雨の降った日だけは

「もう梅雨だってね。これから雨の日が多いみたい」
「由衣は嬉しい?」
「嬉しい。決まっているじゃない。陽菜子は?」
「私も嬉しいよ。由衣と一緒に過ごす時間が増えるんだから」
 薄暗いバスの中で、私達は二人の時間を過ごす。二人での登校は何度目だろう。何度も一緒に同じ時間を過ごした。梅雨の季節になり、しばらくの間はこの時間を繰り返すことができると思うと、私も由衣も嬉しかった。
 喜びに頬が緩んでいる由衣と対照的に、私の心はタイできつく絞められているように緊張感を持っていた。何度も車内前方を注視する。どこも空席で、私達以外には誰もいない。そのことに、ほっとした。五月の終わり。今日と同じように由衣と話をしながら学校へ向かっていた。バスが停まるまでは気が付かなかったが、学校の前のバス停に停車し、私達よりも先に降りる人影を私は見た。由衣に「今の誰だろう」と聞いても「何のこと?」と返ってくるだけだったが、間違いなく同じ高校の制服を着ていて、赤いスカーフを巻いている女生徒だった。「違うクラスなら良いけれど」と、不安を感じた。……そう、不安だ。いつからか、同じクラスの生徒に、由衣と一緒にいるところを見られてはいけないと私自身も思うようになっていた。クラスの中に、由衣を避けるルールがあるようで、威圧的な空気を感じた。その重圧に私は押し潰されそうになっていた。
 不安げな私の表情を読み取って、由衣も声を掛けてくれる。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。何でも無いよ」
 六月も半ばを過ぎている。きっと私が見かけた女生徒はたまたまバスに乗り合わせた誰かであって、クラスメイトではなかったのだ。クラスメイトならば、城ヶ崎の息がかかっている可能性は高く、未だに彼女らが私達に何も手を下さないというのは不自然だった。
 次第に私も、見間違いだったのではないかと思うようになった。気を張りすぎている。「周りに嫌われるようなことがあっても、高瀬さんは一緒にいてくれるでしょ?」それは四月のある日に私が思ったこと。彼女が一緒ならそれでいい。そう思った。それなのに、今はそれが少し怖かった。何故だろう。私の知らない場所にまで城ヶ崎の目は届いていて、今にも私の肩に手が置かれるのではないかと不安だった。由衣と二人なら怖くはない。けれど、もし一人にさせられたら? 私にはそれでも大丈夫と胸を張って言えるだけの強さはない。「バスの中での二人の時間も邪魔されてしまうかもしれない」と言った由衣。その言葉がだんだんと現実味を帯びてきて、あの頃の由衣と同じ不安を、今の私は抱いていた。この愛おしい時間を失うかもしれないことが私は怖くて仕方がないのだ。
 梅雨が終わったとき、私達はどうしているだろう。
 夏が来て、晴れの日が続くようになったら、この時間も無くなっていくのだろうか。二人の時間を奪うのは城ヶ崎だけではない。そのことを思うと、由衣と一緒にいたいという気持ちが溢れてくる。
「ねえ、由衣。晴れの日もバスに乗ったら?」
「どうしたの?」
「だって、そうすればもっと一緒にいれるでしょ? わざわざ雨の日に限らなくてもいいじゃない」
 雨の日も、晴れの日も、朝も夕方も一緒にいればいい。それは叶わないの? 学内で一緒にいることができないのは理解している。でも、晴れの日だって、一緒でもいいじゃない。
「ダメだよ。それはダメ」
 いつもは寄り添った言葉を掛けてくれる由衣が、そのときは珍しく拒んだ。四月に「学校では話し掛けないで」と言った、あのときと同じだ。由衣の中では答えが決まっている。きっと相談の余地はないのだと分かっても、聞かずにはいられなかった。
「なんで? なんでダメなの?」
「晴れの日は見つかりやすいから」
 雨音もせず、傘もない。それは乗降時に誰かに見つかるリスクを背負うということ。雨音は小さいようでいて、人の声をかき消してくれる。そして、視界も奪う。傘は顔を隠す役割がある。他人に関係を隠している私達にとって、雨の日は不自然なく身を隠すことができる。
「それに、雨の日に見つかっても、その日は偶然一緒だっただけだと言い張れるけど、晴れの日はそうはいかなでしょ。前にも話したじゃない」
 人の感覚として雨はイレギュラーだ。だから、適当な理由を付ければ言い逃れられる。晴れの日に一緒にバスに乗っているところを見られれば、言い逃れることは難しくなる。
 以前にも私が駄々を捏ねるようにして、由衣に強請った。今日と同じように宥められた。
「そうだね。ごめん」
 分かっている。由衣が言っていることが正しい。それでも、私は由衣と一緒にいる時間が少しでも、一分でも多くなればいいと願わずにはいられなかった。
 晴れが続いたとき、私達の関係はどうなるのだろう。そんな考えが頭を過る。考えても仕方の無いことだ。
 きっと私達なら大丈夫。
 一緒にいられるよね。
 手を伸ばし、由衣の手に触れる。彼女の体温を感じた。いつもよりも強く手を握る。それに対して、彼女もまた、同じように力強く握り返してくれた。

 バスが止まると、由衣が降り、私が降りる。以前はバス一台分程度の距離を開けて歩いていたけれど、今日は由衣のすぐ後ろを私が歩いた。一緒にいたいと気持ちが距離に表れていた。傘同士が時折触れる。私の傘から由衣の傘へと雨粒が流れ、それが地面へと滴る。
「すごい雨だね」
「そうね。靴下濡れたかも」
「私も。最悪だよ。換えの靴下を持ってくれば良かった」
 雨音にかき消されないように大きな声で話し掛けると、由衣はこちらを見ながら、大きな口を開けて答える。
 彼女と二人で過ごす僅か十分程度の時間だけれど、高校生活で一番に幸せを感じる時間だった。いつもでもこの時間が続いて欲しい。
 だけど、まただ。
 また、視線を感じた。
 私は足を止めて辺りを見回す。垣根と公道に挟まれたこの場所に私達以外に人はいない。パチパチとコンクリートを打つ雨音と雨粒がバタバタと傘に当たって弾ける音以外には何も聞こえない。気のせいだったのか、今は背を刺すような視線を感じない。ただ、それが安堵には繋がらなかった。雨の音の中に何か得体の知れないものが混ざっているようで、心臓を鷲掴みにされるような恐怖を感じていた。
 雨が隠してくれるのは私達だけじゃない。そのことに、もっと早く気が付くべきだったのだ。