8月14日、午前。
この日は、簡薙村で行われるイベントの中でも1位2位を争うほどの大規模イベント、霊灯祭が行われる。お盆の時期に合わせて、遠い過去に簡薙村を支えてくれた先祖たちの霊を迎える夏祭りである。毎年、村の中心部では提灯や灯篭といった飾り付けが成され、屋台も大量に出店される。村の外からも観光客が訪れ、村は大きな活気に包まれる。とはいっても、近年は屋台の減少や観光客の著しい減少が見られているらしい。
そんな祭りの前に、俺たちは俊道の家に集まっていた。
「…みんな集まってくれてありがとね」
「良いってことよ、としみー」
俊道の母親は村の外で料亭を営んでいて、霊灯祭では例年焼きそばの屋台を出している。しかし料亭のスタッフが体調不良により欠員しており、このままでは屋台運営が厳しいということで俺たちが借り出されたというわけだ。
俊道から相談を受けたとき、以外にも夢香も時音もやる気に満ちていた。夏祭りの屋台の手伝いという非日常に溢れた体験に、俺たちは心を躍らせていたのかもしれない。ちなみに柴戸はまだ俊道たちの前には現れるつもりは無いらしく、誘ったが断られてしまった。
「それじゃ早速、テントの組み立て作業をやるみたいだから広場の方に行こうか」
俊道の家を出て、広場へと向かう。ここから広場へは、道路に沿って10分ほど歩くと着く。
幸いにも、今朝はまだそれほど気温が上がっておらず、半袖シャツ1枚で心地よく過ごせる気温だった。
「時音ちゃんは、霊灯祭見るの初めてだよね?」
そうか、夢香たちは時音の正体を知らないのだった。4人で探検活動を進め、こうして祭りの手伝いまでしているのに俺らの間で時音の認識に齟齬があるということに、少しだけ複雑な気持ちを覚えた。
「実は小さい頃に、何回か遊びに来たことあるんだ~。りんご飴とかチョコバナナとか美味しかったよ」
「なるほど~…って、食べ物のことばっかじゃん!」
そんな会話を交わしながらあぜ道を歩いていると、広場が見えてきた。
「あらこんにちは。突然のお願いになっちゃって本当に申し訳ないけれど、今日はよろしくね」
広場に着くなり、俊道の母親の森山冴子さんに出迎えられた。今日はよろしくお願いしますと口々に挨拶をする。
屋台のテントを設営するために、いくつかの支柱やテーブルを運ぶ。
「あなた、転校生だったっけ?祭りの手伝いをしてくれるなんて偉いわねぇ」
「はい、転校生です!昔霊灯祭に来たことがあって、いつか手伝ってみたいなって思ってたんです」
作業をしていると、祭りの実行委員の腕章を付けた大人たちに声を掛けられている時音が目に入った。
何やら話が盛り上がっているようで、時音と話している大人たちは皆笑顔を浮かべていた。時音のコミュニケーション能力を羨ましく思うと同時に、イベント事における村人との温かい交流は、田舎の大きな特権だなとも思う。
何年先でもこのような景色が色褪せない村。それこそが、時音たちの守りたいものなのだろう。
「虹輝、ボーっとしてないでそれ運んでくれよ…」
「あ、ごめんごめん」
本格的に暑くなるまでに力仕事は粗方終えておきたい。俺たちは、作業の続きへと戻った。
「ふぅーっ、設営完了!」
大人も子供もみんなで協力した結果、テントの設営などの下準備が全て終わった。時計の針はちょうど12時を回ろうとしていた。
達成感に浸る俺たちに、冴子さんが声を掛けてくれた。
「みんな、協力してくれてありがとう。夕方18時までは自由にしてて大丈夫だからね」
「良いんですか?焼きそばの材料の用意とかあるんじゃ…」
「そこは私たちでどうにかなるから。高校生の皆はゆっくり休んでおいて!」
「「ありがとうございます!!」」
昼時の仕事を終え、幸運にも夕方までは自由時間となった。
夢香は家で浴衣に着替えたいらしく時音も何やらやりたいことがあると言うので、そこからは一旦解散することになった。時音が一体何をやろうとしているのかこっそり聞くと、
「暑い中山で作業している剛の手伝いに行こうと思ってる。今日はちょっと剛と話すことがあるから、虹輝は休んでて大丈夫だよ」
とのことだった。柴戸と何を話すのか気にならないと言えば嘘になるが、深く詮索するのは何だか気が引けた。好奇心をぐっと堪え、俺もひとまずじいちゃんの家へと帰った。
「ただいまー」
「おう、祭りの手伝いやるんだってな?頑張るんだぞ!」
じいちゃんは居間で麦茶を飲みながらテレビで甲子園の中継を見ていた。祭りの手伝いのことはまだ言ってなかったのだが、田舎特有の情報網により既に知っていたらしい。
「霊灯祭の言い伝え、虹輝は知っとるか?」
不意に飛んできた声に足を止める。
「…言い伝え?」
「祭りの期間中は、山の中の神社に近づいてはならない」
じいちゃんは、まるで教師の言葉を復唱する子どものように言った。神社、という単語に胸がざわついたのは言うまでもない。
「それまたどうして?」
「霊灯祭っていうのはな、その名の通り先祖の霊を村全体で温かく迎える儀式なんだ。神社はその霊が最も集まりやすい場所とされている。生きている人間が近づくのは禁忌だとか何だとか」
「へぇ…そうなんだ」
「だが、故人の霊に会いたい一心で言い伝えを破って神社に近づく人もいるらしいぞい」
普段でさえあの神社は不思議な力を放っているのだから、こんな祭りでは一体どうなってしまうのか。考えるだけで冷や汗が出てきそうだ。
