風に熱が帯び始めた頃。私はふと帰り道にあるそこそこ大きい川が流れる河川敷に座ってぼーっとしていた。
(あれ…?)
たまたま見ていた視線の先には反対側の河川敷にある菜の花畑の中でいかにも険悪な雰囲気の男女二人組がいた。なんとなく気になってしまった私は視線を逸らさず二人の様子を伺っていた。
二人は三十分ほど口論した後、最終的には怒っている様子の彼女が風に腰ほどまである黒の長い髪と水色の柄付きワンピースをなびかせながら先に菜の花畑のある河川敷をあとにしていった。その様子を見た私は何事もなかったかのように立ちあがり家へと帰り始めた。
***
「あの、今って暇だったりしますか…?」
いつも通り二限の空きコマに大学の裏庭のベンチに座り、一人で昼食を食べているときだった。高めの位置でポニーテールをして肩の部分が少し空いている灰色のタイトカットソーに紺のスキニージーンズを履いた女性が話しかけてきた。私はまさか話しかけられるとは思っていなかったため、あまりにも突然の出来事に思わずフリーズしてしまった。
(この間の河川敷で喧嘩していたカップルの彼女さんだ…。)
「…あ、一応暇です…。」
そう答えると彼女の表情は不安そうな顔からパッと明るい笑顔になり、私が座っているベンチの隣に座ってきた。
「私、国際学部の西嶋 莉菜って言います。もし迷惑じゃなかったら話聞いてもらってもいいですか?」
「…私でよかったら。あ、文学部の青山 渚です。」
友達でも何でもない私なんかに何の話をするのかよくわからなかったが私は聞くことにした。
彼女が話し始めたのは私がたまたま河川敷から目撃した日のことについてだった。西嶋さんには倉田 俊介さんという高校二年生から付き合っている彼氏がいる。ここ最近、倉田くんの様子がいつもと違って何かおかしく、何かを隠しているようだった。しかも、同じサークルの女子と一緒にいるところを目にすることが増えたらしい。不安に感じていた西嶋さんはわざと何にも触れず、向こうから言ってくるまで待っていた。しかし、一向にいう気配がなかったため西嶋さんはちょうど三年記念日だったあの日に直接倉田くんを問い詰めたらしい。慌てたように口を噤む倉田くんに西嶋さんは怒りを爆発させてしまい、そこから喧嘩に発展してしまったそうだ。彼女はあの日から今日まで一度も倉田くんと連絡を取っていないらしい。彼女の話を聞いてあの日そういうことがあってあんな風になっていたのかと納得した。ちょうど話し終わったころには三限が始まる十分前になっていた。
「あ、私、三限に授業あるのでお先に失礼します。話聞いてくださってありがとうございます!」
彼女はそう言いながら小走りで去っていった。
(ほんとにただ話を聞いていただけなんだけどこんなんでよかったんかな…?)
私は少しもやもやしながらもバイトに向かうため学校の裏庭をあとにした。
西嶋さんから話を聞いていてから三時間後、私は大学の最寄り駅から少し離れたところにある喫茶店キサラでバイトしていた。先ほど注文が入った喫茶店オリジナルのコーヒーを入れていたところ横から突然話しかけられてきた。
「お、だいぶ腕上がったじゃん!」
「ありがとうございます。まぁさすがにここ半年ずっとやっていたので…。」
「次はこけしちゃんに何を教えよっかなぁー」
そう言いながら笑顔で話しかけてきたのは、同じ大学、学部で先輩の加地 宏斗だ。『こけしちゃん』というどこから来たのかわからないあだ名で呼んでくる。
「毎度毎度思うんですけどなんで『こけしちゃん』って呼ぶんですか?」
「あれ、知らないの? こけしちゃんってみんなから呼ばれてるの。」
「え?」
「マジかぁー。勝手に知ってるもんだと思ってたわ。いつもさ、大学の裏庭で昼飯食べてんじゃん? その姿が髪型と相まってこけしちゃんって呼ばれてんの。実際にそのあだ名、広めたのは俺なんだけどねぇー。」
サムズアップの親指を自分に向けて歯を出して笑いながらさっき私が入れたコーヒーをお客様に提供しに行った。確かに私は顔が丸く、髪を顎の高さに切りそろえているからそう見えてもおかしくないのかもしれない。だが、そのあだ名をつけるのは少し違うと思う。そんなこと言ったら先輩は世の中にありふれてる黒髪センター分けだと思ったことは一応言わないで置いた。そんな先輩を少し睨みつつ、引き続きコーヒーを入れていた。
最後のお客様が帰り、閉店作業を始めた。卓上のメニューや机を拭いたり、使用した食器を洗ったりして着々と作業を行っていた。
「ねね、こけしちゃん、今日女の子にいつもの裏庭で話しかけられてなかった?」
「あー、西嶋さんのことですか?」
「あっ、そうそう!莉菜ちゃん! あの子、可愛くて髪綺麗だよねぇー❤」
床を箒で掃いていた先輩が箒の柄に手を乗せた上に顎を置きながら言ってきた。
(何言ってんだ、この人は。)
「西嶋さんは彼氏さんがいますよー。」
呆れながら洗った食器を布巾で拭きつつ言った。
「なにー? 嫉妬してんのー? んで、その莉菜ちゃんはこけしちゃんに何の用だったの? こけしちゃんの友達じゃないよねー?」
(私の何を知ってんだ、この人は。)
先輩をじろりと睨みつつ、食器を片づけに行った。
「あー、なんか彼氏さんの話を聞きました。」
「彼氏ねぇー…。最近、あんまりいい噂聞かないよねー。なんか柊 胡桃ちゃん?っていう子と浮気してるんじゃないかって一部界隈で話題に上がってんだよねー。ほらこれー。」
そう言いながら先輩は着ているエプロンのポケットからスマホを取り出して写真を見せてきた。写真には鎖骨ほどまであるミルクティーベージュ色の髪を緩く巻いてスナ系の服装をしている女性とマッシュにパーマをかけた髪型に白のTシャツの上に水色の半そでシャツを羽織って黒のズボンを履いた男性が写っていた。
(だから西嶋さんは怪しんでいたのか…。てかなんで先輩はそんな写真持ってんだろう…?)
