小一時間ほどバスに揺られ、僕達は和馬の生まれ育った土地までやってきた。
若干田舎だったが、すぐ隣の街までは自転車で行ける距離で、電車も通っており、交通の便はそこまで悪くはない。
和馬はこの土地で生まれ育った。しかし、陸斗さんが亡くなった時期に、両親の離婚が決まり、父とともに引っ越した。その時に、高校も辞めたそうだ。
「陸斗が死んでから、もう一年経つんだよな……それなのに、俺は未だにうじうじして」
和馬はため息をつく。
和馬はそう言うけれど、僕は、まだ一年しか経っていない、と思う。大切な人を失った悲しみは、本人にしか分からない。僕は実際に経験したことがないから、全てを理解することは難しい。でも、心から愛した人がこの世からいなくなるなんて、尋常じゃないくらいに、辛いことなんだと思う。きっと、和馬の心にはぽっかりと穴が空き、どうしようもない喪失感に苛まれているはずだ。
僕は、和馬のことを全て分かってあげることはできない。だけど、少しでも多くのことを理解し、寄り添ってあげたかった。和馬の喪失感を埋められるのなら、何だってする。
「ああ、やっぱり無理かも……」
今、僕達は陸斗さんの家に向かっている。その途中で、和馬は立ち止まり、弱音を吐いた。
「俺、ずっと現実から逃げてきた。陸斗が死んでから、俺はこの場所を去った。だから、葬式にも参加していないし、墓がどこにあるかも知らないんだ。そもそも、陸斗が自殺した理由も知らない。それなのに、今更戻って来るなんて……」
「無理しなくていいんだよ。ここへはいつでも来れるんだから」
「……そうだな。でも、今ここで行かなければ、俺は一生前へ進めない気がする」
和馬は再び歩き始めた。
やがて、陸斗さんの家の前までやってきた。住宅街にある、こじんまりとした一軒家だ。庭も手入れされていて、外装も綺麗だ。一見普通な家。だけど、どこか物悲しい雰囲気を感じた。
和馬は緊張した様子で、インターホンに手を伸ばす。その手は震えていた。
だけど、直ぐに手を引っ込めた。
「どうしよう。怖くて仕方がない。俺は陸斗に、陸斗の家族に、合わせる顔がない」
和馬はうなだれた。そして、回れ右をして、陸斗さんの家から離れていく。僕は慌てて後を追った。
僕たちは無言のまま、行く当てもなく歩いた。
しばらく歩いていると、道に数人の不良がたむろっているのが見えた。
僕は別の道を通ろうと、和馬に言ったが、彼はそこで足を止めた。
「あいつら……」
「和馬?」
「見覚えがある。陸斗が絡まれていた、あのときの、不良だ……」
「え?」
すると和馬は不良たちに走り寄っていった。
「あ、ちょっと!」
和馬はひるむことなく声をかける。
「ねえ、ちょっといい?」
「あ? 誰だ、お前」
不良の一人が、和馬をにらむ。
「柏木陸斗。知ってる?」
和馬は尋ねた。
「柏木陸斗? 誰だよ、それ」
「さあ?」
「あ、あいつじゃね? 陸斗って。ほら、前にいたじゃん。あの、ヒーロー気取りのやつ」
「ああ、いたな、そんな奴。やけに頑固で、面倒な奴だったな。でも、そんなやつほど、陥れたくなるんだよなあ」
そう言うと、不良たちは下品に笑った。
「そういえば、あいつ最近、全然見ないな。良いおもちゃだったのに」
「正義のヒーローぶってたけど、所詮あれくらいでへこたれる、弱っちい奴なんだよな」
「あれくらい……?」
和馬は顔をこわばらせる。
「お前ら、陸斗に何をしたんだ?」
「別に、ちょっと金もらったり、パシリにしたりしただけだよ。まあ、ちょっとやばいこともさせたが」
すると、和馬は不良の一人の胸ぐらを掴んだ。和馬の目は、怒りに燃えていた。
