走り疲れた僕は雨の中、傘も差さずにとぼとぼ歩いた。雨が僕の体を容赦なく刺す。
誰も僕のことを信じてくれない。全員、僕の敵だ。
古川はなぜ、僕が無実だと言ってくれなかったのだろう。まあ、言ってくれたところで、二対四だ。勝てるはずがない。どうせ先生は、声の小さな二人の真実よりも、声の大きな四人の噓を信じるのだから。
そんな時だった。僕の体に当たる雨が、パタリと止んだ。そっと見上げると、傘があった。後ろから誰かが傘に入れてくれたのだ。
僕は振り向いた。
「俊、どうしたんだ?」
そこには和馬がいた。彼は驚いた様子だった。
「……なんで和馬がここに?」
自分でも驚くくらい弱々しい声で尋ねた。
「バイトに行く途中だよ。そしたらこんな雨の中傘さしてないやつを見つけて。よく見たらそれは俊で。もうびっくりだ。そんなことより、どうしたんだ? 風邪引くぞ」
和馬の顔を見ると、急に安心した。
いるじゃないか。僕にも味方が。唯一の味方が。和馬ならきっと、僕の話を最後まで聞いてくれて、信じてくれる。
気づけば、僕は和馬に抱きついて、赤ん坊のように声を上げて泣いていた。
「俊?」
ああ、みっともない。だけど、今は無性に誰かに触れていたかった。孤独でいたくなかった。
和馬は何も言わずに、僕の背中を優しくさすってくれた。
***
「さあ、入れよ。たばこ臭いけど勘弁して。親父は多分今日も帰ってこないだろうから、自由にくつろいで」
僕は和馬の本物の家に招き入れてもらった。本当に申し訳なかった。
和馬の家は古いアパートの一室で、部屋は確かにたばこ臭かった。床には足の踏み場がないほど、お酒の缶や脱ぎ捨てられた服が散らばっていた。キッチンのシンクには使用済みの食器が大量に重ねられていて、ゴミが入った袋も何個も放置されたままだった。
「風呂湧かしてくるから、とりあえずそれで拭いてな」
僕は和馬からタオルを受け取る。
「……ありがとう」
いつまでメソメソしているのだろう。和馬にも迷惑をかけて。
「和馬、ごめん。バイトはいいの?」
「謝るなって。バイト先には、後から言えば大丈夫。それに、俊を放っておくわけにはいかないからな」
人の優しさに触れるたびに、僕は僕が嫌いになる。自分が惨めに感じてしまうのだ。もし、逆の立場になったとき、僕は同じようにしてあげられるのか。そんなことを考えてしまう時点で、おかしいことは分かっているのに。他人の善意を、素直に受け止められないのだ。
僕は風呂に入り、体を温める。バスタブは窮屈だったが、今は逆にそのサイズがちょうど良かった。体操座りをして、心を落ち着かせる。
風呂をあがり、和馬に貸してもらった服を着た。濡れた服はハンガーに掛けて乾かす。
「そこ、座って」
風呂に入っている間に、和馬はテーブルの周りをざっと片付けて、座れるくらいの空間を確保してくれていた。
僕たちは二人横に並んで腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
コップに注がれた水を和馬から受け取る。
「ありがとう」
僕は水を一気に飲み干した。
「ほんと悪いな。部屋が汚くて。たばこ臭いし散らかり放題だし、最悪だろ?」
和馬は自嘲気味に笑う。
「両親が離婚して以来、親父と二人暮らしなんだけどさ。あいつ、家事はほったらかしだし、酒飲んでばっかりだし、俺がいるっていうのに毎日女を家に連れてくるし。典型的なクズ男なんだよ。全く、困ったもんだ」
愚痴をこぼす。
「最近はお気に入りの女ができたらしくてさ、結構長続きしてて、そいつの家にずっと入り浸ってるから、帰ってこないんだよね」
和馬は呆れたようにため息をついた。
「いたくないでしょ? こんな家。楽しいことなんてひとつもない」
僕は何も言えなかった。和馬が家に帰りたくない理由は、僕が思っていたよりもずっと壮絶だった。こんな荒れた家では、落ち着かない。これだけ散らかった部屋に、家事をまともにしない父親。和馬の過ごしてきた環境は、僕とは正反対だった。
和馬にとってあの高架下は、第二の家。本当に大事な場所だったことが分かった。
「それで、なにがあったんだ?」
僕が落ち着いてきたのを見計らって、和馬は優しく尋ねてくれた。
「あのね……」
僕は今日起ったことをすべて話した。和馬はただ静かに、最後まで僕の話を聞いてくれた。
僕は今、絶望の底にいる。学校にも家にも、僕の居場所はどこにもないのだ。僕はもう、これからどうすれば良いのか分からなかった。未来が、完全に見えなくなってしまった。
話し終えた後、和馬は口を開いた。
「なあ、俊」
和馬は真剣な顔で言った。
「俺と一緒に、逃げよう」
最初はその言葉の意味が分からなかった。
「どういう、こと?」
僕は尋ねる。
「ずっとずっと遠いところまで行こう。学校も、家も、全部捨てて、現実から逃げるんだ。俺と一緒に」
和馬の顔は、真剣だった。冗談で言っているわけではない。
それはまるで、神様が僕に手を差し伸べてくれたようだった。
逃げる、それは僕の中でなんとも魅力的な言葉だった。