じいちゃんが続けた。
「故人の霊に会いたい気持ちはわかるけどな…わしだって、ばあさんにもう一回会いたいわい」
じいちゃんは、どこか遠くを見ていた。
1年ほど前に俺のばあちゃんは他界した。一度話し出すと止まらないような賑やかな人だった。ばあちゃんが亡くなった日、じいちゃんはそこまで塞ぎこんでいるようには見えなかった。だからこそ、1年が経った今じいちゃんの口からばあちゃんの話が出てくることに驚いた。
「…やっぱり、寂しいよね」
気の利いた事を言いたかったのだが、うまく言葉にできなかった。
「寂しくないと言ったら噓になるけどな。でも、ばあちゃんは天国で美味しいものを沢山食べて友達と毎日楽しく暮らしているんだと、そう思い込むことにしたよ。もう会えないなら、せめてわしが知らない場所で幸せになってくれたら嬉しいんだ」
じいちゃんの顔を見て悟る。別れを乗り越えた人の顔だ。人生経験の浅い俺には、その顔が偉大な物に映った。
「なんて言ったが、お前はまだ若いんだ。高校生にしかできないことをうんと楽しめよ!」
「うん、ありがとう」
俺は、ぎこちない笑顔でそう答えた。
そして迎えた夕暮れ時。夕焼けと夜空のグラデーションの中で、カラスが数羽鳴いている。
「じゃじゃーん、浴衣着てきたんだ!」
夢香は淡い水色に水玉模様が描かれた浴衣を着ていた。
「夢香ちゃん可愛い!村のみんなが虜になっちゃう!」
「…先祖の霊も虜にしちゃったりして」
「それは良いことなの…?」
そんな会話を横目に周りを見渡すと、浴衣姿の村人がちらほら見られた。いよいよ村は本格的に祭りの雰囲気に包まれていった。
まずは俺と時音が最初の1時間焼きそば屋台の手伝いをして、その間に夢香と俊道が他の屋台を楽しむ。次の1時間は役割を交代し、残りの時間は焼きそばが売り切れ次第自由に散策といった算段だ。
「じゃあ、最初はよろしくね!」
「…他にどんな屋台があるのか偵察してきてやるから」
「こっちは任せてね、行ってらっしゃーい」
俺と時音は屋台の中に入り冴子さんの指示に従って準備を進める。焼きそばを焼くためにホットプレートを扱うため、屋台の中はそこそこの熱気が充満していた。ここで1時間作業するのは中々骨が折れそうだ。
「いやぁ暑いねぇ。熱中症で倒れてホットプレートに顔をうずめないようにね?」
「流石にそんな醜態は晒さないから…そういう時音も暑さには気をつけよう」
「ふっふーん、任せてよ」
何をどう任せればよいのかわからないが、そんな雑談をしている内に1組目のお客さんが来た。小学生らしき男の子とその父親らしき人。親子で祭りを見に来たようだ。
「やきそばひとつ、ください!」
「はいよー!」
俺が会計担当、時音が焼きそばのパック詰め担当だ。
「400円になりまーす」
できる限り一番の明るい笑顔で応対する。すると男の子はあどけない仕草で100円玉を4枚取り出した。
「おにーちゃん、ありがとう!」
不意に男の子から感謝を伝えられたものだから、一瞬固まってしまった。
「こ、こちらこそありがとう。焼きそば、冷めないうちに食べるんだよ」
「うん!」
時音の方を向くと、時音がニヤニヤしながらこちらを見ていた。当たり前だがお客さんとのやり取りは全部時音や冴子さんに見られているのか。何だか恥ずかしい。
その後も、押し寄せるお客さん一人一人に対し丁寧な接客を心がけた。村で暮らしている顔なじみの人から明らかに都会の方から遠出をして簡薙村まで観光にやってきたような人までいた。相手が誰であれ、笑顔になってくれるのはすごく心地が良い。
時間は光の速さで過ぎていき、あっという間に店番を交代する時間が来た。
「よーし、そろそろ休んでもらって大丈夫だよ」
冴子さんからそう言われ、俺と時音は屋台の外へと出る。屋台の中が熱すぎたせいで首回りに汗が垂れているので持参したタオルで拭いとる。
「虹輝お疲れ!何だかあっという間だったね」
「俺も同じこと考えてた。なんであんなに時間すぎるのが早いんだろうな」
「虹輝、何だか楽しそうだったもんね。お客さんと会話してる時すごい嬉しそうだったし」
やはり、時音には見抜かれていたようだった。
「あんなに意識して知らない人と話す機会なんてほとんど無かったけど…楽しかったかな」
「私ずっと前に言ったよね、相手を思いやる言葉には言霊が宿っているんだよって。ありがとうって言われたら純粋に嬉しくなるし、実際に話してみなきゃ分からないことだってある。虹輝も、言霊の偉大さを分かってくれたみたいで嬉しいよ」
二人で山を登っている最中に言霊についての会話をした記憶がある。思えば、あれはもう1か月前の出来事なのか。非日常な出来事ばかり起こるからか、今年の夏は時間が過ぎるのが早い。
時音が生きていた未来では、人工知能の発達でこのような言葉を交わす温かな繋がりが消失していくのだと聞いた。そんな未来は、やっぱり味気ないと思う。
「おーい、二人ともお疲れ様!」
屋台が並ぶ広場の向こう側から、夢香の声が聞こえた。夢香はピンク色の水風船を片手に、俊道は頭にひょっとこのお面を付けており、随分と祭りを楽しんでいる様子が伺えた。
「としみっち、ひょっとこ付けてる!」
そう言うや否や時音は大きく笑った。面白くはあるが、そんなに笑うほどか…?
