天気予報通り、昼過ぎからは雨が降ってきて、夜には土砂降りになっていた。
 翌朝、目が覚めたときにはこれまでの陽気を掻っ攫ったかのように寒かった。
 入学早々雨とはついていない。昨日、通学路の確認をしたというのに、水の泡である。この雨では自転車での登校は難しい。ずぶ濡れの姿で代表挨拶をするわけにはいかなかった。駅までお母さんに車で送ってもらい、電車、市バスと乗り継ぐことになる。元々、私の家の立地ならば、駅からスクールバスを利用することも可能だった。だが、スクールバスは人が多く、煩わしいので嫌いだ。お母さんからは「まあ、あんたはそういう子よね」と言われた。そういう子という引っかかる物言いだったが、協調性、社交性がない子ということはすぐに分かった。母子ともに共通の認識を持っているので、理解が早くて助かる。普段から市バスを使うことも考えたが、バスという不慣れな乗り物を利用することに対して気が重く、自転車で通学することに決めた。
 始業時間よりも一時間早く登校するように間瀬には言われており、お母さんには申し訳ないが、早朝から車を出してもらうことになった。
「代表挨拶なんて、なかなかやる機会はないからね。いい経験なんじゃない?」
 そうは言うものの、興味はなさそうで、
「そういうのって、誇らしいの? 母親としては」
 私が尋ねると、
「別に誇らしくはないわよ。あんたがやらなくても、誰かがやるだけでしょ? たまたま、由衣がやるだけ。そんなことよりも、私は由衣が高校に行きたいって言ってくれたことが嬉しいけどね」
「そう」
 子供が何かの代表を務めることは普通の親ならば嬉しいことなのかと思っていたが、この人は“普通”とは少し違うのかもしれない。
「私が高校行きたいって言ったの、そんなに嬉しいの?」
「嬉しいわよ」
 嫌々中学に通っていたわけではなかったので、そこを喜ぶのかと不思議だった。
「由衣って、人付き合いが嫌いじゃない。きっと上手くやろうとすればできるけど、それが苦手。学校みたいな集団行動を強要される場所は嫌いだと思ってた。義務教育までは文句を言わずに通ってくれたけど、その先はあんたの自由だし」
「それで、進学してくれて嬉しいってこと?」
「あー、違う違う。自分で進路を決めてくれたことが嬉しいのよ。私やお父さんがやれって言った道に進むのではなくて、由衣が好きな道を選んでくれたのが嬉しいの」
「そう」
 親心は難しい。
 私は、仲が良かったわけではないけれど、中学のクラスメイト達が皆進学を選択していたので、自分の学力にあった高校を受験したまでだ。
「皆と同じことをしただけだよ」
「そうね。でも、あんたが“皆と同じ”を選ぶなんて珍しいじゃない。同じことがいいとは言わないけど、今までの由衣なら“皆と同じ”なんて嫌うだろうなって思っていたから。突拍子もない進路を選ぶことだって覚悟していたんだよ」
 うちの親は楽観的すぎる。どんな選択をしていても、肯定して、喜んでくれる。そんな考え方で大丈夫? 不安にもなるが、今はこの人達が親で良かったと思う。
 駅のロータリーは送迎の車でごった返して、駅前の道の信号が青になっても車は動かなかった。
「ここでいい。駅まで歩くから」
「そう? 気をつけていきなさいね。代表の挨拶、ほどほどに頑張りなさい。私とお父さんも観に行くからね」
「うん。わかった。ありがとう」
 助手席のドアを開けた途端に音量をMAXまで上げた雨音が耳に飛び込んできた。バチバチと地面を打ち、跳ね返って足下が濡れる。
 傘を差し、足早に駅へ向かう。雨天で電車が遅れて到着した。電車内は予想より人が少なく、向かいのホームの電車は反対に目一杯人が押し詰められていた。私が向かうのは街の中心から離れていく方向なので、会社員はこちらの電車にはほとんど乗っていない。
 バスの時間を確認する。間に合いはするが、ギリギリだ。電車を降りたら走った方が良い。電車が停まり、扉が開くと同時にスタートの合図が切られる。ホームから階段を下って、改札を出て、バス乗り場へ向かう。すでにバスは到着しており、低く重厚感のあるエンジン音が聞こえた。飛び乗るようにして乗車すると、それが合図のように扉が閉まった。車内を見ると、後方に誰かが座っていた。暗い車内では顔まで分からなかった。前方には誰もおらず、乗客は私と、もう一人。前方に座ると、運転手がこちらにちらっと視線を送った。私が座ったことを確認すると、バスは前進を始めた。
 学校までは十分程度で到着した。雨脚は強くなる一方で、傘では防ぎきれず、バスを降りた途端に足はびしょびしょに濡れた。ローファーも靴下も濡れた。入学式や代表の挨拶の心配よりも靴下の濡れ具合が気になっていた。学校についたら靴下は換えよう。
 昇降口で靴と靴下を履き替えると、そのままの足で体育館へ向かった。当然ではあったが、全ての椅子が並び終えてあった。
「おう、高瀬。雨の中ご苦労」
 適当なことばかり言って。
 間瀬は昨日と同じ色のスーツを着ていた。昨日より若干皺が少ないように思う。
「それは間瀬先生も同じですよね」
「まあ、そうだが」
 隣に初老の男が立っており、その視線を感じてか、間瀬は咳払いを一つした。
「そんなことよりも、今日は入学式だ。これから、こちらの峰藤教頭にご協力頂いて、実際の式と同じように進行する。昨日の練習の通りにやればいいからな」
 随分と畏まっているけれど、この教頭が怖いのか? 和やかで人が良さそうに見えるけれど、教師には厳しいタイプなのだろうか。体育館にはもう一人、生徒がいた。緑色のスカーフを首に巻いている。三年生だ。在校生代表として、式で一言述べるのだろう。
 式の練習は滞りなく終わった。なんせ、昨日間瀬が読み上げていた文言を教頭が読み上げているだけなので、私にとっては何も変わりはしない。教頭が式の前に、今年の新入生代表の出来具合を自分の目でも確かめておきたかったのだろう。
 緑色のスカーフの生徒は私の思っていた通り三年生、生徒会会長のようで、彼女も私と同じようなペラペラな紙を持って、ペラペラな祝いの言葉を述べていた。先輩とは特に言葉を交わすことなく、その場は解散となった。式の時間も近づいており、私と間瀬は教室へ急いだ。