意識が遠のく。意識が海底に沈んでいくような感覚。海抜0メートルを超え、さらに深いところまで落ちていくに連れて視覚と聴覚が蝕まれて行く。
微睡む意識の中で声が聞こえた。最初は聞き取ることが出来なかったが、残った力を振り絞って耳を澄ましそれが俺の名を呼ぶ声だと言うことに気づく。
虹輝、藤高、虹輝くん…身近な人の声が重なっているように聞こえる。そうだ、俺にはこんなにも支えてくれる人がいるのに。
こんなところでは死ねない。そう決意した瞬間、意識を覆う水圧はどんどん弱まっていき…。
「うぐっ…」
体を起こし辺りを見回す。俺は土の上で意識を失っていたらしい。今見ていたのは幻覚だろうか。
「藤高!」
隣から柴戸の声が聞こえた。
「柴戸…?何がどうなっているの?」
「オレがお前らを神社の外まで運んだ。そして時音はまだ目を覚まさない。時間の問題だとは思うがな」
柴戸の隣に時音が横になっている。先程の俺と同じように意識を失っていた。
「村の崩壊は…どうなったの?」
朝方だったはずが、気付けば周りは夕方のような薄暗さになっている。俺は嫌な予感を覚えた。
「付いてきてくれ」
柴戸に着いて行くと、そこには…。
「鳥居が、ひび割れている…?」
先程の揺れの影響か、神社は半壊していた。
「中に入ろう」
社のあらゆる場所に軋みや歪みが見られるが、神社はかろうじてその姿を保っている。入り口も例外ではなく、壊れた扉の隙間から入ることができた。
「あれは!!」
中央の金色の仏像だけは傷一つ付いていない。そして台座に置かれた時空石を見ると…。
淡い光を、放っていた。
「時空石が光ってるってことは!」
「あぁ、未来は変わった。村の崩壊は防がれた」
次の瞬間、強烈な耳鳴りが襲ってきた。そして俺でも柴戸でもない”声”が語りかけてきた。
『過去を変え、未来を変えようとする者たちよ』
甲高くキーンと鳴る耳鳴りの中で確かに聞こえてくる”声"。男の声とか女の声とか識別をすることもできないような、ただ情報が音として脳内に流し込まれている感覚。これが守り神のお告げ…?
『時間遡行の禁忌に自ら足を踏み入れ、躊躇なく時代を飛び回る…。それほどの意思の強さを持った汝らの理想とする未来は、きっとすぐに訪れることだろう』
耳鳴りが止む。柴戸と顔を見合わせる。
「今のって…」
「あれがお告げだろうな。つまるところ、正真正銘未来は変わったということだ」
「遂に…遂にやったんだ!」
「あとは時音が目を覚ましてくれれば良いんだが…思ったより神社の力をモロに喰らったようで、朝から夕方までずっと気を失っている。ひとまず小屋まで時音を運ぼうと思う。藤高、時音をおぶってやってくれないか?」
「わ、分かった…」
当の本人は気を失っている状態とはいえ、おんぶするのは少し躊躇いを覚えた。そんなことを言っても仕方がないので時音の体を背中に預ける。こんなことを言うのは変かもしれないが、命の温かみを感じた。
小屋までの道中。柴戸に思いを吐露した。きっと柴戸と一緒にいられるのも残り少ないだろうから。
「俺最近、村で災害が起きたり村に日が昇らなくなったりする予知夢を見ててさ。夢でさえあんなに気分が悪いから、現実に起きたらいったいどうなるんだってずっと思ってて。あの予知夢が現実にならないのがすっごく嬉しい」
「お前も予知夢を見ていたのか。確かにあれは気持ち良いものではないな」
「それと…あんな悪夢のような世界でも希望を捨てずに神社について調べて、最終的には村の未来まで変えた柴戸のこと、本当に尊敬してるんだ」
