物語
 カンカンカン……ゴーーーッ、ガタンゴトン……カンカンカン……
「……最悪」
 星だけが瞬く冬の夜、私星乃杏恋はうなだれていた。今通った電車、これが終電だった。踏切の警報音が鳴った時点で嫌な予感はしていたが、目の前を通る電車を見ていよいよ絶望してしまった。
 私はとある理由で居酒屋で爆飲みしてしまい、気づけば終電近い時間になっていた。急いで会計をして店を出たけど、酔いがまわっている体とこの凍える空気のせいで思うように走れず、結果終電を逃した。
 さて、これからどうするか……タクシーで帰るという手は使えない。さっきの飲みで手持ちがほぼない。ICカードの中には雀の涙ほどしか残っていない。八方塞がりだ。
 私は目的もなく、ただ彷徨う。少し前までは、私の隣を歩いてくれる人がいたのに、いつの間にかひとりぼっちで肌寒く歩くようになってしまった。
「……ヒック」
 まだ酔いが残っているようだ。
 近くにあったベンチに腰がける。吐く息は白い。手も足も寒さでかじかんでいる。空を見ると、星が輝いていた。月は出ていない。今日は新月か……いつの間にか消えてしまった大切なもの……
「君、大丈夫?」
 私が黄昏ていると、男性に話しかけられた。多分私と同じくらいの優しい感じの男性だ。
「ナンパですか?」
「いや、違うよ。俺だよ、俺。」
「新手のオレオレ詐欺ですか?」
「いやいや。さっき、居酒屋で近くに座ってたんだけど。」
「……そうでした?」
 私の周りにどんな人が座っていたかなんて覚えてない。それぐらい私は飲んでいた。
「まあ、ものすごく飲んでたから覚えてないか。」
「……あなたも終電乗れなかったの?」
「いや、この近くに住んでるんだ。」
「あっ、そう。寒いから帰れば?」
「いやいや、こんな夜更けに女性を一人残して帰れる訳ないよ。」
「……あなた、こんな夜中に女性を残しておけないタイプ?」
「うん、そうだけど?」
「……ふーん。」
 彼は違ったな。こんな暗い時に堂々と私を残して帰る人だったなぁ。
「よいしょ。」
 彼は隣に座った。
「終電ないんでしょ?始発の時間までおしゃべりしようよ。」
「……いいの?こんな寒いのに。」
「一応初対面の女性を家に持ち帰るような性格は持ち合わせてないんでね。」
「……一応って?」
「こっちの話。」
 酔いであまり頭がまわらないので、細かい事は気にしない事にした。
「俺の事はナギって呼んで。」
「……私はアンコ。まあ好きに呼んで。」
「よろしく。」
「よろ。」
 なんとなく無言の時間が続いた。私はフレンドリーという訳でもなく、話し上手という訳でもない。多分それは彼もといナギも同じだったようだ。
「ねぇ、ナギ。」
「うん?」
 話し上手ではないものの、無言の空気に耐えられなく、私は話しかける。
「今日は新月だね。」
「ああ、そうだね。」
 こういうのは良い天気だねが定番だと思うが、今は夜。天気の概念がないような気がして、その話題にしてしまった。
「なんで、こんな日に月無いんだろう……」
「ん?どういう意味?」
「私ね、月が好きなの。」
「俺も。好きだよ。」
 ナギはにっこりと微笑んだ。彼は変なやつと笑われたのに……
「特にお昼とかに出てる月が好きでね。」
「へぇ。それはまたどうして?」
「月って夜になれば大体見れるけど、お昼に出てる月ってそんな滅多に見られないでしょ。」
「うん。」
「だから、お昼に出てる月を見つけた時はラッキーって、良い事ありそうって思えるの。」
「なるほど。」
「……ナギはこんなくだらない話を聞いてくれるんだね。」
「くだらない?なんで?めっちゃ面白いよ。」
「面……白い?」
 私は首を傾げた。彼に話した時はくだらないって鼻で笑われたのに。いや、彼だけじゃない。友達にもハテナ顔されたのに。
「俺、お昼に出てる月を見てラッキーだなんて思った事ないや。」
「……まあ、それはそうだろうね。」
