次の日、僕は小野先生に呼び出された。
 空き教室で、先生と向かい合って座る。小野先生の横には校長先生が監視するように座っていた。
 僕は昨日、何も悪いことはしていない。ただの事情聴取だろう。だからすぐに終わる。そう思っていた矢先のことだった。

「萩野、お前、昨日田中を階段から突き落としたそうだな」

 先生はそう言った。

「え?」

 耳を疑った。なぜ、そんなことになっているのだろう。僕はすぐさま訂正した。

「田中さんが足を踏み外して、勝手に落ちただけです。僕は指一本触れていません」
「もうすでに、田中の周りにいた三人にも話を聞いた。みんな、萩野が突き落としたって言っていたぞ」
「は……?」

 そんなの噓だ。みんな口裏を合わせて、僕を陥れようとしているんだ。
 僕は助けを求めるように校長先生の方を向いた。校長先生は口を真一文字に結んだままで、何も言わなかった。
 
「すでに三人から証言が取れているんだ。田中は右足骨折。全治一ヶ月。どうしてくれるんだ!」

 先生は怒鳴る。
 田中は先生のお気に入りの生徒だ。田中は先生の前ではいい顔をする。やり方がうまいんだ。自分が生きやすいように、すべて思い通りになるように立ち回っている。常に上位に立つことで、気に入らないものは排除していく。

「弁明しても無駄だ。ちゃんと田中に謝りに行くんだ」
「いや、だから、僕は……」

 先生は聞く耳を持たない。
 僕は冷や汗を浮かべた。
 そうだ、古川だ。古川はなんて言ったのだろう。

「古川に、話は聞きましたか? あの場には古川もいました」
「ああ、聞いた。だけど、何も言わなかった。ずっと口をつぐんだまま」

 きっと、口止めされているんだ。だが、それにしてもだ。何で本当のことを言ってくれないのだろう。田中たちの言うことなんか、聞く必要ないのに。

「僕のせいじゃありません。そもそも、あの場で起こったこと、先生は知っているんですか? 田中たちが何をやっていたのか、分かっているんですか?」
「お前が突き落としたことには変わりは無いだろ。田中は被害者だ」

 話が通じない。僕の言葉なんて、聞こうとしない。都合の悪いことは無視だ。それだけ、お気に入りの生徒が大切なんだ。
 そうか、そうだもんな。もしここで僕の無実を認めたら、この学校でいじめが起きていることを認めることになるもんな。それは学校にとって不都合なことだ。
 田中たちが昨日のことを何と説明したのかは知らないが、きっと自分たちが悪くなるようには言ってないはずだ。あくまで自分たちは被害者だとして振舞っている。
 先生だって、本当は分かってるくせに。

「お前のお母さんにも電話した。今から来るって」
「え?」

 なんで母さんを巻き込むんだ? 僕の話を聞く前に、母さんに電話するなんて。

「今回のことはすべて話した。それと、ついでにお前が最近休みが多くなっていることも話した。お前のお母さん、そのこと、全く知らなかったぞ。一体何をやっているんだ?」

 絶望した。すべてが終わった。ばれてしまった。学校をサボっていることが。
 これに関しては、僕が悪いのは分かっている。だけど、今回の一件がなかったら、先生が親に電話することもなく、休んでいることを知られることもなかったかもしれない。そう考えると、田中たちに非常にムカついた。
 それにしてもタチが悪い。先手ばかりを打ちやがって。僕の話なんて一度も聞かず、先生は僕を悪者に仕立て上げることでこの事件を終着させようとしているのだ。

 そのとき、教室の扉が勢いよく開いた。そこには、血相を変えた母さんが立っていた。

「俊、何してくれたの!」

 母さんは大股でズカズカと僕に歩み寄ってくる。そして、僕の頬をいきなり打った。

「不名誉なことで学校から呼び出されるなんて! 私がどんな気持ちだったか!」

 母さんは僕より自分の自尊心の心配をした。
 頬がヒリヒリと痛んだ。

「謝りなさい」

 母さんは言った。

「……僕のせいじゃない」
「謝りなさい!」

 母さんも、僕の話を聞いてくれなかった。実の息子の話よりも、先生が話す、まるで僕が悪役のような、事実とは違うシナリオを鵜呑みにした。
 完璧主義の母さんは、間違ったことが大嫌い。母さんは、また僕に失望した。
 本当のことは明るみにならないまま、話は終わる。僕には話す機会すら与えられなかった。だからもう、諦めた。大人に理解されることを。


 帰る頃には、雨が降り始めていた。
 傘を持ってきていなかったので、しょうがなく母さんと一緒の傘に入る。

「あなたには失望したわ。人に怪我をさせて、私に内緒で学校をサボって」

 母さんは僕を咎める。

「今何を言われても、あなたのことは信じられない。自分に非があると分かっているのに謝らない子に育てた覚えはないわ」
「……僕は悪くない」

 何を言われても、僕はこの一言しか言わない。非がないのに謝らなければならないなんて納得がいかにい。僕は意地でも謝らない。
 だいたい、こんなに学校をサボっているのに、先生に言われるまで気づかないなんて、僕のことに興味が無い証拠だ。どうせ、僕は一家の恥だ。お荷物だ。

「いい加減にしなさいよ!」

 ヒステリックに声を荒らげ始める母さんに、僕は目を見開いた。
 みんな自分のことばっかり。少しでも傷つけられたら、平気で他人を傷つけ、捨て駒にする。そうやって自分の体裁や名誉を守っていく。そんなの、自分が他人より優位な立場にいると思っているからできるのだ。とんだ自惚れ者。恥ずかしいったらありゃしない。
 僕は母さんを睨んだ。心の底から睨んだ。
 
「僕のこと、何も知らないくせに」

 そう吐き捨てて、そのまま走り出した。

「あ! ちょっと俊!」

 母さんが引き留めようとするが、お構いなしだ。
 雨に濡れる。雨はだんだん強くなってくる。それでも僕は走り続けた。
 誰も僕の話を聞いてくれない。信じてくれない。
 僕の生きている意味って何だろう。都合のいいように扱われるだけ。思い通りに行かなければ、平気で排除される。

 早く大人になりたい。誰にも頼らずに、生きていけるようになりたい。
 それができないのなら、もういっそ、消えてしまえたら楽なのに。