出てきた若い男性が私の顔に顔を近づける。一瞬、キスされるんじゃないかと焦った。けどアキラくんは臭いをかいだだけで顔を離した。勝手な妄想にどきどきしてめちゃくちゃ恥ずかしい。

「臭いますね」

「やばい」

 どうしよう、お酒臭い店員なんてアイスを売る資格がない。

「とにかく水をたくさん飲んでください」

 アキラくんがグラスを渡してくれる。

「ミントもいいですよ」

 ポケットから出したミントタブレットも渡してくれる。優しい。

「いつも不愛想なのに。アキラくん、若い子には親切だな」

 レコードをしまったゲンちゃんと呼ばれたDJさんがやってきた。

「さては好みのタイプか」

「お酒を美味しそうに飲む人は好きです」

 顔が真っ赤になったのがわかる。たぶんおそらくそういう意味の好きではないんだろうけど。それでもなんだか恥ずかしくてしかたない。

「俺もアイス好きですし」

 やばい。嬉しい。友達になりたい。オリジナルアイスを食べさせたい。なんて簡単な私。ときめきが安っぽすぎる。
 けどこれでいいのかも。高級アイスは毎日食べるものじゃない。安いアイスこそ主食たりうるんだ。

「私、ぜったいオリジナルアイス作ります」

 毎日食べても飽きないアイスを。アキラくんが微笑む。

「応援する」

 ああ、見失ってた私のアオハルがここにある。