僕たちは宿に泊まることにした。海の近くにある、安い宿。四畳半ほどの部屋で、小さなテーブルと布団以外何も無い。
たばこの臭いきつかった。和馬は家の臭いだと言って平気そうにしていたが、ずっとこの空間で過ごすとなると僕は辛かった。だけど、そんなことは言っている場合ではない。持っているお金はそんなに多くはないから、考えて使わなければならない。
和馬のバイト代と、僕のお小遣い。一体これでいつまで持つだろうか。
その日の夜、和馬は、宿で酒とたばこを鞄の中から取り出した。
「和馬、それ、どうしたの?」
「家からこっそり持ってきた。親父のだよ」
そう言うと、和馬はたばこを開け始めた。
「ちょっと、何やってるの? 僕たち、未成年だよ」
僕は慌てて止める。しかし、和馬はやめようとしなかった。
「一度、やってみたかったんだ。大人の気分を味わいたいんだ。許せ」
和馬は箱から一本取りだし、口にくわえた。僕はドキドキしながらそれを見ていた。今、目の前ではやってはいけないことが行われている。だけどそれを僕は羨ましく感じてしまった。
和馬は先端に、ライターで火をつけた。そして、息を吸い込んだ。
ゲホッと彼は咳き込む。
「大丈夫?」
「あ、ああ。やっぱり慣れないことはするもんじゃないな」
和馬は苦笑しながら、宿に備え付けてある灰皿に、たばこの先端押しつけて火を消した。
「俊も吸うか?」
和馬はタバコの箱をこちらに向ける。
「僕はいいよ」
とは言ったものの、気になってはいた。たばこがどんな感じなのか。和馬の反応を見て、美味しいものではないとわかったが、やはりどうしても大人への一歩を踏み出してみたかった。
「やっぱり僕もやりたい」
和馬からたばことライターを受け取り、先端に火をつけて咥えた。ドキドキしながら、一気に吸い込む。煙が肺の中に入ってくる。僕は和馬と同じようにゲホッとむせた。
和馬はその様子を見て、心配するどころか可笑しそうにゲラゲラと笑っている。
大人への憧れから吸ってみた初めてのたばこ。この良さが分からないと言うことは、僕はまだ大人ではないということか。
「酒も飲むか?」
和馬はニヤニヤしながら提案する。
「別に無理する必要はないんだぜ? お子ちゃま俊くん」
彼の煽りが癪に触ったので、僕は迷わず頷いた。。
「もちろん、飲むに決まってるよ」
ろくに飲み方も知らない二人が、一本の瓶酒を分けて飲んだ。
コップを鼻に近づけると、消毒液の匂いがした。
口にその液体を入れると、やはりまずかった。苦くて、度数も強くて、飲み込むと喉がヒリヒリする。
三杯ほど飲んだところで、だんだんふわふわした気分になってきた。
「和馬、なんだか楽しいね」
きっとアルコールの影響だ。
しかし、和馬は顔を真っ青にしていた。
「やばい、吐き気がする」
と言って、和馬は部屋を出て共同トイレに駆け込んだ。ああ、和馬は酒に弱いんだな。そう思いながら、僕はテーブルに伏せた。急に眠気が襲ってきた。
なぜだか心地がよくて、ぐっすり眠れそうだった。ふわふわした幸せな気分のまま、眠りにつける。よく大人がやけ酒する理由が分かったような気がした。
次の日、目が覚めると頭が痛かった。
部屋に和馬の姿がなかったので外へ出ると、廊下に体操座りで寝ている和馬を見つけた。トイレに行ったあと、部屋まで辿り着かずにそのまま眠ってしまったようだ。
僕は和馬を揺り起こして、部屋まで連れていく。彼は寝ぼけたまま歩いて戻り、布団の上で再び眠りについた。まったく、世話のやけるやつだ。
お昼頃、和馬は目を覚ました。
「気持ち悪い……親父、よくこんなもの懲りずに飲めるな……」
和馬は理解できないというように頭を抱える。
「俊は意外とお酒強いんだな」
「どうなんだろう? でも、和馬があまりにも弱すぎることは確実だね。めちゃくちゃ飲めそうな見た目なのに」
「こりゃ見た目損だな」
