「あれ、よりちゃん?」
紺色の生徒手帳をスクールバックに忍ばせたまま家路についた私は、家まであと半分の距離といったところで呼び止められた。
鼓膜をくすぐる、鈴を転がすような声。
聞き慣れたその声の持ち主が誰なのか、姿を見なくとも分かる。
「久しぶりだね。高校、慣れた?」
こちらへ駆け寄り、顔をほころばせた彼女の名は笹本莉央。私の幼馴染だ。
緩やかなウェーブのかかった腰近くまである長い髪に、こぼれそうなほどぱっちりとした目、そして小さな顔。ニキビ一つない白い肌が夕陽でほんのり色づいている。
まるでお人形のようなその見た目は小柄でありながら、それでいて野に立つ一本の桜の木のように圧倒的な存在感を放っている。
「……莉央ちゃん、久しぶり。うん、もうすっかり」
「そっかぁ、よかった。よりちゃん、どうしてるかなってずっと気になってたんだ」
頭一つ分ほど高い私を見上げて微笑んだ莉央ちゃんは、そのまま家のほうへ歩き始めた。束の間、その姿を目で追ってから彼女の隣に並ぶ。
ちらりと視線だけを隣に移せば、ちょうど莉央ちゃんが口を開くところだった。
「同じ高校なのに、案外会わないものだよね。部活はやってないんだっけ?」
「うん、高校では入らなかった。莉央ちゃんは今も吹奏楽部だっけ?」
「そうだよぉ。中学より全然キツイ」
練習の辛さを思い出したのか、莉央ちゃんが眉間に皺を寄せて頭を振った。
そんな仕草までかわいく思えてしまうのは、決して幼馴染の贔屓目なんかではないだろう。
同じ住宅街に住む莉央ちゃんとは近所の子も交えて幼いころからよく遊んでいたけれど、彼女の高校入学を機にほとんど会うこともなくなっていた。こうしてゆっくりと話をするのも、高校に入学したばかりのころ以来だ。
学年が上がるにつれて行動範囲も変わってくるから、莉央ちゃんに限らず進学と同時に接点のなくなった子は何人かいたけれど、私にとって莉央ちゃんはその中でも少し特別な存在だった。
「うちの吹奏楽部、強いもんね」
言いながらふと、莉央ちゃんと高石先輩が同じ学年であることに気がついた。それなら莉央ちゃんから生徒手帳を渡してもらったほうがいいかもしれない。だって、そのほうが高石先輩もきっと嬉しい。
そう思ったのも束の間、やっぱり自分で渡しに行かなくてはと思い直す。今回はただ落とし物を返して終わりではない。できることなら異性との接触は避けたいし、私なんかに拾われて高石先輩も不運でしかないけれど、それでも羞恥のたっぷり詰まったあの手紙だけはこの世から抹消しなくてはいけないのだから。
「よりちゃん? おーい、聞いてる?」
くりっとした愛らしい瞳が私を覗き込んできた。
「ごめんごめん、なんて?」
「もぉー、聞いてくださーい。だからね、この前上がったスキンケア動画の——」
そのままたわい無い話で盛り上がっていると、交差点に差し掛かったところで角にあるマンションのエントランスドアが私たちの姿を捉えた。
ブレザーとベストは紺色。それに青いストライプのネクタイを気持ち緩めに締めて、グレーのスカートを履いている。足元は紺色のソックスとローファーの組み合わせ。これがうちの高校の標準服。公立高校だから近隣の私立高校のものと比べると質素だし、制服のない学校とちがって組み合わせに融通が利かない。それでも私はこのデザインが結構気に入っている。
だけど、気に入っているのはあくまでもデザインだけだ。私はこの制服を“正しく”着ることができていないのだから。どう見えるのが正しいのか、その答えは今、私の隣を軽快な足取りで歩いている。
