空は青く、風はどこまでも澄んでいた。
 境内に咲く花々が、陽光を浴びて揺れている。
 
 夏花の神事に相応しい日だ。

 清められた神楽殿、その中央に柚羽(ゆずは)は立っていた。
 絹の舞衣が風に揺れ、髪は項で一つに結ばれている。
 その姿には迷いもなく、神前に仕える「花の巫女」としての威厳と美しさがあった。

 神楽殿を囲むように座る人々が息を呑み、神職や来賓たちが静かに見守る。
 その全ての視線が、柚羽ひとりに注がれていた。

(香は、もう遙真さんが消してくれた。だから大丈夫)

 柚羽は目を閉じたまま、心の中でつぶやいた。

(紫乃が隠していた香も、記録も、すべて証拠として確保されている)

 ゆっくりと息を吸い、笛の合図を皮切りに扇を開いた。

(私は舞う。ただ祈るために)

 祈りの舞が、始まる。
 手にした神楽鈴を鳴らすと、大太鼓と小太鼓が続く。

 ひと振りの扇に花の香が乗り、柚羽は風と一体となる。足運びは静かに、けれど大地に力強く根を張っていた。

 そこへ、朱塗りの柱の陰から一人の影が現れた。
 光に目を細め、ゆらりと姿を現したのは紫乃(しの)だ。
 彼女の髪は乱れ、表情は笑っているのにどこか焦点が合っていない。

(……来た)

 柚羽は舞を止めなかった。
 目を逸らせばすべてが崩れる。だから、ただ舞い続けた。
 紫乃の視線が壇上へと向き、そして動きが止まる。

 神楽殿の中心に、清らかに立つ柚羽の姿を見た瞬間だった。

「……あれは、私の場所よ! 退きなさい!」

 そう叫んだ次の瞬間、紫乃が駆け出した。
 鬼気迫る紫乃を前に、止める者はいない。誰もがその行動に息を呑んだままだった。

 壇上に駆け上がり、柚羽の扇を奪い取る。

「私が――私こそが、正当な巫女よ!」

 高らかに叫び、そのまま舞を始めた。
 けれど、その所作は荒く、緩慢で、動きに流れがなかった。
 何よりも神楽の場にあるはずの清涼な気配が、紫乃の周囲には感じられない。

 静まる観客の空気に、紫乃は違和感を覚える。
 向けられる視線の冷たさに紫乃はふと首を傾げた。

「……どうして? どうして、誰も……」
(私に見惚れないの?)

 その瞬間、紫乃の周囲にふわりと漂う甘い香り。自らが用意し、使い続けてきた毒香の残り香だった。

 排除されたと思っていた香は、紫乃自身の衣に染み込んでいた。

 舞うほどに熱で香が揮発し、神前の空気を乱していく。