「なあ、なんで言ってくれなかったのさ。今朝聞いたよね? 悩んでないかってさ。やっぱりトラブル抱えていたんじゃないか。俺、信用無いの? バイトしてたことだって不問にしたんだけど」
 間瀬の授業をサボり、次の授業から出席しようと教室に戻ると、間瀬に捕まった。生徒指導室に連行させられ、私達二人は間瀬の愚痴を聞かされることになった。
 机を挟んで奥に間瀬、手前に私と由衣が座った。
「信用は、無いです」
 私は正直に言った。間瀬は溜息とともに肩を落とし、机に突っ伏した。教師のこんな情けない姿を見ることになるとは。
「あー、もう。こんなことになっちゃってさ。めんどうくせぇな」
 駄々を捏ねる子供のようだった。
 しばし落ち込んだ後に「まあ、起きたことは仕方が無い」と言って、顔を上げた。
「城ヶ崎や他の生徒から何があったのかは聞いている」
 そんな真面目な顔をされても、今し方まで駄々を捏ねていた大人の態度とは思えなかった。
 間瀬が聞き取りをした内容について私達に話し、間違いが無いか確認をとった。聞かされた内容は客観的な意見で纏められており、私達にも、城ヶ崎にも寄り添ったものではなく、公平なものだった。
「間違いありません」
 由衣は凜とした声で返答した。
「はい、私も間違いないと思います」
 城ヶ崎が由衣の胸ぐらを掴んで引っ張った。無理矢理立たせて、その後、叩いた。倒れた由衣に追い打ちを掛けるように蹴ろうとしたところを私が止めて、間瀬が到着。私と由衣は逃げた。という内容で、誰の気持ちも汲まれてはいなかった。
 私は城ヶ崎に脅されていたし、由衣は嫌がらせを受けていた。城ヶ崎は由衣に挑発をされた。その情報が一切欠落したものだった。
「……なんで、こんなことになったの? 城ヶ崎に聞いても、ムカついたんで、としか言わなくてさ」
 ムカついたんで、と言うときに口を尖らせていたが、ものまねか? 城ヶ崎も、自分がいないところで担任教師に誂われて不憫なものだな。
「わかりません。私は突然絡まれて、殴られました」
「そうか。まあ、城ヶ崎はプライド高そうだもんな。高瀬みたいなタイプに嫉妬しそうだよな。どうせ、教師の目の届かないところで色々やってたんだろ、あいつ」
「そう思いますか?」
「……いや、教師という立場だからな。俺は誰かを悪く言ったり、肩入れしたりはしない」
 随分と生徒のことを悪く言っており、今更遅い。
「はぁ、面倒だな。主任や教頭にも報告しないといけないし。授業が一回無くなったから、補講か課題でカバーしないといけないし。……分かる? 先生も大変なのよ。だから面倒なことを起こすなって言ったのに」
「でも、今回は私や由衣ではなく、城ヶ崎さんがいけないんですよね?」
「それは……どうだろうな。手を出した城ヶ崎は悪いが、あいつが手をあげるということも不自然だと思っている。あいつはもっと裏でこそこそ見つからないようにチクチク陰湿にいじめをするタイプだろ? あんな派手な見た目だが、やることは地味なんだよ。だから、殴るだけの理由があったんじゃないかって考えている」
 間瀬は、チラッと由衣に視線を送った。
「私が挑発したってことですか?」
「その可能性もあるっていうだけ。そんな証明はできないから、さっき話した通り、確認できる事実から判断するしかないんだけど」
 私は、唾を飲み込んだ。
 間瀬は見てきたかのように話す。彼が疑っていることはまさしく事実であった。けれど、由衣の思惑通り、それは証明されることはない。
 それからも取り調べというよりも、間瀬の愚痴を聞かされ続けた。
「だから、お前達生徒はSOSを早く出してくれ。対応できることもあるから。……うちのクラスで気をつけるのは城ヶ崎だけだと思ったけど、高瀬もか……いや、一番予想外だったのは都築だよ。大人しそうな顔してさ。まだバイトしてるの?」
「はい。土日だけ。バックヤードの仕事にしてもらってます」
「いや、正直に言うところじゃないでしょ。誤魔化してよ。俺、聞いちゃったじゃん」
 頭を抱えている。