僕はもちろん、大きく頷いた。
誰も僕のことを信じてくれない。全員、僕の敵だ。
古川はなぜ、僕が無実だと言ってくれなかったのだろう。まあ、言ってくれたところで、二対四だ。勝てるはずがない。どうせ先生は、声の小さな二人の真実よりも、声の大きな四人の噓を信じるのだから。
そんな時だった。僕の体に当たる雨が、パタリと止んだ。そっと見上げると、傘があった。後ろから誰かが傘に入れてくれたのだ。
僕は振り向いた。
「俊、どうしたんだ?」
そこには和馬がいた。彼は驚いた様子だった。
「……なんで和馬がここに?」
自分でも驚くくらい弱々しい声で尋ねた。
「バイトに行く途中だよ。そしたらこんな雨の中傘さしてないやつを見つけて。よく見たらそれは俊で。もうびっくりだ。そんなことより、どうしたんだ? 風邪引くぞ」
和馬の顔を見ると、急に安心した。
いるじゃないか。僕にも味方が。唯一の味方が。和馬ならきっと、僕の話を最後まで聞いてくれて、信じてくれる。
気づけば、僕は和馬に抱きついて、赤ん坊のように声を上げて泣いていた。
「俊?」
ああ、みっともない。だけど、今は無性に誰かに触れていたかった。孤独でいたくなかった。
和馬は何も言わずに、僕の背中を優しくさすってくれた。
***
「さあ、入れよ。たばこ臭いけど勘弁して。親父は多分今日も帰ってこないだろうから、自由にくつろいで」
僕は和馬の本物の家に招き入れてもらった。本当に申し訳なかった。
和馬の家は古いアパートの一室で、部屋は確かにたばこ臭かった。床には足の踏み場がないほど、お酒の缶や脱ぎ捨てられた服が散らばっていた。キッチンのシンクには使用済みの食器が大量に重ねられていて、ゴミが入った袋も何個も放置されたままだった。
「風呂湧かしてくるから、とりあえずそれで拭いてな」
僕は和馬からタオルを受け取る。
「……ありがとう」
いつまでメソメソしているのだろう。和馬にも迷惑をかけて。
「和馬、ごめん。バイトはいいの?」
「謝るなって。バイト先には、後から言えば大丈夫。それに、俊を放っておくわけにはいかないからな」
人の優しさに触れるたびに、僕は僕が嫌いになる。自分が惨めに感じてしまうのだ。もし、逆の立場になったとき、僕は同じようにしてあげられるのか。そんなことを考えてしまう時点で、おかしいことは分かっているのに。他人の善意を、素直に受け止められないのだ。
僕は風呂に入り、体を温める。バスタブは窮屈だったが、今は逆にそのサイズがちょうど良かった。体操座りをして、心を落ち着かせる。
風呂をあがり、和馬に貸してもらった服を着た。濡れた服はハンガーに掛けて乾かす。
「そこ、座って」
風呂に入っている間に、和馬はテーブルの周りをざっと片付けて、座れるくらいの空間を確保してくれていた。
僕たちは二人横に並んで腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
コップに注がれた水を和馬から受け取る。
「ありがとう」
僕は水を一気に飲み干した。
「ほんと悪いな。部屋が汚くて。たばこ臭いし散らかり放題だし、最悪だろ?」
和馬は自嘲気味に笑う。
「両親が離婚して以来、親父と二人暮らしなんだけどさ。あいつ、家事はほったらかしだし、酒飲んでばっかりだし、俺がいるっていうのに毎日女を家に連れてくるし。典型的なクズ男なんだよ。全く、困ったもんだ」
愚痴をこぼす。
「最近はお気に入りの女ができたらしくてさ、結構長続きしてて、そいつの家にずっと入り浸ってるから、帰ってこないんだよね」
和馬は呆れたようにため息をついた。
「いたくないでしょ? こんな家。楽しいことなんてひとつもない」
僕は何も言えなかった。和馬が家に帰りたくない理由は、僕が思っていたよりもずっと壮絶だった。こんな荒れた家では、落ち着かない。これだけ散らかった部屋に、家事をまともにしない父親。和馬の過ごしてきた環境は、僕とは正反対だった。
和馬にとってあの高架下は、第二の家。本当に大事な場所だったことが分かった。
「それで、なにがあったんだ?」
僕が落ち着いてきたのを見計らって、和馬は優しく尋ねてくれた。
「あのね……」
僕は今日起ったことをすべて話した。和馬はただ静かに、最後まで僕の話を聞いてくれた。
僕は今、絶望の底にいる。学校にも家にも、僕の居場所はどこにもないのだ。僕はもう、これからどうすれば良いのか分からなかった。未来が、完全に見えなくなってしまった。
話し終えた後、和馬は口を開いた。
「なあ、俊」
和馬は真剣な顔で言った。
「俺と一緒に、逃げよう」
最初はその言葉の意味が分からなかった。
「どういう、こと?」
僕は尋ねる。
「ずっとずっと遠いところまで行こう。学校も、家も、全部捨てて、現実から逃げるんだ。俺と一緒に」
和馬の顔は、真剣だった。冗談で言っているわけではない。
それはまるで、神様が僕に手を差し伸べてくれたようだった。
逃げる、それは僕の中でなんとも魅力的な言葉だった。
僕はもちろん、大きく頷いた。