同年代の平均身長より十センチほど高い背丈、ここまでは目を瞑るとして。スカートから覗く筋肉質な脚と広い肩幅が、理想的なプロポーションの完成を妨げている。運動靴指定だった中学のころから憧れていたローファーは私のふくらはぎでは不格好に見えてしまうし、どっしり感が目立つ膝や太ももの形も気に入らない。
いわゆる「しっかりとした体格」の私の並び順はいつも後ろのほうで、おんぶは例外なく背負う側。小学生のころ、たまたま身体測定の結果をクラスの男の子数人に見られてしまったときは、私の体重に目を剥いていたっけ。
当時は彼らよりも背が高かったし、その分重量があるのは当然だけれど、さすがに小学生にそこまでの配慮を求めることはできない。
「あー! 恋したーい!!」
空を仰いだ莉央ちゃんが突然声を張った。
周りに誰もいないからか、スクールバッグをブランコのように前後に振りながら歩いている。見たところバッグは結構重そうだから、その細腕でそんなに振り回したら遠心力に負けてバッグから手を離してしまうんじゃないかな。
って、ちょっと待って。
「……あれ、でも前は彼氏いるって言ってなかった?」
私が入学したばかりのころの話だ。今と同じように偶然帰り道で会ったときに、確かそんなことを言っていた。
「え? ……ああ、夏休み終わりに別れた人のこと? 『部活ばっかりしてないで、もっと時間作ってほしい』って言われて、付き合い続けるのは無理だなって思っちゃった」
「そうだったんだ……」
莉央ちゃんの口から初めて彼氏の話が出たのは、彼女が中学一年生の夏のことだ。
私はまだ小学生だったけれど、同級生の大人びた子たちの間では何人か両思いだったり実際に付き合っている子もいたから、莉央ちゃんの話を聞いても特に驚くことはなかった。
むしろ、昔から引く手あまたなところを見てきた私としては、彼女が頬を染めて言った『初めての彼氏』という言葉に意外性を感じたほどだ。
当時、すでに男の子に苦手意識を感じていた私でも、一番身近な存在である彼女が語る『恋人』というものには少なからず興味を引かれた記憶がある。
さらに言えば、中学の制服に身を包んだ莉央ちゃんはうんと大人に見えたから、私も中学に上がれば自然と自分を好きになって、異性に対する苦手意識を克服して、いずれは恋人ができるのだと期待すら抱いたのだった。
その期待が木っ端微塵に打ち砕かれてしまうなんて、あのころの私は考えたこともなかった。だけど、そうなるのも仕方がなかったのだと今なら思える。
理想とは程遠い縦幅の目に、顔全体に対して専有面積の大きい口。鼻筋なんてもはや行方不明だし、全体的に野暮ったい印象が抜けない顔立ちはのっぺりとしている。せめてもと肩下まで伸ばした髪は私の顔に全く似合っていない。
今朝、うっかり映ってしまった鏡の中の自分はそんな顔だった。
「一緒にいて楽しかったし、無言も気にならないし、かなり気が合う人だったんだけどなぁ。部活と天秤にかけたときに、水平になることはあっても、彼のお皿のほうに傾くことはないなって思っちゃんたんだ」
足元から横へ視線を滑らせても、莉央ちゃんの表情は見えなかった。
顔を隠すように落ちた艶のある髪がサラサラと風にさらわれている。手触りの良さそうなそれをぼんやりと眺めながら、私の口は
「莉央ちゃんはずっと楽器が好きだもんね。その『好き』って気持ちが、相手の場合は全部、莉央ちゃんに向いちゃったのかな」
なんて分かったようなことを紡いでいた。
「そーなの! 部活はしてなくて、バイトは平日だけだから、土日のどっちかは絶対会いたいって言われたの。でも、無理じゃん。わたしは部活も自主練もしたいんだから。気を抜くと、すぐに後輩に追い抜かれちゃうし」
「『楽器に一途な私を丸っと好きになって』って感じだよね」
「そう! そーなの! やっぱり、よりちゃんは分かってくれると思った!」
正しく作られた顔立ちが、グイッと私のほうへ寄せられた。
