柚羽が神坐の離れから姿を消して、三日が過ぎた。
 紫乃は部屋の障子を開け放ち、庭に目を向けた。

 風は弱く、梔子(くちなし)の枝には、もうほとんど花が残っていない。
 その香りが好きだった。濃く甘くて、咲いているだけで空気が満たされるような気がした。
 いつもの紫乃なら、美しいと思えたはず。けれど今日は、ただ苛立ちしか湧いてこない。

(どうやって逃げたのよ……)

 怒りで喉の奥が焼けるように熱くなる。

「紫乃」

 ふらりと入ってきたのは、雅弥(まさや)だった。
 髪は乱れ、その手には半分ほどに減ったワインボトルが握られている。彼は紫乃との婚約が決まった翌日から、御神楽の屋敷に居着いた。そして好き勝手に振る舞い、こうして昼間から酒を飲んでいる。

「まだ怒ってるのか? 別にいいじゃないか。金も持ってないんだし、そのうち帰ってくるさ」

 脳天気な言葉に苛立つが、紫乃は感情を殺して微笑む。

「怒ってなんかいませんよ」

 仮面を貼り直すように、ゆっくりと口角を上げる。

「むしろ、良かったと思ってるわ。お姉様は自ら巫女としてのお役目から逃げたのだもの」
「お前もだいぶ変わったな。前は何かと柚羽を持ち上げてたじゃないか」
「あら、私は今でもお姉様が好きよ」

 うふふと笑う紫乃は、愛らしい。しかしその口から零れるのは冷徹な言葉だ。

「例の件はどうなったの? お姉様が一番「役に立つ」大切なお仕事。しっかりとお約束させたの?」

 高遠家の縁者には、何人も資産家がいる。その中でも遠縁の老人は、本家をも凌ぐ資産を有すると噂されていた。
 紫乃は、柚羽をその老人に嫁がせるつもりでいる。もちろん、ただ嫁がせるだけではない。
 薬で大人しくさせて従わせ、資産を奪い取った後は、二人まとめて「処理」するつもりだ。

 その計画を雅弥も知っている。むしろ先んじて動いたのは彼の方だ。

「若い後添いを用意するって持ちかけたら、あっさり遺言状を書き換えたよ。「俺達夫婦に、全財産を譲る」ってな。色ぼけジジイは扱いやすい」

 得意げに笑いながら、雅弥は手にしたワインボトルから直接酒をあおる。その口元には、いやらしい色が混じっていた。

「柚羽が戻り次第、ジジイの所へ連れて行く算段は付けてある。お前の得意な「香」で、大人しくさせといてくれよ」

 その言葉に、紫乃は何も言わず微笑むだけに留めた。