「僕、一度付けてみたかったんだよねこういうの。和風な雰囲気がにじみ出てるでしょ?」
「それはどういう憧れなのさ!言うほど和風でもないし!」
時音が笑いのツボに入ってしまったようで、その場に頽れた。夢香がそれを支えている。
「まぁそれは置いといて、僕たちは存分に祭り楽しんだから。ここからは虹輝と時音が楽しんできなよ」
「分かった。ありがとな」
そろそろ交代時かと思ったとき、俊道に遠慮気に肩を叩かれた。
「どうかした?」
「時音との夏祭りデート楽しんでこいよ…」
心臓が急速に跳ねる。俊道は今何と言った。デート?俺と時音が?
「そ、そんなんじゃねーよ、変なこと言うなし」
「へへへ、ごめんごめん」
反省しているのかいないのかよく分からない俊道を見送った後、俺は時音と一緒に夜の帳が落ち始めている夏祭りへと繰り出していった。
「さぁさぁ楽しんじゃうよ!まずはどこ行きたい?」
「うーん…お腹空いてきたし、食べ物系から攻めていきたいな」
「いいね、ちょっと散策しようか」
二人並んで歩きだす。時音の横顔を見て無性に居心地が悪く感じるのは気のせいか。俊道がデートだなんて言うから…。
「私甘いものが食べたい気分なんだけど、ベビーカステラ食べようよ!」
一人で悶々と考えていると、時音が提案してきた。
「良いね良いね、ちょうど屋台も混んでないし買っちゃおう」
屋台で会計を済ませ、二人分のベビーカステラを受け取る。甘い香りが鼻腔をくぐり、一気に食欲が沸いてきた。
「食べる前に場所移さない?」
「おっけー!」
屋台が立ち並ぶ広場の周辺こそとんでもない人の量だが、少し歩いて田んぼ沿いの道まで来れば人の量は3分の1くらいになり過ごしやすくなる。祭りの実行委員が言うには、昔は広場の外まで多くの人でごった返していたが、ここ数年で急激に人が減ってしまったらしい。
空いている木のベンチを見つけ、そこに二人で腰かけた。
「それじゃいただきまーす」
時音は顔を綻ばせながらベビーカステラを頬張る。その笑顔に擬音語を付けるなら「ふわふわ」が一番正しいと思う。時音が村を救うために奔走している姿ばかり見ていたからか、その様子がとても新鮮に思えた。
「めっちゃ美味しそうに食べるんだな」
「美味しそうに食べないと、甘いものに失礼だからね!」
謎の理論を説明する時音を見て、思っていたことを口に出した。
「時音の楽しそうな表情、初めて見たかも」
時音は俺の方に視線を向けた。水晶のように透き通った瞳をこんなに近くで見るのは初めてかもしれない。
「いやぁ、それは大袈裟じゃない?みんなと居る時の私、笑ってなかったの?」
「そんなことは無いけどさ、村を救う使命のことを考えてる時音の方が印象深くてね。今ここで時音が使命のことを忘れて楽しんでくれてるんなら嬉しいなって」
言い終えてから顔が熱くなる。夏祭りの浮ついた雰囲気に呑まれて普段なら言えないようなことを言ってしまった。
「そっかぁ」
広場の方から遠い喧騒が聞こえる。祭りの中心から離れたこの場所が二人だけの特別な空間のように思えた。
「確かに私、心の底から笑えてなかったのかも」
「……」
「村が崩壊したあの日から、私は幸せになることを諦めていたのかもしれない。たまに思うんだ、もし村が崩壊なんてしていなかったら、私は友だちと遊んだり時には喧嘩したり、文化祭や修学旅行みたいな行事にも全力で挑戦して…いわゆる、青春ってやつができていたんじゃないかって」
一陣の夜風が吹きぬけて時音の前髪が靡く。そこで初めて気づいた。時音の瞳が潤んでいることに。
「虹輝の言う通り、私は今自分が未来から来たことを忘れそうになるくらい楽しいんだ。だからさ、今日くらいは…青春しても許されるかなぁ?」
時音の瞳から一滴の涙が零れ落つ。
本来なら時音はこんな使命を背負わなくても良いはずだった。時音が自分で過去に戻る決断をしたとはいえ、村が崩壊の道を辿っていなければ…時音には青春を謳歌する権利があったはずだ。時音から青春を奪うそんな世界が、身勝手にも憎くて仕方がなかった。
「ちょ…虹輝?」
気付けば俺は、時音の手を握っていた。
「時音が青春できない世界なんてクソ喰らえだよな」
時音の潤んだ瞳をまっすぐに見て俺は言った。
「時音が未来世界でどんな思いをしてきたのか俺はまだ深くは知らない。だけど…きっと消えそうになるくらい寂しいこととか、世界の理不尽さに腹を立てることとか、沢山あったんだと思う。だったらさ…今更かもしれないけれど時音には幸せになってほしい」
「虹輝…」
「祭りではまだまだ沢山屋台とイベントがあるし、もう少し経てば俊道たちとも合流できる。だから…」
心からの笑顔で言った。
「一緒に青春、しようよ」
それから俺たちは、食べ物の屋台だけでなく金魚すくいや射的といった昔ながらの屋台にも足を運んだ。時音は先程の物憂げな表情とは打って変わって、屋台一つ一つに目を輝かせていた。
あっという間に時間が過ぎ、残り時間は15分。大方の屋台を回り終えて手持ち無沙汰になりつつあった。
「私、今すっごく楽しいんだ。本当に、人生で一番幸せかもしれない」
祭りから少し離れ、閑散とした川沿いの緑道を二人並んで歩いていると、時音がぽつりと呟いた。
「それは良かった。まぁでも、村が崩壊する未来を変えられれば…未来に帰ってから、もっと楽しいことがあるんじゃないか?」