これについては予想していなかったのか、柴戸はこちらに視線を寄越した。
「だから、俺が言うのも変かもしれないけど…今までお疲れ様、柴戸」
そこまで言うと、柴戸は薄く笑いながら俺の肩を軽く叩いた。
「全くお前というやつは…」
柴戸は満更でもなさそうに呟きながら歩く。冷たい態度を取られていた頃が何だか懐かしく感じられる。
その後は小屋のベッドに時音を寝かせ、柴戸の提案で例の高台に足を運ぶことになった。俺が熊に襲われたときに柴戸に連れて行ってもらった高台だ。
「すごい、ちょうど夕焼けが見える!」
雄大な空は山々を囲って遠くまで伸び、夕方の淡いオレンジ色は夜の闇に負けじと村を包み込んでいる。
「やっぱりきれいだな。心が洗われる」
しばらくの間俺は夕焼けに魅入っていた。夕焼けはもう少しで夜に溶けるが、やがて夜は明ける。眩しいほどの青空が顔を出して村の人々を照らし続ける。それが、遠い未来までずっと繰り返される…。
意を決して、柴戸に尋ねることにした。
「未来が変わった今、柴戸たちは未来に帰るの?」
「…そういうことになるな」
その時、一瞬空気が乱れたような気がした。
「藤高、お前に伝えなければならないことがある」
何故だろう。柴戸のその言葉を聞いた瞬間。
俺は取り返しのつかない間違いを犯してしまっていたのではないかと、そう思ってしまった。
「これを、読んでくれ」
柴戸はポケットからおもむろに折りたたまれた紙片を取り出した。それを受けとる。
「この前タイムリープした先人の手記を見せただろう?あれと、その続きだ」
不自然に破られていたあの部分か。何故柴戸が持っているのか。となると破ったのは柴戸なのか。疑問で頭が飽和するが、考えても一向に分からないため破られた紙を繋ぎ合わせ、資料に目を通すことにした。
…この手順を完全になぞった結果、私は歴史を変えた状態で未来に帰ることができた。
元の時代にも無事に帰ってこれたためこうして手記を残そうとしている。
手記を書き始めて30分足らずが経ち、私は自分の体に違和感を覚えた。体が異様に重いのだ。体の気怠さといった言葉では表せないほどだ。下半身が思うように動かせない。神社の影響だろうか。
そこから数分足らずで私は自分の体が淡い光を発していることに気付く。時空石が放つ光とよく似ている。
上半身も動きが鈍くなってきた。光が強くなってきた。意識が遠くなる。私は唐突に、自分の死を悟る。
どこでまちがえた、まもりがみはわたしをみすてたのか、りそうのみらいになぜわたしはたちあえない、どうして、しにたくないしにたくないしにたくな
・調査団による追記
過去改変を行うとそれに関与した未来の人物は消滅すると仮定し調査を進めた。神社はおそらく過去と未来の矛盾を修正しようとしている。この一件で言えば、橋が取り壊される未来が変われば未来で橋の取り壊しを防ごうとする者の存在も無かったことにならなければ不自然である。ここにはタイムパラドックスにも近い現象が生じているのだ。そのため守り神は橋の取り壊しを防ごうとした人物を歴史から抹消する。これにより神社は過去と未来で矛盾が起きないようにしているのだと考えられる。
過去を変えそれに伴い未来も変えることができるが、その張本人は歴史から抹消される。これが簡薙村の神社における時間遡行の法則であると結論付けた。
「……」
頭が、真っ白だ。もう何も考えたくない。
時音も柴戸も消える?どうして?誰よりも村の未来のことを考えてきた二人が、真っ先に死を迎える?