少し怪訝に感じながらも先輩からの思わぬ情報に感謝しつつ、新たな人物の登場に私は不安感を抱いていた。
いつも通り大学の裏庭でお昼休みにベンチでお弁当を食べているときだった。ベンチから見て右斜め前にちょうど見える渡り廊下をふと見ると今話題の渦中にいる柊 胡桃と倉田 俊介が二人並んで話しながら歩いていたのだ。まさかの二人の登場に私は驚き、思わず左手にお弁当、右手にお箸を持ったままフリーズしてしまった。
柊さんの方はやけにニコニコしていて楽しそうに話しているのが窺えたが、倉田くんの方は少し苦笑いをしながら気まずそうに話しているように見えた。
(もしかして二人はあんまり仲が良くない…? もしかして一方的に柊さんが押しに押しているだけ…?)
そう思いながら見ていると柊さんと倉田くんがやってきた方向とは逆側から西嶋さんがお友達と一緒に話しながらやってきた。西嶋さんのお友達は倉田くんが柊さんと一緒にいることに気づいたらしく、西嶋さんの様子を伺っていたが、西嶋さん本人はまるでそこに何もないかのように倉田くんのすぐ横を通り過ぎて行った。その時の倉田くんの表情が悲しそうで私は少し見ていられなかった。
気を取り直してお弁当を食べていると誰かに左肩を二回叩かれた。急な出来事に私は思わず身を震わせてしまい、恐る恐る首だけ回転させて左を向くと左頬に何かが当たった。
「あはは‼ こけしちゃん、引っかかったねぇ~!」
そうにやにやして言いながらベンチの後ろから屈み、ベンチの背もたれに寄りかかりながら私の左頬に当てた人差し指で左頬を高速で押しまくっているのは紛れもなく加地先輩だった。急に驚かされた怒りと圧倒的ウザさから左手で持っていたお弁当を膝の上に置き、左手の甲で先輩の手を振り払って横目で睨んだ。
「…一体何なんですか! 人の頬で遊ばないでください‼ セクハラで訴えますよ??」
そう怒り抗議すると先輩はベンチの後ろから回ってきて私の左隣に座り、私の顔の近くに少し近づいて頭をコテンと左に傾けつつこう言った。
「えぇ~…、いいじゃんかぁー! せっかくいい情報持ってきたのにぃー!」
わざとらしくぶすくれた顔をして私の方を向きながら近付いてきた。
(なんで近づいてきた、こいつは⁈)
先輩との物理的距離を空けるために少し右にずれつつ、私は答えた。
「いい情報ってなんですか…? しょうがないので聞いてあげますよ。」
わざと先輩の方を向かずにそう言って私はご飯を口に含んだ。先輩はそんな私を見て笑いながらこう言った。
「これ、見て!」
先輩が見せてきたスマホの画面には雑貨屋さんで楽しそうに商品を見ている柊さんと倉田くんが写っていた。
(あれ、なんかさっきと全然二人の雰囲気が違う…。どういうことなんだろう?)
さっきの渡り廊下とは全然違う二人の雰囲気に私は戸惑いを隠せなかった。そんな私を察したのか先輩がこう言った。
「さっきと全然雰囲気ちがうよねぇー。」
「そうですね…。これどうやって手に入れたんですか?」
「たまたま俺の友達がその場面に遭遇したらしくてそん時に撮ってたんだってさ。」
先輩はそう言いながらベンチから立ち上がり腕を上にあげて伸びた。
「ねーねー、こけしちゃん、そんなに気になるなら本人に直接聞いてみるー? 俺、実は俊介と知り合いなんだー。」
「え、いいんですか‼」
にやっとしながら先輩が言った思わぬ発言に私は目を見開いてしまった。
「いいよー! とりあえず明日の昼休みにここに連れてくるわー。」
そう言いながら先輩は右手で手を振りつつ去っていった。
去っていく先輩を見つつ、もう少し早く教えてくれてもよかったのではという言葉は心の中にしまっておいた。
次の日の朝、私は少し緊張しつつ、お弁当を持って大学の裏庭に向かった。いつものベンチは誰かがすでに座っていたため、私は近くにあったガーデンテーブルの椅子に座った。するとすぐに加地先輩に無理やり肩を組まれながら倉田くんがやってきた。
「おーい! こけしちゃんー!」
「先輩、無理やり連れてくるのは良くないですよ。」
冷めた目を先輩に向けながら言った。
「えぇ…、こけしちゃんのために連れてきたのにぃー?」
まるで小学生かのように拗ねたそぶりを見せながら言ってきた先輩を無視して私は立ち上がり、倉田くんに自己紹介をした。
「初めまして。文学部一年の青山 渚です。今日はわざわざご足労いただいてありがとうございます。よろしければおかけください。」
そう言うと、無視したなぁー!とむすくれた顔を私に向けながら先輩は私の向かいに、倉田くんは先輩の隣に座った。
「国際学部一年の倉田 俊介です。お噂は宏斗先輩から聞いています。あの…、俺はなんでここに連れて来られたんですか?」
戸惑いを隠せていない倉田くんが私と先輩の方を交互に見ながら口を開いた。
(お噂…⁇ え、てか先輩、何も説明してないの⁉︎)
てっきり先輩が説明しておいてくれているものだと思っていた私は先輩の方に目線を移した。するとあ、忘れてたみたいな顔をこっちに向けてきた。先輩は倉田くんの方を向くと私が西嶋さんに相談されたことから今までのことを全て話した。
一応西嶋さんに口止めされてないからいいでしょ! というのが先輩の言い分らしい…。これは先輩につい話してしまった私が悪い…。ごめんなさい、西嶋さん…。
先輩から説明を受けた倉田くんが納得したような面持ちで事の顛末を教えてくれた。
