互いに自分こそが被害者だと主張する朝陽と真理奈を中心に、まとまりを失った二年三組に一筋の光が通った。

「そこ二人で永遠にごちゃごちゃ言い合っても意味ないだろ?とりあえず朝陽のリュックをみんなで荷物検査すればいいと思ったんだけど、どうだ?」

「もちろんいいよ。俺の潔白を証明できるならな。」

 即座に翔間の提案に応じた朝陽と対照に、真理奈はいまだに璃子のひっつき虫になって、動かないでいた。
 はっきりと自分の意思表現出来なさそうな状態の真理奈を見かねた璃子は、耳を真理奈の口に寄せて、彼女の意見を尋ねた。

「真理奈もそれでいいみたい。もし勘違いだったら申し訳ないから、だって。」

「よし、じゃあ亜耶音と辰己はこっちに来い。三人で調べれば流石に取りこぼしもないだろ。」

 翔間に指名された二人は何も言わずにただ頷いた。辰己は指示に従って素直に翔間についていったが、亜耶音の方はちゃんと翔間についていっているとは言えず、どちらかと言えば朝陽の立っている箇所に寄ってきている気がした。
 彼女は自然かつ朝陽から最も近い位置まで辿り着いたとき、朝陽意外に誰も聞き取れないような小さな声で矢継ぎ早に言った。
 
「うちは信じているからね。」

 この言葉が朝陽の心をカイロのようにじんわりと温めた。クラスの全員が全員、朝陽を信じていないわけではない。少なくとも一人は味方である。その事実が分かっただけで、朝陽は憑き物が落ちた気がした。
 全体の雰囲気や空気から緊張感が薄まったのを肌で感じて、朝陽はこっそりと胸を撫で下ろした。

(そうだ、翔間、お前の言う通りだ。三人であの小さなスペースを探しておいて、見落とすなんてあり得るはずがない……それに、俺のリュックに画鋲なんてものは……)

「あっ」

 この一声で全ての視線が朝陽に集まった。朝陽は全身の血が一斉に引く気がした。彼の顔色は鬼火と引けをとらないぐらい青白い。

(あの日、上履きに入っていた大量の画鋲……リュックサックの中に入れっぱなしにしたまま片付けてないんだった……)

 突然視線を泳がせるなど、まるで別人にでもなったかのような素振りを見せる朝陽に翔間は眉を顰めた。

「どうしたんだ?朝陽、お前様子がおかしいぞ?」

「……いや、何も。」

 朝陽が誤解されないためにはどう説明すればいいか分からず、言葉に詰まっていると、誰かが机にぶつかる音がその間に割って入った。

「ねぇ……見つけちゃった……」

 羽虫のような亜耶音の声がいまいち聞き取れなかったのか、辰己は耳を澄ませる動作をして亜耶音にもう一回話してもらうことを要求した。

「見つけちゃったんだよ……!私が、朝陽のリュックから!たくさんの画鋲を!……こんなことするはずがないって信じていたのに。」

 亜耶音の発した言葉は支離滅裂だった。たとえ自分の目で見たことだとしても、受け入れ難いことだったのだろう。私は信じている、という言葉をかけてくれたばかりのこともあって、彼女のがっかりしたような顔は余計、朝陽の心を破いた。
 亜耶音から視線を外して、一周周りを見渡すと、予想通りの光景が広がっていた。全員が朝陽を心底軽蔑するような目で見ていた。
 被害者、幡野真理奈からの証言に、リュックに大量に詰まっている画鋲、証拠が全て揃ってしまった。
 いつもはチャイムが鳴るか鳴らないかの際どいところを狙って来る一部の人は皆、自身の友達から事情を聞いた後、揃って自分の耳を疑った後、泣きっ面の真理奈と朝陽のリュックから取り出された画鋲を見て、周りに溶け込んでいく。
 こうしてこの場に自分は朝陽の味方である、朝陽を信じていると口にするものは完全にいなくなってしまった。
 キーンコーンカーンコーン。今日もチャイムは朝陽の救いの鐘となった。
 クラスメイトのみんなからすれば、こんな状況下でなお、自分は無罪だと主張するのは見苦しいだろう。しかしありもしない罪を認めるのは、朝陽のプライドが許さなかった。

「俺はやっていない。画鋲を机の中にばら撒いたのは本当に俺じゃないんだ。」

 休み時間になるたびに朝陽は声を上げ、朝陽がこのように声を上げるたびに、クラスメイトは彼を見る目を冷たくしていき、挙げ句の果てには無視をするようになったのだった。

 放課後、朝陽の所業にうんざりしたせいか、帰りのホームルームが終わり次第、部活がある人は部活へ、何もない人は即座に帰宅などして、一分も経たないうちに教室には朝陽一人だけが取り残されていた。
 ストレスが溜まって疲れ切ってしまったクラスメイトに反して、朝陽は完全にとは言えないが、まだまだ精力が残ってそうな様子だった。
 理由はあまり良くないものだが、久しぶりに学校で一人になれる時間を手に入れたい朝陽は、のんびりと帰る支度をしながら、今日のことについて考えていた。