「ここに書いてある通りだ。未来が大きく変わった今、未来から来たオレたちは消滅する」
「この時代から消えるって意味だよな?未来に帰ったら二人は幸せになれるんだもんな?」
柴戸は確かに言った。銃の引き金を引くかのように。
「…未来に帰ってすぐ、手記に書いてある通りの最期を迎えるだろうな。オレたちは間もなく死ぬ」
「どうして言ってくれなかったんだ!そんな大事な事!」
柴戸の肩を掴む。俺は何に対して怒っているんだろう。大事なことを隠し通してきた二人に?二人を理不尽に殺そうとするこの世界に?残酷な世界に抗うことすらできない俺自身に?きっとこの感情の正体は、それら全部だ。
「言ったらお前は俺たちのことを止めただろう。どうして村の未来の為にあんたたちは死ねるんだと言って、力づくでもオレたちを止めた。そうだろ?」
「そりゃあそうだけどさ…。柴戸の言うとおりじゃんか、どうして村の未来のために自己犠牲ができるの?俺には分かんないよ」
「オレも最初は同じことを思ったよ。村が崩壊せずに済んだとしてそこに自分たちが居なければ意味がないと、そう思っていた」
柴戸は優しく俺の手を肩から退ける。
「ある日時音が言った。その言葉は当時の俺にとって眩しいものだった。オレの人生観は、あの瞬間に間違いなく変わった」
そう前置きした後、柴戸はその言葉を復唱した。
『人間いつか死ぬのなら、私は生きている長さに大きな意味は無いと思う。大事なのはさ、命の長さじゃなくて生きてる間に何ができたかなんじゃないかな』
『私は生きている証が、生きた証が欲しい。それこそ簡薙村の未来を変えるくらいの、とびっきりの煌めきが欲しい。そしてその煌めきはこれから先生まれてくる新しい命に受け継がれていく。この先の時間遡行の後に私が死んだとしても…私の魂は遠い未来に生き続けるんだよ。肉体が死んでも生きた証は残り続ける。そうやって私は、生き続けたい』
俺は唐突に理解する。時音と柴戸が選んだ道は自己犠牲なんて陳腐な言葉では形容できないほどの、生きる道そのものだったのだ。
伊美時音。彼女はどこまでも純粋で、それでいて誰よりも生きることにひたむきだった。俺如きがその生き様を邪魔して良いはずが無かったのだ。
「いずれ消えることが分かっていたから、各時代での人との繋がりは村の崩壊を防ぐための最小限のものにしようと決めていた。それが…最後のこの時代で、少しだけ誤算が起きた」
「まさか…」
「時音はお前と出会った。ある日を境に、時音は帰ってくる度にお前のことを楽しそうに話すようになっていった。そこでオレの中で心配が生まれたんだ。大切なものが増えればその分だけ別れが辛くなる。そのことを時音に伝えてもなお、アイツはお前やお前の友達との交流を辞めなかった。つまり、時音がお前のことを選んだんだ。自分の人生最後の思い出としてな」
そこまで聞いて、目頭に熱い何かを感じた。視界のオレンジ色が滲む。
「ある日時音から自分らが消えることは秘密にしようと言われた。大切な人を傷つけないためだと。だからこそここで約束を破って真実を話したことが正解なのかは分からない。だからお前には…」
そこまで言いかけて、柴戸は突然その場に倒れこむ。
「し、柴戸…?」
「…時間だな」
柴戸の体が淡い光の粒を発している。これは、手記に書いていた通りの…!?