最初、倉田くんは西嶋さんと付き合って三年目の記念と西嶋さんの誕生日が近かったため内緒で何かサプライズをしようと思い、計画を練っていた。しかし、今までサプライズで何かしようとしたことがなく、同じサークルで女子の柊さんに何かいいアドバイスをもらえるんじゃないかと期待して相談した。すると案の定なかなかいいアドバイスをもらえたらしく、そこからそれについての相談を頻繁にするようになり、自然と二人でいることが増えていった。しかし、相談していくたびになぜか柊さんからのスキンシップが増えていき、倉田くん的にはアドバイスをもらっている立場だったため、どうすればいいのかわからなくて対応に困っていたそうだ。また、柊さんと一緒にいるところを西嶋さんに見られてしまったらしく、説明しようにもサプライズのことを言わないと説明出来ないためどういう風に言えばいいのか悩んでいたところ、今回のトラブルに発展してしまったらしい。
倉田くんから話を聞いた先輩も私と同じでこう思っただろう。
いや、どう考えても迂闊にサプライズの相談を女子にしたことが事の発端だろ! と。
話を聞いて最初に口を開いたのは先輩だった。
「ごめんだけど、それはどう考えても俊介が悪いわ。女子ってさ、自分の彼氏が他の女子と二人きりでいるのとか気にする子、多いじゃん? そもそも、三年も付き合ってるんだからそれくらいわかるだろーが。」
思わぬ発言をいつもチャラチャラしてる先輩にそのままお返ししたいと思いつつ、私は隣で激しく先輩に同意した。
「あと、正直いくらアドバイスをしてもらってたとはいえ、どっちつかずな行動は柊さんにとっても西嶋さんにとっても誠実じゃないと思います。」
先輩と私からの総攻撃を受けた倉田くんは申し訳なさそうに俯いてこう言った。
「そうですよね…。俺の対応が良くなかったんですよね…。」
そんな倉田くんを見た先輩が
「まぁ、俊介が優しい奴だっていうのはわかってるんだけどさ。」
と、倉田くんの肩を優しく叩きながら励ました。そんな先輩を見た倉田くんが決意をした顔でこう言った。
「俺、決めました…! ちゃんと胡桃にこういう行為はやめてほしいって伝えてちゃんと莉菜になんでこうなったのか説明します!」
そんな倉田くんの顔を見て大丈夫そうだなと思った時だった。
「しゅんくーん! やっと見つけたぁ! 」
ザ・可愛い女子という感じの声がした方向に顔を向けるとそこにいたのは柊 胡桃だった。指をこっちに指していた彼女がやけに大きいお弁当箱を持って小走りでこちらの方にやってくるとこう言った。
「胡桃、ずーっと探してたんだよぉ?一緒にお昼ご飯、食べよ!」
柊さんはお弁当箱をどすんと音が鳴りそうな勢いで置くと、私、先輩の順で一瞥すると、声のトーンはそのままで軽く握った右手を口元に当て上目遣いで先輩にだけ向かってこう言った。
「あのぉ…、もしかしてぇ、加地先輩ですかぁ?」
「うん、そーだよー。」
先輩らしからぬまさかの棒読みの反応に驚きつつ、私は柊さんの様子を伺った。
「わぁ! やっぱりぃ! 胡桃にはなんでもお見通しなんですぅ! よかったら先輩もご一緒にいかがですかぁ? 胡桃、たくさんお弁当作りすぎちゃったんですぅ〜!」
そう言いながらえへんと腰に手を当てた後、お弁当箱を開け、倉田くんと先輩に向けて見せてきた。まるで私はいないものかのように。
「あのさ、胡桃。いいや、柊さん。ごめんだけど俺に付き纏わないでもらってもいいかな。」
倉田くんは柊さんの目を真剣に見ながら言った。柊さんは混乱したようにこう言った。
「しゅんくん? 急にどうしたの…? なんで胡桃のこと苗字呼びするの…?」
涙目になりながら倉田くんの洋服の袖を可愛くつまんでゆすった。そんな柊さんの手を倉田くんは自分の袖から外すように手で掴んで下ろした。
「色々アドバイスしてくれたのは本当に助かったんだけど、正直、こういうのは迷惑なんだ。」
「えっ…、そんな悲しいこと言わないでよぉ…。胡桃なんか悪いことした…?」
柊さんは傷ついたような顔を倉田くんに向けながら言った。しかし、倉田くんには全く響いていないようで
「そういうわけじゃなくて、柊さんにも莉菜にも失礼な態度とってたからちゃんとしたくて。だからごめん。」
そうしっかりと告げた倉田くんは立ち上がり去っていった。その姿を見た柊さんの目から光が消えた。
「…はぁ? マジでなんなん? 簡単に落とせると思ったのに…! 胡桃を選ばないとか見る目なさすぎだろ…。」
そう小声で言い放つと柊さんはお弁当箱を持って去っていった。
(多分、素の柊さんが見えた気がする…。女子って怖い…)
「ね、こけしちゃん。もしかして女子って怖いって思ってるでしょ? こけしちゃんも女子だよー!」
一緒に取り残された先輩が口を開いたかと思ったらまさか心を読んできたため、じろりと睨みながら言った。
「というか、さっきの倉田くんへの女子の気持ち考えればわかるだろ発言、一番先輩が言っちゃいけないセリフだと思います。」
「えっ⁈ そんなこと言わないでよぉー、こけしちゃーん!」
そう言い放って私は先輩を置いて行こうとしたが、腕を掴まれて振り回されたため、置いて行けなかった。
(私の腕はおもちゃじゃなぁーい‼︎)
数日後、夕方頃からバイトが入っていたため、私は喫茶店キサラにいた。先輩も同じ時間にシフトが入っていたらしく、私と先輩とオーナーの三人で回していた。いつもよりもお客さんが少なく、正直暇だったところに突然倉田くんがやってきた。
「宏斗先輩! 俺、どうすればいいですか⁈」
「おぉ、どうした? とりあえずここ座りな?」