 万が一、私がアルバイトをしていることが他の先生にバレたときに「マジですか、知りませんでした」なんて惚けさせはしない。都築陽菜子がアルバイトをしていることを間瀬は知っていた。由衣という証人もいる。
「まあ、木崎もいるから大丈夫か」
 終始、溜息ばかりの時間だった。
 間瀬を不憫に感じることもあったが、「教師だし、それが仕事だよ」という由衣の言葉に賛同して、気にしないことに決めた。
 ちなみに、城ヶ崎についてだけれど、
「校則によれば、手をあげた城ヶ崎は停学だ。お前達はどうしたい? 被害者の意見を尊重して俺は掛け合う。停学期間を長くとか、退学にしろとか要望はあるか?」
 そんな恐ろしいことを私達に聞いてきた。一人の人間の高校生活を左右する決断だ。だが、由衣は、鼻で笑って、
「それなら、城ヶ崎に処罰は不要です。もちろん、陽菜子がそれでよければ、だけど」
「私はいいけど」
 由衣のニヤけ顔を見るに、優しさからの言葉ではないことはすぐに分かった。
「城ヶ崎にはこれからもいつも通りに登校してもらってください。それでいいです。停学も、退学も私は望みません」
 そして、私はその笑顔の意味を知る。
「ただ、城ヶ崎には、私達が不問にすると情けをかけてくれたと伝えてください。それで十分です」
 本当、いい性格をしているよね、由衣は。

 私は千尋と寧々に由衣を紹介した。これまで三ヶ月も同じ教室にいて紹介というのも可笑しな話だけれど、顔と名前を知っているだけで、初対面と言っても差ほど変わらない関係性だった。寧々は以前から由衣に興味があったので、すぐに打ち解けていた。始めは警戒していた千尋も、いつの間にか和やかに由衣と話すようになり、気付けば二人で話している光景を目にすることもあった。
「陽菜子、ごめんね」
「どうしたの、急に」
 千尋が申し訳なさそうに頭を下げた。
 体育の授業。あの日と同じ、種目はバレーボール。他のクラスメイト達が試合をしている中、コートの外にいた私達は、他の生徒達のように雑談をして時間を潰していた。
「この間は、高瀬さんに嫉妬していたんだ。人気もあって、足も速くて。中学時代の私が持っていたものを高瀬さんも持っていた。そして、陽菜子も私の元から離れていって、何もかも私から無くなって、それを全て高瀬さんが持っていくんじゃないかって、怖かったんだ」
「由衣の人気は程ほどだし、今なら陸上部の千尋のほうが速い。私は千尋の友達でもある。どう? 千尋の勘違いだって分かった?」
「勘違いじゃないよ。城ヶ崎が目を光らせていたから高瀬さんの周りに人がいなかっただけ。トレーニングをすれば、高瀬さんの方がすぐに足は速くなる。陽菜子は……私と高瀬さんを選べと言われたら、高瀬さんを選ぶ」
 千尋の言っていることは言い掛かりでも何でも無く、冷静に判断した結果だ。「そんなことないよ」なんて言えなかった。千尋の中には今でも嫉妬の心が居座っている。千尋は気持ちを吐いた。
「私の誇っていたものに対して、私を越えていくのだから、嫉妬はするよ。当然でしょ? だけど、高瀬さんは悪い奴じゃない。私に何か悪いことをしているわけじゃない。それどころか、一緒に話して、お昼も食べて。私も高瀬さんと話していて楽しい。嫉妬と嫌いはイコールじゃないって気づいた。だから、友達になれると思う」
「そう。それは良かった」
「ありがとう。陽菜子」


 城ヶ崎については、由衣の希望通り、不問となった。事件の翌日、彼女は登校してこなかったが、翌々日にはいつも通りに登校してきた。私と由衣を見ると、舌打ちをして睨まれはしたが、それ以上は何もしてこなかった。処分を受けることは彼女にとっては苦痛だろうが、それと同等に由衣から情けを掛けられたことは耐えがたいことだろう。とはいえ、その苛立ちを私達にぶつければ、次こそは処分を免れない。
「由衣は、いい性格している」
「そう? 私はあの城ヶ崎にまで優しく接してあげたんだよ?」
 なんて言って笑っていた。


「陽菜子ちゃん、学校でやらかしたんだって?」
 土曜日にアルバイトへ行くと、真っ先に木崎さんはその話題に触れた。日が経つにつれて、教室でその話題に触れる人はいなくなっていったので、久しぶりに掘り返された気分だ。
