俊は、どこか危うい。そんな印象だった。放っておけば、ふっと消えてしまいそうだった。

 高架下での生活は、だんだんとマンネリ化してきており、退屈していた。そんな時に俺の目の前に現れた彼。彼は学校をサボったと言った。その姿が、昔の俺と重なった。勝手ながら俺と同じ匂いがするなと感じた。苦しみを抱えながらも、その現状を打開する方法が分からず、何もかもに嫌気がさす。息苦しくて、仕方がないのだ。

 いい話し相手になってくれたらいいな、そんな思いで声をかけた。
 俊は、俺に深入りしてくることはなかった。それは興味がないというわけではなくて、俺が触れられたくないことを察して、深くは聞かないでいてくれた。それが楽で、心地が良くて、彼の前では自然体でいられた。
 いつしか、週に一回、俊がこの高架下へ来ることが、楽しみになっていた。

 俊の両親は毒親だった。当の本人はそう思ってはいないようだったが。
 子どもに期待するだけ期待して、希望を押しつけて、それに応えられなかったら見捨てる。結果至上主義で、過程など関係ない。俊がどれだけ頑張っても、結果が残せなければ無意味。優秀な弟と比較され、彼の自己肯定感は最低にまで落ちていた。
 常に自分に自信がなくて、できない自分を卑下して、どんどん卑屈になっていく。

 俺は俊の友達になりたかった。彼は俺の心の拠り所にもなっていたし、俺も彼の心の拠り所になりたかった。
 俊なら、俺の傷を癒やしてくれる。だって彼は、良い奴だから。優しい奴だから。本人は自覚がないようだが、俺はたくさん救われていた。俊と過ごしているときだけは、楽しくて、たわいのないことで笑えて、気を紛らわすことができた。
 だが、俊が帰ってしまうと、陸斗のことを考えてしまうのだ。どうしようもない悲しみに襲われて、胸が苦しくなる。

 ある時、俊が雨の中、傘も差さずに歩いていた。驚いた。
 彼は俺の顔を見ると、途端に泣き出した。赤子のように声をあげて。
 くだらない女子同士のいざこざに巻き込まれ、無実の罪を着せられ、教師も親も俊の話は聞かず、信じてくれない。俊の味わった絶望は計り知れない。
 だから俺は言った。俊に、「逃げよう」と。
 現実を捨てて、遠くの地で二人だけで生きていくのだ。

 いつかは俊にもカミングアウトをしなければならないと思っていた。そのせいで彼との友情が壊れてしまうのは嫌だった。でも、隠し事をしたくはなかった。
 本当は、もっと早く言うべきだった。遠くの地に来る前に言っておくべきだったのに、俺は言わなかった。俊に嫌われたくなかったから。
 だから、もう戻れない所まで来てから、告げた。卑怯だ。でも、過去のトラウマがよぎって、また後ろ指を差されるんじゃないかと思ったら怖くて仕方がなかった。
 しかし、俊は受け入れてくれた。それどころか、優しい言葉をかけてくれて、俺は胸がいっぱいになった。泣きそうなくらい嬉しくて、俊と出会えて良かったと心の底から思った。
 それなのに、俺は俊に手を出した。そんなつもりじゃなかったのに、あの観覧車で、恋愛への憧れを呑気に語る俊に腹が立って、最低なことをした。恋愛は幸せなことばかりじゃないってことを、思い知らせてやりたかったのだ。
 今でも後悔している。俊にあんな顔をさせて、傷つけて。俺こそが一番、俊との永遠の友情を望んでいるのに。
 馬鹿なことをしたと思ってる。あの時、俊と陸斗の姿がなぜだか重なって、胸が苦しくなった。俊のおかげで紛れていた悲しみが、再び襲ってきたのだ。俺はこの悲しみを乗り越えられなければ、一生恋愛などできない。それどころか、まともには生きていけないだろう。
 だから、俺は行動することにした。ずっと目を逸らしていた陸斗の死の理由を探るために、彼の実家を訪ねることにしたのだ。

 陸斗の母から彼の遺書を受け取り、それを読んで彼の真意を知ったことで、ようやく死を受け入れることができた気がした。後悔の念は消えることはないが、その後悔を胸に、俺は前へと進んでいく。
 俊が支えてくれたから、俺はここまで来られた。だから次は、俺が俊を助ける番だと思った。

「そろそろ、帰ろうか」

 そう切り出したのは、俊を思ってのことだった。逃げ続けてばかりでは、何も変わらない。逃げることが悪いことだとは思わないが、彼の劣等感は、それだけではなくならないと思った。彼がやるべきことは、親と向き合うこと。そうしないと、彼の傷はいつまで経っても癒えない気がした。
 今の俺なら、俊を支えられる。心に余裕ができたから。どんな結末になろうと、俺はずっと彼の側にいてあげられる自信があった。 
 俊は俺とは違う。まだ間に合う。ちゃんと高校に行って、卒業して、就職して、結婚して。何を幸せと定義するかは人それぞれだが、俊がまともな人生を歩むためには、ここで、元の生活に彼を返しておくべきだ。
 逃げようと言ったのは、俺だ。その責任は、きちんと俺が取る。

 そしたら、俊は駆けだしてしまった。
 車にはねられそうになった子どもを庇って、俊は空を舞った。
 時の流れが、ゆっくりだった。

 神様は意地悪だ。俺はまた、大切な人を失ってしまうのか。
 アスファルトに染みついた血の臭いは、いつまでも鮮明に残っていた。
 まったく、後悔ばかりの人生だな。
 夏の終わりを告げる涼しげなヒグラシを、俺は心の底から恨んだ。