「――それでは、雨女神様からのお恵みに感謝して! 乾杯!」
「「かんぱーい!」」

 一人の男の音頭を合図に、御猪口や盃がカツンとぶつかり合う音が、あちこちで響き渡る。

 宴が行われる大広間には、二十数名の男の姿があった。集う皆が与人の部下にして、その中でもそこそこの地位を持つ者たちだ。見るからに屈強な男たちばかりが揃っている。
 また室内の其処彼処(そこかしこ)には、料理を運んだり酒を注いだりしている女中の姿も見えた。

「雫音殿。今宵はたくさん飲んで食べて、楽しんでくださいね」

 上座に座っている与人に声を掛けられて、その右斜め前に腰を落ち着けていた雫音は、曖昧に頷く。男性陣たちの熱気やその賑やかな声に、完全に圧倒されていた。

「ささっ、雨女神様も、どうぞどうぞ」

 周囲を見渡しながら慣れない空気にソワソワとしていれば、酒瓶を持った二人の男が、雫音のもとに近づいてきた。その顔は薄っすらと赤く染まっていて、開始早々、すでに酔いが回っていることが伝わってくる。

 男たちは雫音に御猪口を手渡すと、そこに白濁色の酒を注いでいく。むわりと、強いアルコールの香りが広がる。
 未成年であるため酒を口にしたことのない雫音は、鼻腔を通り抜ける慣れない香りに、それだけで頭がクラクラしそうになった。

「雨女神様は、我らにとって命の恩人です。今宵は存分に楽しんでくだされ」

 ――どうやら此処に集う者たちは、雫音のことを“雨女神様”だと、完全に勘違いしているようだ。

「いえ、私、お酒は飲めないので。それと、私は雨女神様なんかじゃ……」

 注がれた酒をやんわりと断りつつ、誤解を解こうとした雫音だったが、その声は中途半端なまま、故意的に遮られてしまう。

「お前ら、雨女神様(・・・・)に、無理強いするなよ」

 話に割り入ってきたのは、与人の左斜め前――膳を挟んで雫音の向かい側に座っていたはずの、千蔭だった。

「千蔭殿! ハハ、無理強いなどはしていませんよ」
「そう? 傍から見たら、オッサンたちが女の子に詰め寄ってるようにしか見えないからさ」
「「お、オッサン……!?」」

 まだ二十代後半である二人は、少しだけ傷ついたような顔をして、ガックリと肩を落としている。

 その隙にと、千蔭は雫音の手から御猪口を奪い、その中身を一気に飲み干した。そして表情一つ変えることなく、雫音の耳元に顔を近づける。

「コイツらの相手は俺がするから。アンタは与人様の隣に行ってなよ」

 雫音にだけ聞こえる声で耳打ちした千蔭は、シッシッと手で追い払うような仕草をする。どうやら雫音が困っていることに気づいて、助けてくれたようだ。

 雫音は言われた通りに、与人の隣に移動する。そうすれば、白髪に藍緑色の目をした少年が現れて、雫音に用意されていた膳を目の前に運んでくれる。

「あ、ありがとうございます」
「……」

 少年は雫音と目も合わせぬまま、瞬く間にこの場から姿を消してしまった。俊敏な身のこなしからして、彼もまた、千蔭と同じように忍び隊に属しているのかもしれない。

 雫音は左隣に目を向ける。
 そこには与人がいて、料理を黙々と食べながら、幸せそうに頬を緩めている。

「雫音殿、この魚料理、とても美味しいですよ! ぜひ食べてみてください」
「……はい。それじゃあ、いただきますね」

 雫音も自身の膳に目を落とした。ほかほかの白米に豆腐とわかめの味噌汁、具だくさんの煮物に、魚の煮つけ、刺身に天ぷら等々。多種多様な料理が並べられている。
 雫音は与人が絶賛している魚の身を箸でほぐして、一口頬張った。柔らかく甘みがあって、口の中でほろりとほどけていく。

「美味しい、です」
「それは良かったです」

 与人は雫音の顔を見て嬉しそうに笑いながら、また自身の膳に手を付け始めた。

 雫音もしばらくの間、黙々と食事を続けていたのだが、ふと周囲を見渡してみれば、千蔭の姿が見えなくなっていることに気づいた。
 先ほど雫音に酒を勧めてくれた男性陣は、酔いつぶれて畳の上に寝転がっている。

「あの……私、少し外で涼んできますね」
「分かりました。お一人で大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」

 与人に一声掛けた雫音は、席を立って、依然として賑やかな大広間を後にした。