「何をしたんだ! 言え!」
「……は? 何だよお前。俺たちとやるっていうのか?」
「良いから早く! お前たちは、陸斗に何をしたんだ!」
和馬の目を見て、本気だと悟った不良は、あっさりと白状する。
「ちょ、ちょっと薬の取引に、利用しただけだ」
それを聞いた瞬間、和馬は手を出した。不良の顔面を、殴ったのだ。
和馬は歯を食いしばっている。息を荒くし、拳も震えている。
今の和馬の心にあるのは、怒りと復讐心だけだった。
陸斗さんは、正義感の強い人だと和馬は言っていた。そんな陸斗さんにとって、自分の意思とは違くとも、犯罪に関わってしまったというのは、きっと、命を絶ってしまいたいくらいに許せないことだったのだ。
「お前たちのせいだ。陸斗が死んだのは! 返せよ。陸斗を返せよ!」
和馬は叫ぶ。
しかし、不良たちは黙ってはいない。
不良は、すかさず殴り返す。和馬はよろけて、地面に倒れた。喧嘩慣れはしていないようだ。
「陸斗が生きていようが死んでいようが、俺たちには関係ねえ。さっきまでの威勢はどこいった? その綺麗な顔も、長い髪も、グチャグチャにしてやるぞ」
和馬は複数人に、殴られたり蹴られたりしている。このままでは、和馬はやられてしまう。どうしよう。僕だって、殴り合いなんか今まで一度もしたことはない。僕があの中に飛び込んでいったって、無駄だ。
僕はスマホを取りだし、警察に電話するフリをする。
「あ、もしもし、警察ですか? 今、目の前で、殴り合いの喧嘩が起きていて……」
それを聞くと、不良たちは「やべっ」と言って、一目散に逃げ出した。今までに悪いことをたくさんしてきているはずだ。捕まったら終わり。だから、警察という言葉に敏感なのだ。
和馬はその場に大の字に寝転んでいた。色々なところに傷ができて、腫れている。痛そうだった。
僕は急いで駆け寄った。
「和馬……」
すると、和馬は拳を地面に叩きつけた。何度も何度も。血が滲んでも。
「悔しい……俺には、何にもできねえ。憎いよ。あいつらが憎い。陸斗を殺したも同然なのに、悪びれる様子もなく、のうのうと生きていて」
和馬の気持ちは、よく分かった。
自分の不甲斐なさや無力さを思い知って、それが悔しくて、イライラして。やりたくてもできないことを見つける度に、自分がどうしようもなく嫌になる。
「和馬、とにかく今は手当てをしよう」
ボロボロな和馬を見ていられなかった。綺麗な顔にも、傷ができている。
「ちょっと、大丈夫?」
通りかかった女性が、心配して声をかけてくれた。
「あらま、大変。私の家へ来なさい。手当てをしてあげるわ」
見ず知らずの女性が、手を差し伸べてくれた。手には食材がたくさん入ったビニール袋を持っている。買い物帰りのようだ。
とても助かった。正直、僕一人で、和馬の手当をしてあげられる自信はなかったから。
こんなにも親切な人がいるなんて、世の中捨てたもんじゃないな、と思った。
宿主の木原さんもそうだ。世界には思ったよりもずっと、いい人はたくさんいる。僕も、そんな風に見ず知らずの人でも、困っていたら助けてあげられるような、優しい人になりたい。
「すみません。ありがとうございます」
和馬はお礼を言った。
女性は、和馬の顔をのぞき込んだ。
「あれ、あなた、和馬君?」
和馬は一瞬首をかしげる。そして、思い出したように、目を見開く。
「あ、あなたは……」
僕は和馬に肩を貸し、女性について行った。
和馬は痛そうにうめき声を上げる。
どうやら二人は、知り合いのようだった。一体、どのような関係なのだろう。
女性に案内され、僕たちはゆっくりと道を進んでいく。