倉田くんはやってきてすぐに客席の片付けをしていた先輩に抱きついた。先輩は驚いた顔をしながらも抱きついてきた倉田くんの腕をとりあえずおろさせ、近くのカウンター席に座らせた。私はそんな倉田くんの前にお冷を置いた。
「あ、青山さん、ありがとうございます。」
「いえ、何かあったんですか?」
私は一度作業していた手を止めて倉田くんに問いかけた。その間、先輩は倉田くんの隣のカウンター席に座った。私が置いたお冷をものすごい勢いで飲み干してから倉田くんは口を開いた。
「あの日から俺、ちゃんと莉菜と話そうと思って教室で話しかけたり、メールしたりしたんです。なんですけど直接話しかけたら無視、メールは既読無視で…。もうどうすればいいのかわからなくなっちゃったんです。何かアドバイスもらえたりしませんか…?」
と言いながら私と先輩に見えるように西嶋さんとのトーク画面を開いたスマホを机の上に置いて見せてきた。すると突然西嶋さんからメールが来た。
『明日、話したいことがあるんだけど、時間もらえる?』と。
「ちょうど連絡来たじゃん!」
と先輩が倉田くんの肩を組んでにかっと笑って言った。
「本当だ! 先輩、青山さん! ありがとうございます!」
そう言いながら倉田くんは喫茶店キサラを出て行った。そんな倉田くんの背中を見ながら先輩が言った。
「特になんもしてないけど突然連絡来たね。」
「まぁ多分大丈夫ですよ。」
そう言いながら私は倉田くんに差し出したお冷が入っていたグラスを洗い場に置いた。すると先輩はカウンターから身を乗り出しながら聞いてきた。
「こけしちゃん、なんでそんなこと言えるのさぁー?」
「実は今日のお昼、こんなことがあったんです。」
そう言って私は今日のお昼にあった出来事を先輩に話し始めた。
***
いつも通り大学の裏庭のベンチでお昼ご飯を食べていると遠くから私を呼ぶ声がした。
「青山さん! 少しお隣座ってもいいですか?」
顔を上げるとそこにいたのは西嶋さんだった。
「あ、どうぞ。今日はどうされたんですか?」
西嶋さんがベンチに座りながら私は問いかけた。西嶋さんは少し私の方向に向くように斜めに腰掛けながら言った。
「最近、頻繁に俊介に話しかけられるんです。でも、この間喧嘩したままで気まずくて思わず無視しちゃって…。メールとかも全部…。」
下に俯いた西嶋さんの話を私はご飯を食べる手を止めて聞いていた。
「実は、昨日、柊さんに直接謝罪されたんです。私と倉田くんはただのお友達だからって。でも私、二人が腕組んで歩いてるところを直接見てたから正直、何を信じればいいのかわからなくて…。どうすればいいと思いますか…?」
私はベンチの上に置かれていた西嶋さんの手を優しく握りながら西嶋さんの顔を見て言った。
「西嶋さんは倉田くんの話を聞いてあげるべきだと思う。倉田くんが何を思ってなんであんな行動をしていたのかちゃんと聞いてからこの先どうしたいのか決めたほうがいい、と私は思います。」
「そうですよね…。」
まだどうするか決め兼ねてる西嶋さんを見て私はある写真を見せた。
「これ…。私が撮ったわけじゃないんですけど、知り合いが前、たまたま撮った写真に倉田くんと西嶋さんが映ってて。」
それは私が目撃した渡り廊下での写真だった。倉田くんが西嶋さんのことを見ている場面が鮮明に映っている。それを見た西嶋さんの目に光が灯ったように私は感じた。
「わかりました…! ちゃんと俊介の話を聞いてからどうするか決めます! 青山さん、ううん、渚ちゃん、ありがとう!」
そうとびきりの笑顔で言いながら西嶋さんは立ち上がり渡り廊下の方へ歩いて行った。
(頑張れ、莉菜ちゃん…!)
そう思いながら私はお昼ご飯を再び食べ始めた。
***
「そんなことあったんだぁー。俺の撮った写真が役に立ったんだねぇー!」
そう、実は西嶋さんに見せた写真は先輩が私に話しかける前に撮った写真だったのだ。
「そうですね。その点においては先輩のファインプレーですけど、盗撮はアウトです。」
私はそう言いながら洗い終わった食器を布巾で拭き始めた。
「うげぇ…。それくらい大目に見てよぉー。」
泣きつこうとしてくる先輩を横目に私は作業を続けた。
一週間後、私は西嶋さんから直接倉田くんと仲直りしたことを聞いた。ちゃんと誤解も解け、お詫びの印に西嶋さんの好きな菜の花の花束を貰ったそうだ。菜の花の花束なんてちょっと美味しそう…。なんてことを先輩に言ったらやっぱりこけしちゃんって面白いわぁー!ってバカにされるから絶対言うつもりないけど。
その時に見せてもらった写真にはとびっきりの笑顔の二人と菜の花畑が広がっていた。
***
「そういえばなんで西嶋さんは見ず知らずの私に相談してきたんですかね…?」
ふと疑問に思ったことを私はバイト中に先輩に聞いてみた。すると、先輩は知らなかったの?って顔をしながら言った。
「それはね、俺のおかげだよぉ〜ん!」
「はぁ?」
怪しい気配を察知して思わず先輩を睨んだ。
「だから俺が広めたの! 大学の裏庭のベンチでいつもご飯食べてる女子大学生に悩みを話すと解決してくれるって!」
にかっと笑いながら言う先輩に思わず拳が出そうになるのを我慢して先輩をさらに睨みつけた。
「なんでそんな根も葉もないことを広めるんですか! お陰で色々と悩まされたんですけど⁈」
「いいじゃんいいじゃん! そのおかげで新しく友達出来たでしょ! こけしちゃんの大学生活に彩りが増えた的なっ!」
万事オッケーじゃんみたいなことをほざく先輩に後で水をぶっかけてやろうかと思いながら私は自分用にコーヒーを淹れたのであった。
(あれ…?)
