「そんなこともあったな」
和馬は懐かしそうに言いながら、コーヒーをすすった。
僕たちは町の一角にあるカフェで、思い出話に花を咲かせていた。
あれから、七年の月日が経った。
あの夏のことは、今でも鮮明に覚えている。あのときが、僕の青春のすべてだった。
僕はその後、高校を卒業して、大学に行って、一般企業に就職した。両親は僕の意思を尊重してくれた。やりたいことをやればいいと言ってくれた。
そう言われたのはいいものの、今まで夢も希望もなく生きてきたため、どうすればいいか分からなかった。いくら考えても、僕が将来何をやっているか想像がつかなかった。しかし、それは悪い意味ではない。ずっと未来が見えなくて黒いもやがかかったようだったが、今なら想像できる。僕が生きている未来が。
結局僕は、普通の暮らしができることが一番の幸せだと思った。何を普通だと捉えるかは人によって違うと思うが、美味しいご飯を食べて、何の不安もなく眠って、周りには大切な人に囲まれて。そんな生活を守るための手段として、僕は働く。だから、どこに行っても良いと思った。
僕が死ぬときに泣いてもらえる。そんな人間を目指して僕は生きる。
辛いことや苦しいことはたくさんあったけど、僕は今も、なんとか生きている。
「あんまり生き急がなくても、人は嫌でも大人になっていくんだよな」
和馬は前よりももっと、かっこよくなった。元々綺麗な顔立ちだったが、成長するにつれて、色気が増し、より魅力的になっていた。
和馬はあれから通信の高校に通い、無事単位を取って、今はアパレルの仕事をしている。
あの頃の僕たちは、早く大人になりたいと思っていた。自由の身になりたかった。大人というものは、僕たちの憧れだった。
でも、時が経つにつれて、心は成長していく。急がなくても、人はちゃんと大人になれるんだ。
子どもの頃、大人は信用できないと思っていた。そんな大人に僕たちはなってしまった。いずれ僕も、そういう信用できない大人になってしまうのではないかと思うと、少し不安ではあった。
「俊は最近どうだ?」
「最近?」
「変わったことはないの?」
うーんと考える。
「絵画教室行き始めた」
「絵画教室?」
「仕事にもちょっと余裕が出てきたからね。ずっと行きたいと思ってたんだ」
大人になったことで、何にも縛られず好きなことをできるようになった。小さい頃諦めたものを、もう一度やってみたいと思って始めた。特別才能があるとは感じないが、描くのは純粋に楽しい。
「へえ、いいな。ちょっと描いたやつ見せてよ」
「嫌だよ、恥ずかしい。もうちょっと上手くなってからね」
「けち」
と和馬は口をとがらす。
「そんなことより、和馬の方はどうなんだよ」
「俺か?」
すると、和馬は少し顔を赤らめた。
「実はさ、恋人ができたんだ」
和馬は恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに言った。
「陸斗のことを、忘れたわけではないよ。ちゃんと陸斗は、俺の中にいる。あの時のトキメキも、幸福も、苦しみも切なさも、ちゃんと覚えている」
和馬は胸に手を当てた。
「その人はさ、行きつけのカフェで出会った人でね。すごく素敵な人なんだ。俺のことを大切にしてくれる。だから俺も、その人のことを大事にしたいんだ。もう絶対に、失わない」
「そっか」
僕は自分のことのように嬉しかった。
きっと、陸斗さんも喜んでいるだろう。陸斗さんは、和馬の幸せを願っているはずだから。
「和馬、ありがとう」
僕はお礼を言った。急に言いたくなったのだ。
「なんだよ。何のお礼?」
和馬は不思議そうに尋ねる。
「僕と出会ってくれて、ありがとう」
あの高架下から始まった、僕の物語。和馬は僕の、止まっていた時間を動かしてくれた。僕を救ってくれた。彼に出会えなかったら、僕はきっと、変われなかった。
彼は僕の大切な友達だ。今までも、これからも。
僕が消えてしまわないように、ずっと隣にいてくれた。感謝してもしきれない。
「俺の方こそ、ありがとう。あの高架下で、俺を見つけてくれて」
和馬はそう言うと、微笑んだ。
人生は案外、捨てたもんじゃない。どんなに辛くても、この広い世界には必ず、自分を必要としてくれる人がいる。
僕は窓から外を眺めた。清々しい、夏の空だった。
僕を苛んだ劣等感も、和馬が抱えた喪失感も、すべて無駄ではなかった。
だから僕は、あの頃の僕に言いたい。
君なら大丈夫。君の世界は、そこだけじゃない。
だから、あまり絶望しないで。
僕は君の未来で待っているから。乗り越えたその先には、新しい世界があるから。
悩んで、もがいて、苦しんで。辛くなったら、逃げればいい。助けを求めればいい。
生きる意味を見失ったとき、どうしようもない不安に襲われるかもしれない。でも、きっと君を大切にしてくれる人がいるはずだから。だから、自分を大事にして欲しい。
世界は思っていたよりも、捨てたもんじゃない。
どんなに暗くて長い夜でも、必ず朝はやってくる。
いつか笑える日が来るから。
どうか、死なないで。
信じて、生きて。
今年もまた、夏がやってくる。
生きている限り、夏は毎年やってくる。
