朝起きたら、家の様子がいつもとは違った。
 家具の種類やら配置やら、なにもかもが違って、わたしの所持物も知らないものばっかり。持ってないはずのスマホもあった。
 自分の部屋から出てリビングに来たけど、お母さんもちょっと年とった?

「おはよ〜」
「おはよう。きょうから三年生ね〜」
 ……ん?「三年生」?
「え?なにそれ。だって小三はもう終わったし、けど中学校にはまだ入ってないし……」
 そこで気がついた。自分の学年がわかんないことに。今、何年生だっけ?
「ああ、そうだったわね」
「ん?なにが?」
乃々花(ののか)は今、下原(しもはら)中の三年生なの。きょうは始業式」
「……え?」
 意味がわかんない。だってわたし、一・二年の記憶まったくないのに。っていうか、小学校卒業してないよね。え、どういう……

「乃々花は、前向性健忘なの」

 ……ぜんこーせー、けんぼー?まったく聞いたことがない。なにそれ、おいしーの?
 わたしが戸惑っていると、お母さんが説明してくれた。
「前向性健忘っていうのはね、簡単に言うと記憶がなくなっちゃう病気。昔の記憶はあるけど、一日過ごしたら前の日の記憶がなくなっちゃったり」
 いろいろ話を聞いたけど、どうやら小四の時に事故に遭って、前向性健忘と診断されたらしい。そして、その事故よりも前の出来事は覚えてるけど、後の出来事は毎日寝て起きるたびに忘れちゃうんだって。
 うーん……やばくない?
 けど、お母さんいわく、わたしは毎日こうやって困惑して、けど結局受け入れてるらしいから、まあ大丈夫でしょう!
 っていうか、事故からずっとこれなら、なんでおはようって言ったときに伝えるの忘れてたんだろ。

「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
 とりあえず支度をして家を出た。下原中はただの地元の公立中で、小学生のころにはもう知ってたから、道はわかる。
 それはいいけど……
「わたし、変に浮かないかな……」
 思わずひとりごとが零れた。わたしは中学校のことをなにも知らない。先生も、ほかの生徒たちも。
 お母さんに、「中学校側には配慮してもらうようには言ってある」とは言われたけど……
 中学校は、家から徒歩十分くらいの距離にあって、わりかしすぐ着く。てくてく歩いていると、突然背後から、
「あ!ののちゃんじゃん!」
と、声をかけられた。「ののちゃん」がわたしのあだ名であることはすぐに分かった。
 けど、わたしはその子に見覚えがなかったから、
「えっと……?」
って困惑してしまった。頭の中ではわかってる。この子が中学の友達であることくらい。
「あ、ごめんね。わたし、細川(ほそかわ)花梨(かりん)っていいますっ!ののちゃんは覚えてないかもしれないけど、一、二年生のころ仲良くしてたんだよ!だから、三年生でもよろしく!」
 やっぱ推測は当たってたみたい。え、けど……
「わたし一日経ったらぜんぶ忘れちゃうのに、どうやって仲良くしてたの?」
 あ、待って、この子わたしの病気のこと知ってるのかな?「覚えてないかも」って言ってたから大丈夫か……?
「毎日こうやって名前言ったら、ののちゃんすぐに納得してくれるから!」
 ああ、たしかに。今も疑問は尽きないけど、納得はしてる。っていうか「毎日名前言ってる」ってことは、病気のこと知ってるってことだよね?よかった……
「ちなみに、わたしがほかに仲良くしてたひとっているの?」
「いっぱいいるよ!学校ついたら紹介しよっか!」
 ――いっぱいいる?やった!これで学校で浮く心配はない!
「紹介お願いしますっ!」
「おっけー!お任せあれ〜」
「よろしく、花梨ちゃん!」
「こちらこそ!」