和馬は悔しそうに嘆いた。
そして、布団の上に大の字になり、天井を見つめる。
「酒ばっかり、たばこばっかり、女ばっかり。やっぱり俺には理解できない」
和馬は愚痴をこぼした。
「早く大人になりたいって思ってたけど、こんなのに溺れてしまう未来があるなら、やっぱり子どものままがいいのかな……」
彼はそのまま僕に背を向けて丸くなった。
和馬は少しずつ、僕に心を開いてくれている。何となく彼の素性が分かってきても、まだ知らないことはたくさんある。
もっと、彼を知りたい。彼が抱えているものを。彼の過去を。彼がこれまでどうやって生きてきたのかを。
そして、救いたかった。目の前で眠っている、この大きな子どもを。
***
それから、数日が経過した。七月下旬に差し掛かり、学校も夏休みに入った頃だ。
僕たちは海へ行ったり、街を探索したり、部屋でのんびりしたり、好きなことしたいことをして過ごした。その日々は、幸せだった。
あらゆる圧力から解放されたこの自由な生活は、心に余裕をもたらした。他人の言葉に傷つくこともなく、他人と比較して惨めな思いをすることもなく、穏やかに過ごすことができた。
スマホを見ていると母さんから鬼のようにメッセージが届いていたが、返す気分にはなれなかったので、既読だけつけてスルーした。
宿に泊まるだけでお金はあっという間に飛んでいく。それを見かねた宿主の木原さんが、僕たちに声をかけてくれた。
「お前たち、いつまでここに滞在するつもりだい?」
「それが、この先どうなるか分からなくて……」
「二人とも、見たところまだ学生くらいだろ? お金もそんなに持っていないんじゃないかい?」
「はい……」
木原さんは眉間にしわを寄せた。
「もしかして、家出かい?」
そう尋ねられて、動揺した。何と答えるべきか。
すると、和馬が横で必死そうな演技をしながら答えた。
「家出です。ですが、俺たち家庭環境がちょっと複雑で……この夏は二人で過ごそうって決めたんです。親が心配することはありません。だから、どうか追い出さないでください。迷惑をおかけすることは一切しません。お金もきちんと払います」
ふーんと木原さんは悩む。
僕は心臓をバクバクさせながらその答えを待った。
「それなら、うちで働かないかい? 絶賛人手不足でね、手が回っていない状態なんだよ。掃除とか洗濯とか手伝ってくれたら、宿賃はなしでいいよ。さすがに、ご飯までは振る舞えないけどね」
「本当ですか?」
僕たちは顔を見合わせた。そして感謝を伝える。
「ありがとうございます!」
ということで、僕たちは宿で働くことになった。これでお金の心配が少し減った。
僕は今まで働くということをしたことがなかったので不安だったが、これも大人になるための一歩だと自分を奮い立たせ、全力で頑張ることにした。
「なんだか息子が帰ってきたようで嬉しいよ」
木原さんは僕たちを見ながら嬉しそうに言った。彼女は六十過ぎのおばあさんで、旦那さんと一緒にこの宿を経営しているという。
彼女には一人の息子がいるそうだが、彼は高校を卒業してすぐ上京してしまい、そっちでの仕事が忙しくなかなか帰って来られないらしい。いつも寂しい思いをしていたが、僕たちの存在が息子と重なり、力になりたいと思ってくれたそうだ。
木原さんは一から丁寧にやることを教えてくれた。部屋の清掃の仕方から、布団の干し方まで、きっちりと教わった。素性も知らない僕たちの面倒をよく見てくれて、本当に親切な人だった。
こうやって、ずっと遠くの知らない場所へ来て、まだまだ世界にはたくさん優しい人が存在していることを知った。学校だけが全てじゃない。
和馬と出会ったのも学校の外だ。学生は学校が全てだと考えてしまいがちだが、それは違う。もっと外に目を向けていい。世界はこんなにも広いのだから。
