「ここです」
 私はその言葉を聞き、上を見上げる。そこには立派な一軒家があった。
 「ここなのね」
 そう、私は呟き、中に入る。中は暗い。当然だ。今はもう1時半、明るい方がおかしいのだから。
 すぐに彼の部屋へと上げられた。
 「ちょっと待ってくださいね、今すぐ僕がもう一枚の布団を持ってきますから」
 そう言って工藤君は移動した。
 一人になると途端に心細くなる。
 暗い部屋の中、色々と雑念が私に襲い掛かる。
 少し忘れていたはずなのに。
 私はそっと、スカートのすそを掴む。これも私が、今日のために精一杯おしゃれしてきたものだ。
 ああ、無駄になったなっと。しかも今も体調がしんどいし。イライラがぶり返してくる。
 「ああ、もう」
 大声で叫ぶわけには行かない。私はそっと静かに叫ぶ。
 工藤君、早く戻ってきて。

 「ただいま」
 そう、工藤君は笑いかけてくれる。
 私は、そんな工藤君の足に縋りついた。
 「どうしたんですか?」
 工藤君は、その場で座り込み、私の顔をじっと見る。
 「そんな不安がらなくても、僕は先輩の味方です。安心してください」
 そう、にっこりと笑う彼。
 「どこにもいかないで」
 「どこにもいきません」
 その言葉を聞いて、私はほっとした。あの男のように別の場所へと、私を置いて行くような真似はしないんだと。
 「ねえ、工藤君、どうしてそんなに優しいの?」
 「僕は優しくないですよ。ただ、今優しいのはそうですね、先輩の事が心配だからです」
 「心配って……」
 「僕は先輩の笑顔が好きですから」
 その笑顔でその言葉を言われたら、私も笑顔になるしかないよ。
 「ありがとう」
 そう言って私は彼の足から手を離した。
 「隣で寝るのがいい? それとも離れて寝たい?」
 悪戯っぽく言う工藤君。
 「隣で寝たい、かな」
 不安な気持ちがいっぱいだ。隣に人の気配を感じたほうが、寝やすいと思う。
 それに体調も良くない。いざという時に誰かに面倒を見てもらいたいという気持ちもある。
 「分かった」
 そう微笑んで彼は自分のお布団の隣に布団を置いた。
 本当に工藤君の家に泊まるんだなと、今再実感する。
 一応工藤君も男の子だ。だけど、童顔な彼は安心が出来る。
 だって、純粋な良心のみで動いている感じがするのだから。
 「ねえ、先輩」
 「どう……したの?」
 「体調はどうですか?」
 「ん、と。だいぶましにはなったかな」
 「それは良かった」
 そう言うと、工藤君は私の体に触れてきた。
 「な、なに?」
 「先輩から、あの男の姿を消すためですよ」
 それを聞いて工藤君の方に振り返ると、工藤君は少し悪い顔をしていた。
 あれ、手は出さないって言ってたのに。
 「先輩って疑わないんですね。僕だって一応男の子ですよ」
 「そ、そうだけど。工藤君って酷いことしないじゃない」
 「それは先輩から見た僕ですよ」
 そして優しく抱きしめてくれる。
 「先輩、僕からこれからの提案をさせてもらえませんか?」
 「どうしたの?」
 私は訊く。急に雰囲気が変わって行った。
 「僕と付き合ってくれませんか?」
 唐突でびっくりした。
 急に酒で訛っていた脳が活性化された気がした。
 「急にどうしたの?」
 「僕は、そんな立派な人間ではありません。僕はずっと先輩に恋焦がれてきたんです」
 「ずっと?」
 という事はあの、文フリで一緒に本を売った時も、私の惚気話を聞いてた時も、学園祭の準備を一緒にしてた時も私のことを思ってたの?
 「ごめんなさい。僕が今していることはクズだと思います。でも、僕はずっと先輩の惚気話をずっと、恨めしく思いながら聞いていたんです。だって、僕は先輩の事が好きなんですから。」
 そうだったんだ。実は酷いことをしてたんだなと、ふと感じた。
 「ごめんなさい。こんなタイミングで告白してしまって……ごめんなさい、忘れてください」

 それからしばらく時間が経った。
 私は今工藤君と背中合わせで寝ている。けれど、今も先程の言葉が脳裏に残っている。
 『僕は先輩の事が好きなんですから』
 その言葉が。
 幸い強引に襲おうなんて言う気はなさそうだ。
 それは安心だし、先ほどの工藤君のいいぶりからにしても、きっと悪いことをしたと思っているのだろう。
 そう、私を好意を持って家に連れてきたことを。バッティングセンターに連れてきてしまったことを。
 もしかしたらバッティングセンターに連れてきたことでさえ、わざとなのかもしれない。
 でも、それだけで、工藤君の事を嫌えるかと言われると、答えは完全にNOだと思う。


 眠たい頭で考える。私は彼の好意に対してどういう答えを返したらいいのだろう。
 唯一恨むべくは今気持ちを口にしたことだろうか。
 何しろ、そのせいでまた頭痛がしてきた。
 色々と頭が働きすぎて、また気持ち悪くなってきた。
 うぅ、眠い。
 でも、気持ちは言わなければ。そう、今脳に浮かんでいる言葉を。
 「私を……」
 その言葉を聞いて工藤君がこちらを見る。
 「私を、好きにさせるなら努力してよ」
 「というと?」
 「私からあの男の幻想を奪う努力をして」
 私はそう言った。
 すると、彼は私に抱き着いてきた。
 「ちょっ」
 「好きにならせる努力をしたらいいんでしょ」
 「そう言われても……」
 確か、
 「襲わない約束じゃなかったっけ」
 「そうでした?」
 にやにやとしている。
 「でも、そう言うならやめます」
 「っ」
 肌の感触がなくなった瞬間、『寂しい』という感情が芽生えてしまった。
 そして私は離れようとする彼のパジャマを一掴みした。
 「先輩が僕の事を求めるんですね」
 そう言って彼はまた酒をひと飲みする。
 その後、私にまた触れて来る。
 決してエッチな事ではない。ただのじゃれくりあいというのが正解だろう。
 だけど、なんとなくそれが楽しくて、
 この夜が終わってほしくないとさえ思った。
 この二人の空間が終わってほしくないって。

 私にとって工藤君はただの後輩だった。かわいい、私についてくる健気な後輩。
 なのに、こんな一面を備えているとは本当に思っていなかった。
 私は……彼の気持ちを受け入れるべきなのではないだろうか。動機は不純だけど、それでも私を慰めてくれたのだし。
 「ねえ、工藤君、バッティングセンターに連れて行ったのは故意? それともうっかり?」
 私が体調を崩すことを理解してなのかどうかだ。
 「それはうっかりです。家に連れて行くのは断られたので、どこかでストレス発散してもらう予定でした」
 「そう、それを聞けて安心した」
 私は彼の方をじっと見る。
 「よく見たら、流伽よりもいい男ね」
 「え?」
 私の突然の言葉に驚いた様子を見せて来る。
 「とりあえず答えは明日出すわ。酒が抜けきった後にね」
 「はいっ!!」
 そう、元気よく言う彼の姿を見ると、私はドキッと顔を紅潮させてしまった。
 「照れてるんですか?」
 「照れてない!」
 わたしはそう、強く否定すると、睡魔が襲い掛かりすぐに睡眠へと落ちた。