(今一度冷静になってみたが、真理奈は俺を冤罪を負わせようとしたのではなく、犯人は別にいて、純粋に見間違えてしまった可能性はないか……?もしそうだとしたら、今日怒鳴っちゃったのを謝らないとなぁ。)

 朝陽の悪い癖がここでも出てしまった。
 おおよそ教科書をロッカーにしまい終えて、椅子を机の中に戻そうと背もたれに手をかけたところ、朝陽は一枚の付箋が目に入った。

「言いたいことがあります。他の人に言いにくいので一人で校舎裏に来てください。幡野。」

(やっぱり……!今朝の出来事は全て勘違いが元凶だったんだ!)

 このとき、実は朝陽も調子を保つための力はほとんど今日使ってしまったのだろう。だから朝陽は忘れてしまっていたのだ。数日前に誰かが自分の上履きに画鋲を仕掛けたことに。

 校舎裏にあまり人は行かない。基本、整備されていないため、コンクリートの隙間から雑草が生い茂り、樹木は自分の思うがままに枝を広げている。面積が広いため、昔はは校舎裏も使われていたらしく、今でも水が出る水道が残っている。

「真理奈が言っていた校舎裏はここか?」

 校舎の角を曲がると、そのずっと奥に人影が見えた。朝陽はそれに気づいて小走りに切り替えた。

「ごめん、待たせた?」

 茶髪で緩く毛先を巻いたセミロング。あの人影はやはり真理奈だった。
 驚かさないようになるべく穏やかな話し方をしたつもりだが、振り返って自分の顔を見せようとしない真理奈に、もしやまだ泣いているのかと考えた朝陽は後ろに大股三歩分歩いた。
 もう一度、今度はそっちがいいよって言うまで待ってる、と言おうとして息を吸った瞬間、朝陽は後ろから両手を掴まれた。あまりにも突然だったこともあって、朝陽はあっけなく両手首を拘束されてしまった。
 朝陽を拘束した人は固結びを何重にも重ね、自力で縄を解けないことを確認すると直ちに朝陽の目を覆いにいった。
 よくわからない人の言いなりにはなりたくなかったので、朝陽は無理やり一つにされた拳をを勢い良く振った。
 間一髪で相手に避けられてしまったが、朝陽はその腕の中から抜け出すことに成功した。
 バランスがうまく取れなくなったせいで、朝陽はその場で何回も変なステップを踏む羽目になったが、彼が運動を得意とする傾向にあったおかげで転ぶことはなかった。
 やっとこさ身体が平静を取り戻すと、朝陽は流れで自分を縛った人と対面することになった。

(どれほど俺のことが嫌いな人ならこんなことをしだせるのか。むしろ見てみたいほどまである。)

 まだ見ぬその人に強い態度をとっていた朝陽だったが、すぐに自分の目を疑うことになった。

「……理人先輩?」

 空いた口が塞がらない様子の朝陽が面白おかしいのか、理人は軽く笑って朝陽に応えた。

「語尾にはてなマークなんてつけなくていいよ。朝陽君の知る理人先輩で間違えてないからね。」

 朝陽の向かいに立つ理人は黒のスーツを着ていて、三週間ぐらい前に初めて出会ったときの人当たりが良さそうという印象とはかけ離れているように見えた。
 朝陽はなぜ理人が自分の自由を奪うようなことをする理由が分からなかった。

「先輩、理人先輩。なんで俺の行動を束縛するようなことをするんですか?」

 理人は答えを出し惜しみすることなく、あっさりと朝陽からの望みを叶えてあげた。

「なんでかって?それはもちろん俺の可愛い妹の願い事だからだよ。」

 一気に唇の水分を搾り取られたような感覚がした。くっついた唇の皮同士を強制的に引き剥がして、朝陽はまた問うた。

「じ、じゃあ俺のことが実は気に食わなかったとか、他の理由はなく純粋に……」

「うん、純粋に真理奈の願いだったから。小さい頃約束しちゃったからね、最低でも一つの願いは聞いてあげるって。」

 朝陽の言葉の中途半端なところで横入りして、理人は昔を懐かしむような、けれどもどこか憎むような顔をして語った。

(なんなんだよ……それ……それじゃあやっぱり真理奈が俺に免罪を負わせたのはわざとだったんだ。)

