「ねぇ、ほんとに?ほんとに乗らないの?」
私が押し込んだ親友の莉子が、戸惑って私を見ている。
「大丈夫大丈夫。ほら、乗った乗った」
人に押されて前のめりになる彼女を押し返し、終電の扉は閉まった。
初めて来た、地元県の中では有名な七夕祭りは、有り得ないくらい人がごった返していた。
花火を見終わったあとに少し公園で時間を潰したものの、終電に乗れる人幅はどう頑張っても一人分しか空いていなかったのだ。
「……どうしようかなぁ」
つい、独り言が口からこぼれる。
ここは住んでいる所の二つ隣の市で、現実的に歩いて帰れる距離ではない。
明日も会社は休みというのが不幸中の幸いだろう。
とりあえず、電光掲示板に次の電車が表示されない新鮮さを味わいながら、崩れるようにプラスチック製のベンチに腰掛ける。
通勤ラッシュよりもきっと酷い満員電車に乗れなかったのは、きっと私だけだ。
他の人はなんとか乗り込めていた。
周りを確認する訳でもなく、しんと静まり返ったこの場所でひとり寂しくため息を吐いた。
「……え、花純?」
驚いて大袈裟に肩が跳ね上がる。
人がいたという驚きと、名前を知られているという恐怖で恐る恐る顔を上げる。
顔を上げた先の、見覚えのある顔に思わず思考が停止する。
「……廉、くん……?」
確かめるように彼の名前を呼ぶ。
見間違えていなければ。幻想でなければ。
目の前にいる紺色の浴衣を着た彼は、ずっともう一度逢いたいと願い続けていた、中学のころから片思いしてきた潮田廉くんだ。
「うん。久しぶり」
あのころと変わらない優しい笑顔が、目の前にあることがまだ現実味を帯びていなくて、足元がふわふわする。
「久しぶり……。え、なんで……?」
「花火見に来たんだよ」
「一人で……?」
何を期待して、そう聞いたのか。
彼女がいるのか知りたいような。知りたくないような。いてほしいような。やっぱりいてほしくないような。
どっちつかずの気持ちが、私の中で天秤を揺らす。
「違うよ。大学の友達と」
軽く笑いながら返ってきた答えに、ほっとした。
……そして、自分が嫌になった。
あのとき、諦めようとしたじゃないか。諦めると決めたじゃないか。
でも未だに夢に出てくるから、忘れたくても忘れられなくて。
だから、いつか会えたら。彼女と過ごす彼を見て、今度こそ気持ちに区切りをつけようと思っていたのに。
「ここじゃ暑いだろ。移動しよ」
「うん、そうだね」
まだ話せるんだ。
それだけで嬉しくなる。暑さも忘れてしまうほどに、浮き足立つ。
「わぁっ、」
立ち上がって一歩踏み出した私は、足元を取られて、つい廉くんの肩を掴んでしまった。
「大丈夫?」
「うん、なんでもない。ごめんね」
廉くんが前を向いた隙に、足元を見る。
点字ブロックの隙間に引っかかって躓いただけであってほしかったけど、頭でわかっていた通り鼻緒が切れていた。
「そこの二人、早く出てください」
駅員さんに言われて慌てて足を踏み出すも、右足がずるっと下駄の板を滑る。
「ごめん、先行って?」
廉くんがこちらを振り向く前に伝えたのに、彼はこちらを振り向いて私の前に背中を向けてしゃがんだ。
「……え?」
「大丈夫じゃないだろ。鼻緒切れてる」
「なんで……」
なんでわかるの。
なんで音を立てないようにしたのに、気付いてるの?
なんであなたは、私の小さい隠し事に気付くんだろう。
「五円玉なかったから、とりあえず乗って」
私の手を取ってその手を廉くんは自分の肩に乗せる。
「私、重いよ?」
「何言ってんの。そんなことないだろ」
そう、本当に軽々と私を持ち上げた。
辛うじて足にぶら下がっている下駄も手に取って、改札へ向かう。
「暑くない?」
「うん。全然暑くないよ」
廉くんの声は至って優しくて、このままだとこの恋は、やっぱり忘れられそうになかった。