僕の居場所は、外にある。それに気づいただけでも進歩だ。そのおかげで、以前よりもずっと、息がしやすくなった。
たばこの臭いきつかった。和馬は家の臭いだと言って平気そうにしていたが、ずっとこの空間で過ごすとなると僕は辛かった。だけど、そんなことは言っている場合ではない。持っているお金はそんなに多くはないから、考えて使わなければならない。
和馬のバイト代と、僕のお小遣い。一体これでいつまで持つだろうか。
その日の夜、和馬は、宿で酒とたばこを鞄の中から取り出した。
「和馬、それ、どうしたの?」
「家からこっそり持ってきた。親父のだよ」
そう言うと、和馬はたばこを開け始めた。
「ちょっと、何やってるの? 僕たち、未成年だよ」
僕は慌てて止める。しかし、和馬はやめようとしなかった。
「一度、やってみたかったんだ。大人の気分を味わいたいんだ。許せ」
和馬は箱から一本取りだし、口にくわえた。僕はドキドキしながらそれを見ていた。今、目の前ではやってはいけないことが行われている。だけどそれを僕は羨ましく感じてしまった。
和馬は先端に、ライターで火をつけた。そして、息を吸い込んだ。
ゲホッと彼は咳き込む。
「大丈夫?」
「あ、ああ。やっぱり慣れないことはするもんじゃないな」
和馬は苦笑しながら、宿に備え付けてある灰皿に、たばこの先端押しつけて火を消した。
「俊も吸うか?」
和馬はタバコの箱をこちらに向ける。
「僕はいいよ」
とは言ったものの、気になってはいた。たばこがどんな感じなのか。和馬の反応を見て、美味しいものではないとわかったが、やはりどうしても大人への一歩を踏み出してみたかった。
「やっぱり僕もやりたい」
和馬からたばことライターを受け取り、先端に火をつけて咥えた。ドキドキしながら、一気に吸い込む。煙が肺の中に入ってくる。僕は和馬と同じようにゲホッとむせた。
和馬はその様子を見て、心配するどころか可笑しそうにゲラゲラと笑っている。
大人への憧れから吸ってみた初めてのたばこ。この良さが分からないと言うことは、僕はまだ大人ではないということか。
「酒も飲むか?」
和馬はニヤニヤしながら提案する。
「別に無理する必要はないんだぜ? お子ちゃま俊くん」
彼の煽りが癪に触ったので、僕は迷わず頷いた。。
「もちろん、飲むに決まってるよ」
ろくに飲み方も知らない二人が、一本の瓶酒を分けて飲んだ。
コップを鼻に近づけると、消毒液の匂いがした。
口にその液体を入れると、やはりまずかった。苦くて、度数も強くて、飲み込むと喉がヒリヒリする。
三杯ほど飲んだところで、だんだんふわふわした気分になってきた。
「和馬、なんだか楽しいね」
きっとアルコールの影響だ。
しかし、和馬は顔を真っ青にしていた。
「やばい、吐き気がする」
と言って、和馬は部屋を出て共同トイレに駆け込んだ。ああ、和馬は酒に弱いんだな。そう思いながら、僕はテーブルに伏せた。急に眠気が襲ってきた。
なぜだか心地がよくて、ぐっすり眠れそうだった。ふわふわした幸せな気分のまま、眠りにつける。よく大人がやけ酒する理由が分かったような気がした。
次の日、目が覚めると頭が痛かった。
部屋に和馬の姿がなかったので外へ出ると、廊下に体操座りで寝ている和馬を見つけた。トイレに行ったあと、部屋まで辿り着かずにそのまま眠ってしまったようだ。
僕は和馬を揺り起こして、部屋まで連れていく。彼は寝ぼけたまま歩いて戻り、布団の上で再び眠りについた。まったく、世話のやけるやつだ。
お昼頃、和馬は目を覚ました。
「気持ち悪い……親父、よくこんなもの懲りずに飲めるな……」
和馬は理解できないというように頭を抱える。
「俊は意外とお酒強いんだな」
「どうなんだろう? でも、和馬があまりにも弱すぎることは確実だね。めちゃくちゃ飲めそうな見た目なのに」
「こりゃ見た目損だな」
和馬は悔しそうに嘆いた。
そして、布団の上に大の字になり、天井を見つめる。
