かの堕天使を弔う

 亡き堕天使の追悼は、都心から外れたパーティー会場でひっそり執り行われた。
 彼女の死から早三年。だから、というのでもないけれど。今日この場に集まった私たちには、特別な仲間意識が芽生えていた。彼女ーー堕天使メメはこの世にちゃんと存在していたんだよな、という確かめあいが、初対面の私たちを強く結びつけたのだ。

『いつからだろう
 君のために歌えない
 そんな僕でもいいかな
 一方的な愛だと自覚して
 隔たったガラスの分厚さを知りなよ』

 会場内では彼女の生前最後のシングル「いつわりの地獄」がループして、過去の産物と成り果てたあの頃の記憶を思い起こさせようとしていた。例えるならそれは前世みたいなもので、あるいは不完全な理想だった。

『傷すら負えない僕らに行き場はないね
 痛ましい過去を美化してみたいね
 なにも大丈夫じゃないと教えて
 泣いてみてほしいよ
 少しだって伝わらないけど』

「あの、目蓋(まぶた)りんごさんですか?」

 突然、視界に一人の少年が割り込んできて、私の意識は現実に引き戻される。BGMが不明瞭になって、代わりに聞きたくもない彼の声音がなだれ込む。

「急にすみません。今朝りんごさんの投稿を見て」

 そう言いながら、彼は私のアカウントが映ったスマホ画面を掲げる。
 確かに今朝、私は自身の格好を明記した文章を投稿し、会に参加する旨を示したけれど。たったこれだけのテキストでよく私が分かったものだと感心してしまう。

「ええと、絡んだことありましたっけ?」

 無理やりに笑みを浮かべて、一応の礼儀として私は尋ねた。
 正直言えば、聞くまでもなかった。目蓋りんごのアカウントは、もともと私がロム専で使っていた捨て垢だった。それを急遽、「堕天使メメを偲ぶ会」に参加したいがために、プロフやらアイコンやらを改変して仮初のファン垢をつくりあげたのだ。つまり、他のファンとの絡みなどあるはずがない。

「りんごさんもメメちゃんのファンなんですよね?」
「そりゃあ、まあ」
「未だに彼女を忘れられないんでしょう?」
「……どうだろう」

 私はテーブル上に放置されたグラスを手に取って、飲みかけのウーロンハイを一気に呷った。脳がぐわんと揺れて、朧気になる視界のなかで、彼女に思いを馳せる。

 忘れられない、というのは適切じゃない、と思う。かの堕天使はずっと私のなかにいる。とっくに捨てさったはずなのに、私の心中に未練がましく巣食い続けている。私のなかはひどく乾いていて、崇高な彼女がいるには冷たすぎるのに。

「僕にしてみれば、貴女がここにいるという事実そのものが、声をかける理由になり得るんです。僕たちはいずれ彼女の死を受け入れ、乗り越えなくちゃならないわけで、そういう過程を一人でやり過ごすのはあまりにもしんどい。そうでしょう?」

 分かったような彼の言葉に、私は面白くない気持ちになる。幼い顔してるくせに、雰囲気ばかり大人びていて、その不釣りあいさが何と言うかうざったい。君のしんどさと私のしんどさの質は違うんだよ、とか言ってやれたらいいけれど、大人な私はぐっとこらえる。

「僕がきっかけだったんです」

 不意に、その少年は言った。
 思いがけない台詞に、私は馬鹿みたいに彼の顔を見つめてしまった。

「僕には影響力がないですけど、メメちゃんが好きな人たちでまた集まりたいって呟いたら、いつの間にかに色んな人たちが動いてくれることになって、この会が実現しました」
「へえ。そっか、そうなんだ……」

 半ば放心状態で、私は相槌を打つ。周囲の喧騒がどこか遠くから聞こえるみたいな感覚に襲われる。

「メメちゃんの最期の言葉が、僕はずっと忘れられなくて……」
「最期の言葉?」
「覚えてないんですか」

 彼が寂しげに笑った。それから、何やらスマホに目を落としたかと思うと、またもこちらに画面を向けてきた。はっと息を呑む。三年前に削除された堕天使メメのアカウント。そこに載せられた短い一文が、私の胸を締めつける。