自分で言葉にしたはずなのに、一瞬視界がモノクロになったように錯覚した。
時音には変えるべき未来、帰るべき未来が存在するのだと。今更ながらに実感した。時音と一緒にいられる時間はもう残り少ないのだ。
「未来に帰ってから…かぁ」
時音は俺とモノクロの視界を共有しているかのような表情で虚空を見つめていた。その真意を尋ねようと口を開く。
「とき…」
その時頭上で、音が鳴った。二人同時に頭上を見上げる。
紅、藍、緑、大輪の花。夜空が咲いていた。
「すごい、打ち上げ花火だ…!」
霊灯祭の打ち上げ花火は毎年、上がるタイミングが告知されずにドキドキを味わえるというコンセプトだということを思い出す。それがまさか、このタイミングになるとは。
すると時音は、突然川沿いの芝生に大の字になって寝そべった。
「これなら花火見えやすいよ!」
無邪気な様子に思わず苦笑する。先程の時音からすごい変わり様だ。
俺も時音の隣で横になる。時音の言う通り、夜空のキャンバスにいくつもの花が咲いては散る様子が鮮明に映った。
しばらく俺たちは、会話を忘れて空に魅入っていた。ふと隣を見れば時音がいて、世界に俺たち二人きりなんじゃないかと錯覚してしまう。
10分ほど経っただろうか。花火が咲き止んだ。
「そろそろ終わりかもな」
かと思えば、最後の最後にとびきり大きな花火が打ちあがる。夜の暗闇を押しのけるほどの光が空を包んだ。
「もう私ーーーや」
その時、時音が何かを呟いた。
眩い光は刹那に消え、やがて夜に暗闇が戻る。今年の花火は終わりだ。
「…そろそろ時間だね、戻ろっか」
「あぁ、そうだね」
歩き出す時音に付いていきながら考える。最後の花火が上がったあの瞬間。
もう私、後悔はないや。
時音がそう言ったような気がした。
「夢香、俊道、お疲れー」
焼きそばの屋台へ戻り、二人と合流する。
「お帰りなさい虹輝」
「ねぇ聞いてよ!私たちの活躍のおかげでもう焼きそば売り切れたんだよ!」
「え、もう売り切れ?」
「そうそう、だからここからは屋台の撤収時間まで自由にしてて良いらしいの!」
それは朗報だった。屋台撤収が午後9時だったはずだから、1時間ほど空きが生まれることになる。
「じゃあ4人でまた回る?でも流石に飽きてきちゃうかなぁ」
「ふっふっふ」
時音の言葉に対して俊道が怪しい笑みを浮かべる。
「どうしたんだ俊道」
「こんなこともあろうかと手持ち花火セットを買っておいたんだ。残りの時間は僕ん家の庭で花火ってのはどうかな」
「「「おおおおお!」」」
俺たちは思わず歓声を上げた。これは満場一致で決まったようだ。
「みんなで花火とか最高じゃん」
「でしょでしょ?じゃあ早速移動しようか」
広場の喧騒を抜けて、俺たちは俊道の家へと向かった。
5分ほど歩いた頃には、既に祭りの賑わいは聞こえなくなっていた。静かに連なる田んぼとあぜ道に最低限の祭りムードを出すための裸電球がぽつぽつと吊るされていて、どことなく夏の終わりを連想してしまう。
「よーし、着いたね」
そんなことを考えていると俊道の家が見えてきた。
花火の楽しみ方には性格が出るらしい。
夢香は一気に3本の手持ち花火に火をつけて楽しそうに叫んでいたし、俊道は縁側に座って線香花火をしていた。時音は花火一本一本に目を輝かせ、時折俺たちに「すごいよこれぇぇ」なんて言いながら楽しんでいた。時音にとっては花火を楽しむのも随分と久しぶりなのだろう。かくいう俺は、火を付けた花火で空中に文字を描く練習をしていた。後で3人に何を描いているか当ててもらうクイズをやろうと思ったのだ。
時間が過ぎるたびに花火は減っていき、やがて線香花火だけになった。
「線香花火だけになっちゃったな」
「こういう時はお決まりのアレ、やっちゃいます?」
「お決まりのあれ?」
「…線香花火最後まで残ってた人が優勝?」
「そうそうそれそれ!4本以上残ってるからやっちゃおうよ」
夢香の合図で線香花火に火を付けて、4人で向き合いながら赤い火の玉を注視する。
言葉も時間も忘れて線香花火の煌めきを見ていた。この空間に言葉は必要無いと言った方が正しいかもしれない。
火の玉が一つ落ちたことで俺たちの時間の感覚が戻った。時音のものだった。
「ありゃ、落ちた」
そこから立て続けに、俺の線香花火も輝きを失った。
「うわぁマジか」
「残ったのは私ととしみーか!」
俊道も夢香も、どちらの線香花火もしぶとく輝いている。固唾をのんで行く末を見守っていると。
「こんな時間が、ずっと続けば良いのにね」
消え入りそうな声で時音が呟いた。川沿いを歩いている時にも見せた、あの雰囲気だ。
「あっ…」
ここで、夢香の線香花火も散った。そのすぐ後に俊道のものも散った。俊道の優勝である。
「やった、僕の勝ち」
「あーん惜しかったなぁ」
それぞれ余韻に浸りながら、意味もなく夜空を見上げていた。底抜けに明るい、満点の星空だった。
「でも、時音ちゃんの言う通りだよね。私も夏祭りがずっと続けば良いのになって思うもん」
「お、共感してくれる?」
「だからさ、来年もこうして4人で集まって祭りに来れたら良いよね」
来年の夏。きっと時音はもう未来へと帰ってしまっているんだろう。時音が未来から来たことを知らない二人は、時音が居なくなったらどういう反応をするのだろうか。そして時音はこの時代と別れる瞬間のことを見据えているんだろうか。分かっているのはただ一つだけ。