「俺、実は天文について勉強してるんだけど、そんな考えを持っている人に出会った事ないから新鮮だよ。」
「天文?」
「うん。将来は天文学者になるんだ。」
「学生?」
「うん。」
「へー。」
「で、こんな日って何かあったの?」
「こんな日?」
「さっき言ったでしょ?なんでこんな日に月が無いんだろうって。」
「ああ……」
 私は口をつぐんだ。こんな事を初対面の人に話してもいいのだろうか……
「あぁ、ごめん。ずかずかと人のプライバシーに踏み込んで。失礼だったね。」
「いや……私もこんな事話してごめん。いやだよね?こんな話……」
「ううん。あまり知らないからこそ、話せる事もあるだろうし。」
「そう……」
 まだ酔いがまわっているようだ。それに、こんなに暗くて寒くて静かな夜だからだろうか。もう全部話してしまおうかとさえ思ってしまう。
「私ね、付き合ってた人がいたの。」
「うん?」
「私も学生で、サークルで彼と出会ったの。カイトって言ってね、イケメンで爽やかな笑顔の人でね。一目惚れだったかな。だけど、人気者の彼に選ばれるはずないって諦めてたんだけど、彼が選んだのは私だった。嬉しくて浮かれてた。」
 私は周りに気を使ってしまう性格だ。でも、そんな性格のおかげで、彼の目に留まったらしく、話をする事が増えていって、いつの間にか彼は恋人になっていた。
「色んな所にデート行ったなぁ。カフェ、遊園地、ショッピングセンター、映画館……」
「幸せだったんだね。」
「うん。彼が好きだと言ったブランド、映画、食べ物、動画……彼の好きを知りたかったから、私は必死で調べ上げて、とにかく彼にもっと近づきたかった。」
「うん。」
「だけど、彼は私が好きな物を知ろうとはしなかった。プレゼントは世の中の女子が好きな物だったし、ちょっと強引な所もあった。」
「……うん。」
「ちょっと違和感はあったけど、彼は私を愛してくれてるって信じてた。でも、見ちゃったの。」
「何を?」
「彼が他の女の子とホテルから出るところ。私、その時バイト帰りでね。問い詰めたら……」
 ‘’俺は地味で冴えないお前なんかに興味ねえんだよ!”
「うわ、ひどいね。」
「うん……そのまま彼はどこかに行っちゃって、今日別れを告げられたの。」
 ‘’月なんて地味な物を好いてるお前に一生朝なんて来ねえよ!”
「朝?」
「月って極端に言ってしまえば夜に見えるものでしょ?つまりお前はずっと夜から抜け出せないままだって意味。ってか、フラれた女の子にこんな解説させないでよ。」
「ああ、ごめん。」
 とにかく、それでショックを受けた私はそのまま居酒屋に行き、やけ飲みをして、現在に至る訳だ。
「彼は月だって思ってたのに……消えちゃった……」
 私は月が無い空に手を伸ばす。ぎゅっと握っても手の中には何もない。
「彼は月じゃなくて太陽だったんだよ。」
「えっ?」
「太陽はみんなを照らすけど、近づき過ぎると焼け死んでしまう。太陽の表面温度は六千度あるからね。」
「ふーん……」
 そういえば、天文について勉強してるって言ってたっけ……
「太陽の表面温度はよく聞くけど、中の温度は聞かないな。」
「中心温度は千六百万度って言われてる。」
「うわ。ホントに近づけないや。」
「ね。でも、月には近づける。」
「ああ、確かに月に旅行に行ける時代が来るかもしれないって言われてるもんね。」
「うん。それにね、君は月が無いって言うけど、本当はあるんだよ。」
「え?」
「見えてないだけ。だから、今もどこかにはちゃんと存在してるんだよ。」
「そっかぁ……」
 目を凝らして見ても見えないけど、どこかに月はあるんだ……
「見えてないだけで、ちゃんと君の事を見ている人はいるんだよ」
「ん?なんか言った?」
「ううん、何でもない。」
 ナギと話している内に少し酔いが覚めてきた。代わりに寒さが倍増しているけど。
「ねえ、ナギの話も何か聞かせて。」
「え、俺?」
「うん。酔っ払いの話を聞いてくれたんだから、今度は私の番。」
