終業式から一週間が経過した。あと数日で今年が終わる。
結局、まだ連絡はできていない。先輩とのチャット画面には、体調を気遣う私のメッセージが未読のまま残っているだけだ。
転校の話に触れるかどうか、正直かなり悩んだ。だけど、『また連絡する』と言った先輩が既読すら付けられないなんて、余程のことがあったのかもしれない。そう勘ぐってしまって、返事を催促するような行為ではないかと怖気づいてしまった。
だけど、私もただ先輩からの連絡を待っていたわけじゃない。
「よりちゃん、おまたせ」
正方形のカフェテーブルを挟んで向かいに座ったその人に、私は「全然」と微笑んだ。
家からほど近い個人経営の喫茶店。ここに莉央ちゃんを呼び出したのは私だ。
もし転校の話が本当だとしたら、私はどうやって先輩を見送るべきなのだろう。そう自分に尋ねたとき、ある考えが芽生えた。
ずっと頼ってばかりで、背中を押してもらってばかりだったのだから、せめてもの餞として少しでも立派になった姿を見せたい。そう思った。
「部活があったのに呼び出してごめんね。お詫びも兼ねて、ここは私が払うから」
「えっ?! いいよいいよ! せっかく久しぶりに遊ぶんだもん。気兼ねなくいこうよ!」
そう言ってにっこりと笑う莉央ちゃんはやっぱりかわいい。
顔も体型も寸分の狂いなく整った幼馴染の姿は相変わらず私には目の毒だ。それでもこうして莉央ちゃんを呼び出したのにはちゃんと理由がある。
——自分の人生を納得できるものだけで作り上げたい。
先輩はそう言っていた。
「ていうか、髪! すっごく似合ってる!」
「あ、ありがと……」
「事前にチャットくれてたから、楽しみにしてたんだぁ。個人的には今のほうがスッキリして見えるし、好みかも」
「やっぱりそう思う? 友達にも親にも、みんなにそう言われるんだよね。自分じゃよく分からないんだけど、乾くの早いし寝癖も気にしなくていいから気に入ってて。切ってよかったとは思ってる」
ほぼ勢いだけで決断したものの、自分の好みを自分の手で調べて自分で選んだことが功を奏したのかもしれない。
今の私は莉央ちゃん離れに向けて、やっと一歩目を踏み出したばかりだ。髪以外の要素についてもどういう選択が納得できるのか、きちんと知りたいと思った。そのために二歩目として選んだのが、今一度莉央ちゃんと向き合うことだった。
私をじっと見つめていた莉央ちゃんが、口角を綺麗に上げて「んふふっ」と不思議な笑い声をこぼした。「な、なに?」と尋ねずにはいられない。
「よりちゃん、なんかすごく変わった」
「え?」
予想だにしなかったことを言われて、開いた口が塞がらない。
「確かに、髪は切ったけど……」なんて、どう考えても的はずれなことを言ってしまう始末だ。
「そうじゃなくて——」
「ごめん、ごめん! 分かってるよ。まさかそんなこと言われると思わなくて、ちょっと混乱しただけ」
「あはは、そういうことかぁ。まあそういうのって、あんまり自覚はできないよね」
「……そうなの?」
「みたいだよ。あとから振り返って、『自分変わったな』って実感するものだって顧問の先生が言ってた」
「ああ、あのベートーヴェンみたいな顔の音楽の先生か」
「ショパンだねぇ」
名前を聞いても顔が一致しなかったから、スマホでショパンとベートーヴェンを調べてみる。あまりにも顔立ちがちがいすぎて、どうしてこの二人を記憶違いしたのかと二人でしばらくお腹を抱えて笑ってしまった。
言われてみれば、莉央ちゃんとの時間を心の底から楽しいと思えるなんて本当に久しぶりだ。この完璧な容姿を見るたびに生まれていた仄暗い感情も、今のところ顔を覗かせていない。
そういえば一つ、自分でも驚いたことがあった。
——高石先輩が笹本先輩の名前出しても、なにも思わなかったんだね。
