1年の夏に美術部を辞めて以来、深山くんは一人でこの海に来ては、白紙のスケッチブックを前に立ち尽くしていたという。
絵を描く目的を見失い、情熱の行き場を失っていた無口な少年が、今、もう一度コンクールという大きなキャンバスに向き合おうとしている。
「テーマは自由なんだね。……何を描くの?」
私が尋ねると、深山くんは静かに私の方へ顔を向けた。
その瞳は、夜明け前の海と同じくらい深く、どこまでもまっすぐ私を見つめていた。
「……入江さんと、この海。」
息が止まるかと思った。
潮風が私の頬を撫で、髪を揺らしていく。夕陽が彼の横顔を赤い光で縁取っていた。照れ隠しで笑い飛ばすこともできず、私はただ彼の瞳を見返すことしかできない。
「学校での入江さんじゃなくて。ここで……二人でいるときの、この海の青と、君の素顔。」
深山くんはそう言うと、手元に視線を落とし、すり減った鉛筆でスケッチブックにゆっくりと線を走らせ始めた。
しゃっ、しゃっ、という音が、波音に重なっていく。
「……変かな?」
「変じゃない。……すごく、嬉しい。」
都会から逃げてきて、誰の前でも嘘の笑顔を作り続けていた私。そんな私の隠したかった涙も、不器用な素顔も、全部「綺麗だ。」と言って、キャンバスに留めようとしてくれる人がいる。
「私、いくらでもモデルになるよ。だから、深山くんの好きに描いて。」
膝を抱えなおし、私は夕陽の光を受ける海へと視線を戻した。
隣で鉛筆を動かす深山くんの気配を感じながら。
でもごめんね深山くん。まだ、深山くんに言えないことがあるの。
