「はい」
「……ありがとう」
目の前にほんのりと湯気を立たせたお味噌汁が置かれた。
味噌を溶いただし汁から白菜と舞茸、そしてさつまいもが顔を覗かせている。我が家では人気の組み合わせで、週に一度はお目にかかる定番料理だ。
散らされた鮮やかな薬味ねぎが嫌味なく私の食欲をそそり、気がつけばまんまと喉を鳴らしていた。
「お父さんが驚いてたよ。縁葉がただいまも言わずに部屋に引きこもったって」
「ああ、うん……」
そう切り出したお母さんの意図が分からなくて、思わず返事を濁してしまう。
私が帰宅したとき、リビングではお父さんが夕飯の支度をしていたらしい。
シフト制の職場に勤めているお母さんは休日が不規則で、今日のように週末に出勤することもザラにある。共働きの我が家は普段から役割分担制だけれど、週末は必然的に休みのお父さんが家事を担うことが多い。
向かいの席に腰を下ろしたお母さんは、「いただきます」と手を合わせてさっさと食事を始めた。お母さんの前にはお味噌汁の他に白米と野菜炒め、そしてほうれん草のおひたしが並んでいる。
もう二十二時も近いというのにこの品数をためらいなく口に運ぶなんて、毎度のことながら信じられない。私なんて起き抜けの食事が一番辛いというのに、お母さんの胃袋は早朝であろうとこうなのだ。
「まあ、あんたぐらいの年齢のときは私もたくさん反抗したからね。絶対にリビングに顔を出しなさいとは言わないけど。人と暮らしてることは忘れないようにしなさい」
「……いただきます」
否定も肯定もせず、私はお椀に手を伸ばした。
引きこもっていた理由に触れられなくてよかった。そう思うのに、素直に頷くことができなかった。
私はお母さんにどうしてほしかったのだろう。
あの手紙を目にしてからというもの、芽生える感情はどれも不確かなものばかりで、自分で自分が掴めなくてイライラする。
お母さんはまだなにか言っているけれど、これ以上他人の意見を心に入れる余裕がなくて私は手元に目を落とした。
持ち上げたお椀からはほんのりと味噌の匂いが漂ってくる。それがスッと鼻を通るのに合わせて口腔内がじわりと潤い始めた。
それでもいきなり固形物を口に含む気にはなれなくて、まずはゆっくりとだし汁をすする。少し熱くて口の中で均してからゆっくりと食道へ送ると、具材の味が染み出た奥深い風味を胃が丁寧に受け入れたのが分かった。
これはお父さんの味だ。繊細で柔らかい口当たりの、荒んだ心を包みこんでくれるような味。お父さんらしい味。
料理は不思議だ。お味噌汁に限らず、同じ食材と調味料を使って同じ手順で作ったとしても絶対に同じものはできない。作り手によって味が変わってくるから、きっと私は目隠しをしていても、これはお父さんのお味噌汁だと言い当てることができる。
私が物心つく前からお父さんはキッチンに立っているけれど、いまだに調味料はレシピ通りで、どれもしっかりと計量しているらしい。そんなお父さんのお味噌汁は、目分量で作るお母さんのものより当然味が安定している。
だけど、味の判別がつく理由はそこじゃない。
お母さんのお味噌汁は運動会やテストといった戦う勇気が欲しいときに飲みたくなる。ゴロッとした大きい具を噛んでいると、なんだかやる気がみなぎってくるのだ。
対してお父さんのものは弱った心にじんわりと染み渡る優しさがあって、感情の棘を削いでくれる。するりと喉を通って食道を落ちていき胃に達するまでのストレスがないから、体調を崩したときでも飲みやすい。
どちらも美味しいお味噌汁で、出井家の味。
それなのに、間違いなく美味しいと思っているのに、なんだか味気ない気がして私はそっとお椀を机に戻した。
「佐藤さんとこの息子さん、勉強が上手くいってないみたい」
お母さんの話はいつだって脈絡がない。
ご近所さんのあれこれや職場のいざこざ、ハマっているドラマなどその話題は多岐にわたる。オーディション番組や恋愛リアリティショーにいたっては私よりも詳しいし、この前は聖地巡礼だと言って同僚と韓国まで飛んでいた。
「成績良いって言ってなかった?」
「中学二年生まではね。三年生に上がってから突然やる気がなくなったとかで、全然勉強に身が入らないらしいよ。奥さんがどうしても入れたい高校があるのに、偏差値が全然足りないんだって」
