五月三十一日。曇天だった。
 家を出た頃に雨粒が頬に当たったような気がした。だが、周りの人は傘を差していない。「今日は由衣は自転車で登校しているのだろうか」と思うと寂しさを感じたが、バスには彼女の姿があった。
「今日は自転車かと思った」
「どう見ても今日は雨でしょ」
 確かに。今は小雨。午前中には晴れる予報だったが。
「何、悪い?」
「悪くないよ。由衣は可愛いところあるよね」
 頬を赤らめるだけで、言い返しては来なかった。図星だ。
 話を変えるように、彼女が口を開いた。
「それで、バイトは順調?」
「うん。順調」
「それならいいけど」
「そういえば、間瀬のことなんだけど。やっぱり良いやつではないのかもね」
「そうでしょ。だから、初めから言ったのに」
 間瀬健次郎は良いやつではない。生徒がルールを破っていても、自分の手間を考えて不問にする。それが客観的に見て良いこととは思えない。ルール破りをしている私が言えた義理ではないが。だから、間瀬は良いやつではないのだろう。けれど、その行動の背景を知っている木崎さんからすれば、彼は良いやつで、良い先生なのだ。
 だから、それはきっと、
「見方次第だなとは思ったよ」
「何それ?」
 バスのエンジンがかかり、小刻みに車体が揺れる。いつもと同じ道を同じように進んでいく。私達も特別代わり映えもしない日常の一コマを報告し合った。前の雨の日から今日まで、一週間の出来事を話していると、それまでの空白の時間を埋められた。
 私達は二人、同じ時間を過ごした。
 揺れるバスは揺り籠のようで、心地よい時間だった。

 ただ、この日には話に夢中になっていて、バスを降りる直前まで、他に乗客がいたことに気が付かなかった。このバスの中に私達以外にも乗客がいたのだ。運転席のすぐ後ろに座っていた。車内が暗く、気配も感じなかった。停車して扉が開くと私達より先に降りた。その時にちらっと赤いスカーフが見えたのだ。
 由衣はその人影に最後まで気が付かなかった。