たまたま見ていた視線の先には反対側の河川敷にある菜の花畑の中でいかにも険悪な雰囲気の男女二人組がいた。なんとなく気になってしまった私は視線を逸らさず二人の様子を伺っていた。
二人は三十分ほど口論した後、最終的には怒っている様子の彼女が風に腰ほどまである黒の長い髪と水色の柄付きワンピースをなびかせながら先に菜の花畑のある河川敷をあとにしていった。その様子を見た私は何事もなかったかのように立ちあがり家へと帰り始めた。
***
「あの、今って暇だったりしますか…?」
いつも通り二限の空きコマに大学の裏庭のベンチに座り、一人で昼食を食べているときだった。高めの位置でポニーテールをして肩の部分が少し空いている灰色のタイトカットソーに紺のスキニージーンズを履いた女性が話しかけてきた。私はまさか話しかけられるとは思っていなかったため、あまりにも突然の出来事に思わずフリーズしてしまった。
(この間の河川敷で喧嘩していたカップルの彼女さんだ…。)
「…あ、一応暇です…。」
そう答えると彼女の表情は不安そうな顔からパッと明るい笑顔になり、私が座っているベンチの隣に座ってきた。
「私、国際学部の西嶋 莉菜って言います。もし迷惑じゃなかったら話聞いてもらってもいいですか?」
「…私でよかったら。あ、文学部の青山 渚です。」
友達でも何でもない私なんかに何の話をするのかよくわからなかったが私は聞くことにした。
彼女が話し始めたのは私がたまたま河川敷から目撃した日のことについてだった。西嶋さんには倉田 俊介さんという高校二年生から付き合っている彼氏がいる。ここ最近、倉田くんの様子がいつもと違って何かおかしく、何かを隠しているようだった。しかも、同じサークルの女子と一緒にいるところを目にすることが増えたらしい。不安に感じていた西嶋さんはわざと何にも触れず、向こうから言ってくるまで待っていた。しかし、一向にいう気配がなかったため西嶋さんはちょうど三年記念日だったあの日に直接倉田くんを問い詰めたらしい。慌てたように口を噤む倉田くんに西嶋さんは怒りを爆発させてしまい、そこから喧嘩に発展してしまったそうだ。彼女はあの日から今日まで一度も倉田くんと連絡を取っていないらしい。彼女の話を聞いてあの日そういうことがあってあんな風になっていたのかと納得した。ちょうど話し終わったころには三限が始まる十分前になっていた。
「あ、私、三限に授業あるのでお先に失礼します。話聞いてくださってありがとうございます!」
彼女はそう言いながら小走りで去っていった。
(ほんとにただ話を聞いていただけなんだけどこんなんでよかったんかな…?)
私は少しもやもやしながらもバイトに向かうため学校の裏庭をあとにした。
西嶋さんから話を聞いていてから三時間後、私は大学の最寄り駅から少し離れたところにある喫茶店キサラでバイトしていた。先ほど注文が入った喫茶店オリジナルのコーヒーを入れていたところ横から突然話しかけられてきた。
「お、だいぶ腕上がったじゃん!」
「ありがとうございます。まぁさすがにここ半年ずっとやっていたので…。」
「次はこけしちゃんに何を教えよっかなぁー」
そう言いながら笑顔で話しかけてきたのは、同じ大学、学部で先輩の加地 宏斗だ。『こけしちゃん』というどこから来たのかわからないあだ名で呼んでくる。
「毎度毎度思うんですけどなんで『こけしちゃん』って呼ぶんですか?」
「あれ、知らないの? こけしちゃんってみんなから呼ばれてるの。」
「え?」
「マジかぁー。勝手に知ってるもんだと思ってたわ。いつもさ、大学の裏庭で昼飯食べてんじゃん? その姿が髪型と相まってこけしちゃんって呼ばれてんの。実際にそのあだ名、広めたのは俺なんだけどねぇー。」
サムズアップの親指を自分に向けて歯を出して笑いながらさっき私が入れたコーヒーをお客様に提供しに行った。確かに私は顔が丸く、髪を顎の高さに切りそろえているからそう見えてもおかしくないのかもしれない。だが、そのあだ名をつけるのは少し違うと思う。そんなこと言ったら先輩は世の中にありふれてる黒髪センター分けだと思ったことは一応言わないで置いた。そんな先輩を少し睨みつつ、引き続きコーヒーを入れていた。
最後のお客様が帰り、閉店作業を始めた。卓上のメニューや机を拭いたり、使用した食器を洗ったりして着々と作業を行っていた。
「ねね、こけしちゃん、今日女の子にいつもの裏庭で話しかけられてなかった?」
「あー、西嶋さんのことですか?」
「あっ、そうそう!莉菜ちゃん! あの子、可愛くて髪綺麗だよねぇー❤」
床を箒で掃いていた先輩が箒の柄に手を乗せた上に顎を置きながら言ってきた。
(何言ってんだ、この人は。)
「西嶋さんは彼氏さんがいますよー。」
呆れながら洗った食器を布巾で拭きつつ言った。
「なにー? 嫉妬してんのー? んで、その莉菜ちゃんはこけしちゃんに何の用だったの? こけしちゃんの友達じゃないよねー?」
(私の何を知ってんだ、この人は。)
先輩をじろりと睨みつつ、食器を片づけに行った。
「あー、なんか彼氏さんの話を聞きました。」
「彼氏ねぇー…。最近、あんまりいい噂聞かないよねー。なんか柊 胡桃ちゃん?っていう子と浮気してるんじゃないかって一部界隈で話題に上がってんだよねー。ほらこれー。」
そう言いながら先輩は着ているエプロンのポケットからスマホを取り出して写真を見せてきた。写真には鎖骨ほどまであるミルクティーベージュ色の髪を緩く巻いてスナ系の服装をしている女性とマッシュにパーマをかけた髪型に白のTシャツの上に水色の半そでシャツを羽織って黒のズボンを履いた男性が写っていた。
(だから西嶋さんは怪しんでいたのか…。てかなんで先輩はそんな写真持ってんだろう…?)