目、鼻、口。顔を構成するパーツは同じはずなのに、どうやらパーツごとにさらに種類が細分化されるらしい。そして、私はすべてのパーツにおいて種類ガチャに失敗したのだということが、莉央ちゃんを見ていればよく分かる。しかも、失敗したのは顔だけではない。体型だってなに一つ理想的なところがない。
自分をきらいになってもうずいぶんと経つのに年々きらいになるばかりで、『自然と自分を好きになる』ことなんてなかった。好きになるどころか、高校生になった今が自分史上一番、自分のことがきらいなのに。そんなきらいな自分を好きになってくださいなんて、虫のいい話すぎたのだ。
ずっと莉央ちゃんのほうを見ていたからか、彼女のほうから差す夕陽のせいで目が痛んだ。ギュッと目を瞑ると、目の表面がじんわりと潤っていく。
そのまま前へ向き直り、普段より少し遅めの速度で足を動かしながら、隣から聞こえる軽やかな声音に耳を傾けた。
「同じパートの一年生ですごく上手い子がいてね。しっかり触発されて、自主練するために楽器持って帰ってきちゃった」
勤勉で負けず嫌いなところは、昔から変わらない。
「昨日、お風呂入らないまま寝落ちしちゃったから、朝めちゃくちゃ焦ったの。特に髪がキッシキシで泣いた」
わりと怠け心に弱いところは、昔より頻繁に顔を出すようになった。
「こうして一緒に帰るの、よりちゃんが入学してすぐのとき以来じゃない? 久しぶりすぎて、かなりテンション上がってる。やっぱり、よりちゃんといるの楽しいなぁ」
素直に好意を向けてくれるところも相変わらずだ。
出会ったころからずっと彼女は等身大で、いつも満開の花を咲かせた桜の木のように堂々としている。外も中もどの角度から見られたって、恥ずかしいところなんて一つもない。
きっと莉央ちゃんは告白のときに私みたいに予防線を張ったりしないだろう。自身の思いを真っ直ぐな言葉で伝えて、どんな結果でも目を逸らさずに受け止められる強さと潔さがある。そもそも莉央ちゃんの告白が失敗に終わるなんて、あり得ない話だけれど。
だけど、莉央ちゃんに目を奪われる理由は外見以外にもちゃんとある。雨風にも耐えうる桜の幹さながらのぶれない芯の強さに、誰もが憧憬を抱かずにはいられないのだ。私だって、そんな莉央ちゃんが大好きで憧れていた人間の一人なのだから。
それなのに、
「ね、また一緒に帰ろうよ!」
そう言われて私は今、返事をためらっている。
幼いころは誘われる前に勝手について行くほどだったのに、いつからか即答できなくなってしまった。
保育園も一緒で、小学校も学童も中学まで一緒。姉のように慕っていた彼女の後ろをついて回り、真似をした。そんな私を莉央ちゃんはいつも温かい笑顔で受け入れてくれたのに。
「うん、もちろん——」
だけど、私は桜じゃなかった。桜の木の下に咲くタンポポだった。そのことに気づいて以降、徐々に純粋な好意だけで接することができなくなってしまった気がする。
どれだけ羨んだところで仕方のないことだと頭では理解しているつもりだ。
持って生まれたものはどうしたって変えられない。同じ大地に生まれたって、ポテンシャルがちがえば必然的に伸び代は変わってくる。同じ花に生まれたって、茎を伸ばすしかできないタンポポが大木から伸びる枝に咲く薄桃色の花に憧れること自体、間違っているのだ。
分かっているのに、タンポポは今日も桜を見上げている。幼いころとはちがうほの暗い感情を含んだ眼差しで。そんな自分が私は今日もだいきらいだ。
「——また見かけたら声かけるね!」
そう答えた私を莉央ちゃんは眉尻を下げた笑顔で見上げていた。
そのまま並んで帰って別れる前に立ち話までしたけれど、結局生徒手帳のことはなにも言わなかった。