「柴戸!!」
地面に倒れた柴戸の顔を覗き込む。その表情からは、安堵が読み取れた。もうオレの果たすべき目的は果たしたと言わんばかりの穏やかな表情だった。
「オレからの最期の願いだ。アイツの…時音のそばに、いてやってくれ。時音も小屋の中で…消えかけているかもしれないからな」
「だったら柴戸も小屋まで運ぶ」
「時音と二人で話したいこと、あるんだろ?こんな大事な時くらい自分本位で生きな。後悔したって…もう過去には戻れないぞ?」
過去には戻れないという言葉が質量を伴って胸に響いた。
「…分かった。時音の元に行ってくる」
先程よりも光が強くなっている柴戸の右手を握り、感謝を伝える。
「柴戸、今まで本当にありがとう」
立ち上がり背を向ける。抑えていた涙が決壊した。それでも俺はもう一人の大切な人の元へと歩み始める。
小屋に着くまでに泣き顔はいくらかましになった。
「時音!!」
「虹輝…なんで…?」
小屋内の床で倒れている時音を見た。やはり体が光を帯びている。
「柴戸から全部聞いた。未来が変わった今、二人は消えるんだって」
時音は案の定顔を引きつらせた。
「剛、話しちゃったのかぁ。彼らしいといえば彼らしいけどね」
俺に後悔をさせたくない一心で柴戸は全てを打ち明けてくれた。柴戸もまた、自分の心にまっすぐに生きている人間だった。
床に座り込み時音の顔を見る。話したいことは沢山あったはずなのに、いざ面と向かうと言葉が上手く出てこない。
「自分の身を犠牲にしてまで村の未来を変えるなんて、どうしてそんなことができるんだ」
「それが私の、生きた証だからだよ」
時音は一切迷うことなく言葉を紡いだ。
「未来に帰ってから消えるまでに少し時間があるからさ、私たちもまた手記を残そうと思うんだ。村人の繋がりの温かさとか、言霊の力とか…この先の未来で守っていってほしいものを残したいんだ。そうじゃないとまた歴史は繰り返しちゃうからね」
時音は続ける。
「その手記を見た遠い未来の村人たちがそれに影響されたら…私の想いが未来で生きているってことになると思うんだ。だから、私は生き続けるよ」
話し終えると時音は笑った。何も後悔は無いと言わんばかりに。
「実はその話も柴戸から聞いてたんだ」
「えー何それ、剛ちょっと話しすぎじゃない?」
時音を覆う光が強まる。もう時間は残されていないのかもしれない。
「それでも…時音が居なくなるのは、時音が幸せになれないのは、耐えられない」
「虹輝…」
「なんでこんなに頑張ってきた時音が幸せになれないんだよ。死んでほしくない。またいつもみたいに俺のそばで笑ってよ。ずっと時音と一緒に、青春していたかった」
「ふふ、虹輝ったら我儘だなぁ」
気付くと時音の瞳は潤んでいた。いくら時音のような人でも、死が怖くないわけがなかったのだ。
「時音、最後に聞いてほしい」
「何かな」
この夏の出来事が頭の中でリフレインする。
7月の始めの茹だる暑さ。夜の神社での不思議な出会い。第一印象はふわふわしてる人だった。話せば話すほどその中に強い芯を持っていることに気付いて、なんだか不思議な人だと思った。そして実際、タイムリープができる不思議な人だった。20年後の未来から来たことを打ち明けられた時、時音の中にある大切なものへの思いの強さを知る。それと同時に時音という人間の弱さも知る。自分ができることの全部を使って力になりたいと、そう思った。
時音が熊に襲われそうになった時、自分でも驚くくらいの反射神経で咄嗟に時音を庇った。朝目覚めると、ふと時音に会いたくなった。一緒に霊灯祭を歩いた。存在を間近に感じた。夜空に花火を見た。この時間がずっと続けば良いのにと願った。そしてやっとの思いで未来を変えた。
時音が消える真実を知った今、どうしようもなく胸が苦しい。この胸の苦しさこそが、時音と過ごしたかけがえのない時間の対価だ。