そして、たどり着いたその場所は、陸斗さんの家だった。
若干田舎だったが、すぐ隣の街までは自転車で行ける距離で、電車も通っており、交通の便はそこまで悪くはない。
和馬はこの土地で生まれ育った。しかし、陸斗さんが亡くなった時期に、両親の離婚が決まり、父とともに引っ越した。その時に、高校も辞めたそうだ。
「陸斗が死んでから、もう一年経つんだよな……それなのに、俺は未だにうじうじして」
和馬はため息をつく。
和馬はそう言うけれど、僕は、まだ一年しか経っていない、と思う。大切な人を失った悲しみは、本人にしか分からない。僕は実際に経験したことがないから、全てを理解することは難しい。でも、心から愛した人がこの世からいなくなるなんて、尋常じゃないくらいに、辛いことなんだと思う。きっと、和馬の心にはぽっかりと穴が空き、どうしようもない喪失感に苛まれているはずだ。
僕は、和馬のことを全て分かってあげることはできない。だけど、少しでも多くのことを理解し、寄り添ってあげたかった。和馬の喪失感を埋められるのなら、何だってする。
「ああ、やっぱり無理かも……」
今、僕達は陸斗さんの家に向かっている。その途中で、和馬は立ち止まり、弱音を吐いた。
「俺、ずっと現実から逃げてきた。陸斗が死んでから、俺はこの場所を去った。だから、葬式にも参加していないし、墓がどこにあるかも知らないんだ。そもそも、陸斗が自殺した理由も知らない。それなのに、今更戻って来るなんて……」
「無理しなくていいんだよ。ここへはいつでも来れるんだから」
「……そうだな。でも、今ここで行かなければ、俺は一生前へ進めない気がする」
和馬は再び歩き始めた。
やがて、陸斗さんの家の前までやってきた。住宅街にある、こじんまりとした一軒家だ。庭も手入れされていて、外装も綺麗だ。一見普通な家。だけど、どこか物悲しい雰囲気を感じた。
和馬は緊張した様子で、インターホンに手を伸ばす。その手は震えていた。
だけど、直ぐに手を引っ込めた。
「どうしよう。怖くて仕方がない。俺は陸斗に、陸斗の家族に、合わせる顔がない」
和馬はうなだれた。そして、回れ右をして、陸斗さんの家から離れていく。僕は慌てて後を追った。
僕たちは無言のまま、行く当てもなく歩いた。
しばらく歩いていると、道に数人の不良がたむろっているのが見えた。
僕は別の道を通ろうと、和馬に言ったが、彼はそこで足を止めた。
「あいつら……」
「和馬?」
「見覚えがある。陸斗が絡まれていた、あのときの、不良だ……」
「え?」
すると和馬は不良たちに走り寄っていった。
「あ、ちょっと!」
和馬はひるむことなく声をかける。
「ねえ、ちょっといい?」
「あ? 誰だ、お前」
不良の一人が、和馬をにらむ。
「柏木陸斗。知ってる?」
和馬は尋ねた。
「柏木陸斗? 誰だよ、それ」
「さあ?」
「あ、あいつじゃね? 陸斗って。ほら、前にいたじゃん。あの、ヒーロー気取りのやつ」
「ああ、いたな、そんな奴。やけに頑固で、面倒な奴だったな。でも、そんなやつほど、陥れたくなるんだよなあ」
そう言うと、不良たちは下品に笑った。
「そういえば、あいつ最近、全然見ないな。良いおもちゃだったのに」
「正義のヒーローぶってたけど、所詮あれくらいでへこたれる、弱っちい奴なんだよな」
「あれくらい……?」
和馬は顔をこわばらせる。
「お前ら、陸斗に何をしたんだ?」
「別に、ちょっと金もらったり、パシリにしたりしただけだよ。まあ、ちょっとやばいこともさせたが」
すると、和馬は不良の一人の胸ぐらを掴んだ。和馬の目は、怒りに燃えていた。
「何をしたんだ! 言え!」