「そうなんだ……」
状況は全くちがうけれど、なんとなくその子の気持ちが分かる気がする。
気力の糸がぷつりと切れる感覚は私だって何度も経験した。頑張れば頑張るほど気力の糸は脆くなっていき、ある日突然終わりを迎えるのだ。
輪ゴムの両端を持って左右に引くと伸びた部分が細くなるのと同じように、気力というのはただ力任せに強化すればいいというわけではない。一本の輪ゴムでダメなら十本、それでもダメなら百本と、上手く負荷を分散できるような使い方にしないといずれちぎれてしまう。やる気が出ないということは輪ゴムがちぎれたのと同じ状態だから、そういうときには潔く休むことが大切なのだとエクササイズ系動画配信者が言っていた。
でも、怖い。
好きなものを好きなだけ食べたあとの体重も、体型の変化も、肌荒れも。そのときは満たされているはずなのに、あとで必ず満足感の数倍ひどい後悔に襲われて、ときには自暴自棄の沼にまで足を踏み入れてしまう。
そんな自分を責めるように脳裏を過るのは、あの苦い思い出たちと幼馴染の姿。漏れなく始まる自己嫌悪と自己否定。
だから、手を抜かない。手を抜けない。
「良い学校に入れたいって親心は分かるけど。目に見えて結果が出てるなら、意地張っても仕方ないよ」
ため息混じりに放たれたお母さんの持論が、まるで私に向けられたもののように心の芯に響く。
「でも、今はスランプなだけで、またできるようになるかも……」
「どうだかねぇ。無理なものは無理って言うでしょ? さっさと志望校変えてそっちの対策したほうが、時間を無駄にしなくていいと私は思うけど」
白米を口に放り込み、そのまま野菜炒めに伸びたお母さんの箸運びに迷いはない。多めに盛られていたおかずは、どれも残りわずかになっている。食事を始めてまだ十分と経っていないのに、相変わらずだ。
お母さんはいつもこうだ。合理的で判断に迷いがなく、それでいて必ず成功に繋がる道を選ぶことのできる人。一果たちと見た映画でも、社会で功を成すのはこういう人だと描かれていたし、娘から見てもお母さんはすごい人だと思う。
不規則な勤務時間にもかかわらず、無駄なく時間を使って家事をこなしてしまう。中学から始まったお弁当だって、毎日欠かさず作ってくれた。保護者参加の行事なんて両親揃って皆勤だし、休日も惜しみなく私のために使ってくれる。
本当に、すごい。
でも、だからこそお母さんには私の気持ちが分からない。
「……——から、話し合うしかないって答えたの」
いつの間にか、職場の話題に移っていた。
後輩から、なかなか結婚に踏み切ってくれない彼氏について相談されたらしい。
「その人は彼氏さんを困らせたくなくて、結婚の話を言い出せないんじゃないの?」
「悩んでても、黙ってたら相手に伝わらないじゃない。それじゃあ、意味ないでしょ。早く結婚したいって言ってたし、悩んでる時間がもったいないよ」
先に進むか否か。お母さんにとって選択肢というのは、常にこの二つだ。
志望校を変える。変えないなら、合格は諦めるしかない。
話し合う。できないなら別れるしかない。
どんな問題に直面しようとお母さんの立っている道はいつも真っ直ぐな一本道で、やることは「踏み出すかどうかを決める」ただそれだけ。分岐点なんてものは存在しないから、決断することに迷いがない。
小学生のときの、あの苦い思い出を話したときもそうだった。
——縁がなかったのよ。諦めなさい。
そう言われて、私はどうすればいいのか分からなかった。
「諦める」という言葉に当てはめるためには、自分の感情の形を変えなくてはいけない。だけど、燃えさしのような恋心を自力で処理するには、あのときの私は幼すぎた。
結果、上手く処理できずに残ったそれはタールのような粘度を帯びて私の心にこびりつき、拗れた思考の根源として今も居座っている。
私のこの性格がお母さんのせいだなんて思っていない。
でも、お母さんとのちがいをはっきり認識したことで、すべてを打ち明けることはしなくなってしまった。
だから、お母さんはラブレターのことをなにも知らない。
「ごちそうさま」