紺色の生徒手帳をスクールバックに忍ばせたまま家路についた私は、家まであと半分の距離といったところで呼び止められた。
鼓膜をくすぐる、鈴を転がすような声。
聞き慣れたその声の持ち主が誰なのか、姿を見なくとも分かる。
「久しぶりだね。高校、慣れた?」
こちらへ駆け寄り、顔をほころばせた彼女の名は笹本莉央。私の幼馴染だ。
緩やかなウェーブのかかった腰近くまである長い髪に、こぼれそうなほどぱっちりとした目、そして小さな顔。ニキビ一つない白い肌が夕陽でほんのり色づいている。
まるでお人形のようなその見た目は小柄でありながら、それでいて野に立つ一本の桜の木のように圧倒的な存在感を放っている。
「……莉央ちゃん、久しぶり。うん、もうすっかり」
「そっかぁ、よかった。よりちゃん、どうしてるかなってずっと気になってたんだ」
頭一つ分ほど高い私を見上げて微笑んだ莉央ちゃんは、そのまま家のほうへ歩き始めた。束の間、その姿を目で追ってから彼女の隣に並ぶ。
ちらりと視線だけを隣に移せば、ちょうど莉央ちゃんが口を開くところだった。
「同じ高校なのに、案外会わないものだよね。部活はやってないんだっけ?」
「うん、高校では入らなかった。莉央ちゃんは今も吹奏楽部だっけ?」
「そうだよぉ。中学より全然キツイ」
練習の辛さを思い出したのか、莉央ちゃんが眉間に皺を寄せて頭を振った。
そんな仕草までかわいく思えてしまうのは、決して幼馴染の贔屓目なんかではないだろう。
同じ住宅街に住む莉央ちゃんとは近所の子も交えて幼いころからよく遊んでいたけれど、彼女の高校入学を機にほとんど会うこともなくなっていた。こうしてゆっくりと話をするのも、高校に入学したばかりのころ以来だ。
学年が上がるにつれて行動範囲も変わってくるから、莉央ちゃんに限らず進学と同時に接点のなくなった子は何人かいたけれど、私にとって莉央ちゃんはその中でも少し特別な存在だった。
「うちの吹奏楽部、強いもんね」
言いながらふと、莉央ちゃんと高石先輩が同じ学年であることに気がついた。それなら莉央ちゃんから生徒手帳を渡してもらったほうがいいかもしれない。だって、そのほうが高石先輩もきっと嬉しい。
そう思ったのも束の間、やっぱり自分で渡しに行かなくてはと思い直す。今回はただ落とし物を返して終わりではない。できることなら異性との接触は避けたいし、私なんかに拾われて高石先輩も不運でしかないけれど、それでも羞恥のたっぷり詰まったあの手紙だけはこの世から抹消しなくてはいけないのだから。
「よりちゃん? おーい、聞いてる?」
くりっとした愛らしい瞳が私を覗き込んできた。
「ごめんごめん、なんて?」
「もぉー、聞いてくださーい。だからね、この前上がったスキンケア動画の——」
そのままたわい無い話で盛り上がっていると、交差点に差し掛かったところで角にあるマンションのエントランスドアが私たちの姿を捉えた。
ブレザーとベストは紺色。それに青いストライプのネクタイを気持ち緩めに締めて、グレーのスカートを履いている。足元は紺色のソックスとローファーの組み合わせ。これがうちの高校の標準服。公立高校だから近隣の私立高校のものと比べると質素だし、制服のない学校とちがって組み合わせに融通が利かない。それでも私はこのデザインが結構気に入っている。
だけど、気に入っているのはあくまでもデザインだけだ。私はこの制服を“正しく”着ることができていないのだから。どう見えるのが正しいのか、その答えは今、私の隣を軽快な足取りで歩いている。
同年代の平均身長より十センチほど高い背丈、ここまでは目を瞑るとして。スカートから覗く筋肉質な脚と広い肩幅が、理想的なプロポーションの完成を妨げている。運動靴指定だった中学のころから憧れていたローファーは私のふくらはぎでは不格好に見えてしまうし、どっしり感が目立つ膝や太ももの形も気に入らない。