きっとこの夏は、もうすぐ終わる。
この日は、簡薙村で行われるイベントの中でも1位2位を争うほどの大規模イベント、霊灯祭が行われる。お盆の時期に合わせて、遠い過去に簡薙村を支えてくれた先祖たちの霊を迎える夏祭りである。毎年、村の中心部では提灯や灯篭といった飾り付けが成され、屋台も大量に出店される。村の外からも観光客が訪れ、村は大きな活気に包まれる。とはいっても、近年は屋台の減少や観光客の著しい減少が見られているらしい。
そんな祭りの前に、俺たちは俊道の家に集まっていた。
「…みんな集まってくれてありがとね」
「良いってことよ、としみー」
俊道の母親は村の外で料亭を営んでいて、霊灯祭では例年焼きそばの屋台を出している。しかし料亭のスタッフが体調不良により欠員しており、このままでは屋台運営が厳しいということで俺たちが借り出されたというわけだ。
俊道から相談を受けたとき、以外にも夢香も時音もやる気に満ちていた。夏祭りの屋台の手伝いという非日常に溢れた体験に、俺たちは心を躍らせていたのかもしれない。ちなみに柴戸はまだ俊道たちの前には現れるつもりは無いらしく、誘ったが断られてしまった。
「それじゃ早速、テントの組み立て作業をやるみたいだから広場の方に行こうか」
俊道の家を出て、広場へと向かう。ここから広場へは、道路に沿って10分ほど歩くと着く。
幸いにも、今朝はまだそれほど気温が上がっておらず、半袖シャツ1枚で心地よく過ごせる気温だった。
「時音ちゃんは、霊灯祭見るの初めてだよね?」
そうか、夢香たちは時音の正体を知らないのだった。4人で探検活動を進め、こうして祭りの手伝いまでしているのに俺らの間で時音の認識に齟齬があるということに、少しだけ複雑な気持ちを覚えた。
「実は小さい頃に、何回か遊びに来たことあるんだ~。りんご飴とかチョコバナナとか美味しかったよ」
「なるほど~…って、食べ物のことばっかじゃん!」
そんな会話を交わしながらあぜ道を歩いていると、広場が見えてきた。
「あらこんにちは。突然のお願いになっちゃって本当に申し訳ないけれど、今日はよろしくね」
広場に着くなり、俊道の母親の森山冴子さんに出迎えられた。今日はよろしくお願いしますと口々に挨拶をする。
屋台のテントを設営するために、いくつかの支柱やテーブルを運ぶ。
「あなた、転校生だったっけ?祭りの手伝いをしてくれるなんて偉いわねぇ」
「はい、転校生です!昔霊灯祭に来たことがあって、いつか手伝ってみたいなって思ってたんです」
作業をしていると、祭りの実行委員の腕章を付けた大人たちに声を掛けられている時音が目に入った。
何やら話が盛り上がっているようで、時音と話している大人たちは皆笑顔を浮かべていた。時音のコミュニケーション能力を羨ましく思うと同時に、イベント事における村人との温かい交流は、田舎の大きな特権だなとも思う。
何年先でもこのような景色が色褪せない村。それこそが、時音たちの守りたいものなのだろう。
「虹輝、ボーっとしてないでそれ運んでくれよ…」
「あ、ごめんごめん」
本格的に暑くなるまでに力仕事は粗方終えておきたい。俺たちは、作業の続きへと戻った。
「ふぅーっ、設営完了!」
大人も子供もみんなで協力した結果、テントの設営などの下準備が全て終わった。時計の針はちょうど12時を回ろうとしていた。
達成感に浸る俺たちに、冴子さんが声を掛けてくれた。
「みんな、協力してくれてありがとう。夕方18時までは自由にしてて大丈夫だからね」
「良いんですか?焼きそばの材料の用意とかあるんじゃ…」
「そこは私たちでどうにかなるから。高校生の皆はゆっくり休んでおいて!」
「「ありがとうございます!!」」
昼時の仕事を終え、幸運にも夕方までは自由時間となった。
夢香は家で浴衣に着替えたいらしく時音も何やらやりたいことがあると言うので、そこからは一旦解散することになった。時音が一体何をやろうとしているのかこっそり聞くと、
「暑い中山で作業している剛の手伝いに行こうと思ってる。今日はちょっと剛と話すことがあるから、虹輝は休んでて大丈夫だよ」
とのことだった。柴戸と何を話すのか気にならないと言えば嘘になるが、深く詮索するのは何だか気が引けた。好奇心をぐっと堪え、俺もひとまずじいちゃんの家へと帰った。
「ただいまー」
「おう、祭りの手伝いやるんだってな?頑張るんだぞ!」
じいちゃんは居間で麦茶を飲みながらテレビで甲子園の中継を見ていた。祭りの手伝いのことはまだ言ってなかったのだが、田舎特有の情報網により既に知っていたらしい。
「霊灯祭の言い伝え、虹輝は知っとるか?」
不意に飛んできた声に足を止める。
「…言い伝え?」
「祭りの期間中は、山の中の神社に近づいてはならない」
じいちゃんは、まるで教師の言葉を復唱する子どものように言った。神社、という単語に胸がざわついたのは言うまでもない。
「それまたどうして?」
「霊灯祭っていうのはな、その名の通り先祖の霊を村全体で温かく迎える儀式なんだ。神社はその霊が最も集まりやすい場所とされている。生きている人間が近づくのは禁忌だとか何だとか」
「へぇ…そうなんだ」
「だが、故人の霊に会いたい一心で言い伝えを破って神社に近づく人もいるらしいぞい」