夕食をすべて平らげて、あと片付けを始める。
そんなお母さんの後ろ姿から自分の前に置かれたお味噌汁に目線を移した。お椀の中で私の胃袋に注がれるのを待つだけのお味噌汁ですら、素朴で優しい見た目を生かして私の食欲を刺激し、手を伸ばすように仕向けてくるというのに。
自分は間違いなく美味しいという自負心。心の持ち主を前向きな行動へと突き動かすために、もっとも必要とされる誇り高き心。それは私の中にもあるのだろうか。
「お味噌汁——」
お母さんの声に、ひと呼吸置いて顔を上げる。
「——ちゃんと食べなさい。体型を気にする気持ちは分かるけど、それ一杯飲んだところで太ったりなんてしないから」
「…………」
「お菓子を食べるのとはちがうでしょう。栄養はちゃんと摂らないと、いつか本当に倒れるよ」
私の身体を気遣っての言葉だと頭では分かっている。
——思春期は体つきも変わりやすいんだから、あまり思い詰めなくて大丈夫。
——大人になったら自然と安定してくるし、美容にもお金が掛けられるようになって自由度も広がるよ。
食事制限を始めたときに言われた、「いつか」の話。
私を安心させようとして掛けてくれた言葉。
でも、私は「今」かわいくなりたい。写真や動画に映る高校生の自分が、せめて見ても恥ずかしくない状態であってほしい。数年後の未来で結果が得られたところで、今の私が満足のいく状態でなければ意味がない。
安心させようと思ってくれているのなら、なおさら分かるよと言ってほしい。
そう思うのは、子どものわがままなのだろう。
「……いただきます」
もう一度手を合わせてお箸に手を伸ばそうとしたとき、あることを思い出した。
そういえば頬に当たる髪がずっと鬱陶しい。もともと肩で跳ねていた髪に寝癖がついたことで、さらに収拾がつかなくなっている。いっそのこと、切ってしまったほうが楽かもしれない。
そう思った途端、莉央ちゃんの柔らかな長い髪が脳裏を過って、手首につけていた髪ゴムでサッと束ねてから再びお箸に手を伸ばす。
やっぱり味気なく感じられて、なんだかすごく虚しかった。
「……ありがとう」
目の前にほんのりと湯気を立たせたお味噌汁が置かれた。
味噌を溶いただし汁から白菜と舞茸、そしてさつまいもが顔を覗かせている。我が家では人気の組み合わせで、週に一度はお目にかかる定番料理だ。
散らされた鮮やかな薬味ねぎが嫌味なく私の食欲をそそり、気がつけばまんまと喉を鳴らしていた。
「お父さんが驚いてたよ。縁葉がただいまも言わずに部屋に引きこもったって」
「ああ、うん……」
そう切り出したお母さんの意図が分からなくて、思わず返事を濁してしまう。
私が帰宅したとき、リビングではお父さんが夕飯の支度をしていたらしい。
シフト制の職場に勤めているお母さんは休日が不規則で、今日のように週末に出勤することもザラにある。共働きの我が家は普段から役割分担制だけれど、週末は必然的に休みのお父さんが家事を担うことが多い。
向かいの席に腰を下ろしたお母さんは、「いただきます」と手を合わせてさっさと食事を始めた。お母さんの前にはお味噌汁の他に白米と野菜炒め、そしてほうれん草のおひたしが並んでいる。
もう二十二時も近いというのにこの品数をためらいなく口に運ぶなんて、毎度のことながら信じられない。私なんて起き抜けの食事が一番辛いというのに、お母さんの胃袋は早朝であろうとこうなのだ。
「まあ、あんたぐらいの年齢のときは私もたくさん反抗したからね。絶対にリビングに顔を出しなさいとは言わないけど。人と暮らしてることは忘れないようにしなさい」
「……いただきます」
否定も肯定もせず、私はお椀に手を伸ばした。
引きこもっていた理由に触れられなくてよかった。そう思うのに、素直に頷くことができなかった。
私はお母さんにどうしてほしかったのだろう。
あの手紙を目にしてからというもの、芽生える感情はどれも不確かなものばかりで、自分で自分が掴めなくてイライラする。
お母さんはまだなにか言っているけれど、これ以上他人の意見を心に入れる余裕がなくて私は手元に目を落とした。
持ち上げたお椀からはほんのりと味噌の匂いが漂ってくる。それがスッと鼻を通るのに合わせて口腔内がじわりと潤い始めた。