だから俺は、時音のことが…。
「時音のことが好きだ。どうしようもないくらいに、好きなんだ」
時音の潤んだ瞳を見て、確かな言葉で伝える。
「時音が居ない世界なんて、俺には耐えられない。どうか、消えないでくれよ…!」
一度止んだはずの涙が再び決壊する。ただただ溢れて、止まることを知らなかった。
「泣かないで。君はもう、私が居なくたってとっくに生きていけるんだから。…まぁでも、ひと夏の思い出としてたまには私たちのこと思い出してよね?それと、最後にもう一つ」
時音を包む光が一層強まる。その光は時音を形作る輪郭を曖昧な物に変えていき。
「私も…だよ」
村の未来を照らすかのような温かな光を放って。
時音は消えた。
私も、虹輝が大好きだよ。
そう聞こえた気がした。
微睡む意識の中で声が聞こえた。最初は聞き取ることが出来なかったが、残った力を振り絞って耳を澄ましそれが俺の名を呼ぶ声だと言うことに気づく。
虹輝、藤高、虹輝くん…身近な人の声が重なっているように聞こえる。そうだ、俺にはこんなにも支えてくれる人がいるのに。
こんなところでは死ねない。そう決意した瞬間、意識を覆う水圧はどんどん弱まっていき…。
「うぐっ…」
体を起こし辺りを見回す。俺は土の上で意識を失っていたらしい。今見ていたのは幻覚だろうか。
「藤高!」
隣から柴戸の声が聞こえた。
「柴戸…?何がどうなっているの?」
「オレがお前らを神社の外まで運んだ。そして時音はまだ目を覚まさない。時間の問題だとは思うがな」
柴戸の隣に時音が横になっている。先程の俺と同じように意識を失っていた。
「村の崩壊は…どうなったの?」
朝方だったはずが、気付けば周りは夕方のような薄暗さになっている。俺は嫌な予感を覚えた。
「付いてきてくれ」
柴戸に着いて行くと、そこには…。
「鳥居が、ひび割れている…?」
先程の揺れの影響か、神社は半壊していた。
「中に入ろう」
社のあらゆる場所に軋みや歪みが見られるが、神社はかろうじてその姿を保っている。入り口も例外ではなく、壊れた扉の隙間から入ることができた。
「あれは!!」
中央の金色の仏像だけは傷一つ付いていない。そして台座に置かれた時空石を見ると…。
淡い光を、放っていた。
「時空石が光ってるってことは!」
「あぁ、未来は変わった。村の崩壊は防がれた」
次の瞬間、強烈な耳鳴りが襲ってきた。そして俺でも柴戸でもない”声”が語りかけてきた。
『過去を変え、未来を変えようとする者たちよ』
甲高くキーンと鳴る耳鳴りの中で確かに聞こえてくる”声"。男の声とか女の声とか識別をすることもできないような、ただ情報が音として脳内に流し込まれている感覚。これが守り神のお告げ…?
『時間遡行の禁忌に自ら足を踏み入れ、躊躇なく時代を飛び回る…。それほどの意思の強さを持った汝らの理想とする未来は、きっとすぐに訪れることだろう』
耳鳴りが止む。柴戸と顔を見合わせる。
「今のって…」
「あれがお告げだろうな。つまるところ、正真正銘未来は変わったということだ」
「遂に…遂にやったんだ!」
「あとは時音が目を覚ましてくれれば良いんだが…思ったより神社の力をモロに喰らったようで、朝から夕方までずっと気を失っている。ひとまず小屋まで時音を運ぼうと思う。藤高、時音をおぶってやってくれないか?」
「わ、分かった…」
当の本人は気を失っている状態とはいえ、おんぶするのは少し躊躇いを覚えた。そんなことを言っても仕方がないので時音の体を背中に預ける。こんなことを言うのは変かもしれないが、命の温かみを感じた。
小屋までの道中。柴戸に思いを吐露した。きっと柴戸と一緒にいられるのも残り少ないだろうから。
「俺最近、村で災害が起きたり村に日が昇らなくなったりする予知夢を見ててさ。夢でさえあんなに気分が悪いから、現実に起きたらいったいどうなるんだってずっと思ってて。あの予知夢が現実にならないのがすっごく嬉しい」