いわゆる「しっかりとした体格」の私の並び順はいつも後ろのほうで、おんぶは例外なく背負う側。小学生のころ、たまたま身体測定の結果をクラスの男の子数人に見られてしまったときは、私の体重に目を剥いていたっけ。
当時は彼らよりも背が高かったし、その分重量があるのは当然だけれど、さすがに小学生にそこまでの配慮を求めることはできない。
「あー! 恋したーい!!」
空を仰いだ莉央ちゃんが突然声を張った。
周りに誰もいないからか、スクールバッグをブランコのように前後に振りながら歩いている。見たところバッグは結構重そうだから、その細腕でそんなに振り回したら遠心力に負けてバッグから手を離してしまうんじゃないかな。
って、ちょっと待って。
「……あれ、でも前は彼氏いるって言ってなかった?」
私が入学したばかりのころの話だ。今と同じように偶然帰り道で会ったときに、確かそんなことを言っていた。
「え? ……ああ、夏休み終わりに別れた人のこと? 『部活ばっかりしてないで、もっと時間作ってほしい』って言われて、付き合い続けるのは無理だなって思っちゃった」
「そうだったんだ……」
莉央ちゃんの口から初めて彼氏の話が出たのは、彼女が中学一年生の夏のことだ。
私はまだ小学生だったけれど、同級生の大人びた子たちの間では何人か両思いだったり実際に付き合っている子もいたから、莉央ちゃんの話を聞いても特に驚くことはなかった。
むしろ、昔から引く手あまたなところを見てきた私としては、彼女が頬を染めて言った『初めての彼氏』という言葉に意外性を感じたほどだ。
当時、すでに男の子に苦手意識を感じていた私でも、一番身近な存在である彼女が語る『恋人』というものには少なからず興味を引かれた記憶がある。
さらに言えば、中学の制服に身を包んだ莉央ちゃんはうんと大人に見えたから、私も中学に上がれば自然と自分を好きになって、異性に対する苦手意識を克服して、いずれは恋人ができるのだと期待すら抱いたのだった。
その期待が木っ端微塵に打ち砕かれてしまうなんて、あのころの私は考えたこともなかった。だけど、そうなるのも仕方がなかったのだと今なら思える。
理想とは程遠い縦幅の目に、顔全体に対して専有面積の大きい口。鼻筋なんてもはや行方不明だし、全体的に野暮ったい印象が抜けない顔立ちはのっぺりとしている。せめてもと肩下まで伸ばした髪は私の顔に全く似合っていない。
今朝、うっかり映ってしまった鏡の中の自分はそんな顔だった。
「一緒にいて楽しかったし、無言も気にならないし、かなり気が合う人だったんだけどなぁ。部活と天秤にかけたときに、水平になることはあっても、彼のお皿のほうに傾くことはないなって思っちゃんたんだ」
足元から横へ視線を滑らせても、莉央ちゃんの表情は見えなかった。
顔を隠すように落ちた艶のある髪がサラサラと風にさらわれている。手触りの良さそうなそれをぼんやりと眺めながら、私の口は
「莉央ちゃんはずっと楽器が好きだもんね。その『好き』って気持ちが、相手の場合は全部、莉央ちゃんに向いちゃったのかな」
なんて分かったようなことを紡いでいた。
「そーなの! 部活はしてなくて、バイトは平日だけだから、土日のどっちかは絶対会いたいって言われたの。でも、無理じゃん。わたしは部活も自主練もしたいんだから。気を抜くと、すぐに後輩に追い抜かれちゃうし」
「『楽器に一途な私を丸っと好きになって』って感じだよね」
「そう! そーなの! やっぱり、よりちゃんは分かってくれると思った!」
正しく作られた顔立ちが、グイッと私のほうへ寄せられた。