「えー、話すことって言ってもなぁ……」
「天文の話でもいいよ。」
「ホント?」
 そう言うナギの瞳は輝いていた。
「冬の大三角は知ってる?」
「んー、なんか理科の授業でやったかもだけど、覚えてないや。」
「おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のペテルギウスを結んで出来る三角形さ。」
「ふーん。」
「でもね、それで終わりじゃないんだ。」
「え、どういう意味?」
「おうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ、オリオン座のリゲルを結めば、冬のダイヤモンドの完成なのさ!」
「へぇー……ぎょしゃって何?」
「馬車を操る人の事さ。生まれつき足が不自由だったアテネの王が四頭立ての戦車、つまり馬車を発明して、戦場で活躍した功績を称えたと言われているんだ。」
「へー……すごいね。ねぇ、ナギが天文好きになったきっかけとかあるの?」
「うーん……気づいたら好きになっていたって感じかな。特にこれといった出来事があった訳じゃなくて、とにかく星座や宇宙の事を調べ求めて気づいたら、って感じかな。」
「ふーん……」
 確かに、私も気づいたらカイトの事が好きになっていたから、それと似たようなものだろうか。
「そうだ、星の話をしたついでに流れ星の話もしようか。」
「流れ星?」
「うん。流れ星に願い事を3回唱えると叶うって言われるようになった理由。」
「え、何何?」
「キリスト教では天国に神様がいるって言われてるんだ。その神様が地上の様子を確認するために時々天国のドームを開けるんだ。その時に零れ落ちた光のかけらが流れ星。つまり流れ星が光っている間は神様に声が届くから願いを唱えるんだってさ。」
「流れ星自体に唱えるんじゃなくて、それを目印に神様に願ってるんだね。知らなかった。」
「三回なのは一回だと簡単だからだとか願いがある証明だからだとか色んな説があるんだ。」
「願いがある証明ってどういう意味?」
「流れ星っていつどこに出るか分からないでしょ?だから、とっさに願いを言えるって事は普段から願いを頭に思い描いている証拠になるって言われてる。」
「ナギは流れ星見た事ある?」
「流星群は見た事あるよ。ある日いきなり流れ星は無いけど。」
「願いは?唱えた事ある?」
「んー……ないなぁ。」
「天文学者になれますようにって唱えないの?」
「そんな天文学者になれますようにって一瞬で三回言えないでしょ。それはもはや早口言葉だよ。」
「ふふっ。確かに。」
「あっ、笑った。」
「えっ?」
「君、居酒屋に来てからずっと思い詰めたような、泣きそうな顔してたでしょ。」
「そう、かな……」
 確かにそうかもしれない。お酒は美味しいからというよりも喉越しで飲んでいたようなものだし、ここまでで笑うような事がなかった。
「やっぱりアンコは笑ってた方がいいよ。」
「あ、ありがと……」
 なんとなく顔が熱い。また酔いがまわってきたか?それとも……
「願い事って、日本では口に出したら叶わないって言われてるけど、海外ではむしろ逆で、口に出して唱えた方がいいんだって。面白いよね。」
「そうなんだ。知らなかった。ナギは私の知らない事いっぱい知ってるね。」
「そうかな……そんな事言われたのは初めてだよ。」
「え?」
「俺、いわゆる天文マニアで、話題に出すのは十割天文の事。だから、小中高では友達が出来なくて。大学の天文学科に入って、多少は話す人は出来たけど、みーんな最近の流行りとかゲーム、映画、エンタメとかそういうのを話す人が多くて。ちょっとついていけない世界観だった。だから、こんなに話が弾んだのはアンコが初めてだ。」
「えー、嘘だ。その割には初対面の女性には話しかけられるじゃん。」
「アンコは特別、だから……」
「くしゅん!」