「お前も予知夢を見ていたのか。確かにあれは気持ち良いものではないな」
「それと…あんな悪夢のような世界でも希望を捨てずに神社について調べて、最終的には村の未来まで変えた柴戸のこと、本当に尊敬してるんだ」
これについては予想していなかったのか、柴戸はこちらに視線を寄越した。
「だから、俺が言うのも変かもしれないけど…今までお疲れ様、柴戸」
そこまで言うと、柴戸は薄く笑いながら俺の肩を軽く叩いた。
「全くお前というやつは…」
柴戸は満更でもなさそうに呟きながら歩く。冷たい態度を取られていた頃が何だか懐かしく感じられる。
その後は小屋のベッドに時音を寝かせ、柴戸の提案で例の高台に足を運ぶことになった。俺が熊に襲われたときに柴戸に連れて行ってもらった高台だ。
「すごい、ちょうど夕焼けが見える!」
雄大な空は山々を囲って遠くまで伸び、夕方の淡いオレンジ色は夜の闇に負けじと村を包み込んでいる。
「やっぱりきれいだな。心が洗われる」
しばらくの間俺は夕焼けに魅入っていた。夕焼けはもう少しで夜に溶けるが、やがて夜は明ける。眩しいほどの青空が顔を出して村の人々を照らし続ける。それが、遠い未来までずっと繰り返される…。
意を決して、柴戸に尋ねることにした。
「未来が変わった今、柴戸たちは未来に帰るの?」
「…そういうことになるな」
その時、一瞬空気が乱れたような気がした。
「藤高、お前に伝えなければならないことがある」
何故だろう。柴戸のその言葉を聞いた瞬間。
俺は取り返しのつかない間違いを犯してしまっていたのではないかと、そう思ってしまった。
「これを、読んでくれ」
柴戸はポケットからおもむろに折りたたまれた紙片を取り出した。それを受けとる。
「この前タイムリープした先人の手記を見せただろう?あれと、その続きだ」
不自然に破られていたあの部分か。何故柴戸が持っているのか。となると破ったのは柴戸なのか。疑問で頭が飽和するが、考えても一向に分からないため破られた紙を繋ぎ合わせ、資料に目を通すことにした。
…この手順を完全になぞった結果、私は歴史を変えた状態で未来に帰ることができた。
元の時代にも無事に帰ってこれたためこうして手記を残そうとしている。
手記を書き始めて30分足らずが経ち、私は自分の体に違和感を覚えた。体が異様に重いのだ。体の気怠さといった言葉では表せないほどだ。下半身が思うように動かせない。神社の影響だろうか。
そこから数分足らずで私は自分の体が淡い光を発していることに気付く。時空石が放つ光とよく似ている。
上半身も動きが鈍くなってきた。光が強くなってきた。意識が遠くなる。私は唐突に、自分の死を悟る。
どこでまちがえた、まもりがみはわたしをみすてたのか、りそうのみらいになぜわたしはたちあえない、どうして、しにたくないしにたくないしにたくな
・調査団による追記
過去改変を行うとそれに関与した未来の人物は消滅すると仮定し調査を進めた。神社はおそらく過去と未来の矛盾を修正しようとしている。この一件で言えば、橋が取り壊される未来が変われば未来で橋の取り壊しを防ごうとする者の存在も無かったことにならなければ不自然である。ここにはタイムパラドックスにも近い現象が生じているのだ。そのため守り神は橋の取り壊しを防ごうとした人物を歴史から抹消する。これにより神社は過去と未来で矛盾が起きないようにしているのだと考えられる。
過去を変えそれに伴い未来も変えることができるが、その張本人は歴史から抹消される。これが簡薙村の神社における時間遡行の法則であると結論付けた。
「……」
頭が、真っ白だ。もう何も考えたくない。
時音も柴戸も消える?どうして?誰よりも村の未来のことを考えてきた二人が、真っ先に死を迎える?