目、鼻、口。顔を構成するパーツは同じはずなのに、どうやらパーツごとにさらに種類が細分化されるらしい。そして、私はすべてのパーツにおいて種類ガチャに失敗したのだということが、莉央ちゃんを見ていればよく分かる。しかも、失敗したのは顔だけではない。体型だってなに一つ理想的なところがない。
自分をきらいになってもうずいぶんと経つのに年々きらいになるばかりで、『自然と自分を好きになる』ことなんてなかった。好きになるどころか、高校生になった今が自分史上一番、自分のことがきらいなのに。そんなきらいな自分を好きになってくださいなんて、虫のいい話すぎたのだ。
ずっと莉央ちゃんのほうを見ていたからか、彼女のほうから差す夕陽のせいで目が痛んだ。ギュッと目を瞑ると、目の表面がじんわりと潤っていく。
そのまま前へ向き直り、普段より少し遅めの速度で足を動かしながら、隣から聞こえる軽やかな声音に耳を傾けた。
「同じパートの一年生ですごく上手い子がいてね。しっかり触発されて、自主練するために楽器持って帰ってきちゃった」
勤勉で負けず嫌いなところは、昔から変わらない。
「昨日、お風呂入らないまま寝落ちしちゃったから、朝めちゃくちゃ焦ったの。特に髪がキッシキシで泣いた」
わりと怠け心に弱いところは、昔より頻繁に顔を出すようになった。
「こうして一緒に帰るの、よりちゃんが入学してすぐのとき以来じゃない? 久しぶりすぎて、かなりテンション上がってる。やっぱり、よりちゃんといるの楽しいなぁ」
素直に好意を向けてくれるところも相変わらずだ。
出会ったころからずっと彼女は等身大で、いつも満開の花を咲かせた桜の木のように堂々としている。外も中もどの角度から見られたって、恥ずかしいところなんて一つもない。
きっと莉央ちゃんは告白のときに私みたいに予防線を張ったりしないだろう。自身の思いを真っ直ぐな言葉で伝えて、どんな結果でも目を逸らさずに受け止められる強さと潔さがある。そもそも莉央ちゃんの告白が失敗に終わるなんて、あり得ない話だけれど。
だけど、莉央ちゃんに目を奪われる理由は外見以外にもちゃんとある。雨風にも耐えうる桜の幹さながらのぶれない芯の強さに、誰もが憧憬を抱かずにはいられないのだ。私だって、そんな莉央ちゃんが大好きで憧れていた人間の一人なのだから。
それなのに、
「ね、また一緒に帰ろうよ!」
そう言われて私は今、返事をためらっている。
幼いころは誘われる前に勝手について行くほどだったのに、いつからか即答できなくなってしまった。
保育園も一緒で、小学校も学童も中学まで一緒。姉のように慕っていた彼女の後ろをついて回り、真似をした。そんな私を莉央ちゃんはいつも温かい笑顔で受け入れてくれたのに。
「うん、もちろん——」
だけど、私は桜じゃなかった。桜の木の下に咲くタンポポだった。そのことに気づいて以降、徐々に純粋な好意だけで接することができなくなってしまった気がする。
どれだけ羨んだところで仕方のないことだと頭では理解しているつもりだ。
持って生まれたものはどうしたって変えられない。同じ大地に生まれたって、ポテンシャルがちがえば必然的に伸び代は変わってくる。同じ花に生まれたって、茎を伸ばすしかできないタンポポが大木から伸びる枝に咲く薄桃色の花に憧れること自体、間違っているのだ。
分かっているのに、タンポポは今日も桜を見上げている。幼いころとはちがうほの暗い感情を含んだ眼差しで。そんな自分が私は今日もだいきらいだ。
「——また見かけたら声かけるね!」
そう答えた私を莉央ちゃんは眉尻を下げた笑顔で見上げていた。
そのまま並んで帰って別れる前に立ち話までしたけれど、結局生徒手帳のことはなにも言わなかった。