「私は何もしていないですよ。クラスメイトたちが」
「ふーん。教室を飛び出したのは陽菜子ちゃんじゃないの?」
「うっ、そうです」
 何から何までお見通しか。そう言えば、事件当日に間瀬に呼び出されていたのを思い出した。
「間瀬先生に何か言いましたか? 私の様子がおかしいとか、悩んでいるとか」
「何のこと? ……ああ、先週のバイトの時のこと? 何も言ってないよ。もしかして、アルバイトしていることを間瀬に伝えたから、今回も何か報告しているんじゃないかって思ったの?」
「はい。違うんですか?」
「違う違う! アルバイトは陽菜子ちゃんが校則破るようなことをするからでしょ? もしも、他の先生に見つかっていたら、入学早々に停学になっていたかもしれないよ。だから、間瀬に注意してもらおうと思って」
 出会って間もない先輩に言われるよりも、担任の間瀬から注意を受けた方が深刻に捉えるに違いない。現に店長に対応してもらっているので、木崎さんの考えは正しかった。
「今回は、陽菜子ちゃんが悩んでいるみたいだから、相談に乗ろうかなって。何でもかんでも間瀬に言うわけじゃ無いよ」
 引きつった笑顔からは、誤解を招いたことを申し訳なく思う気持ちが伝わってきた。
「木崎さんは間瀬が好きなんですか?」
「は? 何言ってんの」
 呆れられた。
 あの日の甘い声は男女のそれではなかった。ちょっとつまらない。
 その様子を見て木崎さんが笑った。間瀬に向ける笑顔も、今の笑顔も、どちらも彼女の本心なのかもしれない。やっぱり、私には人の気持ちが分からないな。

 七月も終わりに近づくと、梅雨が明ける。それまでの雨が嘘のように、からっとした空気、肌を刺すような日差しが降り注いでいた。
 耳を澄ませば、雨音ではなく、蝉の鳴き声がどこからか聞こえていた。
 バスの中はクーラーが効いていて心地良かった。相変わらず、バスの中に乗客は私一人。二人掛けの席に座って、隣にはバッグを置いている。小刻みに揺れるバスに乗って学校へ向かう。窓の外の景色は春の頃から変わっていないけれど、心なしか、色が鮮やかに見えた。
『次は――』
 録音された音声がスピーカーから流れる。
 アナウンスを聞いて、私が停車ボタンを押すと、ピンポンという高い音が鳴った。
『次、停まります』
 聞き慣れたアナウンスだった。入学式から、もうすぐ四ヶ月が経つ。遠い昔のようにも、昨日のようにも思えた。明日からは当分の間、このバスともさよならだ。
 バスは、ゆっくりとスピードを落とし、やがて停まる。
「おはよう、由衣」
「おはよう、陽菜子」
 バスを降りると、そこには自転車を引いた由衣がいる。
 私はバスを降りると、由衣の隣を歩いた。
 あの日を境に、私達の関係は変わった。
 僅かな時間だけれど、晴れの日も一緒に登校する。教室の中でも話し、帰りもバス停まで一緒に歩く。
 今日は終業式。明日から夏休みが始まる。夏休みに入ったら、由衣と今のように歩くこともなくなるのだろうか。
「陽菜子、夏休み、どこか遊びに行こうよ」
 私は学外で友人に会うことが嫌だった。気を遣い続けるのが嫌だった。だけど、由衣は違う。由衣といるとありのままの自分でいられ、いつまでも一緒にいたかった。
「プールとか?」
「いいね、プール。行こう」
「……いいの? クラスメイトに見られるかもしれないよ?」
 彼女の顔を覗くと、ほんのりと赤みを帯びていた。
「何を今更言っているの。私達の仲が良いことは、クラスの皆も知っている。それに、陽菜子と一緒に過ごしたいから。雨でも晴れでも、学校でも学外でも。私は、陽菜子ともっと一緒にいたい」
「何それ、告白?」
「そうだよ」
 彼女は、はにかみながら笑顔を私に向ける。
 私は由衣を“特別”という簡単な言葉では片付けられない、もっと深く、もっと複雑なところで繋がっていると思っている。そして、それは私だけではなく、由衣も思ってくれていると確信していた。
 雨ではなく、陽の光が降り注ぐ中、私達はともに歩く。