次の日、僕は学校へ行った。
二日学校へ行かなかっただけで、環境はすっかり変わってしまう。
例えば、授業が先に進んでいるのは当たり前だ。みんなが知っていることを、僕だけが知らない。そう思うと、どうしようもないほど不安になる。休むと決めたのは僕なのだけれど、休んでしまったことに後悔する。
そして、席替えだ。昨日席替えがあったらしく、僕は一番前の先生の目の前の席から、一番後ろの窓際の席になっていた。同じ教室なのに、席が変われば景色は全く違って見える。今まで見えなかったクラスメイトたちの背中が見えて、この教室にはこんなに沢山の人がいたんだと変に感動した。
他にも、教室の掲示物が増えていたり、誰かが髪を切っていたりする。いつも一緒に行動している仲の良い二人が別々のグループにいることもある。
学校を休むのは中学一年生の時インフルエンザになって一週間休んだ以来。休んだ次の日の学校というのは、やはり慣れなくて妙に緊張している。
ここで僕は一つ絶望した。今日は二者面談だ。先生と一対一で、学校生活のことや、進路のことを話さなければならない。
地獄だった。先生と話す約十五分間。ただでさえ憂鬱な学校なのに、面談があることでさらに憂鬱になった。逃げ場のない場所で、二人きり。地獄でしかない。
僕は担任の小野先生が苦手だ。
30代後半の男性教師。眼鏡をかけていて、教科は数学だ。プライドが高く、論理的。少し母さんに似ている。
小野先生は生徒に高い理想を求める。それに応えられないと、お前のせいだ、なぜこんなこともできないのだと、蛇のようにネチネチと嫌味を並べる。
こんな腐った性格の人でも教師になれるんだと思うと、世の中終わってるなと思う。
僕は面談室で、先生と向かい合って座った。
先生は頭をかきながら、前の試験の結果を見て言う。
「萩野、お前、ちゃんと勉強したか?」
「はい」
「それでこの成績か?」
先生は皮肉混じりに尋ねた。僕は何も答えなかた。
一応、平均点は超えて、クラスでも十番には入っている。決して悪くはないはずだ。
「これで勉強したって言えるの、すごいなぁ」
先生は点数をまじまじと見つめた。僕より点数が低い人にも、同じことを言っているのだろうか。いや、多分僕だから言っている。その理由は、おそらく悠がいるからだ。
「こんなんじゃ、弟さんに笑われるよ」
先生は鼻で笑った。どうせ母さんが、先生と会ったときに、悠のことを自慢げにペラペラと話したのだろう。
この先生は、優秀な人が大好きだ。だから、別の学校の生徒で先生に一切関係ない僕の弟を気に入っており、ここぞとばかりに引き合いに出してくる。会ったことすらないくせに。
「弟さん、相当頑張っているそうだね。おまえも見習ったらどうだい?」
色々言い返してやりたいことはあったが、必死にこらえる。そして淡々と、「はい、頑張ります」と答えた。余計なことを言って話を長引かせないのが吉だ。とにかく今は早くこの場から逃げたかった。
一方的に嫌味ばかりを言われ、比較されるこの状況が苦痛で仕方がない。こういう人の神経って、一体どうなっているのだろう。どうせ優位に立っている自分に酔いしれているだけだろう。思いやりの心なんて、きっと小学生のうちに捨ててきてしまったんだ。道徳の授業を馬鹿らしいと思って聞いていなかったタイプ。じゃなきゃ、良心が痛むはずだから。
「あと、ここ数日休んでただろ? 体調管理ができなきゃ、今後社会に出たときやっていけないぞ。弟さんは勉強に加えて、部活も頑張っているそうじゃないか。それに比べてお前は……」
先生の嫌味に嫌気がさし、僕はチラリと窓の外の方に目を向けた。空にはゆっくりと雲が流れている。いい天気だ。
先生はそんな僕には気にも留めず、まるで快感を得ているかのようにペラペラと語っている。