『あたしの顔すら知らないで、好きとかって笑えるね』

 そうだった。彼女は意味深な言葉だけを遺して、界隈から姿を消してしまったのだ。

「ひどいですよね。僕、これまともに食らっちゃって、だから写真に残しておいたんです。自分の罪を忘れないために」
「君が負い目を感じる必要はないよ。だって……」

 だって……なんだろう。

 私は続く言葉を求めて、意味もなく辺りを見回した。この会場には、彼女のイメージカラーであった紫が溢れ返っている。髪の裾やネイルなんかに偲ばせた推し色は、ある種の祈りみたいに尊い。

「だってさ、もし彼女が本当の自分を受け入れてほしいと願っていたなら、もっと素直に自身をさらけだすべきだったんじゃないの」
「違いますよ。僕たちに必要だったのは、偽られた姿だと知りながらも愛する覚悟だったんです」

 気まずい沈黙が降りる。
 彼の考えはまさに理想のファン像であるのだろうけれど、私にしてみれば、そういうのは危うい価値観に思えるのだ。

「……声、似てますよね」
「はい?」

 脈絡のない彼の言葉に、私は尋ね返す。

「メメちゃんに、雰囲気が似てる気がして」
「そうかな」
「はい。喋り方とかすごく」
「なにそれ、実際喋ったことあるの」

 せせら笑うような調子で私が言うと、彼は露骨に顔を顰めた。

「いやないですけど、毎日配信聴いてましたし、DMでやりとりしたこともあります」
「言っとくけどさ、それなんの自慢にもならないからね」
「そうですか?」
「うん。所詮君も彼女の素顔を知らなかった側なわけでしょ」

 私の言い放った台詞に、少年はひどく傷ついたようだった。僅かに瞳が潤んでいるのが分かる。

 まったく私は何をしているのだろう。年下の子ども相手にムキになるなんて馬鹿馬鹿しい。

 ため息を吐く。それから、膝に置いていたショルダーバッグからスマホを取りだして時刻を確認する。もう二十二時を回るところだった。
 私は重い腰をあげた。隣県の自宅まで、最低一時間半はかかるのだ。終電を逃すわけにはいかない。

「帰るんですか」

 席から去ろうとすると、さきほどまで話していた少年に呼びとめられた。
 私は投げやりに、浅い頷きを返す。

「僕もちょうど帰ろうと思ってて」

 分かりやすい嘘を吐きながら彼は立ちあがり、当然のように私の隣に並んだ。
 彼はきっと、私に堕天使の姿を重ねているのだろう。なんて可哀想。それは間違ったことなのに。


 *


 左右から看板の突きだす繁華街の通りを、二人並んで歩いていく。

 どれくらい時間が経っただろう。とっくに最寄りの駅を通過したことには気がついていたけれど、私はそれを指摘しようとは思えなかった。この夜が更けるまでに、何としてでも、彼の愚かな間違いを正してあげる必要があった。

 あのさ、と言いかけたその時。
 向こうから大群が押し寄せてくるのが見えた。繁華街の灯りに照らされた彼らは、揃いも揃って仮装をしていた。魔女、デビル、ゾンビ、吸血鬼、囚人、キョンシー、血濡れのメイド、某アニメのキャラクター。

 私は思わず足をとめる。同じく、隣の彼も足をとめる。そして妙な提案をしてくる。

「僕たちも参加しませんか?」
「あの集団に?」
「はい」
「酔ってるの?」
「本気で言ってますよ」

 私たちはパレードの列から遠ざかるみたいに、来た道を戻っていった。ちょうどさっきまで私たちがいた会場の近くに、チェーンの大型雑貨店があったからだ。口にして考えを共有したわけではないけれど、恐らく彼も私と同じことを思っていたに違いない。

 私たちは流れるように雑貨店に入り、コスプレのコーナーを物色し始める。ざっと棚を見回し、目当てのそれが目に入るやいなや、反射的に手を伸ばす。私の手に、彼の指が触れた。彼もまた、私と同じ商品に手を伸ばしていたのだった。

 そう、私たちが揃って購入したのは天使のコスプレ衣装だ。店舗を後にし、人気のない路地に移動して、パッケージを強引に開封する。そうして、目当ての羽を取りだした。天使の羽は、背中から大きくはみだすサイズ感で、肩にかけるための細い糸が取りつけられていた。