「酒ばっかり、たばこばっかり、女ばっかり。やっぱり俺には理解できない」
和馬は愚痴をこぼした。
「早く大人になりたいって思ってたけど、こんなのに溺れてしまう未来があるなら、やっぱり子どものままがいいのかな……」
彼はそのまま僕に背を向けて丸くなった。
和馬は少しずつ、僕に心を開いてくれている。何となく彼の素性が分かってきても、まだ知らないことはたくさんある。
もっと、彼を知りたい。彼が抱えているものを。彼の過去を。彼がこれまでどうやって生きてきたのかを。
そして、救いたかった。目の前で眠っている、この大きな子どもを。
***
それから、数日が経過した。七月下旬に差し掛かり、学校も夏休みに入った頃だ。
僕たちは海へ行ったり、街を探索したり、部屋でのんびりしたり、好きなことしたいことをして過ごした。その日々は、幸せだった。
あらゆる圧力から解放されたこの自由な生活は、心に余裕をもたらした。他人の言葉に傷つくこともなく、他人と比較して惨めな思いをすることもなく、穏やかに過ごすことができた。
スマホを見ていると母さんから鬼のようにメッセージが届いていたが、返す気分にはなれなかったので、既読だけつけてスルーした。
宿に泊まるだけでお金はあっという間に飛んでいく。それを見かねた宿主の木原さんが、僕たちに声をかけてくれた。
「お前たち、いつまでここに滞在するつもりだい?」
「それが、この先どうなるか分からなくて……」
「二人とも、見たところまだ学生くらいだろ? お金もそんなに持っていないんじゃないかい?」
「はい……」
木原さんは眉間にしわを寄せた。
「もしかして、家出かい?」
そう尋ねられて、動揺した。何と答えるべきか。
すると、和馬が横で必死そうな演技をしながら答えた。
「家出です。ですが、俺たち家庭環境がちょっと複雑で……この夏は二人で過ごそうって決めたんです。親が心配することはありません。だから、どうか追い出さないでください。迷惑をおかけすることは一切しません。お金もきちんと払います」
ふーんと木原さんは悩む。
僕は心臓をバクバクさせながらその答えを待った。
「それなら、うちで働かないかい? 絶賛人手不足でね、手が回っていない状態なんだよ。掃除とか洗濯とか手伝ってくれたら、宿賃はなしでいいよ。さすがに、ご飯までは振る舞えないけどね」
「本当ですか?」
僕たちは顔を見合わせた。そして感謝を伝える。
「ありがとうございます!」
ということで、僕たちは宿で働くことになった。これでお金の心配が少し減った。
僕は今まで働くということをしたことがなかったので不安だったが、これも大人になるための一歩だと自分を奮い立たせ、全力で頑張ることにした。
「なんだか息子が帰ってきたようで嬉しいよ」
木原さんは僕たちを見ながら嬉しそうに言った。彼女は六十過ぎのおばあさんで、旦那さんと一緒にこの宿を経営しているという。
彼女には一人の息子がいるそうだが、彼は高校を卒業してすぐ上京してしまい、そっちでの仕事が忙しくなかなか帰って来られないらしい。いつも寂しい思いをしていたが、僕たちの存在が息子と重なり、力になりたいと思ってくれたそうだ。
木原さんは一から丁寧にやることを教えてくれた。部屋の清掃の仕方から、布団の干し方まで、きっちりと教わった。素性も知らない僕たちの面倒をよく見てくれて、本当に親切な人だった。
こうやって、ずっと遠くの知らない場所へ来て、まだまだ世界にはたくさん優しい人が存在していることを知った。学校だけが全てじゃない。
和馬と出会ったのも学校の外だ。学生は学校が全てだと考えてしまいがちだが、それは違う。もっと外に目を向けていい。世界はこんなにも広いのだから。
僕の居場所は、外にある。それに気づいただけでも進歩だ。そのおかげで、以前よりもずっと、息がしやすくなった。