 ナギが何か言ったタイミングで私はクシャミをしてしまった。そういえば、めっちゃ寒いんだった……
「大丈夫?何か温かいもの買おっか。」
「うん……」
 私はナギに連れられて自動販売機に行った。そして、ホットコーヒーを買った。コーヒーはあまり好きではないが、始発に乗って帰らないとだし、ココアだと眠ってしまいそうだったから。
「自動販売機はこんな夜中でもちゃんと飲み物を売ってくれるんだね。」
「そうだね。コンビニは二十四時間営業が基本だし、カラオケとか、それこそ居酒屋とか、深夜でも開いている所は多くはないけどあるしね。」
「そっかぁ……夜は暗くて寂しいばかりだと思ってたけど、ちゃんと周りを見渡せば明るい所はあるんだね。」
「そうだね。」
 私はコーヒーを一口飲んだ。
「今日は色々あったなぁ……」
「ん?」
「カイトにこっぴどくフラれて、私にしては珍しくやけ飲みして、終電逃して、ナギと出会って、何か色々話して……」
「違うよ。」
「えっ?」
「暗いし酔ってて時間感覚が分からないんだろうけど、アンコが飲んでいた日と今こうして俺と話している日は違うんだよ。今はもう次の日になってるんだよ。」
「……あっ。」
 すっかり忘れてた。そもそも終電といっても、時間的には次の日なんだ。そっかそっか……
「ずっと同じ夜に見えるけど、ずっと同じって訳じゃないんだね。」
「うん。ちゃんと時間は進んでいるし、この星だってさっきとは違う位置にいるんだ。」
「ふーん……」
 当たり前のはずなのに、忘れてしまっていた。
「てことは、一応今は朝なんだね。」
「うん。早朝だね。」
「ふーん……こんなに暗いのに一日の始まりなんだね。」
「うん。始まりっていえば、なんで見えない月を新しい月と書いて新月と呼ぶのか教えようか。」
「うん!知りたい知りたい!」
「ふふっ。月の満ち欠けが始まる日だからさ。ここから、三日月、半月を経て満月になって、また欠けていって……そんな日々がスタートするからさ。」
「そっかぁ……」
「きっとアンコにも新しい日々が始まるさ。」
「うん、そうだね。きっと私にとっても、今日は新月なんだね。」
「うん。アンコがそうならそうさ。」
「ありがとう、ナギ。話を聞いてくれて。ちょっと吹っ切れたような気がするよ。」
「うん。今度はアンコの事も大切にしてくれる、そんな人が見つかるはずさ。」
「ありがとう。」
 始発の時間が迫っているので駅に向かうことにした。一人でもよかったのだけど、ナギがどうしても送っていくと聞かなかったので、二人で歩く事になった。
「ナギ、眠い?」
「いや、大丈夫さ。まあ家に帰ったら即就寝だろうけど。」
「ごめんね、付き合わせちゃって。」
「ううん。アンコならいつでも……」
「あっ、駅だ。開いてる!」
 私は走った。酔いはすっかり覚めた。寒いし、相変わらず暗いけど、なんだか清々しい気持ちだ。
「ナギ、ありがとう。きっとナギの話を聞いてくれる人も現れるよ。」
「ありがとう。……もう、いるけどね。」
「え?」
「アンコ、君となら……」
「あっ、もう始発来ちゃう!」
 別に始発は逃しても次はあるはずだけど、一刻も早く家に帰って温まりたかった。
「ナギ、なんか言った?」
「ううん。アンコ。またね。」
「ナギ。バイバイ!」
 こうして、ナギと別れて、私は電車に乗りこんだ。そろそろ夜が明ける。私の夜ももうすぐ明けるかもしれない。
「……ん?またね?」
 ふと気づいた。ナギはバイバイじゃなくてまたねと言った。またねは次がある言い方だ。何故、またねなのだろう?
 ……そういえば、ナギに連絡先でも聞いておくべきだったかもしれない。すっかり忘れてしまった。でも、ナギはまた私に会えるという確信があるのだろうか……
 この後無事家に到着し、お風呂だけ入って太陽がすっかり顔を出した頃に就寝した。
 数日後の大学で、私が所属するサークルを辞めようと部室に行ったその先で、ナギ……夕月凪に再会したのはまた別の話だ。