 ……なんか似てるかもしれない。わたしたち。

  雑談を交わしながら学校に着くと、門の近くで二人が挨拶をしてくれた。クラス分けが張り出されてたから、それを見ながら花梨ちゃんがさっき挨拶した子たちについて教えてくれた。
「さっきのポニーテールの子が奏音(かのん)ちゃんで、眼鏡かけてた子が(あおい)ちゃんだよ〜」
「はえ〜……あ、花梨ちゃんクラスいっしょじゃん!」
「ほんとだ!やった〜!」
 わたしと花梨ちゃんが二組で、奏音ちゃんが一組、葵ちゃんは三組だった。四組の表記はなかったから、この学校は三クラス制らしい。
 花梨ちゃんといっしょにクラスに入ると、何人かがわたしたちに挨拶してくれた。意外とわたしは人気者だった。
 十分後くらいに新しい担任の先生が来て、朝のホームルームが始まった。この後体育館に移動して始業式をするみたい。
 ホームルームが終わったら担任の先生に呼ばれた。
「北澤さんは、校歌斉唱のとき、わかんないと思うから歌わなくていいよ」
「あっ、はーい」
 ちゃんと先生もわたしの病気を把握しているようで安心した。
 始業式と表彰、生活指導主任の先生の話とかで五十分くらい続いて、クラスに戻ってきた。担任の先生が「休み時間です」って言ったとたん、花梨ちゃんが席に飛んできた。
「ねえねえ、ののちゃんって、日記書いてる?」
 ん?なんだろ唐突に。
「書いてないけど……」
「じゃあさ、書こうよ!そうすれば、きょうの記憶が保存されるじゃん!」
 花梨ちゃんの圧におされながらも、たしかにいいアイデアだと思った。
 ……っていうかなんでこんな簡単なこと今まで思いつかなかったんだろ。バカすぎる。
「たしかに……じゃあ、きょうから書くね!」
「うん!そうすれば、わたしのことも忘れないでしょ?」
「だね!」
 そうこうしてるうちに休み時間が終わっていた。
 あとは、いろいろプリントが配られたり、あした以降の連絡がされたりして、きょうの学校が終わった。
 帰路につこうとしたとき、花梨ちゃんが来て、
「せっかくだから四人で帰ろうよ!」
 よく見たら、後ろに朝挨拶してくれた二人がいた。
「えっと……奏音ちゃんと葵ちゃん……だっけ?」
「うん!望月(もちづき)奏音だよ〜」
「私は瀬田(せた)葵。よろしく!」
「うん!よろしくね」
 朝ふたりを見たときの第一印象は、奏音ちゃんがおっとりした感じで、葵ちゃんが真面目な感じだと思った。眼鏡かけてるとみんな真面目に見えちゃう。
 奏音ちゃんと葵ちゃんは家が近い幼なじみらしいけど、そのほかのみんなはけっこう家がバラバラだから、わりとすぐに四人の時間は終わってしまう。
「じゃ、三人ともまたあしたね!」
「ばいばーい!」
「またあした〜」
「またね」
 ちょうど奏音ちゃんと葵ちゃんのペア以外全員がバラバラになる交差点があって、そこでわたしたちは別れた。まあきょう初めて知ったってことは小学校が違うってことだから、家が遠いのは当たり前ではあるけど。 
「日記か……」
 誰もいなくなった細道で、ひとりそう呟いた。
 ……ほんとに、こんな簡単なことにどうして気づけなかったんだろ。

 交差点からわたしの家はすぐ。気がついたら家に着いていた。
「ただいま〜」
「おかえり。どうだった?」
「あのね、きょう新しい友達ができたよ!」
 ――言った後に、新しい友達じゃないことに気づいた。
「え?なんて子?」
 もう今さら「ほんとは新しい友達じゃなかった」なんて言えない……!
 とりあえず名前だけ言っとけばいっか。
「えっと、花梨ちゃんと、奏音ちゃんと、葵ちゃん!」
「ああ、それ新しい友達じゃなくて、今までずっと仲良かった友達じゃない」
「うん、言った後に気づいた……」
 お母さんがちゃんと指摘してきたから、素直に認めた。
「そういえばお母さん」
「ん?なに?」
「きょうから日記書くことにしたの。日々の出来事を忘れないようにって」
「いいじゃない。なんで今まで思いつかなかったんだろうね」
「ほんとだよね〜」
 これでミッション、「日記のことをお母さんに伝える」を達成。
 昼ごはんを食べきって、のんびりしようとしてたら、
「あっ、日記帳持ってなかった。買いに行ってくる〜」
「いってらっしゃい」
 わたしの家から五分くらいのところに文具店がある。そこならたぶん、日記帳も売ってる。
「いらっしゃいませ」
 わたしは店員さんに軽く会釈して、ノートがあるところに向かう。案の定日記帳はそこにあった。
「ついでにメモ帳も買っていこうかな……」
 日記に記録することは、夜になる前にまとめてメモしたほうがいい気がする。学校がある日なら、帰ってきてすぐとか。
 お会計を済ませて、家に戻ったら、早速きょうあったことをメモ帳に書いていく。日記に書くのは寝る前にしよう。

 〈四月七日〉
 ・中学三年生の始業式
 ・花梨ちゃんと奏音ちゃんと葵ちゃん(中一からの友達)と話した
 ・花梨ちゃんは元気な子で、奏音ちゃんはおっとりした子で、葵ちゃんは眼鏡をかけた真面目っぽい子

 いったんこんなもんでいいかな?
 そしていろいろしてたら寝る時間になってた。まあ、ほとんどゴロゴロしてたけど。


 ***

 〈四月七日(月曜日)〉
 きょうは、下原中学校三年生の始業式でした。そのときに、花梨ちゃんと奏音ちゃんと葵ちゃんといっぱい話しました。
 三人は中一からの友達で、花梨ちゃんは元気な子、奏音ちゃんはおっとりした子で、葵ちゃんは眼鏡をかけた真面目っぽい子でした。
 あしたから学校がんばります。

 ***


 なんて書けばいいかわかんないけど、こんなのでいいのかな……?
 よし、布団にダイブ!