「ここに書いてある通りだ。未来が大きく変わった今、未来から来たオレたちは消滅する」
「この時代から消えるって意味だよな?未来に帰ったら二人は幸せになれるんだもんな?」
柴戸は確かに言った。銃の引き金を引くかのように。
「…未来に帰ってすぐ、手記に書いてある通りの最期を迎えるだろうな。オレたちは間もなく死ぬ」
「どうして言ってくれなかったんだ!そんな大事な事!」
柴戸の肩を掴む。俺は何に対して怒っているんだろう。大事なことを隠し通してきた二人に?二人を理不尽に殺そうとするこの世界に?残酷な世界に抗うことすらできない俺自身に?きっとこの感情の正体は、それら全部だ。
「言ったらお前は俺たちのことを止めただろう。どうして村の未来の為にあんたたちは死ねるんだと言って、力づくでもオレたちを止めた。そうだろ?」
「そりゃあそうだけどさ…。柴戸の言うとおりじゃんか、どうして村の未来のために自己犠牲ができるの?俺には分かんないよ」
「オレも最初は同じことを思ったよ。村が崩壊せずに済んだとしてそこに自分たちが居なければ意味がないと、そう思っていた」
柴戸は優しく俺の手を肩から退ける。
「ある日時音が言った。その言葉は当時の俺にとって眩しいものだった。オレの人生観は、あの瞬間に間違いなく変わった」
そう前置きした後、柴戸はその言葉を復唱した。
『人間いつか死ぬのなら、私は生きている長さに大きな意味は無いと思う。大事なのはさ、命の長さじゃなくて生きてる間に何ができたかなんじゃないかな』
『私は生きている証が、生きた証が欲しい。それこそ簡薙村の未来を変えるくらいの、とびっきりの煌めきが欲しい。そしてその煌めきはこれから先生まれてくる新しい命に受け継がれていく。この先の時間遡行の後に私が死んだとしても…私の魂は遠い未来に生き続けるんだよ。肉体が死んでも生きた証は残り続ける。そうやって私は、生き続けたい』
俺は唐突に理解する。時音と柴戸が選んだ道は自己犠牲なんて陳腐な言葉では形容できないほどの、生きる道そのものだったのだ。
伊美時音。彼女はどこまでも純粋で、それでいて誰よりも生きることにひたむきだった。俺如きがその生き様を邪魔して良いはずが無かったのだ。
「いずれ消えることが分かっていたから、各時代での人との繋がりは村の崩壊を防ぐための最小限のものにしようと決めていた。それが…最後のこの時代で、少しだけ誤算が起きた」
「まさか…」
「時音はお前と出会った。ある日を境に、時音は帰ってくる度にお前のことを楽しそうに話すようになっていった。そこでオレの中で心配が生まれたんだ。大切なものが増えればその分だけ別れが辛くなる。そのことを時音に伝えてもなお、アイツはお前やお前の友達との交流を辞めなかった。つまり、時音がお前のことを選んだんだ。自分の人生最後の思い出としてな」
そこまで聞いて、目頭に熱い何かを感じた。視界のオレンジ色が滲む。
「ある日時音から自分らが消えることは秘密にしようと言われた。大切な人を傷つけないためだと。だからこそここで約束を破って真実を話したことが正解なのかは分からない。だからお前には…」
そこまで言いかけて、柴戸は突然その場に倒れこむ。
「し、柴戸…?」
「…時間だな」
柴戸の体が淡い光の粒を発している。これは、手記に書いていた通りの…!?