普段でさえあの神社は不思議な力を放っているのだから、こんな祭りでは一体どうなってしまうのか。考えるだけで冷や汗が出てきそうだ。
じいちゃんが続けた。
「故人の霊に会いたい気持ちはわかるけどな…わしだって、ばあさんにもう一回会いたいわい」
じいちゃんは、どこか遠くを見ていた。
1年ほど前に俺のばあちゃんは他界した。一度話し出すと止まらないような賑やかな人だった。ばあちゃんが亡くなった日、じいちゃんはそこまで塞ぎこんでいるようには見えなかった。だからこそ、1年が経った今じいちゃんの口からばあちゃんの話が出てくることに驚いた。
「…やっぱり、寂しいよね」
気の利いた事を言いたかったのだが、うまく言葉にできなかった。
「寂しくないと言ったら噓になるけどな。でも、ばあちゃんは天国で美味しいものを沢山食べて友達と毎日楽しく暮らしているんだと、そう思い込むことにしたよ。もう会えないなら、せめてわしが知らない場所で幸せになってくれたら嬉しいんだ」
じいちゃんの顔を見て悟る。別れを乗り越えた人の顔だ。人生経験の浅い俺には、その顔が偉大な物に映った。
「なんて言ったが、お前はまだ若いんだ。高校生にしかできないことをうんと楽しめよ!」
「うん、ありがとう」
俺は、ぎこちない笑顔でそう答えた。
そして迎えた夕暮れ時。夕焼けと夜空のグラデーションの中で、カラスが数羽鳴いている。
「じゃじゃーん、浴衣着てきたんだ!」
夢香は淡い水色に水玉模様が描かれた浴衣を着ていた。
「夢香ちゃん可愛い!村のみんなが虜になっちゃう!」
「…先祖の霊も虜にしちゃったりして」
「それは良いことなの…?」
そんな会話を横目に周りを見渡すと、浴衣姿の村人がちらほら見られた。いよいよ村は本格的に祭りの雰囲気に包まれていった。
まずは俺と時音が最初の1時間焼きそば屋台の手伝いをして、その間に夢香と俊道が他の屋台を楽しむ。次の1時間は役割を交代し、残りの時間は焼きそばが売り切れ次第自由に散策といった算段だ。
「じゃあ、最初はよろしくね!」
「…他にどんな屋台があるのか偵察してきてやるから」
「こっちは任せてね、行ってらっしゃーい」
俺と時音は屋台の中に入り冴子さんの指示に従って準備を進める。焼きそばを焼くためにホットプレートを扱うため、屋台の中はそこそこの熱気が充満していた。ここで1時間作業するのは中々骨が折れそうだ。
「いやぁ暑いねぇ。熱中症で倒れてホットプレートに顔をうずめないようにね?」
「流石にそんな醜態は晒さないから…そういう時音も暑さには気をつけよう」
「ふっふーん、任せてよ」
何をどう任せればよいのかわからないが、そんな雑談をしている内に1組目のお客さんが来た。小学生らしき男の子とその父親らしき人。親子で祭りを見に来たようだ。
「やきそばひとつ、ください!」
「はいよー!」
俺が会計担当、時音が焼きそばのパック詰め担当だ。
「400円になりまーす」
できる限り一番の明るい笑顔で応対する。すると男の子はあどけない仕草で100円玉を4枚取り出した。
「おにーちゃん、ありがとう!」
不意に男の子から感謝を伝えられたものだから、一瞬固まってしまった。
「こ、こちらこそありがとう。焼きそば、冷めないうちに食べるんだよ」
「うん!」
時音の方を向くと、時音がニヤニヤしながらこちらを見ていた。当たり前だがお客さんとのやり取りは全部時音や冴子さんに見られているのか。何だか恥ずかしい。
その後も、押し寄せるお客さん一人一人に対し丁寧な接客を心がけた。村で暮らしている顔なじみの人から明らかに都会の方から遠出をして簡薙村まで観光にやってきたような人までいた。相手が誰であれ、笑顔になってくれるのはすごく心地が良い。
時間は光の速さで過ぎていき、あっという間に店番を交代する時間が来た。
「よーし、そろそろ休んでもらって大丈夫だよ」
冴子さんからそう言われ、俺と時音は屋台の外へと出る。屋台の中が熱すぎたせいで首回りに汗が垂れているので持参したタオルで拭いとる。
「虹輝お疲れ!何だかあっという間だったね」
「俺も同じこと考えてた。なんであんなに時間すぎるのが早いんだろうな」
「虹輝、何だか楽しそうだったもんね。お客さんと会話してる時すごい嬉しそうだったし」
やはり、時音には見抜かれていたようだった。
「あんなに意識して知らない人と話す機会なんてほとんど無かったけど…楽しかったかな」
「私ずっと前に言ったよね、相手を思いやる言葉には言霊が宿っているんだよって。ありがとうって言われたら純粋に嬉しくなるし、実際に話してみなきゃ分からないことだってある。虹輝も、言霊の偉大さを分かってくれたみたいで嬉しいよ」
二人で山を登っている最中に言霊についての会話をした記憶がある。思えば、あれはもう1か月前の出来事なのか。非日常な出来事ばかり起こるからか、今年の夏は時間が過ぎるのが早い。
時音が生きていた未来では、人工知能の発達でこのような言葉を交わす温かな繋がりが消失していくのだと聞いた。そんな未来は、やっぱり味気ないと思う。
「おーい、二人ともお疲れ様!」
屋台が並ぶ広場の向こう側から、夢香の声が聞こえた。夢香はピンク色の水風船を片手に、俊道は頭にひょっとこのお面を付けており、随分と祭りを楽しんでいる様子が伺えた。
「としみっち、ひょっとこ付けてる!」
そう言うや否や時音は大きく笑った。面白くはあるが、そんなに笑うほどか…?
