お盆に入った頃、和馬が言った。

「なあ、俊。俺、どうしても行きたいところがあるんだ」

 その顔は、いつもと違って真剣だった。

「どこに行きたいの?」
「俺が、乗り越えなければならない場所」

 僕はそれを聞いて、ハッとした。そして、頷いた。
 和馬は、自分が抱えていることに向き合おうとしている。ようやく行動する決意ができたのだ。それならば、僕がやるべきことはただ一つ。和馬を支えることだ。


 僕たちは、電車とバスを乗り継ぎながら、目的地まで目指した。
 バスに乗っている間、和馬は僕に色々話してくれた。

「俺が前に付き合っていた人の話なんだけどさ」

 和馬はゆっくりと語り出す。

「その人は、陸斗っていってね」

 当たり前だが、男の名前だった。本当に男同士のカップルは存在するのだと実感した。

「陸斗はさ、優しくて、正義感が強くて、弱いものいじめを許さないような人だった。かっこよくて、賢くて、いつも俺のことを助けてくれたんだ。俺は陸斗が、自分の命を捧げても良いくらいに、大好きだった」

 いつも大人びて、すました顔をしている和馬だったが、このときだけは恋する乙女のような顔をしていた。前に和馬があいつと言っていた人に違いない。

「引いたか?」

 和馬は苦笑を浮かべながら、遠慮がちに尋ねる。

「別に、全然」

 と僕は答えた。

「続けて。もっと、和馬のことを知りたいから」

 和馬はそれを聞いて、安堵の表情を浮かべた。そして続ける。

「陸斗とは、幼稚園の頃からの幼なじみだったんだ。俺は昔、弱っちくてさ、ガキ大将によく絡まれてた。物を取られたり殴られたりしても反抗もできず、ただメソメソ泣くことしかできなかった。
そんな時、いつも陸斗は颯爽と僕の前に現れるんだ。本当に、ヒーローのようだった。彼はガキ大将から、俺をかばってくれる。次第にガキ大将も、それが面白くなかったのか、俺に絡むのをやめた」

 和馬は幼少期を語る。今の和馬からは、小さい頃ガキ大将にいじめられてべそをかいている姿は、全く想像がつかなかった。

「でもさ、陸斗は途中で、引っ越してしまったんだよ。悲しくて仕方が無かった。最初のうちは、連絡を取り合っていたけど、お互い忙しくなって、だんだん疎遠になった。
中学生になった時、俺は他の人とは違うと感じるようになったんだ。本来女子に対して感じるはずの感情を、男子に感じるようになった。手をつなぎたいとか、キスしたいとか。この人を俺のものにしたいっていう。ネットでいろいろ調べていると、俺はゲイだということが分かった。同性愛者。最初は、そんな自分を受けいれるのに抵抗があった。もちろん、親には言えなかった。俺はただ一人で、葛藤するしかなかったんだ。
そんな時、俺に告白してくれた人がいたんだ。クラスメイトの男子でね。純粋に嬉しかった。俺を受け入れてくれる人がいたと思って。でも、それは単なる罰ゲームだった。俺はそれに気づかずに、真に受けてしまった。馬鹿だよな。結局最後は、俺がゲイであることをクラス全員にばらされて終わった」
「それは……ひどいね」

 なんと言葉をかければ良いか分からなかった。
 告白を罰ゲームにするなんて、タチが悪い。人の思いを踏みにじる、最低な行為だ。

「それから俺は、居心地の悪いまま中学生活を終えた。なんとなく投げやりになってさ、両親にも相談もできず、年齢偽って夜の街を徘徊して。そこで結構遊んだ。夜の街は危険だけど自由でさ、以外と男でもいいって言う人がいて、そいつらとヤってお小遣い稼いでた」

 家庭環境も悪く、学校でも居場所をなくし、性についても誰にも相談できず、こうして夜の街へと足を踏み入れてしまう。そこで負った心の傷は消えないし、頼れる大人がいないから、そんな環境から抜け出すこともできない。
 腐った世の中だと思った。

