目が覚めた。時計を見ると、六時三十分。
「そろそろ起きよ……」
 春休みが終わって、きょうは始業式。
 僕の学校での唯一の楽しみは、乃々花に会えること。
 今まで話す勇気が出なくて話したことがなかったけど、三年生になったし、今年度こそは。

 ――学校が終わった。
「けっきょく話せなかった……」
 花梨とすごいしゃべってて、話すタイミングがないっていうのもあるけど、なにより……
「乃々花、一日経ったら記憶なくなっちゃうからな……」
 そう、乃々花は病気で、寝て起きたら記憶がなくなってしまうらしい。たしか、前向性なんとか……みたいなやつ。
 あしたになったら忘れられるのが怖い。
 けど、乃々花と花梨の話で、日記がどうのこうの言ってた。つまりは、僕と話したことも日記に書いてくれれば、覚えてくれるかも。

 ――僕は、ずっと好きだった。乃々花のことが。
 乃々花は、寝て起きたら前の日の記憶を忘れてしまう。
 普通に考えたら、毎日絶望して過ごすことになるだろう。
 だけど、乃々花は、中一で初めて会ったときから、ずっと毎日を楽しそうに生きていた。
 それに、惹かれたんだ。
 病気に負けず、毎日懸命に生きる、その姿に。


「ふわぁ……」
 四月八日。きのう決めた。きょうこそは乃々花と話すって。
 きょうの学校でがんばって覚悟を決めて、帰りのホームルームが終わったら思い切って話そう。

 ……なんて思ってたら、昼休み。
「ねえ、なんの本読んでるの?」
 ……え?乃々花?
 一瞬戸惑ってしまったけど、なんとか答えは絞り出せた。
「えっと、恋愛ものの小説を……」
 その後タイトルを訊かれたから、答えて、なんてやってるうちに、けっこう盛り上がった。

「よかった……」
 下校中、乃々花のことをずっと考えていた。まさか、向こうから話しかけに来てくれるなんて。
 あしたからも、話せる。そんな、気がした。


 翌日の学校。きのう読んでた小説は家で読みきったから、家から持ってきた新しいミステリー小説を読んでいる。長年活動している、有名な方。
 そして、きょうも昼休みに、乃々花が来てくれた。
「ねえねえ、きょうはなに読んでるの?」
「えっと、きのうの本は家で読み切ったから、有名な作家さんのミステリー小説を……」
 どうやら乃々花も知ってたらしくて、その本も読んでみたいって言われた。そして、そのまま貸すことになったけど、乃々花になら貸したいと思った。
 あした貸さないといけないから、きょう家で読み切っちゃわないと。

 そうして、家に帰ってきて続きを読む。時間が一瞬で溶けていく。体感、ものの数分で読み切った気がした。
「おもしろかった〜!」
 すごい満足度が高い小説だった。あした貸すのが楽しみ。
 あとはのんびりして、あしたを待とう。


 次の日、朝。
 小説を渡しに行こうとしたけど、まだ花梨と話してるみたい。
 きょう、自分で読む用に持ってきたのは、小説じゃなくて動物の本。僕は、昔から動物が好きで、よく動物園に行っては癒されていた。
 ……ん、乃々花が席に戻った。じゃあ、貸しに行こ。
「きのう話したミステリーの本、持ってきたよ!」
「ありがと〜!読んでみるね!」
 よく「きのう話した」を受け入れてるなぁ……やっぱその辺もちゃんと日記を書いてるのか。それをぜんぶ覚える記憶力もすごいけど。

 きょうから授業が始まる。僕は国語が得意で、数学が苦手。典型的な文系である。
「じゃあ、二年の復習するよ〜」
 きょうは二時間目に数学があった。三年の導入は手早く終わらせて、復習をするようだった。
 連立方程式、一次関数、合同の証明。うん、全くわからない。いずれ乃々花に勉強を教えたいと思っていたけど、乃々花も僕と得意教科・苦手教科がかぶっていたから、教えられそうにない。
 国語はきょうの四時間目にあった。こっちも導入を終わらせたら、漢字の復習をする。
 国語の中でも、漢字はある程度得意だから、ぶっちゃけそこまで難しくはなかった。

 こうして授業を乗り切って、帰りのホームルーム前、乃々花が僕の席の前に来て、
「凪くーん!この小説ありがと!すごいおもしろかった!」
 だよね!すごいおもしろいよね!って言っていろいろ語りたかったけど、ホームルーム前で時間がなかったから、
「おもしろかった?なら良かったな……」
 のひとことで済ませておいた。


 学校の一週間の終わり、金曜日。
 いつもどおり昼休みに乃々花が来た、と思ったら突然、
「ねえ凪くん、今週末って時間ある?」
 ……え?なにこれ、デートのお誘いですか!?いや、まさかね……
 あしたは家族で買い物に行くけど、日曜日なら……
「えっと、日曜日なら!」
「じゃあさ、日曜日、いっしょにお出かけしない?」
「……え?」
 ええええええ!?ほんとにお出かけのお誘いですか!?
 行きたい行きたい!まさか向こうから誘ってくれるなんて……!
「僕でいいなら、しよう!」
「え、いいの!?」
「うん!」
「え、じゃあ時間と集合場所は……」
 日曜日の朝九時に、中学校近くの公園に集合。え、こんな夢みたいなことがあっていいの?

「ただいま〜」
「おかえり」
「ねえお母さん」
「ん?どうしたの?」
「あさってって予定なにもないよね?」
「そうだけど……どっか行くの?」
「クラスメイトとお出かけに行きたい!」
「いいね〜、どこ行くの?」
 ……あ、決めてなかった。
「忘れてた……これから決める」
「なるべく早めにね〜」

 どこ行くか決めてなかった……
 当日決めるのはさすがに計画性なさすぎるし、けど僕、乃々花の連絡先もってないし、どうしよう……
「ピロン」
 ん?えっと……花梨から?
「ののちゃんからの伝言なんだけど、『お出かけどこ行きたい?』だって」
 あ、乃々花と花梨はつながってたんだ、助かった……
 うーん、そうだなぁ……
 やっぱお出かけっぽいことはしたいから……そうなると動物園一択だね!
「『動物園がいい』って伝えといて〜」
「りょーかい!」
 相変わらずの返信の早さ。そして少しして、
「『鍵ヶ原動物園にしよう』だって」
「はーい、ありがと!」
 動物園になった……!よかった……
 さて、電車の時間は……えっと、九時七分か。けど九時集合だから、一本後じゃないと間に合わない。あ、九時十六分発の電車があるから、それに乗っていけば九時四十分には動物園に着く。じゃあとりあえず、交通経路をメモしておこ。


 土曜日、昼ごはんを食べたらすぐ家を出て、買い物に行く。
 午前中に持ち物はある程度そろえた。けど……
「ねえねえお母さん」
「ん?」
「きょうさ、ちょっと服屋さんに寄っていい?」
「いいけど……なに買うの?」
「あした用の服を買っとこうと思って」
 外出用の服にそんな良いのがなかった。だから、きょうついでに買っておきたい。

 帰宅後……
「おお、似合ってるじゃん」
「ほんとだ、似合ってるね〜」
 お父さんもお母さんもそう言ってくれた。どうやら服選びは大成功だったらしい。
 あとはあしたを待つのみ!