今日も僕は、重い足取りで学校へ行く。もうすぐ夏休みだ。それまでの辛抱。夏休みにさえ入れば、心置きなく高架下へ行ける。

「なあ、萩野」

 教室に入り席に着くと、高木が珍しく神妙な面持ちで声をかけてきた。
 高木は不思議なやつだ。彼は入学してすぐのクラスでの自己紹介の時、自作のロボットを持ってきて高らか宣言した。
 
「俺の夢は、世界一の発明家になることです!」

 これだけ聞けば、中二病を高校生にもなってまだ引きずっている、いわゆる痛いやつのように思われるかもしれないが、彼は実際に、膝程の高さの二足歩行のロボットを歩かせてみせた。インパクトは相当強く、クラスメイトはすっかり高木とそのロボットに夢中だった。 
 この宣言が、果たして本気なのかジョークなのか、それは本人にしか分からないが、結果的には最初の自己紹介として大成功を収めている。
 
 彼はロボットを作るのが趣味で、暇さえあれば設計図のようなものを描いている。周りの目を気にすることなく、自分の好きなことに没頭している。かといって、協調性がないわけではない。自分の世界を持っているが、やるべきことはきちんとこなす。
 相当な変わり者だが、持ち前の明るさと気さくな性格で、クラスにも上手く馴染んでいる。特定の仲がいい人というのはいないようで、基本はひとりでいることが多いが、誰に対しても分け隔てなく接するため、人望は厚い。

 彼とは用があったら話す程度で、特別仲がいい訳ではなかったが、僕は密かに彼に対して羨望の眼差しを向けていた。

「さっき、偶然聞いちゃったんだけどさ。今日の放課後、古川がお前に告白するらしいよ」
「告白? 何で僕に……」

 僕は困惑の表情を浮かべた。同じクラスの古川楓。彼女とは、ほとんど話したことがない。

「それがさ、ほら、田中たちのグループ、分かる?」
「分かるよ」

 田中はクラスの派手な女子だ。僕が一番苦手なタイプ。意味も無くキーキー騒いで、耳障りだった。
 自分が一番だと思って、周りを見下すその横柄さ。声が大きくて、自分の都合ばかりを考えている。その取り巻きを含め、僕は嫌いだった。できれば関わりたくなかった。

「そいつらが、罰ゲームみたいな感じで、古川に無理矢理やらせようとしているんだ」

 古川が、田中たちに絡まれているのはよく見る。端から見たら、嫌がらせをしているようにしか見えない。本人がどう思っているかは知らないが、どう考えても古川は、田中とつるむようなタイプには見えない。古川は地味でおとなしいイメージがあるから。
 だけど、誰も何も言わない。気づいてはいるけれど、そっと見ないフリをしている。

「それで、僕が標的になったのか」
「相手なんて、誰でも良いんだよ。あいつらは、遊びでやってるだけなんだから」

 高木はあきれたように言う。彼はフォローしてくれた。でも、なんで僕が標的になったのかは、自分でもなんとなく分かった。
 僕は冴えない。クラスでも目立たない存在だ。からかって楽しむなら、活発な男子よりも、僕のような仲間のいない人の方が、笑いものにできていいのだ。

「どうして教えてくれたの?」
「どうしてって、お前、ああいうノリ嫌いだろ? あんまり派手な人たちと、絡みたくなさそうだし。先に分かっていれば、対処もできるし、お前も嫌な思いをせずにすむと思って」

 高木は言った。和馬には申し訳ないが、良い奴という言葉は、高木のような人に使うべきだと思った。僕なら多分、事前に聞いたとしても、特別仲がいいわけではないのならば、わざわざ伝えるようなことはしない。ただ、災難だなと思って見てるだけだ。

「教えてくれてありがとう。助かったよ」
「おう。じゃあ、後は頑張れよ」
「うん」

 高木は去って行った。高木とは、そこまで親密な関係ではない。僕は高木のことは詳しく知らないし、彼に僕のことを教えた記憶も無い。でも彼は、僕のことをなんとなく分かっていて、フォローしてくれる。よく周りを見てるんだなと思った。
 今だってそうだ。僕が嫌なことを察してくれていた。そして、さりげなく手助けをしてくれた。彼は自分の世界を持っているが、そこに閉じこもる訳ではなく、困っている人がいれば迷わず手を差し伸べる。そこには、彼なりの信念があるのだろう。
 自分を持っている人は、劣等感に振り回されることはないんだろうな。高木を見ていると、そう思える。他人は他人、自分は自分と割り切っているから、あんなに自信に満ち溢れてみえるのだろう。だから、僕はそんな高木が、羨ましくて仕方がなかった。
 人の優しさに触れるたびに、僕は自分自身に嫌気がさす。人の善意を素直に受け止められない自分が惨めだ。同じ状況に置かれても、僕は高木のようには行動できない。そんな自分が煩わしくて、さらに自己嫌悪に陥る。
 比べられるのが嫌だと散々言ったくせに、僕自身が、自分と他人を比べてしまうのだ。
 和馬に認めてもらえても、拗れてしまった卑屈な性格はそう簡単には変わらない。



***



「ね、ねえ、萩野君」

 昼休み、教室で席に座っていると、古川に話しかけられた。古川は、僕に話しかけているのに、一切目を合わせなかった。

「放課後、話があるの。よければ、その、四階の西階段まで来て欲しい……」

 古川は声を震わせながら言った。
 答えようと口を開いたが、古川は僕の返事を聞かずに、どこかへ行ってしまった。断るつもりだったのに。ここで断っておけば、面倒なことにはならないだろうと思ったからだ。
 僕はチラリと田中たちの方を見た。少し離れたところで、陰険な様子で、クスクスと笑っていた。
 僕はため息をついた。
 スマホを取り出し、『嘘告 対処法』と検索してみたが、役立ちそうなものは見つけられなかった。
 どうせなら高木も一緒に着いてきてくれたらいいのに。なんて思ったが、それは流石に彼に甘えすぎだと自分に活を入れる。これは僕の問題だ。
 これほど放課後が来て欲しくないと思ったことは、今までに一度も無いだろう。