少し怪訝に感じながらも先輩からの思わぬ情報に感謝しつつ、新たな人物の登場に私は不安感を抱いていた。
いつも通り大学の裏庭でお昼休みにベンチでお弁当を食べているときだった。ベンチから見て右斜め前にちょうど見える渡り廊下をふと見ると今話題の渦中にいる柊 胡桃と倉田 俊介が二人並んで話しながら歩いていたのだ。まさかの二人の登場に私は驚き、思わず左手にお弁当、右手にお箸を持ったままフリーズしてしまった。
柊さんの方はやけにニコニコしていて楽しそうに話しているのが窺えたが、倉田くんの方は少し苦笑いをしながら気まずそうに話しているように見えた。
(もしかして二人はあんまり仲が良くない…? もしかして一方的に柊さんが押しに押しているだけ…?)
そう思いながら見ていると柊さんと倉田くんがやってきた方向とは逆側から西嶋さんがお友達と一緒に話しながらやってきた。西嶋さんのお友達は倉田くんが柊さんと一緒にいることに気づいたらしく、西嶋さんの様子を伺っていたが、西嶋さん本人はまるでそこに何もないかのように倉田くんのすぐ横を通り過ぎて行った。その時の倉田くんの表情が悲しそうで私は少し見ていられなかった。
気を取り直してお弁当を食べていると誰かに左肩を二回叩かれた。急な出来事に私は思わず身を震わせてしまい、恐る恐る首だけ回転させて左を向くと左頬に何かが当たった。
「あはは‼ こけしちゃん、引っかかったねぇ~!」
そうにやにやして言いながらベンチの後ろから屈み、ベンチの背もたれに寄りかかりながら私の左頬に当てた人差し指で左頬を高速で押しまくっているのは紛れもなく加地先輩だった。急に驚かされた怒りと圧倒的ウザさから左手で持っていたお弁当を膝の上に置き、左手の甲で先輩の手を振り払って横目で睨んだ。
「…一体何なんですか! 人の頬で遊ばないでください‼ セクハラで訴えますよ??」
そう怒り抗議すると先輩はベンチの後ろから回ってきて私の左隣に座り、私の顔の近くに少し近づいて頭をコテンと左に傾けつつこう言った。
「えぇ~…、いいじゃんかぁー! せっかくいい情報持ってきたのにぃー!」
わざとらしくぶすくれた顔をして私の方を向きながら近付いてきた。
(なんで近づいてきた、こいつは⁈)
先輩との物理的距離を空けるために少し右にずれつつ、私は答えた。
「いい情報ってなんですか…? しょうがないので聞いてあげますよ。」
わざと先輩の方を向かずにそう言って私はご飯を口に含んだ。先輩はそんな私を見て笑いながらこう言った。
「これ、見て!」
先輩が見せてきたスマホの画面には雑貨屋さんで楽しそうに商品を見ている柊さんと倉田くんが写っていた。
(あれ、なんかさっきと全然二人の雰囲気が違う…。どういうことなんだろう?)
さっきの渡り廊下とは全然違う二人の雰囲気に私は戸惑いを隠せなかった。そんな私を察したのか先輩がこう言った。
「さっきと全然雰囲気ちがうよねぇー。」
「そうですね…。これどうやって手に入れたんですか?」
「たまたま俺の友達がその場面に遭遇したらしくてそん時に撮ってたんだってさ。」
先輩はそう言いながらベンチから立ち上がり腕を上にあげて伸びた。
「ねーねー、こけしちゃん、そんなに気になるなら本人に直接聞いてみるー? 俺、実は俊介と知り合いなんだー。」
「え、いいんですか‼」
にやっとしながら先輩が言った思わぬ発言に私は目を見開いてしまった。
「いいよー! とりあえず明日の昼休みにここに連れてくるわー。」
そう言いながら先輩は右手で手を振りつつ去っていった。
去っていく先輩を見つつ、もう少し早く教えてくれてもよかったのではという言葉は心の中にしまっておいた。
次の日の朝、私は少し緊張しつつ、お弁当を持って大学の裏庭に向かった。いつものベンチは誰かがすでに座っていたため、私は近くにあったガーデンテーブルの椅子に座った。するとすぐに加地先輩に無理やり肩を組まれながら倉田くんがやってきた。
「おーい! こけしちゃんー!」
「先輩、無理やり連れてくるのは良くないですよ。」
冷めた目を先輩に向けながら言った。
「えぇ…、こけしちゃんのために連れてきたのにぃー?」
まるで小学生かのように拗ねたそぶりを見せながら言ってきた先輩を無視して私は立ち上がり、倉田くんに自己紹介をした。
「初めまして。文学部一年の青山 渚です。今日はわざわざご足労いただいてありがとうございます。よろしければおかけください。」
そう言うと、無視したなぁー!とむすくれた顔を私に向けながら先輩は私の向かいに、倉田くんは先輩の隣に座った。
「国際学部一年の倉田 俊介です。お噂は宏斗先輩から聞いています。あの…、俺はなんでここに連れて来られたんですか?」
戸惑いを隠せていない倉田くんが私と先輩の方を交互に見ながら口を開いた。
(お噂…⁇ え、てか先輩、何も説明してないの⁉︎)
てっきり先輩が説明しておいてくれているものだと思っていた私は先輩の方に目線を移した。するとあ、忘れてたみたいな顔をこっちに向けてきた。先輩は倉田くんの方を向くと私が西嶋さんに相談されたことから今までのことを全て話した。
一応西嶋さんに口止めされてないからいいでしょ! というのが先輩の言い分らしい…。これは先輩につい話してしまった私が悪い…。ごめんなさい、西嶋さん…。
先輩から説明を受けた倉田くんが納得したような面持ちで事の顛末を教えてくれた。