「……は? 何だよお前。俺たちとやるっていうのか?」
「良いから早く! お前たちは、陸斗に何をしたんだ!」
和馬の目を見て、本気だと悟った不良は、あっさりと白状する。
「ちょ、ちょっと薬の取引に、利用しただけだ」
それを聞いた瞬間、和馬は手を出した。不良の顔面を、殴ったのだ。
和馬は歯を食いしばっている。息を荒くし、拳も震えている。
今の和馬の心にあるのは、怒りと復讐心だけだった。
陸斗さんは、正義感の強い人だと和馬は言っていた。そんな陸斗さんにとって、自分の意思とは違くとも、犯罪に関わってしまったというのは、きっと、命を絶ってしまいたいくらいに許せないことだったのだ。
「お前たちのせいだ。陸斗が死んだのは! 返せよ。陸斗を返せよ!」
和馬は叫ぶ。
しかし、不良たちは黙ってはいない。
不良は、すかさず殴り返す。和馬はよろけて、地面に倒れた。喧嘩慣れはしていないようだ。
「陸斗が生きていようが死んでいようが、俺たちには関係ねえ。さっきまでの威勢はどこいった? その綺麗な顔も、長い髪も、グチャグチャにしてやるぞ」
和馬は複数人に、殴られたり蹴られたりしている。このままでは、和馬はやられてしまう。どうしよう。僕だって、殴り合いなんか今まで一度もしたことはない。僕があの中に飛び込んでいったって、無駄だ。
僕はスマホを取りだし、警察に電話するフリをする。
「あ、もしもし、警察ですか? 今、目の前で、殴り合いの喧嘩が起きていて……」
それを聞くと、不良たちは「やべっ」と言って、一目散に逃げ出した。今までに悪いことをたくさんしてきているはずだ。捕まったら終わり。だから、警察という言葉に敏感なのだ。
和馬はその場に大の字に寝転んでいた。色々なところに傷ができて、腫れている。痛そうだった。
僕は急いで駆け寄った。
「和馬……」
すると、和馬は拳を地面に叩きつけた。何度も何度も。血が滲んでも。
「悔しい……俺には、何にもできねえ。憎いよ。あいつらが憎い。陸斗を殺したも同然なのに、悪びれる様子もなく、のうのうと生きていて」
和馬の気持ちは、よく分かった。
自分の不甲斐なさや無力さを思い知って、それが悔しくて、イライラして。やりたくてもできないことを見つける度に、自分がどうしようもなく嫌になる。
「和馬、とにかく今は手当てをしよう」
ボロボロな和馬を見ていられなかった。綺麗な顔にも、傷ができている。
「ちょっと、大丈夫?」
通りかかった女性が、心配して声をかけてくれた。
「あらま、大変。私の家へ来なさい。手当てをしてあげるわ」
見ず知らずの女性が、手を差し伸べてくれた。手には食材がたくさん入ったビニール袋を持っている。買い物帰りのようだ。
とても助かった。正直、僕一人で、和馬の手当をしてあげられる自信はなかったから。
こんなにも親切な人がいるなんて、世の中捨てたもんじゃないな、と思った。
宿主の木原さんもそうだ。世界には思ったよりもずっと、いい人はたくさんいる。僕も、そんな風に見ず知らずの人でも、困っていたら助けてあげられるような、優しい人になりたい。
「すみません。ありがとうございます」
和馬はお礼を言った。
女性は、和馬の顔をのぞき込んだ。
「あれ、あなた、和馬君?」
和馬は一瞬首をかしげる。そして、思い出したように、目を見開く。
「あ、あなたは……」
僕は和馬に肩を貸し、女性について行った。
和馬は痛そうにうめき声を上げる。
どうやら二人は、知り合いのようだった。一体、どのような関係なのだろう。
女性に案内され、僕たちはゆっくりと道を進んでいく。
そして、たどり着いたその場所は、陸斗さんの家だった。
