入学式が終わった。何も問題は無かった。私も先輩も役目を果たした。
教室に戻ってくると、クラスメイト達の興味、感心が私に向いていた。矢継ぎ早に質問は繰り出される。そんなことを聞いてどうするの? というものばかりで、答えることが面倒だった。きっと、これを機に友人を作れば、この先の高校生活はいくらか楽になるだろう。ただ、私には浅い人間関係は必要無かった。そんなものは私を貶めるだけだと知っていたから。
小学六年生の夏。以前から仲良くしていた中垣美佳という女の子がいた。美佳とは、一緒に下校したり、休みの日にも一緒に遊んだりする仲だった。傍から見ていても仲の良い二人だっただろう。私は彼女のことを信頼していた。
ある日、体育の授業から教室へ戻ってくると、机の中に入っていた私のペンケースがなくなっていた。先生に報告したが、結局見つからなかった。お気に入りのペンケースだった。美佳にも見せて、可愛いねと言ってくれたもので、何故自分の物が無くなるのかと胸が苦しくなった。
次の体育の授業の後、またしても私の持ち物が消えていた。次は下敷き。それはシンプルな赤い透明の下敷き。緑色のマーカー部分に下敷きを重ねると、マーカー部分が黒くなり、試験勉強にも使える代物だった。使い勝手がよく、気に入っていた。
次々に私の持ち物が消えることが怖かった。次は何が奪われるのだろう。
帰り道、美佳が頻りにきょろきょろと辺りを見回し、やがて俯いた。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない」
それっきり黙りこくってしまった。
美佳はよく喋る人で、彼女が話し役、私が聞き役である。私は話すことが苦手だったから、美佳の話を聞くことが楽しかった。そんな彼女が全く話をしないというのは異常だった。このとき、美佳に詳しく問いただすべきだったのかもしれない。
ある日、私は体育の授業のために運動場へ向かった。途中で、縄跳びが必要なことを思い出し、教室へ戻った。
教室には人影があり、私の机を取り囲んでいた。扉の隙間からそれを覗くと、そこにいたのは美佳とクラスのリーダー格の女子、その取り巻きだった。リーダー格の女子が声を荒げていた。
「なあ、今度こそ、お前がやれよ。じゃないと、次はお前の持ち物がなくなるからな」
「分かってる。今までだって、協力してきたじゃない。由衣が何を大切にしているかを教えたでしょ」
「ああ、そうだった。けど、やっぱりあんたが直接手を下してないって、卑怯だよ。ね? だから、やって」
「分かってるって言ってるでしょ」
そして、美佳は私の机からノートを抜き出した。
ああ、そうか。私は何も疑わず、美佳にお気に入りのものを話していたけれど、美佳は私を裏切り、リーダー格の女子と一緒になって、私の物を盗んでいた。自分が標的にならないために。
私はすっと状況を理解、納得した。的確に私の気に入っているものだけが狙われるわけだ。いつも美佳に話していたから、彼女は私の大切なものを知っていた。
その日の帰り道、彼女を問い詰めることにした。
「体育の授業の前、教室でのこと、見ちゃったんだけど」
「えっ」
美佳は血の気が引いていた。目をギョロッとさせて、この世のものでもない何かを見るような目をこちらに向けた。
「私のノート、盗ったよね?」
その言葉を聞くと、美佳は聞いてもいないことをペラペラと話し始めた。
「違うの。あれは……、ああしないと私が標的にされるの。分かるでしょ? あいつに目を付けられたら、今度は私の持ち物がなくなる」
「自分を守るために、私を売ったの?」
「……そう。そうだよ。そもそも由衣が目を付けられるのが悪いんだ。何だってクラスで一番上手にやる。だから、あいつは由衣に目を付けたんだ。いいじゃない。由衣は何だって持っているんだから。勉強だって出来るし、運動だってできる。ノートがなくなったくらいで怒らないでよ」
「私がペンケースを大切にしているって教えたの? 下敷きが使いやすくて気に入っていることも?」
「そうだよ」
……私は、驚愕した。自分の身を守るために、他人を売ることができるということに。それも、私が最も信用している友人が私売ったということに。
悲しみよりも、呆れが勝った。
自分のつまらない嫉妬のために他人の物を盗むクラスメイト。
保身のために友人を売る彼女。
そんな彼女を友人だと思っていた自分の人を見る目の無さ。
本当に、呆れた。
私は、大切な物をまた一つ失った。友人だ。クラスメイトの陰湿な嫌がらせは、悔しいけれど大成功だ。私は次々に大切な物を失った結果、全てを失ったのだ。
それからというもの、私は他人のことを信用しなかった。いつか私を裏切るものだという前提で他人のことを見るようになったのだ。
「いい加減にして」
無駄な質問の多さに嫌気が差す。お陰で嫌なことを思い出させられた。美佳が私を裏切ったことは、今の私には関係ない。どうでもいいはずの過去だった。それを、こんな無象無象のクラスメイトによって呼び覚まされるなんて、虫唾が走る。
「た、高瀬さん?」
誰かが私を宥めようと、震える声で呼びかける。私の肩に手を置こうとした。触らないでよ。勝手に距離を詰めてくる人たち。吐ききって空っぽになった肺に、もう一度空気を溜める。それを一度に吐くようにして、私は叫んだ。
「いい加減にして、たかだか新入生代表の挨拶でしょ? そんなことで騒がないで」
教室が静まりかえった。私に話し掛けていた人達だけでなく、教室中にいた皆が口をぽかんと開けて、言葉を発することもなく、こちらを見ていた。
見るな。見るな。
新入生代表という物珍しい“もの”なのだろ? 動物園の檻の向こうにいるライオンと同じだ。噛みつかれないと思って興味本位で近づく。だけど、私は檻に閉じ込められていない。
わかった?