先輩とのカフェでのやり取りを話したときに紗良から指摘されたこと。言われて数秒ほど実感が湧かなかった程度には青天の霹靂だった。
思い返してみると、先輩から莉央ちゃんに話を聞いたと言われたときの私は恥ずかしさでいっぱいだった。今までのように『また見てもらえない』なんて考える余地もないほどに。
紗良に言われたときはそのまま話が流れてしまったから驚いて終わったけれど、もしかしてこれが変わったということなのだろうか。それなら、きっと今しかない。
「あのね、莉央ちゃん」
私は意を決して口を開いた。
「ん? どうしたの?」
「実は私、ずっと莉央ちゃんになりたいって思ってたの——」
一つ一つ、昔の出来事を思い出しながら当時の気持ちを紡いでいく。
莉央ちゃんの隣にいたことで経験したつらい扱い。それによって生まれた仄暗い感情。幼馴染のフリをしながら、心の奥ではずっとその感情が沸き立っていたこと。
途中、言葉に詰まりながら話し続ける私の真情に、莉央ちゃんは一つも聞き漏らすまいといった面持ちで耳を傾けてくれた。
「だから、本当にごめんなさい! 莉央ちゃんのことは本当に大好きで、ずっとずっと大事な幼馴染なのに……。目の前で告白されているのを見たときから、よくない感情ばっかり浮かんじゃって……。それなのに仲良しのフリ、してて……」
そんな卑怯な自分がずっとだいきらいだった。
「ちゃんと分かってたの。莉央ちゃんはなにも悪くないって。ただの僻みで、変わらなくちゃいけないのは私だけだって。でも、上手く割り切れなくて……、仲良しのフリしてるくせに避けるようなこともして……」
「よりちゃん」
桜の花びらの舞う音が聞こえそうなほど静穏な声で名前を呼ばれる。
「顔、上げて?」
言われて、私は初めて自分が俯いていたことに気がついた。目をぎゅっと瞑って、両手は膝の上で固く握られている。
「わたしも、ごめんね。なんとなくだけど、よりちゃんの気持ち分かってたの。あの告白を境によりちゃん、好きな人教えてくれなくなったでしょ?」
「う、うん……」
「これまでと同じでいたかったから、わたしは好きな人ができるたびに報告してたけど、よりちゃんはいつも『今はいない』って言うようになったんだよね。最初は言葉のまま信じてたんだけど、しばらくしてわたしも同じことをして気がついたの」
「同じこと?」
「うん、そう。友達と好きな人がかぶってるって知って、咄嗟に。そのときに、『もしかして、よりちゃんも』って思ったんだぁ」
「その人とは」
「好きな人のこと? うん、なにもないよ。友達も上手くいかなかったみたいなんだけどね」
——わたしはいいから、好きなの選んで。
そうだった。それが幼いころからの莉央ちゃんの口癖だった。遊びもお菓子も、莉央ちゃんは常に私の意見を尊重してくれた。
だけど、それは私に対してだけじゃない。
一緒に遊んでいた子たちにも莉央ちゃんはいつも優しかった。その子たちに嫉妬するぐらい、私は莉央ちゃんを慕って心の底から甘えていたのに。
「でも……」
莉央ちゃんの表情がわずかに陰る。
「やっぱり悲しかったんだぁ。よりちゃんて私が同性から妬まれても、疎まれても、ずっと一緒にいてくれたでしょ? 意地悪されたら庇ってくれて、仲間外れにされても絶対に味方してくれた。だから、あの告白できらわれちゃったのかなって……、家でいーっぱい泣いた」
「えっ?! えぇっ??!! ご、ごごごごめんっっ!!」
「あはは、いいのいいの。お互い様だよぉ。わたしだって、よりちゃんを傷つけたんだから」
「そんなの、全然お互い様なんかじゃ……」
言いかけた私に、莉央ちゃんは静かに頭を振る。前のめりになっていた上体を椅子の背もたれへ預け直した。
「わたしが高校に入学する前後かな? たまに近所でよりちゃんを見かけても、いつも悲しい顔してて。ずっとなにがあったのか気になってたの。わたしにとってよりちゃんは本当に頼もしい妹だったから。そんな子が悩んでるんだもん。今すぐ駆け寄って、抱きしめて、たっくさん話聞いてあげたかった」
