夏休みも残りわずかとなった。僕たちはこれからどうなるのだろうか。
僕はまだ帰りたくない。家にも、学校にも、もう僕の居場所なんてないのだから。ずっとこのまま、和馬と一緒に、逃げ続けていたい。今度はもっと遠くまで行きたい。和馬も同じ気持ちだったら良いな、なんて考えていた。それなのに。
「そろそろ、帰ろうか」
和馬は、海を見ながら静かにそう言った。僕は一瞬、耳を疑った。
「ずっと逃げ続けても、何も変わらない。だからもう終わりにしよう」
「な、何言ってるの? 家が恋しくなったの?」
僕は信じられなくて、冗談交じりに言った。しかし、彼の顔は真剣だった。
「俺は本気で言ってる。もうすぐ夏休みは終わるだろ? 学校が始まる。そしたら、俊は元の生活に戻らなければならない」
「は……? 逃げようって言ったのは和馬でしょ? それなのに、もう帰るとか……」
「でも、ずっとこんな生活を続けるわけにはいかないだろ?」
和馬がどうして急にこんなことを言い始めたのかはわからない。でも僕は、裏切られたような気分だった。
和馬の顔は凜々しかった。顔つきが、水凪浜へ来る前と全然違う。まるで、一人だけ先に大人になってしまったようだ。
「ふざけるなよ」
僕は立ち上がった。怒りとか、悲しみとか、悔しさとか、妬みとか、色々な感情が混ざり合って、握りしめた拳が震える。
「今更帰ろうだなんて、君の覚悟は、それっぽっちだったのかよ」
「違う。俺にだって覚悟はあった。俺は別に、学校はやめたし、親はいないも同然だから、この先どうとでもなる。だけど俊はどうだ。学校もあって、家族もいて。このまま逃げ続けていたら、どうなるんだ?」
学校なんて行きたくない。あんな場所、なくなってしまえばいい。家にだって帰りたくない。みんないなくなってしまえばいい。
「僕は君が逃げようって言ってくれたからここまで来れた。君がいたから、少しだけ生きる希望が持てた。僕がここにいるのは、全部君がいたからなんだ。それなのにそんなことを言うなんて、失望したよ」
意識せずとも、僕の声はだんだん強くなっていく。色々な感情が混ざり合った涙が地面に落ちて、色が変わる。
和馬は慌てたように僕を見た。
「自分だけ救われたからって、調子に乗らないでよ! 本当は僕のことなんて、どうでも良いんだろ! 自分さえよければ良いんだろ! 用がなくなれば、平気で捨てる。もううんざりだよ! 僕にはもう、帰る場所なんてないんだ!」
僕はそう言うと、走り出した。
「おい、待て! 俊!」
和馬は追いかけてくる。僕はひたすら走った。
本当は、こんなことを言いたかったわけではない。和馬を傷つけるつもりはなかった。和馬にはたくさん助けられたから。でも、感情にまかせて言ってしまった。
僕は泣きながら走った。和馬はまだ追いかけてくる。高校生にもなって、鬼ごっこだなんて、馬鹿みたい。
やがて僕は息が上がって、限界が来て、立ち止まった。
はあはあと荒く息をする。
すると、小学生くらいの少年が、道路の向こう側に手を振っているのが目に入った。
「おーい!」
どうやら、向こう側にいるのは友達らしい。なんだよ、嬉しそうにして。僕は今、そんな気分ではないというのに。目障りだ。
でも、羨ましい。あの頃の僕は、どこへ行ってしまったのだろう。あの頃の純粋な心を、どこへ置いてきてしまったのだろう。
刹那、少年は、道路へ飛び出した。向こう側にいる友達のことしか、目に入っていないのだ。車はすぐ、そこまで迫っているというのに。
このままでは、少年は確実にはねられる。今からブレーキをかけても間に合わない。
一瞬、時が止まったように感じた。
あの子には、未来がある。たくさんの可能性を秘めている。生きる希望に満ちあふれていて、きっと色々な人に愛されている。
それに比べて、僕はどうだろう。帰る場所をなくした粗大ゴミ。もう人生に、期待などしていない。
どちらが生きる価値があるか。そんなの、一目瞭然だ。
気づけば、僕は道路に飛び出していた。
「俊!」
後ろから、和馬の叫び声が聞こえた。
僕は少年の背中を強く押した。それと同時に体に衝撃が走る。固い鉄の塊が、僕の体にぶち当たる。
ああ、死ぬんだな。
そう悟った。
結局僕は、大人になれないままなんだ。どんなにあがいても、僕は僕のままなんだ。
少年は無事だろうか。どうか無事でいて欲しい。体が動かないから、確認のしようがなかった。
意識も朦朧としている。
苦しい。
和馬、怒ってるかな。さっきのこと。 ごめんね、あんなこと言って。
本当は羨ましかった。過去に別れを告げ、前に進んでいこうとしている和馬が。
もっと一緒にいたかった。君と一緒なら、生きていける気がした。
苦しい。
哀れだよね。こんな最期だなんて。どうか、僕のことを忘れないでほしい。君にだけは、忘れて欲しくない。
熱の中に感じた肌寒い風と、淋しげなヒグラシの声。それは僕を、一瞬の幻想から、現実へと引き戻した。
今までで一番暑く、一番長かった僕の夏は、自動車のブレーキ音とともに、終わった。
