昔の夢を見て起きた。気分は最悪だった。よりによって今日の夢はなぜか鮮明に覚えていた。
小学二年生の時、家族で遊園地に行ったときの夢だった。悠と二人でお化け屋敷に入ったら、彼は怖さのあまり泣き出してしまった。そんな弟の手を、僕は兄らしく毅然と握り、出口まで導いてあげた。
幼い悠はいつも僕の後ろをついてまわり、なんでも僕と一緒でなければ気が済まないというようだった。そんな彼が愛おしくて仕方がなかった。
だが、そんな可愛い弟はもうどこにもいない。悠は僕よりも優秀で、出来が良くて、両親にも気に入られている。何においても劣っている僕を見下し、蔑み、反面教師にしている。
あの頃は、僕にも才能があると信じていた。大抵のことは、努力すればできると思っていた。
それなのに、僕は一体どこで間違ってしまったのだろう。いや、そもそも生まれてくることが、間違いだったのかもしれない。
両親の期待に応えられず見捨てられ、出来のいい弟を横目に劣等感をかかえ、すっかり拗らせてしまったどうしようもないダメ人間。
自己嫌悪に苛まれ、胸が苦しくなった。
でも、大丈夫。あの高架下へ行けば、和馬が待っている。
僕は学校へ行くフリをして家を出て、そのまま高架下まで行った。忘れないうちにと、学校への電話は先に済ませておいた。
高架下には、昨日と同じように和馬がいた。
「おはよう、和馬」
僕は声をかけた。和馬はこちらを向いて微笑んだ。
「おはよう。今日も来たんだな」
「うん。……迷惑じゃなかった?」
僕は恐る恐る尋ねた。邪魔になっていないか少し不安だったからだ。
「別に。俺もだんだんすることがなくなってきてたからさ、暇だったんだ。だから、俊が来てくれて嬉しいよ」
長い前髪の間から覗く、透き通った瞳で見つめられ、ゾクッとした。本当に綺麗な人だなと思った。
和馬は顔にかかった髪をかき上げる。真っ黒で、なめらかな髪だ。
「髪、暑くないの?」
背中まで伸びる長い髪。
それにもうすぐ夏だ。さすがに、鬱陶しいような気がした。
「暑いよ」
和馬は髪の先を指でいじりながら答えた。男でここまで伸ばしている人は、あまり見たことがない。
「切らないの?」
「うん……髪、あんまり切りたくないんだよね」
どうして切りたくないのか聞きたかったが、僕には聞けなかった。それは和馬が、それ以上は聞くなというようなオーラを放ったからだ。なにかきっと人には言えない、切りたくない事情があるのだろう。
「ほら、立ってないで座れよ」
「あ、うん」
僕は和馬の横に座る。
しばらく沈黙が流れた。でも、その沈黙は苦ではなかった。決して気まずい空気が流れているというわけではない。和馬も、無理に話そうとはしないから、僕も気が楽だった。
「もう夏か……」
和馬が呟いた。
「あっという間だな……」
そう言って、和馬はため息をつく。
「和馬って、ほんとにずっとここで過ごしてるの?」
「まあね。でも、夜と土日はバイトに行ってる」
「何やってるの?」
すると和馬はにやりと笑った。
「聞きたい?」
「え、あ、うん」
僕は息を呑んだ。そう言われると、ものすごく気になる。
「バーだよ」
「バー?」
バーって、お酒を提供するようなあのバーだろうか。もちろん、一度も行ったことはないため、映画やドラマの中に出てくるようなバーしか想像できない。僕とはかけ離れた世界の話のようだ。
「といっても、掃除とか簡単な調理補助しかやらせてもらえないんだけどね」
「へえ、でも、すごいね」
僕はバイトはしたことがないから、本当に尊敬する。
和馬の顔はかっこいいし、髪も綺麗だし、背も高い。それに大人っぽい雰囲気があるから、バーがすごく似合う気がした。
「成人するまではお酒には一切触らせてもらえないんだよな。それに未成年だから夜十時までしか働けないし。あーはやく大人になりてぇ」
カクテルを作っている和馬を想像してみたら、非常に絵になった。これはいずれ僕がお酒を飲めるようになったら行くしかない。
「あ、そうだ。この後スーパー行かない? ちょうどカップラーメンが切れたから、買い足しに行きたくて。あと、アイスも食べたい。今日はやけに暑いから」
和馬は思いついたようにそう提案した。