比較比較比較。また比較。僕はいつだって、劣っている側の人間だ。
休んだのは僕が悪い。ズル休みをしたことには変わりは無い。それで叱られるなら、僕もきちんとお叱りを受ける。でも、 そこで弟を持ち出してくるのは違うじゃん。
「それで、この前出してもらった進路希望調査だけど」
この前書かされた進路希望の紙を先生が取り出した。
「お前、白紙で出しただろ?」
視界の中で、僕の名前だけが書かれた進路希望調査のプリントをひらひらと揺れている。
「行きたいとことかやりたいことないのか? 目標がないと、勉強のやりがいもないだろ?」
僕は口をつぐんだ。
「ほら、あの大学行きたいとか、将来こういう職業に就きたいとか。あ、弟さんは何になりたいんだ?」
「……医者になりたいって、この前言ってました」
母さんがそう自慢げにご近所さんに話しているのを、たまたま聞いたことがある。実際に悠がどう考えているのかは知らないが。
「医者か。将来有望じゃないか。素晴らしいな」
先生は感心しながら腕を組む。
なりたいものなんて何もないし、考えたこともない。僕には未来が見えない。上手く想像できないのだ。夢もなければ理想もない。自分がこの先、生きている姿だって思い描けない。そんな状態で、進路を決めろだなんて。砂漠でビー玉を探すようなものだ。
「あの、僕まだ考え中なので……もう少し後でもいいですか?」
色々なものが耐えられなくて、僕はそう切り出す。そうすると、先生は呆れたようにため息をついた。
「分かった。もう少し考えろ。それじゃあ最後に、学校生活で、何か悩み事はある?」
先生は義務的に尋ねる。
先生とどう接するのが正解なんですか? なんて、聞けるはずがない。
それに、悩み事があったとしても、この先生に言ったところで無駄だと感じた。弱みをこれ以上握られたくなかった。
「特にありません」
そう答えると、先生は「そう、ならよかった」と満足げに頷いた。
二日学校へ行かなかっただけで、環境はすっかり変わってしまう。
例えば、授業が先に進んでいるのは当たり前だ。みんなが知っていることを、僕だけが知らない。そう思うと、どうしようもないほど不安になる。休むと決めたのは僕なのだけれど、休んでしまったことに後悔する。
そして、席替えだ。昨日席替えがあったらしく、僕は一番前の先生の目の前の席から、一番後ろの窓際の席になっていた。同じ教室なのに、席が変われば景色は全く違って見える。今まで見えなかったクラスメイトたちの背中が見えて、この教室にはこんなに沢山の人がいたんだと変に感動した。
他にも、教室の掲示物が増えていたり、誰かが髪を切っていたりする。いつも一緒に行動している仲の良い二人が別々のグループにいることもある。
学校を休むのは中学一年生の時インフルエンザになって一週間休んだ以来。休んだ次の日の学校というのは、やはり慣れなくて妙に緊張している。
ここで僕は一つ絶望した。今日は二者面談だ。先生と一対一で、学校生活のことや、進路のことを話さなければならない。
地獄だった。先生と話す約十五分間。ただでさえ憂鬱な学校なのに、面談があることでさらに憂鬱になった。逃げ場のない場所で、二人きり。地獄でしかない。
僕は担任の小野先生が苦手だ。
30代後半の男性教師。眼鏡をかけていて、教科は数学だ。プライドが高く、論理的。少し母さんに似ている。
小野先生は生徒に高い理想を求める。それに応えられないと、お前のせいだ、なぜこんなこともできないのだと、蛇のようにネチネチと嫌味を並べる。
こんな腐った性格の人でも教師になれるんだと思うと、世の中終わってるなと思う。
僕は面談室で、先生と向かい合って座った。
先生は頭をかきながら、前の試験の結果を見て言う。
「萩野、お前、ちゃんと勉強したか?」
「はい」
「それでこの成績か?」