「柴戸!!」
地面に倒れた柴戸の顔を覗き込む。その表情からは、安堵が読み取れた。もうオレの果たすべき目的は果たしたと言わんばかりの穏やかな表情だった。
「オレからの最期の願いだ。アイツの…時音のそばに、いてやってくれ。時音も小屋の中で…消えかけているかもしれないからな」
「だったら柴戸も小屋まで運ぶ」
「時音と二人で話したいこと、あるんだろ?こんな大事な時くらい自分本位で生きな。後悔したって…もう過去には戻れないぞ?」
過去には戻れないという言葉が質量を伴って胸に響いた。
「…分かった。時音の元に行ってくる」
先程よりも光が強くなっている柴戸の右手を握り、感謝を伝える。
「柴戸、今まで本当にありがとう」
立ち上がり背を向ける。抑えていた涙が決壊した。それでも俺はもう一人の大切な人の元へと歩み始める。
小屋に着くまでに泣き顔はいくらかましになった。
「時音!!」
「虹輝…なんで…?」
小屋内の床で倒れている時音を見た。やはり体が光を帯びている。
「柴戸から全部聞いた。未来が変わった今、二人は消えるんだって」
時音は案の定顔を引きつらせた。
「剛、話しちゃったのかぁ。彼らしいといえば彼らしいけどね」
俺に後悔をさせたくない一心で柴戸は全てを打ち明けてくれた。柴戸もまた、自分の心にまっすぐに生きている人間だった。
床に座り込み時音の顔を見る。話したいことは沢山あったはずなのに、いざ面と向かうと言葉が上手く出てこない。
「自分の身を犠牲にしてまで村の未来を変えるなんて、どうしてそんなことができるんだ」
「それが私の、生きた証だからだよ」
時音は一切迷うことなく言葉を紡いだ。
「未来に帰ってから消えるまでに少し時間があるからさ、私たちもまた手記を残そうと思うんだ。村人の繋がりの温かさとか、言霊の力とか…この先の未来で守っていってほしいものを残したいんだ。そうじゃないとまた歴史は繰り返しちゃうからね」
時音は続ける。
「その手記を見た遠い未来の村人たちがそれに影響されたら…私の想いが未来で生きているってことになると思うんだ。だから、私は生き続けるよ」
話し終えると時音は笑った。何も後悔は無いと言わんばかりに。
「実はその話も柴戸から聞いてたんだ」
「えー何それ、剛ちょっと話しすぎじゃない?」
時音を覆う光が強まる。もう時間は残されていないのかもしれない。
「それでも…時音が居なくなるのは、時音が幸せになれないのは、耐えられない」
「虹輝…」
「なんでこんなに頑張ってきた時音が幸せになれないんだよ。死んでほしくない。またいつもみたいに俺のそばで笑ってよ。ずっと時音と一緒に、青春していたかった」
「ふふ、虹輝ったら我儘だなぁ」
気付くと時音の瞳は潤んでいた。いくら時音のような人でも、死が怖くないわけがなかったのだ。
「時音、最後に聞いてほしい」
「何かな」
この夏の出来事が頭の中でリフレインする。
7月の始めの茹だる暑さ。夜の神社での不思議な出会い。第一印象はふわふわしてる人だった。話せば話すほどその中に強い芯を持っていることに気付いて、なんだか不思議な人だと思った。そして実際、タイムリープができる不思議な人だった。20年後の未来から来たことを打ち明けられた時、時音の中にある大切なものへの思いの強さを知る。それと同時に時音という人間の弱さも知る。自分ができることの全部を使って力になりたいと、そう思った。
時音が熊に襲われそうになった時、自分でも驚くくらいの反射神経で咄嗟に時音を庇った。朝目覚めると、ふと時音に会いたくなった。一緒に霊灯祭を歩いた。存在を間近に感じた。夜空に花火を見た。この時間がずっと続けば良いのにと願った。そしてやっとの思いで未来を変えた。
時音が消える真実を知った今、どうしようもなく胸が苦しい。この胸の苦しさこそが、時音と過ごしたかけがえのない時間の対価だ。
だから俺は、時音のことが…。
「時音のことが好きだ。どうしようもないくらいに、好きなんだ」
時音の潤んだ瞳を見て、確かな言葉で伝える。
「時音が居ない世界なんて、俺には耐えられない。どうか、消えないでくれよ…!」
一度止んだはずの涙が再び決壊する。ただただ溢れて、止まることを知らなかった。
「泣かないで。君はもう、私が居なくたってとっくに生きていけるんだから。…まぁでも、ひと夏の思い出としてたまには私たちのこと思い出してよね?それと、最後にもう一つ」
時音を包む光が一層強まる。その光は時音を形作る輪郭を曖昧な物に変えていき。
「私も…だよ」
村の未来を照らすかのような温かな光を放って。
時音は消えた。
私も、虹輝が大好きだよ。
そう聞こえた気がした。