最初、倉田くんは西嶋さんと付き合って三年目の記念と西嶋さんの誕生日が近かったため内緒で何かサプライズをしようと思い、計画を練っていた。しかし、今までサプライズで何かしようとしたことがなく、同じサークルで女子の柊さんに何かいいアドバイスをもらえるんじゃないかと期待して相談した。すると案の定なかなかいいアドバイスをもらえたらしく、そこからそれについての相談を頻繁にするようになり、自然と二人でいることが増えていった。しかし、相談していくたびになぜか柊さんからのスキンシップが増えていき、倉田くん的にはアドバイスをもらっている立場だったため、どうすればいいのかわからなくて対応に困っていたそうだ。また、柊さんと一緒にいるところを西嶋さんに見られてしまったらしく、説明しようにもサプライズのことを言わないと説明出来ないためどういう風に言えばいいのか悩んでいたところ、今回のトラブルに発展してしまったらしい。
倉田くんから話を聞いた先輩も私と同じでこう思っただろう。
いや、どう考えても迂闊にサプライズの相談を女子にしたことが事の発端だろ! と。
話を聞いて最初に口を開いたのは先輩だった。
「ごめんだけど、それはどう考えても俊介が悪いわ。女子ってさ、自分の彼氏が他の女子と二人きりでいるのとか気にする子、多いじゃん? そもそも、三年も付き合ってるんだからそれくらいわかるだろーが。」
思わぬ発言をいつもチャラチャラしてる先輩にそのままお返ししたいと思いつつ、私は隣で激しく先輩に同意した。
「あと、正直いくらアドバイスをしてもらってたとはいえ、どっちつかずな行動は柊さんにとっても西嶋さんにとっても誠実じゃないと思います。」
先輩と私からの総攻撃を受けた倉田くんは申し訳なさそうに俯いてこう言った。
「そうですよね…。俺の対応が良くなかったんですよね…。」
そんな倉田くんを見た先輩が
「まぁ、俊介が優しい奴だっていうのはわかってるんだけどさ。」
と、倉田くんの肩を優しく叩きながら励ました。そんな先輩を見た倉田くんが決意をした顔でこう言った。
「俺、決めました…! ちゃんと胡桃にこういう行為はやめてほしいって伝えてちゃんと莉菜になんでこうなったのか説明します!」
そんな倉田くんの顔を見て大丈夫そうだなと思った時だった。
「しゅんくーん! やっと見つけたぁ! 」
ザ・可愛い女子という感じの声がした方向に顔を向けるとそこにいたのは柊 胡桃だった。指をこっちに指していた彼女がやけに大きいお弁当箱を持って小走りでこちらの方にやってくるとこう言った。
「胡桃、ずーっと探してたんだよぉ?一緒にお昼ご飯、食べよ!」
柊さんはお弁当箱をどすんと音が鳴りそうな勢いで置くと、私、先輩の順で一瞥すると、声のトーンはそのままで軽く握った右手を口元に当て上目遣いで先輩にだけ向かってこう言った。
「あのぉ…、もしかしてぇ、加地先輩ですかぁ?」
「うん、そーだよー。」
先輩らしからぬまさかの棒読みの反応に驚きつつ、私は柊さんの様子を伺った。
「わぁ! やっぱりぃ! 胡桃にはなんでもお見通しなんですぅ! よかったら先輩もご一緒にいかがですかぁ? 胡桃、たくさんお弁当作りすぎちゃったんですぅ〜!」
そう言いながらえへんと腰に手を当てた後、お弁当箱を開け、倉田くんと先輩に向けて見せてきた。まるで私はいないものかのように。
「あのさ、胡桃。いいや、柊さん。ごめんだけど俺に付き纏わないでもらってもいいかな。」
倉田くんは柊さんの目を真剣に見ながら言った。柊さんは混乱したようにこう言った。
「しゅんくん? 急にどうしたの…? なんで胡桃のこと苗字呼びするの…?」
涙目になりながら倉田くんの洋服の袖を可愛くつまんでゆすった。そんな柊さんの手を倉田くんは自分の袖から外すように手で掴んで下ろした。
「色々アドバイスしてくれたのは本当に助かったんだけど、正直、こういうのは迷惑なんだ。」
「えっ…、そんな悲しいこと言わないでよぉ…。胡桃なんか悪いことした…?」
柊さんは傷ついたような顔を倉田くんに向けながら言った。しかし、倉田くんには全く響いていないようで
「そういうわけじゃなくて、柊さんにも莉菜にも失礼な態度とってたからちゃんとしたくて。だからごめん。」
そうしっかりと告げた倉田くんは立ち上がり去っていった。その姿を見た柊さんの目から光が消えた。
「…はぁ? マジでなんなん? 簡単に落とせると思ったのに…! 胡桃を選ばないとか見る目なさすぎだろ…。」
そう小声で言い放つと柊さんはお弁当箱を持って去っていった。
(多分、素の柊さんが見えた気がする…。女子って怖い…)
「ね、こけしちゃん。もしかして女子って怖いって思ってるでしょ? こけしちゃんも女子だよー!」
一緒に取り残された先輩が口を開いたかと思ったらまさか心を読んできたため、じろりと睨みながら言った。
「というか、さっきの倉田くんへの女子の気持ち考えればわかるだろ発言、一番先輩が言っちゃいけないセリフだと思います。」
「えっ⁈ そんなこと言わないでよぉー、こけしちゃーん!」
そう言い放って私は先輩を置いて行こうとしたが、腕を掴まれて振り回されたため、置いて行けなかった。
(私の腕はおもちゃじゃなぁーい‼︎)
数日後、夕方頃からバイトが入っていたため、私は喫茶店キサラにいた。先輩も同じ時間にシフトが入っていたらしく、私と先輩とオーナーの三人で回していた。いつもよりもお客さんが少なく、正直暇だったところに突然倉田くんがやってきた。
「宏斗先輩! 俺、どうすればいいですか⁈」
「おぉ、どうした? とりあえずここ座りな?」