「…………っ」
「でも、きっとわたしじゃダメだったんだよね。よりちゃんが憧れてくれている以上、わたしにできるのは待つことだけだったんだと思う」
「どういう、意味……?」
「友だちと、あとー、高石くん? 他にもいるのかもしれないけど、今のよりちゃんに必要だったのはその人だちだった」
その名前を聞いてハッとした。
「あっ、あの! た、高石先輩……って…………」
言わんとしたことが分かったのか、莉央ちゃんは悲しげな笑顔で首肯した。
「転校、するみたい。わたしたちも詳しいことは知らないの。突然来なくなって、長く休むなと思ってたら、終業式のあとのホームルームで先生から転校するとだけ言われて……。クラスのグループチャットにも返事はないし、仲の良い男の子たちもなにも知らないみたい」
「そう、なんだ……」
「ねえ、よりちゃん」
「ん?」
「わたしね、最近同じ部活の後輩くんが気になってるんだぁ」
突拍子もない切り出し方に、「う……ん?」と大きく戸惑いながら頷く。
「『よりちゃんは好きな人いないの?』」
「——……っ?!」
今より幼い莉央ちゃんの声と重なったその問いに、一瞬にして顔に熱が集まっていく。
「わっ……、すっ……?!?!」
「んふふっ! よりちゃん、真っ赤だねぇ」
「ちょ、ちょっと待って! これはちがう! 私の中にそんな概念、なかったから……」
「ほんとかなぁ」
凪いだ水面に重たい石を投じたときのように、莉央ちゃんの一言は私の心に大きな波紋を起こした。幾重にも輪を描き広がっていくその中心には、本当に尊敬以外の感情が沈んでいるのだろうか。だとしても、今すぐに答えが見つけられるものではない気がする。
それに、私がやりたいことは他にある。
「ちっ、ちがうからねっ?! それよりも私は、高石先輩に餞をって……」
「餞?」
グイッと多めにカフェラテを含み、焦りごと呑み込んだ。
「うん……。本当にたくさんお世話になったから、少しでも成長した姿を見せたくて。莉央ちゃんを呼んだもの、その一環というか……」
「へぇー! なんか意外だなぁ。高石くんて教室だとほとんど女子と話さないから」
「あ、教室でもそうなんだ」
「そうだよぉ。この前いきなりよりちゃんのこと訊かれたときは、周りの視線が痛かったもん」
「あ、はは……」
空笑いしながらその様子を想像してみるけれど、先輩がどんな風に教室で過ごしているのか上手く描くことができなかった。それはきっと先輩のほんの一面しか知らないからだ。
なんだろう。ちがう学年だから知らなくて当然なのに、そのことに少し寂しさを感じる。
「でも、本当に最後にするつもり?」
「え?」
「聞いた感じ、二度と会えないと思ってるみたいだけど。よりちゃんはそれでいいのかなって。だって、わたしみたいな恋愛感情じゃなくても、純粋に尊敬してるんでしょ? そんな恩人みたいな人なら、いつかまた会いたくなるんじゃない?」
「それは、そうなんだけど……」
「連絡先も知ってるんだし……、ってそうじゃん、連絡先! あれもびっくりしたんだからね?!」
「誠にありがとうございました」
気持ち大げさに、あえて深々と頭を下げた。
こんな態度、以前なら一果と紗良にしかできなかった。莉央ちゃんも「まったくもぉ」と笑っている。
「話戻るけど! 少なくともよりちゃんは、高石くんにとってやり取りしてもいい相手なんだから。わたしが余計なこと言ったせいで混乱させちゃったけど、これで最後だなんて思わずに先を考えてみてもいいんじゃない?」
「先……か…………」
それから私たちは離れていた時間を取り戻すように、どちらからともなく話し続けた。
あまりにも帰ってこない私たちを心配して、それぞれの親から怒りのチャットが送られてくるまで、それはずっと続いた。
