「久しぶりだね、和馬君」

 女性は和馬の傷の手当てをしながら言った。女性の正体は、陸斗さんのお母さんだった。偶然の再会だ。和馬はどこか、気まずそうにしていた。

「見ないうちに、随分変わったわね。かっこよくなって」
「……いえ、そんな」

 和馬は苦笑を浮かべた。
 和馬が、陸斗さんが亡くなってから、陸斗さんの家族に会うのは初めてだ。

「よかったら、陸斗にも挨拶してあげて。きっと、喜ぶはずだから」

 お母さんは、仏壇の方を向いた。そこには、陸斗さんの写真が飾られていた。
 無邪気に笑っている写真だった。八重歯が特徴的だ。くせっ毛の髪の、好青年。この人が、和馬の幼なじみであり、恋人でもあったのか。
 和馬は仏壇の前に座り、手を合わせた。そのあと、僕も手を合わせた。
 お母さんは、お茶と和菓子を出してくれた。

「……俺のこと、責めないんですか?」

 和馬は下を向きながら、小さな声で言った。

「責める?」

 お母さんは不思議そうに首をかしげる。

「あのとき、陸斗の一番近くにいたのは俺です。だけど、俺は何もできなかった。陸斗を、助けてあげられなかった。それで、俺は葬式にも参加せず、怖くなって逃げました」

 和馬がそう言うと、お母さんは優しく微笑んだ。

「和馬君のせいじゃないわ。陸斗は、陸斗の正義を貫いただけ。……ただ、私たちにできることはあったんじゃないかと思うと、後悔してしまうけれど」

 お母さんは、和馬の頭を撫でた。

「陸斗の隣にいてくれてありがとう。私たち家族も、陸斗が自殺して、ずっと悲しみに打ちひしがれていた。何度も神様を恨んで、自分たちを責めて。でも、陸斗はそんなことを望んではいないはず。陸斗は、何か守りたい信念があったから、死ぬという決断をした。だから、私たちは、誰も責めないことにした。陸斗の意思を、尊重したいから」

 そう言うと、お母さんは立ち上がり、棚の引き出しから、何かを取り出した。

「陸斗から、和馬君への手紙よ。陸斗が遺書と一緒に残していたの。もっと早く渡したいと思っていたのだけれど、和馬君、高校もやめて、引っ越していたから、どこにいるか分からなくて。今日会えて本当に良かったわ」

 お母さんは、和馬に白い封筒を渡した。そこには、綺麗な字で、「和馬へ」と書かれていた。

「もちろん、私たちはそれを読んでいないわ」

 和馬はかじかむ手でゆっくりと封筒を開け、紙を取り出した。そしてゆっくりと広げる。
 一度深呼吸をして、早い鼓動を押さえてから、和馬は手紙を読み始めた。


和馬へ

 君がこの手紙を読んでいる頃には、僕はもうこの世にはいないでしょう。僕は自ら命を絶つことを決意しました。
 僕が和馬を傷つけてしまったことはわかっています。ごめんなさい。でも、僕も本当は、君と別れたくはなかった。ずっと君と一緒にいたかった。
 だけどそれは、できませんでした。僕は、犯罪に手を染めてしまったのです。
 和馬は僕が何をしても、きっと僕のことを受け入れてくれていたでしょう。君は優しいから。
 だけど、僕は許せませんでした。僕自身がしてしまったことを。
 僕はあの時、不良に絡まれている少年を助けました。僕は弱いものいじめが大嫌いです。だから、勝手に体が動いていました。それから、僕は逆に、その不良たちに絡まれるようになりました。
 最初は小さなことでした。お金を取られたり、パシリにされたり。それだけならまだ耐えられました。
 不良たちは僕に窃盗を強制しました。他人から物を奪うなんて、僕の良心は許しません。だけど、言うことを聞かなければ、暴力を振るわれました。それでも僕は、必死に耐えました。
 そして、決定的な出来事が起こったのです。
 僕はある日、これをある人に渡して欲しいと、小さな袋を渡されました。中身は知らされませんでした。
 僕は言われるがままに、その袋を指定された人に渡しました。それと交換で、僕は札束を受け取りました。
 目を疑いました。あの小さな袋の中身には、これほどの価値があったのかと。
 そして、僕は後から気づきました。あの袋の中身は、違法薬物だったのだと。
 僕は犯罪に手を染めてしまいました。知らなかったとはいえ、僕は薬物取引に、手を貸してしまったのです。
 何も相談せずに、和馬を突き放すようなことをしてごめんなさい。勝手なことをしてごめんなさい。
 でもこれは、僕の問題です。僕の正義の心が、僕を許さなかったのです。
 僕は小さい頃から、悪が許せませんでした。僕は悪を滅ぼすヒーローに憧れていましたから。だから僕は、悪に手を染めてしまった自分を、自分の手で成敗することにしました。
 和馬がもし、まだ僕のことを好きでいてくれるのなら、それはこの世で一番の幸福です。でも、どうか僕のことは、忘れてください。僕はもう、過去の人間になります。
 僕は和馬のことを考えると、胸が苦しくて、息ができなくなります。君が愛おしくて、仕方がないのです。だから、言えませんでした。君を巻き込みたくなかった。
 どうかこんな僕のことを、許して欲しい。それだけで、僕は救われた気がします。
 和馬は優しくて、繊細で、他人を思いやることができます。少し弱虫なところもあったけど、そこもまた可愛らしくて、好きでした。
 和馬はきっと、この先、素敵な人に出会えるでしょう。僕のことを気にする必要はありません。
 和馬が幸せになってくれることが、僕の幸せでもありますから。
 君なら、この先どんなことがあっても、乗り越えられます。決して、復讐などはしないでください。和馬には、優しい和馬のままでいて欲しいから。
 なぜ相談しなかったのかと、和馬は怒るかもしれません。でも僕は、和馬の前では、ヒーローでいたかった。弱いところを見せたくなかった。そしてなによりも、和馬を危険に巻き込みたくなかった。どうか分かってくれると嬉しいです。
 和馬は、親のことや、性のことで、悩み、苦しんでいることを、僕は知っています。
 だけど、どんなに辛くても、必ず笑える日が来るから。大人になったとき、そんなこともあったねと、思い出話にできる日が来るはずだから。
 和馬は精一杯、生きてください。
 僕が言えることではないけれど。
 和馬には生きていて欲しい。生きて、幸せになって欲しい。
 それが、それだけが、僕の願いです。
 こんな別れになってしまってごめんなさい。
 僕は君を、ずっと愛しています。
 さようなら。
 
                                 陸斗より


 和馬は静かに手紙をたたんだ。

「俺、生きて幸せになる。陸斗の分まで、ちゃんと生きる。陸斗が望まないのならば、俺は復讐はしない。俺は、陸斗が好きでいてくれた俺を、貫いてみせる」

 和馬は涙を流していた。しかしその目は、ずっと先の未来を見ていた。
 決して、陸斗さんのことを忘れるわけではない。陸斗さんの思いとともに、生きていくことを選んだんだ。
 和馬の表情は、以前よりもすっきりとしていた。
 これが本来の和馬なんだな、と思った。


 その後、僕たちは陸斗さんのお母さんにお礼を言い、家を後にした。これから、お母さんに教えてもらった陸斗さんの墓へと、墓参りに行く。
 今はちょうどお盆だ。
 陸斗さんもきっと、この地に戻ってきているはずだ。
 途中、花屋でリンドウの花束を買った。
 和馬は、花束を供えて、墓に語りかけていた。
 僕は、二人きりにしてあげようと、その場をそっと離れた。