「僕、一度付けてみたかったんだよねこういうの。和風な雰囲気がにじみ出てるでしょ?」
「それはどういう憧れなのさ!言うほど和風でもないし!」
時音が笑いのツボに入ってしまったようで、その場に頽れた。夢香がそれを支えている。
「まぁそれは置いといて、僕たちは存分に祭り楽しんだから。ここからは虹輝と時音が楽しんできなよ」
「分かった。ありがとな」
そろそろ交代時かと思ったとき、俊道に遠慮気に肩を叩かれた。
「どうかした?」
「時音との夏祭りデート楽しんでこいよ…」
心臓が急速に跳ねる。俊道は今何と言った。デート?俺と時音が?
「そ、そんなんじゃねーよ、変なこと言うなし」
「へへへ、ごめんごめん」
反省しているのかいないのかよく分からない俊道を見送った後、俺は時音と一緒に夜の帳が落ち始めている夏祭りへと繰り出していった。
「さぁさぁ楽しんじゃうよ!まずはどこ行きたい?」
「うーん…お腹空いてきたし、食べ物系から攻めていきたいな」
「いいね、ちょっと散策しようか」
二人並んで歩きだす。時音の横顔を見て無性に居心地が悪く感じるのは気のせいか。俊道がデートだなんて言うから…。
「私甘いものが食べたい気分なんだけど、ベビーカステラ食べようよ!」
一人で悶々と考えていると、時音が提案してきた。
「良いね良いね、ちょうど屋台も混んでないし買っちゃおう」
屋台で会計を済ませ、二人分のベビーカステラを受け取る。甘い香りが鼻腔をくぐり、一気に食欲が沸いてきた。
「食べる前に場所移さない?」
「おっけー!」
屋台が立ち並ぶ広場の周辺こそとんでもない人の量だが、少し歩いて田んぼ沿いの道まで来れば人の量は3分の1くらいになり過ごしやすくなる。祭りの実行委員が言うには、昔は広場の外まで多くの人でごった返していたが、ここ数年で急激に人が減ってしまったらしい。
空いている木のベンチを見つけ、そこに二人で腰かけた。
「それじゃいただきまーす」
時音は顔を綻ばせながらベビーカステラを頬張る。その笑顔に擬音語を付けるなら「ふわふわ」が一番正しいと思う。時音が村を救うために奔走している姿ばかり見ていたからか、その様子がとても新鮮に思えた。
「めっちゃ美味しそうに食べるんだな」
「美味しそうに食べないと、甘いものに失礼だからね!」
謎の理論を説明する時音を見て、思っていたことを口に出した。
「時音の楽しそうな表情、初めて見たかも」
時音は俺の方に視線を向けた。水晶のように透き通った瞳をこんなに近くで見るのは初めてかもしれない。
「いやぁ、それは大袈裟じゃない?みんなと居る時の私、笑ってなかったの?」
「そんなことは無いけどさ、村を救う使命のことを考えてる時音の方が印象深くてね。今ここで時音が使命のことを忘れて楽しんでくれてるんなら嬉しいなって」
言い終えてから顔が熱くなる。夏祭りの浮ついた雰囲気に呑まれて普段なら言えないようなことを言ってしまった。
「そっかぁ」
広場の方から遠い喧騒が聞こえる。祭りの中心から離れたこの場所が二人だけの特別な空間のように思えた。
「確かに私、心の底から笑えてなかったのかも」
「……」
「村が崩壊したあの日から、私は幸せになることを諦めていたのかもしれない。たまに思うんだ、もし村が崩壊なんてしていなかったら、私は友だちと遊んだり時には喧嘩したり、文化祭や修学旅行みたいな行事にも全力で挑戦して…いわゆる、青春ってやつができていたんじゃないかって」
一陣の夜風が吹きぬけて時音の前髪が靡く。そこで初めて気づいた。時音の瞳が潤んでいることに。
「虹輝の言う通り、私は今自分が未来から来たことを忘れそうになるくらい楽しいんだ。だからさ、今日くらいは…青春しても許されるかなぁ?」
時音の瞳から一滴の涙が零れ落つ。
本来なら時音はこんな使命を背負わなくても良いはずだった。時音が自分で過去に戻る決断をしたとはいえ、村が崩壊の道を辿っていなければ…時音には青春を謳歌する権利があったはずだ。時音から青春を奪うそんな世界が、身勝手にも憎くて仕方がなかった。
「ちょ…虹輝?」
気付けば俺は、時音の手を握っていた。
「時音が青春できない世界なんてクソ喰らえだよな」
時音の潤んだ瞳をまっすぐに見て俺は言った。
「時音が未来世界でどんな思いをしてきたのか俺はまだ深くは知らない。だけど…きっと消えそうになるくらい寂しいこととか、世界の理不尽さに腹を立てることとか、沢山あったんだと思う。だったらさ…今更かもしれないけれど時音には幸せになってほしい」
「虹輝…」
「祭りではまだまだ沢山屋台とイベントがあるし、もう少し経てば俊道たちとも合流できる。だから…」
心からの笑顔で言った。
「一緒に青春、しようよ」
それから俺たちは、食べ物の屋台だけでなく金魚すくいや射的といった昔ながらの屋台にも足を運んだ。時音は先程の物憂げな表情とは打って変わって、屋台一つ一つに目を輝かせていた。
あっという間に時間が過ぎ、残り時間は15分。大方の屋台を回り終えて手持ち無沙汰になりつつあった。
「私、今すっごく楽しいんだ。本当に、人生で一番幸せかもしれない」
祭りから少し離れ、閑散とした川沿いの緑道を二人並んで歩いていると、時音がぽつりと呟いた。
「それは良かった。まぁでも、村が崩壊する未来を変えられれば…未来に帰ってから、もっと楽しいことがあるんじゃないか?」
自分で言葉にしたはずなのに、一瞬視界がモノクロになったように錯覚した。