「いいね、行こう」
こうして僕たちは、スーパーへと向かった。
スーパーへ行くのは久しぶりだ。小さい頃は、よく親について行っていたけれど、そういうのは大きくなるにつれて無くなっていった。家には大体食べるものがあるので、自分でスーパーには行かない。 お菓子は普段からあまり食べないし、食べたくなったとしてもコンビニで買えるから、少し高いけれど、家から近いそちらで済ませてしまう。
スーパーに入ると冷気に包まれて、生き返ったような気分だった。外が暑すぎるせいで、まるでオアシスだ。
和馬はかごを持って一直線にカップラーメン売り場に向かった。慣れているようだ。そして、次から次へと、色々な種類のカップラーメンをかごに入れていった。
「そんなに買うの?」
「もちろん。一週間分の飯と、その予備と、そのまた予備だ」
体に悪そうだなと思いながらも、一週間カップラーメン生活には少し憧れた。でも、そんなに毎日食べて飽きないのだろうか。
「ほら見ろ。期間限定の明太クリーム味だって」
和馬は楽しそうに珍しい味のカップラーメンを見せてきた。
「えー、それ美味しいの?」
「さあな。でも商品化してるってことは、食べられないことはないでしょ」
かごに入れ終わると、和馬は満足そうにしていた。
「俊は昼飯買う?」
聞かれて僕は首を振った。今日も母さんが作ったお弁当がある。和馬と一緒にカップラーメンを食べたいところだったが、二日連続は流石にやめることにした。
「じゃ、次はアイスだ」
続いて僕たちはアイスコーナーへと向かった。様々なバリエーションがある。今日は蒸し暑いから、さっぱりしたものが食べたい気分だったので、僕はレモンシャーベットを手に取った。
和馬はチョコミント味のアイスにしたようだ。
「俺、これ好きなんだよな」
と、和馬は嬉しそうに言った。
残念ながら、僕はあまりチョコミントは好きではない。見た目は可愛らしいし美味しそうだと思うが、どうも僕はあのミントの風味が好きにはなれない。スーッとする感じが苦手だ。
幼い頃、母さんとアイスクリーム屋さんに行ったとき、初めてチョコミントを食べた。数あるフレーバーの中から、色味が好きだったそれを選んだ。わくわくしながらペロッと舐めると、口いっぱいにミントのスーッとした風味が広がり、衝撃だった。想像していたものと違い、半分涙目になりながら食べた。僕が頼んだ手前、母さんに食べられないとは言えず、必死で完食した。それ以来、苦手意識がついてしまい、チョコミントをどうも食べる気にはなれなかった。
コーヒーの苦さのように、僕も大人になれば美味しいと感じることができるのだろうか。
その後、僕たちは高架下に戻って昼食をとった。
学校を二日サボってしまった罪悪感が、不意に襲ってくる。明日はさすがに行かなければ。そうしないと、学校に戻りづらくなる。
「学校、行きたくない……」
僕はつい弱音を吐いてしまった。膝を抱え、顔を埋める。休んだことで、さらに学校へ行くことが嫌になる。だからといってさらに休んでしまえば、もっと行きづらくなる。自業自得だとは充分承知だが、猛烈に憂鬱だ。
「なんでさ、学校ってあんなに息苦しいんだろうな?」
ふと和馬が呟くように言った。ハッとして、僕は彼の瞳を見つめた。
「和馬も、そう思う?」
「ああ」
和馬は見つめ返して、頷いた。
「どういうところが?」
「んー、協調性を求められるところっていうかさ、みんなと同じじゃなきゃいけないみたいな雰囲気? あれが気に食わない」
多分和馬は、僕と同じ部類の人間だ。学校が楽しくないと思う側、少数派の人間。
そう思うと、一気に親近感が湧いた。美形でミステリアスな彼。きっと学校でも憧れの的のような存在だと思っていた。僕とは別の世界の、人生を謳歌している側の人間だと。
「自分と違うものは排除するような風潮があるだろ? あれが苦痛で仕方がなかった。まあ、それはどこへ行っても変わらないかもしれないけどね」
そう言う和馬の表情に、一瞬陰りが見えた。
そういえば、彼は高校を中退したという。もしかしたら、中退しなければならないほど何かに追い詰められたのかもしれない。