 朝陽がどうにかして情緒を落ち着かせようと息をつく前に理人は畳み掛けるように話を続けた。

「だからね、朝陽君のことが嫌いだとか、見ているだけで吐きそうになるだとか、そういうわけじゃないんだ。なんなら俺は人懐っこい朝陽君の人柄を気に入っているよ。」

 理人の口調は終始穏やかだった。だが妹の真理奈はそれが気に入らなかったようで、まだ話す口が止まりそうにない兄に苦情を入れた。

「そんなにアイツと話をしないで!ほんっとうに昔から話多すぎ!お兄ちゃんは私の味方でしょ!」

 ダイレクトに自分の悪癖を指摘された理人は苦笑を浮かべることしかできなかった。

「そうだよ、お兄ちゃんはずっと真理奈の味方だ。」

 この言葉を最後に、理人は乾電池を抜かれたロボットのおもちゃみたく、朝陽に話しかけることも、朝陽に返答をすることも無くなった。
 校舎裏は再び静かになった。
 真理奈は朝陽を睨み、朝陽も負けじと真理奈を睨み返した。これは目と目の間にバチバチと雷が走るようなライバル同士によるものではなく、どちらかと言えば適当な方向を向いたら自分の嫌いな人がいたときの反応の方が近かった。
 こんな状態が一生続くかと思いきや、何か腹をくくった朝陽が口を開いた。

「なぁ、もう一度聞くぞ。なんで自分でいじめられたフリなんかして、俺に濡れ衣を着せたんだ?」

 朝陽が自分に話しかけた途端、真理奈は視線を朝陽から自分の爪に差し替えた。彼女は至極つまらなそうな顔をして、仕方がなさそうに言った。

「なんで?教えるわけないじゃん。他の人に聞いてばかりじゃなくて、少しは自分でも考えてみたら?」

 朝陽は初めて話しただけで、こんなにも頭に血が登るような人に出会った。細かく言えば朝陽の限界を悪い意味で超えたのは、真理奈が初めてだったのだ。

「というか、話しかけないでくれない?いや、近づいてくるだけでも憤死しそう。」

 最初の単語あたりからもう無表情は貫くことができていなかったが、ついに朝陽は笑いを堪えきれなくなってしまった。溢れてきた涙を人差し指の関節で拭いながら朝陽は言った。

「『近づいて来るだけでも憤死しそう。』だって?明らかにお前の方から近づいてきたのに、よくそんなことを言えるな。俺だったらあまりの恥ずかしさに、宇宙まで飛んでいってしまうかもしれない。」

 涙を拭くという行為が逆鱗に触れてしまったのか、真理奈は顔を真っ赤にした。

「私を馬鹿にしないでよ!わかった、そんなに自分がいじめられた理由が知りたいなら、教えてやる!その前に……お兄ちゃん!そして、下っ端ども!」

 茂みの奥から何かが動く音がした。そう思った次の瞬間、首元がヨレヨレで至る所に土汚れが付着した服を着た成人男性が出てきた。
 全員合わせて五人で、服装から見るに、教師でもなく、用務員でもないだろう。学校には1ミリも関係がない部外者だということは一目瞭然だった。

「どうして学校の敷地内にこんなにも部外者がいるんだ!先生方はどうしたんだ?」

「逆に先生が対処できたなら、それは見事なものね!校門から入ったとしても、発見するまで、ある程度長い時間がかかっているのに、こっそりと抜け道から入ってきたこいつらが先生に見つかるわけないじゃん!」

 薄汚れた五人の男を朝陽が見たのはこれで最後だった。複数人の力でその場に跪かされ、ガーゼで目隠しをされてしまったのだ。誰が犯人かは明々白々なことだろう。
 ガーゼは目隠しとしての役目を果たすには少々力不足だった。荒い織り目からシルエットがぼんやりと見えていたからだ。
 今正面でしゃがんでいる、華奢なシルエットは間違いなく真理奈のものだ。それ以外のことはわからない。理人も含めた六人のうちの一人に頭を掴まれて、動かせなくなっている。
 
「話が逸れちゃった。訳が聞きたいんだったよね。」

 真理奈は立ち上がって、朝陽を上から見下ろす構図になった。腕を組み、惨めな格好の朝陽を見て悦に浸っているようだ。
 掴まれた朝陽の頭はそのまま真理奈の足に踏まれてしまい、真理奈に朝陽が首を垂れるような形になった。

「それはね、アンタが毎日」

 真理奈は朝陽の頭頂部から後頭部にかけたところを踏みつけている足に力を入れた。朝陽もありったけの力で押し返したが、頭で足に抵抗するのは無理だった。
 朝陽の額は地面の砂利に衝突し、表皮が剥けてしまった。

「たくさんの人に」

 表皮の傷がさらにひどくなった。おでこにジンジンとした痛みが走る。

「囲まれて」

 朝陽を踏む力は一層強くなった。真皮が傷つき、微かに赤色が見えるようになった。

「ヘラヘラと笑うのを見ると」

 痛みに悶え、暴れた末に一段角が鋭い小石に当たってしまった。眉間は真っ赤に染まり、今にも血が流れ出そうだ。

「危うく戻しそうになるぐらい気持ち悪く感じるの。」

 計四回、朝陽は額を地面にぶつけることになった。おでこから鼻筋を沿って血液が流れたことで、真っ白だった目隠しは時間が経過するにつれて、黒くなっていった。