時音には変えるべき未来、帰るべき未来が存在するのだと。今更ながらに実感した。時音と一緒にいられる時間はもう残り少ないのだ。
「未来に帰ってから…かぁ」
時音は俺とモノクロの視界を共有しているかのような表情で虚空を見つめていた。その真意を尋ねようと口を開く。
「とき…」
その時頭上で、音が鳴った。二人同時に頭上を見上げる。
紅、藍、緑、大輪の花。夜空が咲いていた。
「すごい、打ち上げ花火だ…!」
霊灯祭の打ち上げ花火は毎年、上がるタイミングが告知されずにドキドキを味わえるというコンセプトだということを思い出す。それがまさか、このタイミングになるとは。
すると時音は、突然川沿いの芝生に大の字になって寝そべった。
「これなら花火見えやすいよ!」
無邪気な様子に思わず苦笑する。先程の時音からすごい変わり様だ。
俺も時音の隣で横になる。時音の言う通り、夜空のキャンバスにいくつもの花が咲いては散る様子が鮮明に映った。
しばらく俺たちは、会話を忘れて空に魅入っていた。ふと隣を見れば時音がいて、世界に俺たち二人きりなんじゃないかと錯覚してしまう。
10分ほど経っただろうか。花火が咲き止んだ。
「そろそろ終わりかもな」
かと思えば、最後の最後にとびきり大きな花火が打ちあがる。夜の暗闇を押しのけるほどの光が空を包んだ。
「もう私ーーーや」
その時、時音が何かを呟いた。
眩い光は刹那に消え、やがて夜に暗闇が戻る。今年の花火は終わりだ。
「…そろそろ時間だね、戻ろっか」
「あぁ、そうだね」
歩き出す時音に付いていきながら考える。最後の花火が上がったあの瞬間。
もう私、後悔はないや。
時音がそう言ったような気がした。
「夢香、俊道、お疲れー」
焼きそばの屋台へ戻り、二人と合流する。
「お帰りなさい虹輝」
「ねぇ聞いてよ!私たちの活躍のおかげでもう焼きそば売り切れたんだよ!」
「え、もう売り切れ?」
「そうそう、だからここからは屋台の撤収時間まで自由にしてて良いらしいの!」
それは朗報だった。屋台撤収が午後9時だったはずだから、1時間ほど空きが生まれることになる。
「じゃあ4人でまた回る?でも流石に飽きてきちゃうかなぁ」
「ふっふっふ」
時音の言葉に対して俊道が怪しい笑みを浮かべる。
「どうしたんだ俊道」
「こんなこともあろうかと手持ち花火セットを買っておいたんだ。残りの時間は僕ん家の庭で花火ってのはどうかな」
「「「おおおおお!」」」
俺たちは思わず歓声を上げた。これは満場一致で決まったようだ。
「みんなで花火とか最高じゃん」
「でしょでしょ?じゃあ早速移動しようか」
広場の喧騒を抜けて、俺たちは俊道の家へと向かった。
5分ほど歩いた頃には、既に祭りの賑わいは聞こえなくなっていた。静かに連なる田んぼとあぜ道に最低限の祭りムードを出すための裸電球がぽつぽつと吊るされていて、どことなく夏の終わりを連想してしまう。
「よーし、着いたね」
そんなことを考えていると俊道の家が見えてきた。
花火の楽しみ方には性格が出るらしい。
夢香は一気に3本の手持ち花火に火をつけて楽しそうに叫んでいたし、俊道は縁側に座って線香花火をしていた。時音は花火一本一本に目を輝かせ、時折俺たちに「すごいよこれぇぇ」なんて言いながら楽しんでいた。時音にとっては花火を楽しむのも随分と久しぶりなのだろう。かくいう俺は、火を付けた花火で空中に文字を描く練習をしていた。後で3人に何を描いているか当ててもらうクイズをやろうと思ったのだ。
時間が過ぎるたびに花火は減っていき、やがて線香花火だけになった。
「線香花火だけになっちゃったな」
「こういう時はお決まりのアレ、やっちゃいます?」
「お決まりのあれ?」
「…線香花火最後まで残ってた人が優勝?」
「そうそうそれそれ!4本以上残ってるからやっちゃおうよ」
夢香の合図で線香花火に火を付けて、4人で向き合いながら赤い火の玉を注視する。
言葉も時間も忘れて線香花火の煌めきを見ていた。この空間に言葉は必要無いと言った方が正しいかもしれない。
火の玉が一つ落ちたことで俺たちの時間の感覚が戻った。時音のものだった。
「ありゃ、落ちた」
そこから立て続けに、俺の線香花火も輝きを失った。
「うわぁマジか」
「残ったのは私ととしみーか!」
俊道も夢香も、どちらの線香花火もしぶとく輝いている。固唾をのんで行く末を見守っていると。
「こんな時間が、ずっと続けば良いのにね」
消え入りそうな声で時音が呟いた。川沿いを歩いている時にも見せた、あの雰囲気だ。
「あっ…」
ここで、夢香の線香花火も散った。そのすぐ後に俊道のものも散った。俊道の優勝である。
「やった、僕の勝ち」
「あーん惜しかったなぁ」
それぞれ余韻に浸りながら、意味もなく夜空を見上げていた。底抜けに明るい、満点の星空だった。
「でも、時音ちゃんの言う通りだよね。私も夏祭りがずっと続けば良いのになって思うもん」
「お、共感してくれる?」
「だからさ、来年もこうして4人で集まって祭りに来れたら良いよね」
来年の夏。きっと時音はもう未来へと帰ってしまっているんだろう。時音が未来から来たことを知らない二人は、時音が居なくなったらどういう反応をするのだろうか。そして時音はこの時代と別れる瞬間のことを見据えているんだろうか。分かっているのはただ一つだけ。
きっとこの夏は、もうすぐ終わる。