もっと知りたい。和馬が今までどんな風に生きてきたのか。そう強く思った。
小学二年生の時、家族で遊園地に行ったときの夢だった。悠と二人でお化け屋敷に入ったら、彼は怖さのあまり泣き出してしまった。そんな弟の手を、僕は兄らしく毅然と握り、出口まで導いてあげた。
幼い悠はいつも僕の後ろをついてまわり、なんでも僕と一緒でなければ気が済まないというようだった。そんな彼が愛おしくて仕方がなかった。
だが、そんな可愛い弟はもうどこにもいない。悠は僕よりも優秀で、出来が良くて、両親にも気に入られている。何においても劣っている僕を見下し、蔑み、反面教師にしている。
あの頃は、僕にも才能があると信じていた。大抵のことは、努力すればできると思っていた。
それなのに、僕は一体どこで間違ってしまったのだろう。いや、そもそも生まれてくることが、間違いだったのかもしれない。
両親の期待に応えられず見捨てられ、出来のいい弟を横目に劣等感をかかえ、すっかり拗らせてしまったどうしようもないダメ人間。
自己嫌悪に苛まれ、胸が苦しくなった。
でも、大丈夫。あの高架下へ行けば、和馬が待っている。
僕は学校へ行くフリをして家を出て、そのまま高架下まで行った。忘れないうちにと、学校への電話は先に済ませておいた。
高架下には、昨日と同じように和馬がいた。
「おはよう、和馬」
僕は声をかけた。和馬はこちらを向いて微笑んだ。
「おはよう。今日も来たんだな」
「うん。……迷惑じゃなかった?」
僕は恐る恐る尋ねた。邪魔になっていないか少し不安だったからだ。
「別に。俺もだんだんすることがなくなってきてたからさ、暇だったんだ。だから、俊が来てくれて嬉しいよ」
長い前髪の間から覗く、透き通った瞳で見つめられ、ゾクッとした。本当に綺麗な人だなと思った。
和馬は顔にかかった髪をかき上げる。真っ黒で、なめらかな髪だ。
「髪、暑くないの?」
背中まで伸びる長い髪。
それにもうすぐ夏だ。さすがに、鬱陶しいような気がした。
「暑いよ」
和馬は髪の先を指でいじりながら答えた。男でここまで伸ばしている人は、あまり見たことがない。
「切らないの?」
「うん……髪、あんまり切りたくないんだよね」
どうして切りたくないのか聞きたかったが、僕には聞けなかった。それは和馬が、それ以上は聞くなというようなオーラを放ったからだ。なにかきっと人には言えない、切りたくない事情があるのだろう。
「ほら、立ってないで座れよ」
「あ、うん」
僕は和馬の横に座る。
しばらく沈黙が流れた。でも、その沈黙は苦ではなかった。決して気まずい空気が流れているというわけではない。和馬も、無理に話そうとはしないから、僕も気が楽だった。
「もう夏か……」
和馬が呟いた。
「あっという間だな……」
そう言って、和馬はため息をつく。
「和馬って、ほんとにずっとここで過ごしてるの?」
「まあね。でも、夜と土日はバイトに行ってる」
「何やってるの?」
すると和馬はにやりと笑った。
「聞きたい?」
「え、あ、うん」
僕は息を呑んだ。そう言われると、ものすごく気になる。
「バーだよ」
「バー?」
バーって、お酒を提供するようなあのバーだろうか。もちろん、一度も行ったことはないため、映画やドラマの中に出てくるようなバーしか想像できない。僕とはかけ離れた世界の話のようだ。
「といっても、掃除とか簡単な調理補助しかやらせてもらえないんだけどね」
「へえ、でも、すごいね」
僕はバイトはしたことがないから、本当に尊敬する。
和馬の顔はかっこいいし、髪も綺麗だし、背も高い。それに大人っぽい雰囲気があるから、バーがすごく似合う気がした。
「成人するまではお酒には一切触らせてもらえないんだよな。それに未成年だから夜十時までしか働けないし。あーはやく大人になりてぇ」
カクテルを作っている和馬を想像してみたら、非常に絵になった。これはいずれ僕がお酒を飲めるようになったら行くしかない。
「あ、そうだ。この後スーパー行かない? ちょうどカップラーメンが切れたから、買い足しに行きたくて。あと、アイスも食べたい。今日はやけに暑いから」
和馬は思いついたようにそう提案した。
「いいね、行こう」
