「先輩?」
 声が聞こえる。
 「先輩!!」
 私は重たい瞼を開ける。するとそこにいたのは私の入っている部活。文芸部の後輩、工藤孝明くんだ。
 なんでここにいるんだろ。
 いや……ああ、そうか。そう言えばここは私の大学の近く。
 いても不思議じゃないか。

 「先輩、本当に何があったんですか?」
 「お酒を飲み過ぎたのよ。所謂自棄酒っていうやつね」
 そう、小声で言葉を紡いでいく。
 「そうですか」
 そして、彼はスマホを開く。時刻を確認しているのだろう。
 「終電大丈夫ですか?」
 「たぶん大丈夫じゃないかも」
 終電はもうない。もう逃した。否、わざと逃した。
 「じゃあ僕の家に来ませんか?」
 その発言は予想外だった。だって、男の人が自分から誘うって。
 いや、それは普通だ。
 なにもおかしなことはしていないのだから。

 「それは……」
 私だって女だ。男の人の家にはいったらどうなるかなんてわかっている。
 私はこの子、工藤君を信用してないわけじゃない。でも、一人暮らしの彼の家に行くにはリスクが高いのだ。
 「だめ」
 私ははっきりと否定した。すると彼は困ったようにまゆをひそめた。
 そして言い放った。
 「何があったんですか?」
 その言葉に私はまた悲しみを思い出した。また酒の高揚感が勝っている。けど、
 言いたくなってしまう。
 私の悲しみを全て。
 「めんどくさい話だけどいいの?」
 私はおずおずと訊いた。
 その言葉に対して工藤君は黙って頷いた。
 私はそれに安心した。だって、訊いてほしかったから。心の中の子のストレスを吐き出したかったから。
 「じゃあ聞いてくれる? 私の話を」
 そして私は今までの事を話した。今までの彼との日々を彼との出会いを、そして昨日の出来事を。
 彼は私の元カレの馴れ初めとか惚気話とかを知ってるはずだ。
 だって、私は普段からそう言う話をしてたから。
 だけど、彼は黙って私の話を聞いてくれた。
 ありがたい。感謝しなきゃならない。だって、私の心は多少晴れたのだから。

 「なるほど」
 彼はうんうんと頷く。
 「それはつらかったですね」
 そして慰めてくれた。ありがたい。
 「なら、僕と一緒に来て欲しい場所があるんです」
 「どこ?」
 「着たらわかりますよ」
 結局どこに行くのかも教えてもらえないまま彼について行く。
 謎だ。
 「ここです」
 「ここは?」
 暗いからよく見えないけど、ここはバッティングセンターだ。
 「まだやってるの?」
 「はい、ここは僕の親が経営する店なんです」
 「勝手に使っていいの?」
 「はい、あとで僕は起こられるかもしれませんが」
 そうてへっと笑う工藤君。今は彼のやさしさに甘えよう。
 「最初はどれくらいがいいの?」
 「そうですね。70キロにしてみましょう」
 「それが最適なの?」
 「いえ、僕は野球やったことないので。でも、すかっとしますよ」
 その言葉を聞き、「お願いします」と言った。
 早速球が飛び出してきた。私はバッドが出なかった。
 だって速くはないけど、バットに当てるのは難しすぎる。
 それにお酒も聞いているから、あまり強くは振れないし。
 プロの人は150キロとかのボールを打つというけど、それは凄い事なんだ。

 「速度下げましょうか?」
 「これでいい」
 私はそう言って球が飛ばされる。
 まだふらふらするし、中々狙えない。けど、なんとなく当てたい。そう、思い集中する。
 三球目、私は捉えた。
 いい当たりじゃないと分かるけど、なんだか楽しい。
 「なんで別の女が好きなのよ」
 打つ。
 「なんで好きじゃなくなったタイミングで別れ話をしないのよ」
 打つ。
 「なんで、高級レストランで振る話なのよ」
 打つ。
 「勘違いするじゃない」
 打つ打つ打つ。
 苛々を解消しながらひたすらにバッドを振った。
 素かっという感覚ではないけど、でも段々とストレスが解消されていく感じがする。
 だけど、あれ、段々としんどくなってくる。
 「あれ?」
 体がふらふらとしてくる。めまいがしてくる。体に力が入らない。
 あれ、おかしいな。気持ち悪くなってきた。
 「大丈夫ですか――」
 その言葉を最後に、私の意識は失われた。

 「目が覚めましたか?」
 私が目を開けると、目の前に工藤君の姿があった。
 「あれから目を覚まさないので心配したんですよ」
 「私、気絶してたの?」
 「はい、バッティングセンターで」
 私が寝転がっている場所、そこはベンチの上だった。
 うっ、又吐き気が。
 私は、手で口を押えるとすぐさま胃の中のものが吐き出される。
 「ごめんなさい。酒飲んでるときに運動が好ましくないこと忘れてました」
 そうだった。私は酒を飲んでいた。そりゃ吐き気がするわけだ。
 というか、常識的に考えたら明らかにそうじゃない。私馬鹿だ。

 まるで二日酔いの症状だ。いや、元々そこまでの酒を飲み切っていたのだった。
 それがさらにひどくなったというだけの事。
 「ごめんね、また迷惑をかけるね」
 「迷惑なんてかけてくださいよ」
 そう胸を強くたたいた。
 「僕は先輩の後輩ですから」
 そう、胸をトンと叩く彼の姿は何となく逞しいと思った。
 「それに今の状況は半分は僕のせいですから」
 確かにバッティングセンターに誘ったのは工藤君だ。
 とはいえ、そばにいてくれるのはありがたい。とりあえず気持ち悪い。
 「うぅ」
 私は彼の服を掴む。
 「どこか寝られる場所を」
 そう呟き、工藤君は上を見る。
 「少し歩けますか?」
 「ええ、歩けるけど」
 「なら、僕の家に来ませんか?」
 その言葉に私は思わず「え?」と呟いた。
 「欲とかじゃありません。寝られる場所をと思いまして」
 そういう事、私は理解した。
 「分かった」
 私は頷いた。
 「その代わり手は出さないでね」
 「出すわけないですよ。僕の命を懸けます」
 「あまり信用ならない代償ね」
 「なら、10万円で」
 急に、現実的な数字が出てきてクスッと笑った。
 勿論本当に襲い掛かれて来られたら十万じゃすまないと思うけど。

 「立てますか?」
 「う、うん」
 私は彼の肩を借りながら歩き出す。
 まだ足元がおぼつかない。
 まだ、しんどいのだと理解した。
 なんだか情けない。私は振られたストレスで酒を浴びるほど飲み、結果として工藤君に迷惑をかけているのだから。
 私の歩みの遅さのせいで、工藤君の足も遅くなっている。
 申し訳ない事ばかりだ。