月が雲間に隠れ、森の中には再び闇が満ちていた。
その中心に、ひとつの影が佇んでいる。

黒衣の人物。
その顔は布で覆われ、正体は知れない。
ただ、その足元には崩れた祠の残骸と、まだ微かに燻る怨霊の気配が残されていた。

「礼の珠、回収失敗。白夜、覚醒済み」

低く呟く声は、男とも女ともつかない。
その言葉に応じるように、虚空から青白い火の玉が現れた。

『今の八犬士……思ったより早く揃い始めているようね』

それは、あの〈玉梓〉の声だった。
けれど、その声には以前よりも明確な「理性」と「意図」が感じられる。

「まだ“珠”そのものには完全には還っていない。だが、繋がっている」

黒衣の者は小さな巻物を広げる。
そこには、八つの珠の名が記された円環の図があった。
“孝”、“義”、“礼”、“智”、“忠”、“信”、“悌”、“仁”。

巻物の「仁」の位置が、赤く脈打つように光る。

「次は、仁か……」

布の下から漏れた声には、わずかな愉悦がにじむ。

『犬江景臣……仁の珠の継承者。あの子はまだ迷っている。信念も、意志も、まだ未熟』

「ならば、揺らせる。心ごと、珠を壊せばいい」

火の玉がすっと消え、闇もまた波紋のように静かに沈んでいく。
その残響だけが、森の奥へと広がっていった。

その頃、山道を進む一行は、次なる気配に導かれていた。

「……仁の珠が……共鳴してる」
美咲が小さく呟いた。

蒼真が振り向く。

「場所は分かるか?」

「北西。山を越えた先の、旧武家町……“香塚”って村よ。犬江家の本家があった場所」

白夜が静かに言う。

「犬江景臣――聞いたことがある。だが、彼は……」

白夜の言葉が濁る。

「何かあるのか?」

「……あいつは、自分の血と珠の力を拒んでいた。理由は……知らないが」

蓮が一歩前に出る。

「なら、今こそ行くべきだ。奴らが“仁”を狙ってくるなら……先に彼を見つけなきゃならない」

珠たちが、再びわずかに共鳴する。
旅路は続く。
次なる珠のもとへ――そしてまた、新たな心と、試練との出会いへと。