こうして僕たちは、スーパーへと向かった。
スーパーへ行くのは久しぶりだ。小さい頃は、よく親について行っていたけれど、そういうのは大きくなるにつれて無くなっていった。家には大体食べるものがあるので、自分でスーパーには行かない。 お菓子は普段からあまり食べないし、食べたくなったとしてもコンビニで買えるから、少し高いけれど、家から近いそちらで済ませてしまう。
スーパーに入ると冷気に包まれて、生き返ったような気分だった。外が暑すぎるせいで、まるでオアシスだ。
和馬はかごを持って一直線にカップラーメン売り場に向かった。慣れているようだ。そして、次から次へと、色々な種類のカップラーメンをかごに入れていった。
「そんなに買うの?」
「もちろん。一週間分の飯と、その予備と、そのまた予備だ」
体に悪そうだなと思いながらも、一週間カップラーメン生活には少し憧れた。でも、そんなに毎日食べて飽きないのだろうか。
「ほら見ろ。期間限定の明太クリーム味だって」
和馬は楽しそうに珍しい味のカップラーメンを見せてきた。
「えー、それ美味しいの?」
「さあな。でも商品化してるってことは、食べられないことはないでしょ」
かごに入れ終わると、和馬は満足そうにしていた。
「俊は昼飯買う?」
聞かれて僕は首を振った。今日も母さんが作ったお弁当がある。和馬と一緒にカップラーメンを食べたいところだったが、二日連続は流石にやめることにした。
「じゃ、次はアイスだ」
続いて僕たちはアイスコーナーへと向かった。様々なバリエーションがある。今日は蒸し暑いから、さっぱりしたものが食べたい気分だったので、僕はレモンシャーベットを手に取った。
和馬はチョコミント味のアイスにしたようだ。
「俺、これ好きなんだよな」
と、和馬は嬉しそうに言った。
残念ながら、僕はあまりチョコミントは好きではない。見た目は可愛らしいし美味しそうだと思うが、どうも僕はあのミントの風味が好きにはなれない。スーッとする感じが苦手だ。
幼い頃、母さんとアイスクリーム屋さんに行ったとき、初めてチョコミントを食べた。数あるフレーバーの中から、色味が好きだったそれを選んだ。わくわくしながらペロッと舐めると、口いっぱいにミントのスーッとした風味が広がり、衝撃だった。想像していたものと違い、半分涙目になりながら食べた。僕が頼んだ手前、母さんに食べられないとは言えず、必死で完食した。それ以来、苦手意識がついてしまい、チョコミントをどうも食べる気にはなれなかった。
コーヒーの苦さのように、僕も大人になれば美味しいと感じることができるのだろうか。
その後、僕たちは高架下に戻って昼食をとった。
学校を二日サボってしまった罪悪感が、不意に襲ってくる。明日はさすがに行かなければ。そうしないと、学校に戻りづらくなる。
「学校、行きたくない……」
僕はつい弱音を吐いてしまった。膝を抱え、顔を埋める。休んだことで、さらに学校へ行くことが嫌になる。だからといってさらに休んでしまえば、もっと行きづらくなる。自業自得だとは充分承知だが、猛烈に憂鬱だ。
「なんでさ、学校ってあんなに息苦しいんだろうな?」
ふと和馬が呟くように言った。ハッとして、僕は彼の瞳を見つめた。
「和馬も、そう思う?」
「ああ」
和馬は見つめ返して、頷いた。
「どういうところが?」
「んー、協調性を求められるところっていうかさ、みんなと同じじゃなきゃいけないみたいな雰囲気? あれが気に食わない」
多分和馬は、僕と同じ部類の人間だ。学校が楽しくないと思う側、少数派の人間。
そう思うと、一気に親近感が湧いた。美形でミステリアスな彼。きっと学校でも憧れの的のような存在だと思っていた。僕とは別の世界の、人生を謳歌している側の人間だと。
「自分と違うものは排除するような風潮があるだろ? あれが苦痛で仕方がなかった。まあ、それはどこへ行っても変わらないかもしれないけどね」
そう言う和馬の表情に、一瞬陰りが見えた。
そういえば、彼は高校を中退したという。もしかしたら、中退しなければならないほど何かに追い詰められたのかもしれない。
もっと知りたい。和馬が今までどんな風に生きてきたのか。そう強く思った。