結局、まだ連絡はできていない。先輩とのチャット画面には、体調を気遣う私のメッセージが未読のまま残っているだけだ。
転校の話に触れるかどうか、正直かなり悩んだ。だけど、『また連絡する』と言った先輩が既読すら付けられないなんて、余程のことがあったのかもしれない。そう勘ぐってしまって、返事を催促するような行為ではないかと怖気づいてしまった。
だけど、私もただ先輩からの連絡を待っていたわけじゃない。
「よりちゃん、おまたせ」
正方形のカフェテーブルを挟んで向かいに座ったその人に、私は「全然」と微笑んだ。
家からほど近い個人経営の喫茶店。ここに莉央ちゃんを呼び出したのは私だ。
もし転校の話が本当だとしたら、私はどうやって先輩を見送るべきなのだろう。そう自分に尋ねたとき、ある考えが芽生えた。
ずっと頼ってばかりで、背中を押してもらってばかりだったのだから、せめてもの餞として少しでも立派になった姿を見せたい。そう思った。
「部活があったのに呼び出してごめんね。お詫びも兼ねて、ここは私が払うから」
「えっ?! いいよいいよ! せっかく久しぶりに遊ぶんだもん。気兼ねなくいこうよ!」
そう言ってにっこりと笑う莉央ちゃんはやっぱりかわいい。
顔も体型も寸分の狂いなく整った幼馴染の姿は相変わらず私には目の毒だ。それでもこうして莉央ちゃんを呼び出したのにはちゃんと理由がある。
——自分の人生を納得できるものだけで作り上げたい。
先輩はそう言っていた。
「ていうか、髪! すっごく似合ってる!」
「あ、ありがと……」
「事前にチャットくれてたから、楽しみにしてたんだぁ。個人的には今のほうがスッキリして見えるし、好みかも」
「やっぱりそう思う? 友達にも親にも、みんなにそう言われるんだよね。自分じゃよく分からないんだけど、乾くの早いし寝癖も気にしなくていいから気に入ってて。切ってよかったとは思ってる」
ほぼ勢いだけで決断したものの、自分の好みを自分の手で調べて自分で選んだことが功を奏したのかもしれない。
今の私は莉央ちゃん離れに向けて、やっと一歩目を踏み出したばかりだ。髪以外の要素についてもどういう選択が納得できるのか、きちんと知りたいと思った。そのために二歩目として選んだのが、今一度莉央ちゃんと向き合うことだった。
私をじっと見つめていた莉央ちゃんが、口角を綺麗に上げて「んふふっ」と不思議な笑い声をこぼした。「な、なに?」と尋ねずにはいられない。
「よりちゃん、なんかすごく変わった」
「え?」
予想だにしなかったことを言われて、開いた口が塞がらない。
「確かに、髪は切ったけど……」なんて、どう考えても的はずれなことを言ってしまう始末だ。
「そうじゃなくて——」
「ごめん、ごめん! 分かってるよ。まさかそんなこと言われると思わなくて、ちょっと混乱しただけ」
「あはは、そういうことかぁ。まあそういうのって、あんまり自覚はできないよね」
「……そうなの?」
「みたいだよ。あとから振り返って、『自分変わったな』って実感するものだって顧問の先生が言ってた」
「ああ、あのベートーヴェンみたいな顔の音楽の先生か」
「ショパンだねぇ」
名前を聞いても顔が一致しなかったから、スマホでショパンとベートーヴェンを調べてみる。あまりにも顔立ちがちがいすぎて、どうしてこの二人を記憶違いしたのかと二人でしばらくお腹を抱えて笑ってしまった。
言われてみれば、莉央ちゃんとの時間を心の底から楽しいと思えるなんて本当に久しぶりだ。この完璧な容姿を見るたびに生まれていた仄暗い感情も、今のところ顔を覗かせていない。
そういえば一つ、自分でも驚いたことがあった。
——高石先輩が笹本先輩の名前出しても、なにも思わなかったんだね。
先輩とのカフェでのやり取りを話したときに紗良から指摘されたこと。言われて数秒ほど実感が湧かなかった程度には青天の霹靂だった。