好奇心だけで近づいてくるんじゃない。
私は一人でいい。
「あらあら、新入生代表だからって浮かれているのかしら? いいご身分よね。みんなに注目されて。さぞかし良い気分なのでしょうね」
金髪の生徒がこちらを見ていた。彼女だけは口角を上げて、にやりと笑っている。他の皆が戸惑っている中で、彼女だけが異質だった。でも、私はこんな奴を知っている。人が苦しみ、足掻いているところを見て、楽しんでいるのだ。過去に私の持ち物を盗み、戸惑う私を見て楽しんでいた奴と同じ顔をしている。人の不幸は蜜の味。その言葉を地でいく人間を私は過去に見たことがあるのだ。そいつと同じように笑っている。
「何か言ってみたらどうなの? 声が出ないわけではないのでしょ? ほら、さっきみたいに何か言ってみれば?」
人の心を無作為に撫で回すような気持ちの悪い声だ。他人のことを下に見て、自分が高見にいると勘違いしている。
時計は、ホームルームが始まる時間を指していた。
なるほど。ここで噛みつけば、痛い目を見るのは私と言うことか。小賢しい奴。
視界の隅に茶色が割り込む。
パンッと大きな音が鳴って、皆が間瀬に注目をした。ファイルを教卓に叩きつけたのだ。
「ほら、席に着け。ホームルーム始めるぞ」
金髪の女はつまらなさそうに席に着いた。
こいつがこのクラスでの悪だと私は感じた。
教室に戻ってくると、クラスメイト達の興味、感心が私に向いていた。矢継ぎ早に質問は繰り出される。そんなことを聞いてどうするの? というものばかりで、答えることが面倒だった。きっと、これを機に友人を作れば、この先の高校生活はいくらか楽になるだろう。ただ、私には浅い人間関係は必要無かった。そんなものは私を貶めるだけだと知っていたから。
小学六年生の夏。以前から仲良くしていた中垣美佳という女の子がいた。美佳とは、一緒に下校したり、休みの日にも一緒に遊んだりする仲だった。傍から見ていても仲の良い二人だっただろう。私は彼女のことを信頼していた。
ある日、体育の授業から教室へ戻ってくると、机の中に入っていた私のペンケースがなくなっていた。先生に報告したが、結局見つからなかった。お気に入りのペンケースだった。美佳にも見せて、可愛いねと言ってくれたもので、何故自分の物が無くなるのかと胸が苦しくなった。
次の体育の授業の後、またしても私の持ち物が消えていた。次は下敷き。それはシンプルな赤い透明の下敷き。緑色のマーカー部分に下敷きを重ねると、マーカー部分が黒くなり、試験勉強にも使える代物だった。使い勝手がよく、気に入っていた。
次々に私の持ち物が消えることが怖かった。次は何が奪われるのだろう。
帰り道、美佳が頻りにきょろきょろと辺りを見回し、やがて俯いた。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない」
それっきり黙りこくってしまった。
美佳はよく喋る人で、彼女が話し役、私が聞き役である。私は話すことが苦手だったから、美佳の話を聞くことが楽しかった。そんな彼女が全く話をしないというのは異常だった。このとき、美佳に詳しく問いただすべきだったのかもしれない。
ある日、私は体育の授業のために運動場へ向かった。途中で、縄跳びが必要なことを思い出し、教室へ戻った。
教室には人影があり、私の机を取り囲んでいた。扉の隙間からそれを覗くと、そこにいたのは美佳とクラスのリーダー格の女子、その取り巻きだった。リーダー格の女子が声を荒げていた。
「なあ、今度こそ、お前がやれよ。じゃないと、次はお前の持ち物がなくなるからな」
「分かってる。今までだって、協力してきたじゃない。由衣が何を大切にしているかを教えたでしょ」
「ああ、そうだった。けど、やっぱりあんたが直接手を下してないって、卑怯だよ。ね? だから、やって」
「分かってるって言ってるでしょ」
そして、美佳は私の机からノートを抜き出した。
ああ、そうか。私は何も疑わず、美佳にお気に入りのものを話していたけれど、美佳は私を裏切り、リーダー格の女子と一緒になって、私の物を盗んでいた。自分が標的にならないために。