「高校に入って、偶然にも陸斗と再会したんだ。運命だと思った。陸斗は成長して、ますますかっこよくなっていた。正義感が強いのは、昔と変わらなかったよ。
俺はだんだん、陸斗に惹かれていった。陸斗以外を見られなくなって、夜の街に行くのはやめた。もちろん、彼へのその気持ちは秘密にしておこうと思った。もう二度と、あんな思いはしたくなかったから。
でもさ、なぜだか分からないけど、バレていたんだ。陸斗には、俺の気持ちがお見通しだった。あいつ、察しがいい奴だから。だから俺は、告白した。そしたら、陸斗は、俺を受け入れてくれたんだ。俺のことを好きだって。分からないことだらけだけど、一緒に前に進んでいこうって、言ってくれた。俺の家庭環境も知ってて、夜の街に行ってたことも拒絶せずに受け入れてくれて、慰めてくれた」

 和馬は幸せそうだった。陸斗さんの話をしている和馬は、生き生きとしていた。
 しかし、ここで一瞬顔が曇った。

「でもね、あるとき、陸斗は街で不良に絡まれていた少年を助けたんだ。陸斗は弱いものいじめが大嫌いだったから、放っておけなかったんだと思う。陸斗は俺だけのヒーローではないんだって、ちょっとショックを受けたよ。でも、そんな誰にでも優しくできるところが好きだった。
けどね、その日を境に、陸斗は俺を避けるようになったんだ。付き合いが悪くなり、身体に傷が増え始めた。俺はずっと心配していた。だけど、聞いても陸斗はその理由を話してはくれなかった」

 和馬は天を仰いだ。

「そして、俺は陸斗に振られたんだ。愛想を尽かされた。もう君とは付き合えない、ごめんなさいって。俺はどうしても諦めきれなくて、何度も別れたくないと言った。でも、陸斗の決意は固かった。だからせめて、俺と付き合えない理由を教えて欲しかった。教えてくれたら、納得するから。それでも、陸斗は教えてくれなかった」

 不穏な空気が流れ始める。

「陸斗は次第に学校にも来なくなった。次に、陸斗を見たのは、陸斗の部屋でだった。最後だから、借りていた本を、返しておこうと思って、家に行った。ちゃんとお別れをしようと思って。でも、俺がそこで見たものはさ、衝撃的だったよ」
「……何を見たの?」 

 嫌な予感がした。

「陸斗は自分の部屋で、首をつっていたんだ」

 僕は絶句した。
 和馬が抱えていた過去は、僕の想像よりもずっと、重くて辛いものだった。
 愛する人から、理由も言わずに別れを告げられ、そして、自分で首をつって、死んだのだ。
 僕には計り知れないほどの痛みを、和馬は今までずっと抱えてきた。誰にも話さず、自分の中に閉まっていた。

「暗い話をして、ごめんな」

 和馬は明るい口調で言った。顔には笑顔が張り付いている。
 母親はおらず、父親は和馬をほったらかして遊びほうける。性の悩みを抱え、誰にも相談できず、くだらない罰ゲームに巻き込まれたあげく周りにゲイであることをばらされる。異端なものは排除するという風潮のある学校で、マイノリティであることを知られてしまうのは、さぞかし苦痛であっただろう。
 そして夜の街に行き、色々な人と性行為をしてお金を稼いで。それは紛れもなく犯罪だ。でも和馬は、そうしてしまってもいいほど自暴自棄になってしまっていたのだ。
 再会した陸斗さんのおかげで、ようやく普通の生活を取り戻し、真っ当に生きようとしたところで、その幼なじみであり愛しい恋人であった人は目の前で首を吊った。
 ひどすぎる。和馬が味わった絶望を、僕には想像できない。こんなの、一人で抱えられるようなものではない。陸斗さんの後を追わなかっただけ、和馬は強いと思う。
 無理に笑わなくて良い。僕はちゃんと、君のそばにいるから。もう、強がる必要はない。
 どうか、すべてをさらけ出して欲しい。
 僕が支える。絶対に見捨てたりしないから。