思い返してみると、先輩から莉央ちゃんに話を聞いたと言われたときの私は恥ずかしさでいっぱいだった。今までのように『また見てもらえない』なんて考える余地もないほどに。
紗良に言われたときはそのまま話が流れてしまったから驚いて終わったけれど、もしかしてこれが変わったということなのだろうか。それなら、きっと今しかない。
「あのね、莉央ちゃん」
私は意を決して口を開いた。
「ん? どうしたの?」
「実は私、ずっと莉央ちゃんになりたいって思ってたの——」
一つ一つ、昔の出来事を思い出しながら当時の気持ちを紡いでいく。
莉央ちゃんの隣にいたことで経験したつらい扱い。それによって生まれた仄暗い感情。幼馴染のフリをしながら、心の奥ではずっとその感情が沸き立っていたこと。
途中、言葉に詰まりながら話し続ける私の真情に、莉央ちゃんは一つも聞き漏らすまいといった面持ちで耳を傾けてくれた。
「だから、本当にごめんなさい! 莉央ちゃんのことは本当に大好きで、ずっとずっと大事な幼馴染なのに……。目の前で告白されているのを見たときから、よくない感情ばっかり浮かんじゃって……。それなのに仲良しのフリ、してて……」
そんな卑怯な自分がずっとだいきらいだった。
「ちゃんと分かってたの。莉央ちゃんはなにも悪くないって。ただの僻みで、変わらなくちゃいけないのは私だけだって。でも、上手く割り切れなくて……、仲良しのフリしてるくせに避けるようなこともして……」
「よりちゃん」
桜の花びらの舞う音が聞こえそうなほど静穏な声で名前を呼ばれる。
「顔、上げて?」
言われて、私は初めて自分が俯いていたことに気がついた。目をぎゅっと瞑って、両手は膝の上で固く握られている。
「わたしも、ごめんね。なんとなくだけど、よりちゃんの気持ち分かってたの。あの告白を境によりちゃん、好きな人教えてくれなくなったでしょ?」
「う、うん……」
「これまでと同じでいたかったから、わたしは好きな人ができるたびに報告してたけど、よりちゃんはいつも『今はいない』って言うようになったんだよね。最初は言葉のまま信じてたんだけど、しばらくしてわたしも同じことをして気がついたの」
「同じこと?」
「うん、そう。友達と好きな人がかぶってるって知って、咄嗟に。そのときに、『もしかして、よりちゃんも』って思ったんだぁ」
「その人とは」
「好きな人のこと? うん、なにもないよ。友達も上手くいかなかったみたいなんだけどね」
——わたしはいいから、好きなの選んで。
そうだった。それが幼いころからの莉央ちゃんの口癖だった。遊びもお菓子も、莉央ちゃんは常に私の意見を尊重してくれた。
だけど、それは私に対してだけじゃない。
一緒に遊んでいた子たちにも莉央ちゃんはいつも優しかった。その子たちに嫉妬するぐらい、私は莉央ちゃんを慕って心の底から甘えていたのに。
「でも……」
莉央ちゃんの表情がわずかに陰る。
「やっぱり悲しかったんだぁ。よりちゃんて私が同性から妬まれても、疎まれても、ずっと一緒にいてくれたでしょ? 意地悪されたら庇ってくれて、仲間外れにされても絶対に味方してくれた。だから、あの告白できらわれちゃったのかなって……、家でいーっぱい泣いた」
「えっ?! えぇっ??!! ご、ごごごごめんっっ!!」
「あはは、いいのいいの。お互い様だよぉ。わたしだって、よりちゃんを傷つけたんだから」
「そんなの、全然お互い様なんかじゃ……」
言いかけた私に、莉央ちゃんは静かに頭を振る。前のめりになっていた上体を椅子の背もたれへ預け直した。
「わたしが高校に入学する前後かな? たまに近所でよりちゃんを見かけても、いつも悲しい顔してて。ずっとなにがあったのか気になってたの。わたしにとってよりちゃんは本当に頼もしい妹だったから。そんな子が悩んでるんだもん。今すぐ駆け寄って、抱きしめて、たっくさん話聞いてあげたかった」
