古い街道を外れた先に、ぽつりと集落がある。
かつては街道の要として栄えたが、今では山霧に閉ざされた寂れた村だった。

「ここが、犬飼家の末裔が住んでいたという村か」

千龍が周囲を警戒しながら呟く。

村には、不自然な静けさが漂っていた。
人気があるはずなのに、声も足音もまったく聞こえない。
まるでこの地そのものが、息を潜めて“何か”を待っているかのように。

「珠の気配が……かすかにある。けど……何かに遮られてるわ」

美咲が目を閉じ、霊的な波動を探るように呟いた。

蓮が歩を進め、村の中央に建つ旧家の前で立ち止まる。
門の木札には、うっすらと「犬飼」の文字が刻まれていた。

その時――

「来るな」

低く、だが鋭く張り詰めた声が空気を裂いた。

振り返ると、屋敷の屋根の上に、一人の青年が立っていた。

風にたなびく白い法衣のような装束。
長い黒髪は後ろで緩く束ねられ、瞳は灰銀に染まっている。
神職のような清廉さを纏いながらも、その身から漂うのは明らかな殺気だった。

「お前たちも、珠を狙う者か?」

「違う、俺たちは――」

蒼真が言葉を継ごうとしたその瞬間、彼の手に握られていた珠が震えた。

同時に、村の外れから重く低い音が響く。
地面が微かに揺れ、空気が濁ったように感じられた。

「来たか。やはり、お前たちを囮にしてくるとはな」

屋根の上の青年――犬飼白夜は、静かに跳躍し地に降り立つ。
その背後から、もやのような闇が蠢き、異形の影が現れた。

「怨霊!」

美咲が顔をしかめ、印を組む。

「いや……これはただの怨霊じゃない。珠の波動に反応している。まるで……」

「珠を壊しに来ている……!」

蓮が歯を食いしばる。

異形は人の形をしていない。
まるで獣のように四足で地を這い、体中に鎖を巻きつけている。
その鎖の一部が光を放ち、珠の波動に反応しているように脈打っていた。

「白夜!」

蒼真が叫ぶ。

「俺たちは八犬士の末裔だ! お前も犬飼現八の血を引く者なら、わかるはずだ!」

白夜の瞳が揺れた。

「ならば、力を示せ。俺の“信”を、裏切るなよ」

その言葉と同時に、白夜が印を切り、掌から光を放った。
信の珠――それは彼の左掌に刻まれた紋から浮かび上がるように顕現した。

珠が現れた瞬間、鎖に縛られた怨霊が咆哮を上げる。

「珠の光……壊せェエエエエ……!」

異形が、凄まじい勢いで突進してきた。
蒼真、蓮、千龍が即座に武器を構える――が、

「下がって!」

鋭く張り詰めた声に、全員の動きが止まる。
前へと進み出たのは、美咲だった。

風が吹きすさぶ中、彼女は懐から五枚の札を取り出す。
それぞれに〈破〉、〈封〉、〈影〉、〈結〉、〈明〉の文字が刻まれていた。

「陰陽師、結界術。陣の式をもって、これを払う!」

美咲が地に印を描き、札を空へと放る。
五枚の札が空中で円を描き、彼女の周囲に結界が展開される。

怨霊が突っ込んでくる。
鎖がうねり、珠を狙って伸びてきた。

その時……。

「封術・五行断!」

美咲が両手を打ち鳴らした瞬間、札が一斉に光を放った。
空間が歪み、怨霊の鎖が弾かれる。
さらに、光の糸が怨霊の身体を縫うように絡みつき、その動きを封じていく。

「この術は……!」

白夜が目を見張る。

「これは珠に頼らぬ術、怨念そのものを。根から断ち切るための、私の覚悟よ」

美咲の掌に最後の札が浮かび上がる。
そこにはひとつの文字――〈還〉。

「輪廻に還れ、迷える魂よ。還導ノ印!」

放たれた札が怨霊の胸に突き刺さった。
次の瞬間、異形の体から闇が剥がれ落ち、悲鳴とも呻きともつかぬ声が木霊する。

「……あぁ……還れる……ようやく……」

柔らかな光が辺りを包み込み、怨霊は音もなく――静かに消えていった。