 私たちは顔を軽く見あわせ、笑い、羽に爪を立てる。そうやって、着実に羽をもいでいく。衣服を引き裂くみたいに。乱暴に毟った繊維はほこりみたいに舞い降りて、アスファルトを白く汚した。

 毟られた羽は左右非対称になり、その様はどう見ても不格好で、彼女のモチーフにそっくりだった。あまりの出来に私は笑うしかなくて、やっぱり彼も笑っていた。

 私たちはアンバランスな羽を背負い、またも夜道を歩いていく。さっきの仮装集団はもう見当たらなかったが、そんなことはどうでもよかった。きっと彼は、私に羽を背負わせる口実がほしかっただけなのだ。それも、ひどくもがれた悲しい羽を。

 行き先は特に決めていなかったけれど、繁華街を過ぎた私たちの目の前には、寂れた児童公園があった。入口付近のフェンスには遊具取り壊し予定の旨が記載された張り紙がある。

 埋めよう、と少年が言った。どちらかと言えば、それは独り言の類だったと思う。

 なにが、と私が尋ねる間もなく、彼は肩にかけていたメッセンジャーバッグの中身をこちらに開いた。そこには大量のCDやら缶バッジやらアクキーやらが、まるで遺骨みたいに納められていた。

「彼女の死を受け入れたの?」

 私は僅かな期待を込めて問う。
 しかし、少年は何も答えない。ただ、バッグの持ち手をぎゅうぎゅうと握りしめるばかりで、口を噤んでいる。

 私はうんざりしたので、彼を置いて園内に入っていった。そうして隅に植えられた木の下に目をつける。屈んで地面に指を差すと、案外湿っていて柔らかく、半ば泥のようになっていて、容易に掘ることができそうだった。

 そのまま指の力だけで土を掘ると、少年も近くにやってきて、私の隣に屈んだ。そうして結局は二人で穴を掘り進めていく。やがて、彼の持ってきたものが全て収まるだろう、というくらいの深さになったので、私たちは手をとめた。

 掘った穴にホログラム加工できらきらしたグッズたちを宝箱みたいに敷き詰めて、上から土をざっと被せる。墓石はないので、代わりに落ちていた木の枝を差してやった。

 少年が地面に膝をついたまま、泣きそうな顔で手を合わせる。そんななか、私は彼への同情をやめられなかった。

「いつからだろう
 君のために歌えない
 そんな僕でもいいかな……」

 ふと、彼が「いつわりの地獄」のワンフレーズを口ずさむ。そして、まるで何かを訴えかけるような瞳で私を見あげる。

「続き、覚えてます?」
「覚えてない」
「嘘ですよね」
「覚えてないよ、ほんとに」

 そんな目で私を見るな、と思う。
 頼むから、ねえ。

 結局、耐えかねた私は重たい唇を開く。
 そっと息を吸う。

「いつからだろう
 君のために歌えない
 そんな僕でもいいかな
 一方的な愛だと自覚して
 隔たったガラスの分厚さを知りなよ
 傷すら負えない僕らに行き場はないね
 痛ましい過去を美化してみたいね
 なにも大丈夫じゃないと教えて
 泣いてみてほしいよ
 少しだって伝わらないけど
 羽をもがれた天使
 一人堕ちてく
 待ち焦がれた地獄に
 君を置いてく
 永遠に」

 歌唱のなか、彼の視線が確信めいたものに変わったのには気がついていた。

 でもさ、どうしろって言うの。

 私のなかにあるのは憤りだった。期待を孕んだ彼の瞳が疎ましくてならなかった。
 もう彼女はこの世にいないのだ。絶対的に死は覆らない。この世の摂理として。悲しいとは思うけれど。
 やりきれない沈黙が続く。
 穏やかな夜風が露出した肌を撫でて、いっそのこと泣けたらいいよな、とか思う。

「……好きです」

 呟くような声がした。掠れたそれは、意図せず口から零れでてしまったみたいな響きだった。

「それ誰に言ってんの」

 口調が乱雑になる。寄せられた好意の不適切さが悲しくて。きっと彼に対する感情をいくら細分化してみたところで、憐れみにしかならないんだろう。

 私はその場に膝を折った。地面が無垢な皮膚を擦るのも厭わず、目を瞑って手を合わせる。かの堕天使を弔うために。