それでもいきなり固形物を口に含む気にはなれなくて、まずはゆっくりとだし汁をすする。少し熱くて口の中で均してからゆっくりと食道へ送ると、具材の味が染み出た奥深い風味を胃が丁寧に受け入れたのが分かった。
これはお父さんの味だ。繊細で柔らかい口当たりの、荒んだ心を包みこんでくれるような味。お父さんらしい味。
料理は不思議だ。お味噌汁に限らず、同じ食材と調味料を使って同じ手順で作ったとしても絶対に同じものはできない。作り手によって味が変わってくるから、きっと私は目隠しをしていても、これはお父さんのお味噌汁だと言い当てることができる。
私が物心つく前からお父さんはキッチンに立っているけれど、いまだに調味料はレシピ通りで、どれもしっかりと計量しているらしい。そんなお父さんのお味噌汁は、目分量で作るお母さんのものより当然味が安定している。
だけど、味の判別がつく理由はそこじゃない。
お母さんのお味噌汁は運動会やテストといった戦う勇気が欲しいときに飲みたくなる。ゴロッとした大きい具を噛んでいると、なんだかやる気がみなぎってくるのだ。
対してお父さんのものは弱った心にじんわりと染み渡る優しさがあって、感情の棘を削いでくれる。するりと喉を通って食道を落ちていき胃に達するまでのストレスがないから、体調を崩したときでも飲みやすい。
どちらも美味しいお味噌汁で、出井家の味。
それなのに、間違いなく美味しいと思っているのに、なんだか味気ない気がして私はそっとお椀を机に戻した。
「佐藤さんとこの息子さん、勉強が上手くいってないみたい」
お母さんの話はいつだって脈絡がない。
ご近所さんのあれこれや職場のいざこざ、ハマっているドラマなどその話題は多岐にわたる。オーディション番組や恋愛リアリティショーにいたっては私よりも詳しいし、この前は聖地巡礼だと言って同僚と韓国まで飛んでいた。
「成績良いって言ってなかった?」
「中学二年生まではね。三年生に上がってから突然やる気がなくなったとかで、全然勉強に身が入らないらしいよ。奥さんがどうしても入れたい高校があるのに、偏差値が全然足りないんだって」
「そうなんだ……」
状況は全くちがうけれど、なんとなくその子の気持ちが分かる気がする。
気力の糸がぷつりと切れる感覚は私だって何度も経験した。頑張れば頑張るほど気力の糸は脆くなっていき、ある日突然終わりを迎えるのだ。
輪ゴムの両端を持って左右に引くと伸びた部分が細くなるのと同じように、気力というのはただ力任せに強化すればいいというわけではない。一本の輪ゴムでダメなら十本、それでもダメなら百本と、上手く負荷を分散できるような使い方にしないといずれちぎれてしまう。やる気が出ないということは輪ゴムがちぎれたのと同じ状態だから、そういうときには潔く休むことが大切なのだとエクササイズ系動画配信者が言っていた。
でも、怖い。
好きなものを好きなだけ食べたあとの体重も、体型の変化も、肌荒れも。そのときは満たされているはずなのに、あとで必ず満足感の数倍ひどい後悔に襲われて、ときには自暴自棄の沼にまで足を踏み入れてしまう。
そんな自分を責めるように脳裏を過るのは、あの苦い思い出たちと幼馴染の姿。漏れなく始まる自己嫌悪と自己否定。
だから、手を抜かない。手を抜けない。
「良い学校に入れたいって親心は分かるけど。目に見えて結果が出てるなら、意地張っても仕方ないよ」
ため息混じりに放たれたお母さんの持論が、まるで私に向けられたもののように心の芯に響く。
「でも、今はスランプなだけで、またできるようになるかも……」
「どうだかねぇ。無理なものは無理って言うでしょ? さっさと志望校変えてそっちの対策したほうが、時間を無駄にしなくていいと私は思うけど」
白米を口に放り込み、そのまま野菜炒めに伸びたお母さんの箸運びに迷いはない。多めに盛られていたおかずは、どれも残りわずかになっている。食事を始めてまだ十分と経っていないのに、相変わらずだ。
お母さんはいつもこうだ。合理的で判断に迷いがなく、それでいて必ず成功に繋がる道を選ぶことのできる人。一果たちと見た映画でも、社会で功を成すのはこういう人だと描かれていたし、娘から見てもお母さんはすごい人だと思う。
