目が覚めると、どうしようもない喪失感が襲ってくる。
 あの日、陸斗の部屋で、彼の変わり果てた姿を見て以来、俺の心にはぽっかりと大きな穴が空いてしまった。
 最愛の人を失うことこそが、この世で最大の絶望だ。陸斗がいなくなっても、あたりまえのように日は昇るし、空は青く澄んでいる。 世界が滅んでくれない限り、俺の悲しみは和らいではくれない気がした。

 陸斗は俺の幼なじみであり、恋人であり、唯一の理解者であった。彼のおかげで、今の自分がいる。俺という人間は、彼がいてこそ成り立つのだ。
 陸斗がいなくなった世界で、俺は自暴自棄になった。ただ、死んでいないだけ。そんな感じで、生きた心地がしなかった。
 
 ちょうどその頃、両親の離婚が決まり、俺は親父についていくことになった。親父はだらしない人で、酒癖が悪く、女遊びもひどかった。愛想尽かした母親は、俺に親父を半ば押しつけるような形で去って行った。どうやら他に男ができたようだ。
 金銭的に余裕のなかった俺たちは、親父の職場の近くに引っ越し、ボロいアパートに住むことになった。金銭的に余裕がないのは、親父が稼いできた金を全て酒やタバコにつぎ込むからだ。おかげで生活はままならない。ガスや電気も止められて、食べるものもない。
 母親と離婚してから親父はさらに堕落していった。

 次第に学校へも足が向かなくなり、俺は高校を辞めた。自暴自棄となり、夜の街をフラフラと彷徨った。俺は手っ取り早くお金を稼ぐ方法を知っていた。陸斗のおかげで辞めることができていたが、彼がいなくなってしまった以上、俺を止めるものはなにもない。
 中学の頃と同じように、俺は体を売ることでお金を稼いだ。そのおかげで、親父の金がなくても俺はなんとか生活することができた。
 この時ばかりは、生まれながらに持ち合わせたこの美貌に感謝した。欲にまみれた奴らは、一回するだけでそこそこの大金を払ってくれたから。
 でも、そこに愛はなく、お互いの利害が一致したというだけでその行為は行われた。陸斗とする時のような快感や幸福感は一切得られない。ただ事務作業のように淡々とこなした。
 
 そんな生活を変えてくれたのは、晃さんとの出会いだった。
 寒い冬の夜だった。家にどうしても帰りたくなくて、路地裏で一夜を過ごした。というのも、親父が家に女を連れ込んでいたからだ。俺がいるというのにお構いなしに親父と知らない女が体を重ねている家なんて、どうかしている。気持ち悪くて仕方がない。
 凍えそうな寒さだが、俺はあの家に帰るよりも、外で過ごすことを選んだ。上着を着込んでいたが、体は震えて今にも死んでしまいそうだった。
 そんな時、ちょうどその横にあったバーの店主が、声をかけてくれたのだ。
 彼は晃さんといい、三十半ばの口ひげが似合う男性だった。髪をきっちりとセットしており、上品で清潔感があった。
 晃さんは俺を店の中に入れてくれ、温かい飲み物を入れてくれた。彼は俺に、どうしてあんな所にいたのかと尋ねたが、最初のうちは答える気力さえ起きなかった。だが、助けてくれたのに答えないのはあまりにも不義理だと感じてきたため、自身の家庭環境の話をした。
 晃さんは俺に同情して、このバーで働かないかと提案してくれた。未成年であるためお酒の提供等はできないが、店内の清掃や簡単な調理を頼みたいと言うのだ。
 
 それから俺はここで働くことになった。週五で働いたため、生活していけるだけのお金は十分に稼げた。まともな仕事をしてその対価をもらえるというのが、こんなにもやりがいがあることなのだと理解し、今までの自分の行為を恥じた。晃さんのおかげで、俺はなんとかまともな生き方をできるようになった気がした。

 あんな家、早く出て行ってやる。そう決意して必死に働いたのに、親父は俺の金まで搾取していった。一人暮らしをしたいと言ったが、それなら家にお金を入れろというのだ。生憎俺は十八歳未満だったから、親の許可がないと部屋は借りられない。これほどまでに自分の年齢を恨んだことはないだろう。
 早く大人になりたい。一人で生きていけるようになりたい。

 いくら仕事を得ても、家に帰りたくないのは変わらない。たばこ臭いし、洗濯物や酒の瓶が散乱し、シンクには使用済みの食器が溜まっている。最初のうちは俺が家事を担当していたが、親父は一切何もしない。ほとんど親父が汚したものばかりなのに俺がやらなきゃいけないことに嫌気がさして、やらなくなったらこの有様。連れ込んでる女と一緒に、自分たちでどうにかすればいい。俺はもう何もしてやらない。お金を取られていることでさえ納得がいっていないのだから。
 夜はバーでのアルバイトがあるから問題ない。だが、それ以外の時間はどこで過ごそうか。アパートの周辺を散策していると、高架下にちょうど良い場所を見つけた。草が生い茂っていて人目につかず、日差しも遮られる。高架橋の電車の音が最初は気になったが、それは次第に良いBGMとなった。
 俺は段ボールを敷いて、家から持ってきたクッションやタオルケットを使って寝床を作った。食料を買い込んで、ついでにガスコンロも持ってきた。暇つぶしのために漫画や小説も買った。まるで秘密基地を作っているようで楽しかった。まるで童心に帰ったようだった。
 家に帰るのは、シャワーを浴びるときくらいだった。帰る度に、こんな家出て行ってやるという思いが募る。お金を貯めるために、俺は掛け持ちで土日だけコンビニでアルバイトをすることにした。

  そんな高架下での生活は、しばらく続いた。この高架下は、俺の大事な居場所となった。虫が鬱陶しかったり、暑さが苦しかったりすることもあったが、そんなことがどうでもよくなるくらいここでの生活が楽しくて、それでいて退屈で、穏やかだった。
 だが、陸斗を亡くした喪失感だけは、どうしても消えなかった。何をしてても、心に空いた穴はいつまでたっても埋まらなかった。陸斗に対して何かしてあげられたんじゃないかという後悔と、どうして何も言わずに死んでしまったのかという悲しみ。
 働いていても、この高架下にいても、何をしてても、陸斗はもうこの世にはいないという事実がよぎって、胸が苦しくなる。色々な思いが反芻して、もう何もかもを吐き出してしまえたら楽だと思った。
 いずれはこの苦しみを乗り越えていかなければならない。だが、その勇気はなかった。

 そんなとき、彼がこの高架下にやってきた。蝉の声が煩わしい梅雨明けの、灼熱の太陽が照りつける、目が眩みそうなほど暑い日だった。