その度に僕は、あの十七歳の夏を思い出すだろう。
和馬は懐かしそうに言いながら、コーヒーをすすった。
僕たちは町の一角にあるカフェで、思い出話に花を咲かせていた。
あれから、七年の月日が経った。
あの夏のことは、今でも鮮明に覚えている。あのときが、僕の青春のすべてだった。
僕はその後、高校を卒業して、大学に行って、一般企業に就職した。両親は僕の意思を尊重してくれた。やりたいことをやればいいと言ってくれた。
そう言われたのはいいものの、今まで夢も希望もなく生きてきたため、どうすればいいか分からなかった。いくら考えても、僕が将来何をやっているか想像がつかなかった。しかし、それは悪い意味ではない。ずっと未来が見えなくて黒いもやがかかったようだったが、今なら想像できる。僕が生きている未来が。
結局僕は、普通の暮らしができることが一番の幸せだと思った。何を普通だと捉えるかは人によって違うと思うが、美味しいご飯を食べて、何の不安もなく眠って、周りには大切な人に囲まれて。そんな生活を守るための手段として、僕は働く。だから、どこに行っても良いと思った。
僕が死ぬときに泣いてもらえる。そんな人間を目指して僕は生きる。
辛いことや苦しいことはたくさんあったけど、僕は今も、なんとか生きている。
「あんまり生き急がなくても、人は嫌でも大人になっていくんだよな」
和馬は前よりももっと、かっこよくなった。元々綺麗な顔立ちだったが、成長するにつれて、色気が増し、より魅力的になっていた。
和馬はあれから通信の高校に通い、無事単位を取って、今はアパレルの仕事をしている。
あの頃の僕たちは、早く大人になりたいと思っていた。自由の身になりたかった。大人というものは、僕たちの憧れだった。
でも、時が経つにつれて、心は成長していく。急がなくても、人はちゃんと大人になれるんだ。
子どもの頃、大人は信用できないと思っていた。そんな大人に僕たちはなってしまった。いずれ僕も、そういう信用できない大人になってしまうのではないかと思うと、少し不安ではあった。
「俊は最近どうだ?」
「最近?」
「変わったことはないの?」
うーんと考える。
「絵画教室行き始めた」
「絵画教室?」
「仕事にもちょっと余裕が出てきたからね。ずっと行きたいと思ってたんだ」
大人になったことで、何にも縛られず好きなことをできるようになった。小さい頃諦めたものを、もう一度やってみたいと思って始めた。特別才能があるとは感じないが、描くのは純粋に楽しい。
「へえ、いいな。ちょっと描いたやつ見せてよ」
「嫌だよ、恥ずかしい。もうちょっと上手くなってからね」
「けち」
と和馬は口をとがらす。
「そんなことより、和馬の方はどうなんだよ」
「俺か?」
すると、和馬は少し顔を赤らめた。
「実はさ、恋人ができたんだ」
和馬は恥ずかしそうに、でも、嬉しそうに言った。
「陸斗のことを、忘れたわけではないよ。ちゃんと陸斗は、俺の中にいる。あの時のトキメキも、幸福も、苦しみも切なさも、ちゃんと覚えている」
和馬は胸に手を当てた。
「その人はさ、行きつけのカフェで出会った人でね。すごく素敵な人なんだ。俺のことを大切にしてくれる。だから俺も、その人のことを大事にしたいんだ。もう絶対に、失わない」
「そっか」
僕は自分のことのように嬉しかった。
きっと、陸斗さんも喜んでいるだろう。陸斗さんは、和馬の幸せを願っているはずだから。
「和馬、ありがとう」
僕はお礼を言った。急に言いたくなったのだ。
「なんだよ。何のお礼?」
和馬は不思議そうに尋ねる。
「僕と出会ってくれて、ありがとう」
あの高架下から始まった、僕の物語。和馬は僕の、止まっていた時間を動かしてくれた。僕を救ってくれた。彼に出会えなかったら、僕はきっと、変われなかった。
彼は僕の大切な友達だ。今までも、これからも。
僕が消えてしまわないように、ずっと隣にいてくれた。感謝してもしきれない。
「俺の方こそ、ありがとう。あの高架下で、俺を見つけてくれて」
和馬はそう言うと、微笑んだ。
人生は案外、捨てたもんじゃない。どんなに辛くても、この広い世界には必ず、自分を必要としてくれる人がいる。
僕は窓から外を眺めた。清々しい、夏の空だった。
僕を苛んだ劣等感も、和馬が抱えた喪失感も、すべて無駄ではなかった。
だから僕は、あの頃の僕に言いたい。
君なら大丈夫。君の世界は、そこだけじゃない。
だから、あまり絶望しないで。
僕は君の未来で待っているから。乗り越えたその先には、新しい世界があるから。
悩んで、もがいて、苦しんで。辛くなったら、逃げればいい。助けを求めればいい。
生きる意味を見失ったとき、どうしようもない不安に襲われるかもしれない。でも、きっと君を大切にしてくれる人がいるはずだから。だから、自分を大事にして欲しい。
世界は思っていたよりも、捨てたもんじゃない。
どんなに暗くて長い夜でも、必ず朝はやってくる。
いつか笑える日が来るから。
どうか、死なないで。
信じて、生きて。
今年もまた、夏がやってくる。
生きている限り、夏は毎年やってくる。
その度に僕は、あの十七歳の夏を思い出すだろう。