不規則な勤務時間にもかかわらず、無駄なく時間を使って家事をこなしてしまう。中学から始まったお弁当だって、毎日欠かさず作ってくれた。保護者参加の行事なんて両親揃って皆勤だし、休日も惜しみなく私のために使ってくれる。
本当に、すごい。
でも、だからこそお母さんには私の気持ちが分からない。
「……——から、話し合うしかないって答えたの」
いつの間にか、職場の話題に移っていた。
後輩から、なかなか結婚に踏み切ってくれない彼氏について相談されたらしい。
「その人は彼氏さんを困らせたくなくて、結婚の話を言い出せないんじゃないの?」
「悩んでても、黙ってたら相手に伝わらないじゃない。それじゃあ、意味ないでしょ。早く結婚したいって言ってたし、悩んでる時間がもったいないよ」
先に進むか否か。お母さんにとって選択肢というのは、常にこの二つだ。
志望校を変える。変えないなら、合格は諦めるしかない。
話し合う。できないなら別れるしかない。
どんな問題に直面しようとお母さんの立っている道はいつも真っ直ぐな一本道で、やることは「踏み出すかどうかを決める」ただそれだけ。分岐点なんてものは存在しないから、決断することに迷いがない。
小学生のときの、あの苦い思い出を話したときもそうだった。
——縁がなかったのよ。諦めなさい。
そう言われて、私はどうすればいいのか分からなかった。
「諦める」という言葉に当てはめるためには、自分の感情の形を変えなくてはいけない。だけど、燃えさしのような恋心を自力で処理するには、あのときの私は幼すぎた。
結果、上手く処理できずに残ったそれはタールのような粘度を帯びて私の心にこびりつき、拗れた思考の根源として今も居座っている。
私のこの性格がお母さんのせいだなんて思っていない。
でも、お母さんとのちがいをはっきり認識したことで、すべてを打ち明けることはしなくなってしまった。
だから、お母さんはラブレターのことをなにも知らない。
「ごちそうさま」
夕食をすべて平らげて、あと片付けを始める。
そんなお母さんの後ろ姿から自分の前に置かれたお味噌汁に目線を移した。お椀の中で私の胃袋に注がれるのを待つだけのお味噌汁ですら、素朴で優しい見た目を生かして私の食欲を刺激し、手を伸ばすように仕向けてくるというのに。
自分は間違いなく美味しいという自負心。心の持ち主を前向きな行動へと突き動かすために、もっとも必要とされる誇り高き心。それは私の中にもあるのだろうか。
「お味噌汁——」
お母さんの声に、ひと呼吸置いて顔を上げる。
「——ちゃんと食べなさい。体型を気にする気持ちは分かるけど、それ一杯飲んだところで太ったりなんてしないから」
「…………」
「お菓子を食べるのとはちがうでしょう。栄養はちゃんと摂らないと、いつか本当に倒れるよ」
私の身体を気遣っての言葉だと頭では分かっている。
——思春期は体つきも変わりやすいんだから、あまり思い詰めなくて大丈夫。
——大人になったら自然と安定してくるし、美容にもお金が掛けられるようになって自由度も広がるよ。
食事制限を始めたときに言われた、「いつか」の話。
私を安心させようとして掛けてくれた言葉。
でも、私は「今」かわいくなりたい。写真や動画に映る高校生の自分が、せめて見ても恥ずかしくない状態であってほしい。数年後の未来で結果が得られたところで、今の私が満足のいく状態でなければ意味がない。
安心させようと思ってくれているのなら、なおさら分かるよと言ってほしい。
そう思うのは、子どものわがままなのだろう。
「……いただきます」
もう一度手を合わせてお箸に手を伸ばそうとしたとき、あることを思い出した。
そういえば頬に当たる髪がずっと鬱陶しい。もともと肩で跳ねていた髪に寝癖がついたことで、さらに収拾がつかなくなっている。いっそのこと、切ってしまったほうが楽かもしれない。
そう思った途端、莉央ちゃんの柔らかな長い髪が脳裏を過って、手首につけていた髪ゴムでサッと束ねてから再びお箸に手を伸ばす。
やっぱり味気なく感じられて、なんだかすごく虚しかった。
