臆病なきみに綴る彩りの言葉

 時空の狭間みたいなところだと思った。
 目まぐるしく移り変わる現世に疲れた人間が、心身の癒やしと浄化を求めて足を踏み入れる場所。その小さな公園に俺はそんな印象を抱いた。
 今でこそ銘板すら設置されていないけど、この辺りが整備される前は「縁ノ杜(よすがのもり)」と呼ばれていた大きな公園だったのだとバイト先の主人が教えてくれた。
 その昔、この地域一帯を治めていた地主が時勢のいたずらで生き別れた想い人と再会した場所だという逸話もあるらしいけど、真偽のほどは不明だそうだ。

「今日もいました」
「あら、やっぱり一度うちにお招きしたほうがいいかしら」

 Perchoir des Songes(ペルショワール・デ・ソーニュ)。
 高一の夏休み明けにこのカフェで働き始めてしばらく経ったある日、俺は通り道にある公園に人影を見つけた。遠目からでは性別しか判別できなかったけど、漂う雰囲気からしてきっとこの空間を求めているのであろうことはすぐにわかった。
 だから植物に水をやる手を止めて、窓から公園を心配そうに眺める夫人に俺は言う。

「やめておきましょう」
「だけど、一人じゃ寂しいでしょう」
「僕も理世くんに賛成だ」

 カウンターの内側でグラスを拭いていたカフェの主人が会話に加わった。

「きっと誰の目もないからと思って、あそこを選んだんだよ。ね」
「はい」

 このご夫婦はとても穏やかで懐の深い人たちだ。それはバイトの面接で初めてここを訪れた時点ですでに感じていた。本来、二人で十分手が足りているはずのところを、俺の事情を鑑みて採用してくれたのだから。
 店の名前は日々の生活に追われる人たちがほっと一息つける場所になれたら、という意味を込めて付けられたらしい。
 視界を邪魔しない程度の植物に慎ましいデザインの食器や家具、そして素材の味を生かした丁寧な食事。それらを提供するご夫婦の人柄。
 名は体を表すとはまさにこのことだろう。ここはどんな心の傷もしなやかに受け止めて癒してくれる、まさに羽休めのための止まり木のような雰囲気を味わうことができる場所。だからこそ、俺もここにいることを望んだのかもしれない。

「あいつらとは、大ちがいだな」

 その日の帰り、坂道を下りながら俺は吐き捨てた。過ぎた公園にもう人影はなかった。
 両親は筋金入りの学歴主義者だ。
 だけど、それはあいつら自身の経歴からくるものではない。高石智広(ちひろ)——俺の十歳上の兄の存在によって、子どもの出来が自身に多大なる恩恵を与えるのだと知ったからだ。
 智広は俗に言う天才だった。就学前から漢字の読み書きができて、数字に強く、特に理科の分野に興味を示した。小学生のときからテストは満点ばかりで、教師からは数々のコンテストへの出場を勧められた。そこで漏れなく優秀な成績を収め、保護者に宛てて定期的に配布される学校通信にはもはや常連と言えるほど名前が載っていた。
 そんな息子の功績に両親は当然鼻高々だった。
 「高石智広くんのご両親」として羨望の眼差しを注がれ、どんな教育をすれば智広くんのようになれるのかと助言を請われること多数。
 個人情報などの理由から学校通信への個人名の掲載がなくなったときには、学校に何度も抗議したらしい。同じ小学校に入学した俺の二年生の担任が教育実習生としてその様子を目撃していたようで、保護者面談の空気が最悪だったことは理不尽としか言いようがない。
 そんな姿ばかり見ていたからだろうか。
 俺にはあいつらが息子の功績の上でふんぞり返る愚か者に見えて仕方がなかった。

「この点数はなんだっ?! なんで智広みたいにできない?!」

 初めてテストで点数がつけられたとき、そう怒鳴って用紙を握り潰した父親の顔は憎悪に歪んでいた。
 子どもは一人と決めていたらしいあいつらが俺を作ったのは、自分たちが得られる恩恵の元手をさらに増やすためだ。自分たちの子は優秀にちがいない——そんな期待を背負って生まれた俺の人生は散々だった。

「本っ当、最悪な授業参観だったわ! 隣の母親に『誰でも得手不得手がある』って同情されたのよ?! あんなみすぼらしい女に下に見られるなんて我慢ならない! お前のせいで、私が恥かいたじゃない!!」

 なにをするにも智広に届かない俺は、なにをするにも智広が基準のあいつらに幼いころから罵られ続けた。虐待を疑われることを恐れたのか傷ができるほどの暴力はなかったものの、代わりに手近な物を壊すことは日常茶飯事だった。
 それでも幼い子どもが怖気付くには十分の迫力で、俺はなんとか褒めてもらおうと必死で足掻くしかなかった。
 本を読んでみても、「智広はもっと難しいのを読んでいた」とため息をつかれる。かといって智広が読んでいたものは年齢にしては難しいものばかりで、理解できた試しがない。
 学校の勉強についていくのがやっとで、コンテスト出場なんてもってのほか。
 運動は得意だったから一年生の運動会で一位を取ったときは、そこに活路を見出したようにスポーツ教室に通わされたけど、上には上がいると突き付けられたのかすぐに辞めさせられてしまった。
 そんな俺をあいつらが見限るのは早かった。

「なんのためにお前を作ったと思ってる」
「あんなにお腹を痛めたのが無駄になったわ」

 三年生になっても満足のいく成績を差し出せない俺に向かって、両親が言い放った言葉は一生忘れない。
 以降あいつらは声を荒げることも、俺に勉強を強制することもしなくなった。会話なんかほぼなくて、世話は法に触れないための最低限のものだけ。ある意味、平穏な生活。そう思えれば幸せだっただろう。
 残念ながら、このときの俺はそうは思えなかった。
 突如として広大な海の果てに取り残されたような呆然とした感覚と、ここから独りどう陸に戻ればいいのかわからない焦燥感。そして、そのまま暗い海の底に沈むことを期待されているのだと知ったときの胸が潰れるような悲しみ。まだ大人にはほど遠い年齢の俺が、一気に押し寄せてくる絶望を往なせるはずもなかった。
 どうにかもがいて陸にたどり着けば、そこにはまだなにかしらの希望が残っているにちがいない。見放されたのだという現実を受け入れられなかった結果、俺はこれまで以上に勉強に精を出すようになってしまった。