「…………っ」
「でも、きっとわたしじゃダメだったんだよね。よりちゃんが憧れてくれている以上、わたしにできるのは待つことだけだったんだと思う」
「どういう、意味……?」
「友だちと、あとー、高石くん? 他にもいるのかもしれないけど、今のよりちゃんに必要だったのはその人だちだった」
その名前を聞いてハッとした。
「あっ、あの! た、高石先輩……って…………」
言わんとしたことが分かったのか、莉央ちゃんは悲しげな笑顔で首肯した。
「転校、するみたい。わたしたちも詳しいことは知らないの。突然来なくなって、長く休むなと思ってたら、終業式のあとのホームルームで先生から転校するとだけ言われて……。クラスのグループチャットにも返事はないし、仲の良い男の子たちもなにも知らないみたい」
「そう、なんだ……」
「ねえ、よりちゃん」
「ん?」
「わたしね、最近同じ部活の後輩くんが気になってるんだぁ」
突拍子もない切り出し方に、「う……ん?」と大きく戸惑いながら頷く。
「『よりちゃんは好きな人いないの?』」
「——……っ?!」
今より幼い莉央ちゃんの声と重なったその問いに、一瞬にして顔に熱が集まっていく。
「わっ……、すっ……?!?!」
「んふふっ! よりちゃん、真っ赤だねぇ」
「ちょ、ちょっと待って! これはちがう! 私の中にそんな概念、なかったから……」
「ほんとかなぁ」
凪いだ水面に重たい石を投じたときのように、莉央ちゃんの一言は私の心に大きな波紋を起こした。幾重にも輪を描き広がっていくその中心には、本当に尊敬以外の感情が沈んでいるのだろうか。だとしても、今すぐに答えが見つけられるものではない気がする。
それに、私がやりたいことは他にある。
「ちっ、ちがうからねっ?! それよりも私は、高石先輩に餞をって……」
「餞?」
グイッと多めにカフェラテを含み、焦りごと呑み込んだ。
「うん……。本当にたくさんお世話になったから、少しでも成長した姿を見せたくて。莉央ちゃんを呼んだもの、その一環というか……」
「へぇー! なんか意外だなぁ。高石くんて教室だとほとんど女子と話さないから」
「あ、教室でもそうなんだ」
「そうだよぉ。この前いきなりよりちゃんのこと訊かれたときは、周りの視線が痛かったもん」
「あ、はは……」
空笑いしながらその様子を想像してみるけれど、先輩がどんな風に教室で過ごしているのか上手く描くことができなかった。それはきっと先輩のほんの一面しか知らないからだ。
なんだろう。ちがう学年だから知らなくて当然なのに、そのことに少し寂しさを感じる。
「でも、本当に最後にするつもり?」
「え?」
「聞いた感じ、二度と会えないと思ってるみたいだけど。よりちゃんはそれでいいのかなって。だって、わたしみたいな恋愛感情じゃなくても、純粋に尊敬してるんでしょ? そんな恩人みたいな人なら、いつかまた会いたくなるんじゃない?」
「それは、そうなんだけど……」
「連絡先も知ってるんだし……、ってそうじゃん、連絡先! あれもびっくりしたんだからね?!」
「誠にありがとうございました」
気持ち大げさに、あえて深々と頭を下げた。
こんな態度、以前なら一果と紗良にしかできなかった。莉央ちゃんも「まったくもぉ」と笑っている。
「話戻るけど! 少なくともよりちゃんは、高石くんにとってやり取りしてもいい相手なんだから。わたしが余計なこと言ったせいで混乱させちゃったけど、これで最後だなんて思わずに先を考えてみてもいいんじゃない?」
「先……か…………」
それから私たちは離れていた時間を取り戻すように、どちらからともなく話し続けた。
あまりにも帰ってこない私たちを心配して、それぞれの親から怒りのチャットが送られてくるまで、それはずっと続いた。