僕はまだ帰りたくない。家にも、学校にも、もう僕の居場所なんてないのだから。ずっとこのまま、和馬と一緒に、逃げ続けていたい。今度はもっと遠くまで行きたい。和馬も同じ気持ちだったら良いな、なんて考えていた。それなのに。
「そろそろ、帰ろうか」
和馬は、海を見ながら静かにそう言った。僕は一瞬、耳を疑った。
「ずっと逃げ続けても、何も変わらない。だからもう終わりにしよう」
「な、何言ってるの? 家が恋しくなったの?」
僕は信じられなくて、冗談交じりに言った。しかし、彼の顔は真剣だった。
「俺は本気で言ってる。もうすぐ夏休みは終わるだろ? 学校が始まる。そしたら、俊は元の生活に戻らなければならない」
「は……? 逃げようって言ったのは和馬でしょ? それなのに、もう帰るとか……」
「でも、ずっとこんな生活を続けるわけにはいかないだろ?」
和馬がどうして急にこんなことを言い始めたのかはわからない。でも僕は、裏切られたような気分だった。
和馬の顔は凜々しかった。顔つきが、水凪浜へ来る前と全然違う。まるで、一人だけ先に大人になってしまったようだ。
「ふざけるなよ」
僕は立ち上がった。怒りとか、悲しみとか、悔しさとか、妬みとか、色々な感情が混ざり合って、握りしめた拳が震える。
「今更帰ろうだなんて、君の覚悟は、それっぽっちだったのかよ」
「違う。俺にだって覚悟はあった。俺は別に、学校はやめたし、親はいないも同然だから、この先どうとでもなる。だけど俊はどうだ。学校もあって、家族もいて。このまま逃げ続けていたら、どうなるんだ?」
学校なんて行きたくない。あんな場所、なくなってしまえばいい。家にだって帰りたくない。みんないなくなってしまえばいい。
「僕は君が逃げようって言ってくれたからここまで来れた。君がいたから、少しだけ生きる希望が持てた。僕がここにいるのは、全部君がいたからなんだ。それなのにそんなことを言うなんて、失望したよ」
意識せずとも、僕の声はだんだん強くなっていく。色々な感情が混ざり合った涙が地面に落ちて、色が変わる。
和馬は慌てたように僕を見た。
「自分だけ救われたからって、調子に乗らないでよ! 本当は僕のことなんて、どうでも良いんだろ! 自分さえよければ良いんだろ! 用がなくなれば、平気で捨てる。もううんざりだよ! 僕にはもう、帰る場所なんてないんだ!」
僕はそう言うと、走り出した。
「おい、待て! 俊!」
和馬は追いかけてくる。僕はひたすら走った。
本当は、こんなことを言いたかったわけではない。和馬を傷つけるつもりはなかった。和馬にはたくさん助けられたから。でも、感情にまかせて言ってしまった。
僕は泣きながら走った。和馬はまだ追いかけてくる。高校生にもなって、鬼ごっこだなんて、馬鹿みたい。
やがて僕は息が上がって、限界が来て、立ち止まった。
はあはあと荒く息をする。
すると、小学生くらいの少年が、道路の向こう側に手を振っているのが目に入った。
「おーい!」
どうやら、向こう側にいるのは友達らしい。なんだよ、嬉しそうにして。僕は今、そんな気分ではないというのに。目障りだ。
でも、羨ましい。あの頃の僕は、どこへ行ってしまったのだろう。あの頃の純粋な心を、どこへ置いてきてしまったのだろう。
刹那、少年は、道路へ飛び出した。向こう側にいる友達のことしか、目に入っていないのだ。車はすぐ、そこまで迫っているというのに。
このままでは、少年は確実にはねられる。今からブレーキをかけても間に合わない。
一瞬、時が止まったように感じた。
あの子には、未来がある。たくさんの可能性を秘めている。生きる希望に満ちあふれていて、きっと色々な人に愛されている。
それに比べて、僕はどうだろう。帰る場所をなくした粗大ゴミ。もう人生に、期待などしていない。
どちらが生きる価値があるか。そんなの、一目瞭然だ。
気づけば、僕は道路に飛び出していた。
「俊!」
後ろから、和馬の叫び声が聞こえた。
僕は少年の背中を強く押した。それと同時に体に衝撃が走る。固い鉄の塊が、僕の体にぶち当たる。
ああ、死ぬんだな。
そう悟った。
結局僕は、大人になれないままなんだ。どんなにあがいても、僕は僕のままなんだ。
少年は無事だろうか。どうか無事でいて欲しい。体が動かないから、確認のしようがなかった。
意識も朦朧としている。
苦しい。
和馬、怒ってるかな。さっきのこと。 ごめんね、あんなこと言って。
本当は羨ましかった。過去に別れを告げ、前に進んでいこうとしている和馬が。
もっと一緒にいたかった。君と一緒なら、生きていける気がした。
苦しい。
哀れだよね。こんな最期だなんて。どうか、僕のことを忘れないでほしい。君にだけは、忘れて欲しくない。
熱の中に感じた肌寒い風と、淋しげなヒグラシの声。それは僕を、一瞬の幻想から、現実へと引き戻した。
今までで一番暑く、一番長かった僕の夏は、自動車のブレーキ音とともに、終わった。
