あれからさらに時間が過ぎ、日は完全に海の向こうへ沈み、地上にはベガの青みがかった光が届いていた。
 朝陽と夕は無事にシェルターを見つけ、今はそれぞれ溜まった疲れをとっていた。
 二人が発見したシェルターは家財の全てが今の時代では珍しいアンティーク調で統一されていた。よく見たら壁も床も本物の木を使っていなかったが、木材だけが持つ温かみが十分に感じられた。それに、このシェルターの主人は余程の本好きだったのだろう。本棚には紙の本がびっしりと収納されていた。
 自ら朝陽についていくとは言ったものの、まだ他人のものを取ることに抵抗感を感じて座っているだけの夕とは反対に、猛烈な空腹を感じた朝陽は既に棚や引き出しの中を漁り始めていた。
 朝陽は片っ端から収納という収納を開いていき、ついに戸棚の中から大量とは言えないが、二人分は裕にあるだろう食糧が見つかった。朝陽は喜びで今にも飛び跳ねそうな様子で言った。

「見ろ!これぐらいの量があるなら今夜と明朝は食に困らなさそうだ。やったな、潮見!」

「……」

 返事が返ってこないことに、夕が倒れてしまったのではないかと朝陽は本気で焦った。急いで隣まで走っていって気がついた。夕は椅子に座ったまま寝ていたのだ。朝陽は夕を起こさずベットまで運ぼうとしたが、昼間に倒れかけた夕を運ぶのに苦労したことを思い出し、ひとまずは毛布をかけるだけにした。

(俺と違って潮見は朝からずっと歩き続けるのはきっとこれが初めてだろうな。こうなってしまうのも仕方がない。)

 そう思いながら朝陽は自身の腰に手を当てて、自分がシェルターを巡り始めたばかりの日を思い出した。あのときは限界なまでの飢餓で大変だったものだ。たった九日ぐらい前のことなのに、妙に懐かしさを感じた。
 夕に気を遣って、なるべく音を立てないようとしたところだというのに、ちょうど夕が座って寝ている椅子の前のローテーブルから何かが落ちた音がした。内心慌てつつ、うるさくしないように小走りで駆け寄ると、落下したのは一冊の本だということがわかった。視線をそのまま上の方に移すと、そこには先ほどと変わらず、目をしっかり閉じている夕がいた。

(危なかった… せっかく疲弊していた潮見が休めたところに邪魔が入らなくてよかった。)

 緊張により固まった顔の筋肉が緩まったのを感じた後、朝陽は地面から本を拾おうと腰をおろした。
 すると、朝陽が意識をせずともたくさんの文字列が目に飛び込んだ。落ちた拍子にページが捲れたのだろう。そのままの流れで朝陽は中身を読み出した。

「六月二十五日、今日、私は大切なものを一気に失った。家族も朝仕事や大学に行ったきり、帰ってこない。不安や孤独に思うが故のストレスを少しでも発散するために、日記を書こうと思う。」

 どうやらあの隕石が墜落してきた日のことを言っているようだ。
 字はとめ、はね、はらいがしっかりしていて、見ているだけでも気分が良くなる。まるでお見本のような字だ。朝陽はこの字に既視感を持った。

(端正なこの字... 委員長の字にそっくりじゃないか!)

 二年生の学級委員長とは、朝陽のクラスメイトでもある、倉本静佳(くらもとしずか)のことだ。
 髪型は黒にショートボブで、毛量が多いからか顔周りがふわっとしていて可愛らしい。シルエットだけなら太った猫の頭に見えなくもない。
 この日記帳が静佳の物だったら、今朝陽と夕がいるシェルターも倉本一家のものだ。

(奇遇だな。でもまぁ、こんなこともありえるか。それよりも倉本さんのご家族は結局無事だったのだろうか?)

 朝陽の中で偶然に驚く気持ちよりも、心配する気持ちの方が勝った。朝陽は日記帳をめくって何か記述がないか探した。朝陽が思っていたよりそれはすぐ近くで、一枚ページを捲った先にあった。

「六月二十七日、嬉しいことに予想よりもずっと早く家族からの連絡が届いた。話によると父、母そして姉、みんな無事だったようだ。被害者がたくさんいらっしゃる中で、家族全員が何事もなかったことは本当に幸福なことだと思う。
私はこのシェルターを去るが、もし困った人がいるのなら、何の気も負わずにここを利用して欲しい。この誰も私の日記を読まないかもしれないが、一応この日記帳に私の意思を残しておく。」

 日記帳にはまだまだ捲れる余地があったが、最後までめくろうとしたところで、何も書き込まれていない白紙だけが続く。
 換気のためにと開けた窓からは冷たい風が吹き込み、カーテンを揺らした:。静佳のご家族が皆無事だったことは本来喜ばしいことだ。それなのに朝陽の気持ちは晴れず、むしろ曇っていった。加えて突然頭に痛みが生じた。ほんの僅かな痛みだったがそれにも耐えられず、朝陽はこめかみを親指で按摩しながら、シャワー室の方へ向かった。

(何もしないよりお湯にあたった方がマシになるだろう… まだ日が沈んで一時間もないけど、今日は早めに寝てしまおう。)

 時計の秒針が十七周目を回り終えそうになった頃、朝陽は暖かくて乾燥した空気を纏って戻ってきた。戻ってくるや否や夕の意識を呼び起こして、二人してベッドに倒れ込んだ。
 およそ九日間、朝陽は疲労で泥のように眠りにつくことはあったが、頭痛を引き起こしたことなんてたった一度もなかった。
 このとき外から一段と強い風が吹き込んできた。風は本棚を通り過ぎ、花瓶の花と触れ合った。そしてローテーブルの近くまで来たとき、とある本を見つけ、それをとりわけ気に入った。
 その本とは静佳のものと思われる日記帳だった。風は日記帳を右から左へ二、三ページ飛ばしながら読んでいったが、すぐにどこかへ行ってしまった。何かとてつもなく(おぞ)ましいものでも目撃してしまったかのようだ。
 風が捲るのをやめた第四十三ページ、五月二十八日の分の日記にはミミズのような力のない字でこう書かれていた。

「悶々と考えている場合ではないことは分かっている。私が行動を起こさなければ、どうにもならないことも理解している。けれど、いざあの光景を目の前にすると、自分もああなるかもしれないという思いが脳裏を過る。足はすくみ、口は糸で縫われたように言葉を発せられなくなる。 私はどうするのが正解なのだろうか?もう嫌だ。何も考えたくない。」