先生は皮肉混じりに尋ねた。僕は何も答えなかた。
一応、平均点は超えて、クラスでも十番には入っている。決して悪くはないはずだ。
「これで勉強したって言えるの、すごいなぁ」
先生は点数をまじまじと見つめた。僕より点数が低い人にも、同じことを言っているのだろうか。いや、多分僕だから言っている。その理由は、おそらく悠がいるからだ。
「こんなんじゃ、弟さんに笑われるよ」
先生は鼻で笑った。どうせ母さんが、先生と会ったときに、悠のことを自慢げにペラペラと話したのだろう。
この先生は、優秀な人が大好きだ。だから、別の学校の生徒で先生に一切関係ない僕の弟を気に入っており、ここぞとばかりに引き合いに出してくる。会ったことすらないくせに。
「弟さん、相当頑張っているそうだね。おまえも見習ったらどうだい?」
色々言い返してやりたいことはあったが、必死にこらえる。そして淡々と、「はい、頑張ります」と答えた。余計なことを言って話を長引かせないのが吉だ。とにかく今は早くこの場から逃げたかった。
一方的に嫌味ばかりを言われ、比較されるこの状況が苦痛で仕方がない。こういう人の神経って、一体どうなっているのだろう。どうせ優位に立っている自分に酔いしれているだけだろう。思いやりの心なんて、きっと小学生のうちに捨ててきてしまったんだ。道徳の授業を馬鹿らしいと思って聞いていなかったタイプ。じゃなきゃ、良心が痛むはずだから。
「あと、ここ数日休んでただろ? 体調管理ができなきゃ、今後社会に出たときやっていけないぞ。弟さんは勉強に加えて、部活も頑張っているそうじゃないか。それに比べてお前は……」
先生の嫌味に嫌気がさし、僕はチラリと窓の外の方に目を向けた。空にはゆっくりと雲が流れている。いい天気だ。
先生はそんな僕には気にも留めず、まるで快感を得ているかのようにペラペラと語っている。
比較比較比較。また比較。僕はいつだって、劣っている側の人間だ。
休んだのは僕が悪い。ズル休みをしたことには変わりは無い。それで叱られるなら、僕もきちんとお叱りを受ける。でも、 そこで弟を持ち出してくるのは違うじゃん。
「それで、この前出してもらった進路希望調査だけど」
この前書かされた進路希望の紙を先生が取り出した。
「お前、白紙で出しただろ?」
視界の中で、僕の名前だけが書かれた進路希望調査のプリントをひらひらと揺れている。
「行きたいとことかやりたいことないのか? 目標がないと、勉強のやりがいもないだろ?」
僕は口をつぐんだ。
「ほら、あの大学行きたいとか、将来こういう職業に就きたいとか。あ、弟さんは何になりたいんだ?」
「……医者になりたいって、この前言ってました」
母さんがそう自慢げにご近所さんに話しているのを、たまたま聞いたことがある。実際に悠がどう考えているのかは知らないが。
「医者か。将来有望じゃないか。素晴らしいな」
先生は感心しながら腕を組む。
なりたいものなんて何もないし、考えたこともない。僕には未来が見えない。上手く想像できないのだ。夢もなければ理想もない。自分がこの先、生きている姿だって思い描けない。そんな状態で、進路を決めろだなんて。砂漠でビー玉を探すようなものだ。
「あの、僕まだ考え中なので……もう少し後でもいいですか?」
色々なものが耐えられなくて、僕はそう切り出す。そうすると、先生は呆れたようにため息をついた。
「分かった。もう少し考えろ。それじゃあ最後に、学校生活で、何か悩み事はある?」
先生は義務的に尋ねる。
先生とどう接するのが正解なんですか? なんて、聞けるはずがない。
それに、悩み事があったとしても、この先生に言ったところで無駄だと感じた。弱みをこれ以上握られたくなかった。
「特にありません」
そう答えると、先生は「そう、ならよかった」と満足げに頷いた。