倉田くんはやってきてすぐに客席の片付けをしていた先輩に抱きついた。先輩は驚いた顔をしながらも抱きついてきた倉田くんの腕をとりあえずおろさせ、近くのカウンター席に座らせた。私はそんな倉田くんの前にお冷を置いた。
「あ、青山さん、ありがとうございます。」
「いえ、何かあったんですか?」
私は一度作業していた手を止めて倉田くんに問いかけた。その間、先輩は倉田くんの隣のカウンター席に座った。私が置いたお冷をものすごい勢いで飲み干してから倉田くんは口を開いた。
「あの日から俺、ちゃんと莉菜と話そうと思って教室で話しかけたり、メールしたりしたんです。なんですけど直接話しかけたら無視、メールは既読無視で…。もうどうすればいいのかわからなくなっちゃったんです。何かアドバイスもらえたりしませんか…?」
と言いながら私と先輩に見えるように西嶋さんとのトーク画面を開いたスマホを机の上に置いて見せてきた。すると突然西嶋さんからメールが来た。
『明日、話したいことがあるんだけど、時間もらえる?』と。
「ちょうど連絡来たじゃん!」
と先輩が倉田くんの肩を組んでにかっと笑って言った。
「本当だ! 先輩、青山さん! ありがとうございます!」
そう言いながら倉田くんは喫茶店キサラを出て行った。そんな倉田くんの背中を見ながら先輩が言った。
「特になんもしてないけど突然連絡来たね。」
「まぁ多分大丈夫ですよ。」
そう言いながら私は倉田くんに差し出したお冷が入っていたグラスを洗い場に置いた。すると先輩はカウンターから身を乗り出しながら聞いてきた。
「こけしちゃん、なんでそんなこと言えるのさぁー?」
「実は今日のお昼、こんなことがあったんです。」
そう言って私は今日のお昼にあった出来事を先輩に話し始めた。
***
いつも通り大学の裏庭のベンチでお昼ご飯を食べていると遠くから私を呼ぶ声がした。
「青山さん! 少しお隣座ってもいいですか?」
顔を上げるとそこにいたのは西嶋さんだった。
「あ、どうぞ。今日はどうされたんですか?」
西嶋さんがベンチに座りながら私は問いかけた。西嶋さんは少し私の方向に向くように斜めに腰掛けながら言った。
「最近、頻繁に俊介に話しかけられるんです。でも、この間喧嘩したままで気まずくて思わず無視しちゃって…。メールとかも全部…。」
下に俯いた西嶋さんの話を私はご飯を食べる手を止めて聞いていた。
「実は、昨日、柊さんに直接謝罪されたんです。私と倉田くんはただのお友達だからって。でも私、二人が腕組んで歩いてるところを直接見てたから正直、何を信じればいいのかわからなくて…。どうすればいいと思いますか…?」
私はベンチの上に置かれていた西嶋さんの手を優しく握りながら西嶋さんの顔を見て言った。
「西嶋さんは倉田くんの話を聞いてあげるべきだと思う。倉田くんが何を思ってなんであんな行動をしていたのかちゃんと聞いてからこの先どうしたいのか決めたほうがいい、と私は思います。」
「そうですよね…。」
まだどうするか決め兼ねてる西嶋さんを見て私はある写真を見せた。
「これ…。私が撮ったわけじゃないんですけど、知り合いが前、たまたま撮った写真に倉田くんと西嶋さんが映ってて。」
それは私が目撃した渡り廊下での写真だった。倉田くんが西嶋さんのことを見ている場面が鮮明に映っている。それを見た西嶋さんの目に光が灯ったように私は感じた。
「わかりました…! ちゃんと俊介の話を聞いてからどうするか決めます! 青山さん、ううん、渚ちゃん、ありがとう!」
そうとびきりの笑顔で言いながら西嶋さんは立ち上がり渡り廊下の方へ歩いて行った。
(頑張れ、莉菜ちゃん…!)
そう思いながら私はお昼ご飯を再び食べ始めた。
***
「そんなことあったんだぁー。俺の撮った写真が役に立ったんだねぇー!」
そう、実は西嶋さんに見せた写真は先輩が私に話しかける前に撮った写真だったのだ。
「そうですね。その点においては先輩のファインプレーですけど、盗撮はアウトです。」
私はそう言いながら洗い終わった食器を布巾で拭き始めた。
「うげぇ…。それくらい大目に見てよぉー。」
泣きつこうとしてくる先輩を横目に私は作業を続けた。
一週間後、私は西嶋さんから直接倉田くんと仲直りしたことを聞いた。ちゃんと誤解も解け、お詫びの印に西嶋さんの好きな菜の花の花束を貰ったそうだ。菜の花の花束なんてちょっと美味しそう…。なんてことを先輩に言ったらやっぱりこけしちゃんって面白いわぁー!ってバカにされるから絶対言うつもりないけど。
その時に見せてもらった写真にはとびっきりの笑顔の二人と菜の花畑が広がっていた。
***
「そういえばなんで西嶋さんは見ず知らずの私に相談してきたんですかね…?」
ふと疑問に思ったことを私はバイト中に先輩に聞いてみた。すると、先輩は知らなかったの?って顔をしながら言った。
「それはね、俺のおかげだよぉ〜ん!」
「はぁ?」
怪しい気配を察知して思わず先輩を睨んだ。
「だから俺が広めたの! 大学の裏庭のベンチでいつもご飯食べてる女子大学生に悩みを話すと解決してくれるって!」
にかっと笑いながら言う先輩に思わず拳が出そうになるのを我慢して先輩をさらに睨みつけた。
「なんでそんな根も葉もないことを広めるんですか! お陰で色々と悩まされたんですけど⁈」
「いいじゃんいいじゃん! そのおかげで新しく友達出来たでしょ! こけしちゃんの大学生活に彩りが増えた的なっ!」
万事オッケーじゃんみたいなことをほざく先輩に後で水をぶっかけてやろうかと思いながら私は自分用にコーヒーを淹れたのであった。

