目を覚ますと、ホテルの部屋にいた。
「ん……朝か……」
 ゆっくりと体を起こすと、目の前にひとりの男の子がいた。
「おはよ、乃々花」
「……おはよ、凪くん」
「え、僕の名前わかるの?」
「うん……」
 だって、きのう、わたしをここに連れてきたのは……
「え……え?じゃ、じゃあ、きのう、前向性健忘の話をしたのって……」
 記憶はすぐに手繰り寄せられた。
「うん、覚えてる」
 そう答えて、枕元に置いてあった日記帳を手に取る。
「あ、この文、きのう書いたやつだ……!」
「え?え、きのうのこと、覚えてるの……?」
「うん……ふぇ!?」
 急に目の前が真っ暗になった。そして一拍置いて、抱きしめられているのだと気づいた。

 ――日記の最初のページにはこう書いてあった。「乃々花は前向性健忘です」と。そして、「寝て起きるたびに記憶がリセットされます」とも。

 けど今は、「きのうの記憶」が、残っている。たしかに残っている。

 すべてを理解した。その瞬間、涙があふれてきた。凪くんの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。そして、凪くんが、もう一回、
「きのうのこと、覚えてる?」
「うん」
 わたしは、泣きながらだったけどはっきりと答えた。

「覚えてるよ、きのうのこと」