私はすっと状況を理解、納得した。的確に私の気に入っているものだけが狙われるわけだ。いつも美佳に話していたから、彼女は私の大切なものを知っていた。
その日の帰り道、彼女を問い詰めることにした。
「体育の授業の前、教室でのこと、見ちゃったんだけど」
「えっ」
美佳は血の気が引いていた。目をギョロッとさせて、この世のものでもない何かを見るような目をこちらに向けた。
「私のノート、盗ったよね?」
その言葉を聞くと、美佳は聞いてもいないことをペラペラと話し始めた。
「違うの。あれは……、ああしないと私が標的にされるの。分かるでしょ? あいつに目を付けられたら、今度は私の持ち物がなくなる」
「自分を守るために、私を売ったの?」
「……そう。そうだよ。そもそも由衣が目を付けられるのが悪いんだ。何だってクラスで一番上手にやる。だから、あいつは由衣に目を付けたんだ。いいじゃない。由衣は何だって持っているんだから。勉強だって出来るし、運動だってできる。ノートがなくなったくらいで怒らないでよ」
「私がペンケースを大切にしているって教えたの? 下敷きが使いやすくて気に入っていることも?」
「そうだよ」
……私は、驚愕した。自分の身を守るために、他人を売ることができるということに。それも、私が最も信用している友人が私売ったということに。
悲しみよりも、呆れが勝った。
自分のつまらない嫉妬のために他人の物を盗むクラスメイト。
保身のために友人を売る彼女。
そんな彼女を友人だと思っていた自分の人を見る目の無さ。
本当に、呆れた。
私は、大切な物をまた一つ失った。友人だ。クラスメイトの陰湿な嫌がらせは、悔しいけれど大成功だ。私は次々に大切な物を失った結果、全てを失ったのだ。
それからというもの、私は他人のことを信用しなかった。いつか私を裏切るものだという前提で他人のことを見るようになったのだ。
「いい加減にして」
無駄な質問の多さに嫌気が差す。お陰で嫌なことを思い出させられた。美佳が私を裏切ったことは、今の私には関係ない。どうでもいいはずの過去だった。それを、こんな無象無象のクラスメイトによって呼び覚まされるなんて、虫唾が走る。
「た、高瀬さん?」
誰かが私を宥めようと、震える声で呼びかける。私の肩に手を置こうとした。触らないでよ。勝手に距離を詰めてくる人たち。吐ききって空っぽになった肺に、もう一度空気を溜める。それを一度に吐くようにして、私は叫んだ。
「いい加減にして、たかだか新入生代表の挨拶でしょ? そんなことで騒がないで」
教室が静まりかえった。私に話し掛けていた人達だけでなく、教室中にいた皆が口をぽかんと開けて、言葉を発することもなく、こちらを見ていた。
見るな。見るな。
新入生代表という物珍しい“もの”なのだろ? 動物園の檻の向こうにいるライオンと同じだ。噛みつかれないと思って興味本位で近づく。だけど、私は檻に閉じ込められていない。
わかった?
好奇心だけで近づいてくるんじゃない。
私は一人でいい。
「あらあら、新入生代表だからって浮かれているのかしら? いいご身分よね。みんなに注目されて。さぞかし良い気分なのでしょうね」
金髪の生徒がこちらを見ていた。彼女だけは口角を上げて、にやりと笑っている。他の皆が戸惑っている中で、彼女だけが異質だった。でも、私はこんな奴を知っている。人が苦しみ、足掻いているところを見て、楽しんでいるのだ。過去に私の持ち物を盗み、戸惑う私を見て楽しんでいた奴と同じ顔をしている。人の不幸は蜜の味。その言葉を地でいく人間を私は過去に見たことがあるのだ。そいつと同じように笑っている。
「何か言ってみたらどうなの? 声が出ないわけではないのでしょ? ほら、さっきみたいに何か言ってみれば?」
人の心を無作為に撫で回すような気持ちの悪い声だ。他人のことを下に見て、自分が高見にいると勘違いしている。
時計は、ホームルームが始まる時間を指していた。
なるほど。ここで噛みつけば、痛い目を見るのは私と言うことか。小賢しい奴。
視界の隅に茶色が割り込む。
パンッと大きな音が鳴って、皆が間瀬に注目をした。ファイルを教卓に叩きつけたのだ。
「ほら、席に着け。ホームルーム始めるぞ」
金髪の女はつまらなさそうに席に着いた。
こいつがこのクラスでの悪だと私は感じた。
