青い炎が奥殿を駆け抜けた。
しかし、その炎が最初に向かったのは、私たちではなかった。
「きゃあああっ!」
床に倒れ込んでいた撫子に向かって、青い業火が襲いかかる。
撫子は恐怖で身動きが取れず、ただ目を見開いてその場に固まっていた。
「撫子!」
私は反射的に駆け出し、撫子の前に立ちはだかる。
両手を前に突き出し、藍色の光の幕を展開した。
ゴォォォォ――!
青い炎が光の幕にぶつかり、激しい音を立てて散らされる。
しかし、その熱量は凄まじく、私の頬に火傷のような痛みが走った。
「う……あつっ……」
光の幕を維持するのがやっとだった。
青行燈の炎は、今まで戦った札鬼とは比較にならないほど強力だ。
「……っ、なんで……」
私は撫子に背を向けたまま答える。
青行燈がまた炎を吐こうとしているのが見えたからだ。
「あなたがどんなに私を憎んでも、私はあなたを見捨てたりしない」
二度目の炎が襲来する。
今度は左右に分かれて、回り込むような軌道を描いていた。
私は光の幕を左右に展開し、なんとか撫子を守り抜く。
しかし、その瞬間――
「あ……」
撫子の声が途切れた。
振り返ると、彼女は気を失って倒れていた。
恐怖と衝撃で、意識を手放してしまったらしい。
「詩織、よくやった。だが下がれ」
皓様が私の前に立つ。
その背中から発せられる威圧感が、青行燈の邪気を押し返していく。
「これからが本番だ」
皓様が刀を抜く。
月光を纏った刃が、青い炎に対抗するように輝いた。
「グオオオオ……」
青行燈が低い唸り声を上げる。
美津子様の面影は完全に失われ、ただの怪物と化していた。
「フフフ……やっぱりやるねぇ、桜花のお姫様」
鏡の中から当主の声が響く。
「でも、まだ序の口だよ。青行燈、本気を出しなさい」
青行燈の髪が逆立ち、全身の炎がより激しく燃え上がる。
その手にした柳の鞭が、まるで生き物のようにうねった。
「ギィィィィ!」
鞭が空気を切り裂いて皓様に向かう。
皓様は刀でそれを受け流し、同時に反撃の斬撃を放った。
銀色の光が青行燈を襲うが、青行燈は宙に舞い上がってそれを回避する。
そのまま空中から、無数の青い火球を降らせてきた。
「くっ……」
皓様が左右に跳んで火球を避ける。
しかし、数が多すぎて全てを避けきれない。
「やぁっ!」
その時、私は桜の刃を振るった。
薄桃色の斬撃が空中に舞い、火球の一部を相殺する。
「いい判断だ、詩織」
皓様が振り返って軽く頷く。
その隙を突いて、青行燈が急降下してきた。
「ガァァァ!」
「させません!」
私は光の幕を皓様の背後に展開する。
青行燈の爪が光の幕に阻まれ、皓様への攻撃が逸れた。
皓様はその瞬間を逃さず、青行燈の脇腹に斬りつける。
しかし、刀は青い炎に阻まれ、深く切り込むことができない。
「フフ……その程度では、傷一つ負いませんよ」
当主の声が愉快そうに響く。
青行燈が皓様を蹴り飛ばそうとする。
皓様は受け身を取って着地するが、その表情は険しい。
「予想以上に厄介だな」
皓様が刀を構え直す。
青行燈も再び宙に舞い上がり、今度は柳の鞭を複数に分裂させた。
「さあ、どこまで避けられるでしょうねえ」
当主の指示と共に、三本の鞭がそれぞれ異なる軌道で皓様を狙う。
皓様は華麗な身のこなしでそれらを避けていくが、段々と追い詰められていく。
そこで私は、青行燈の死角に回り込んだ。
桜の刃で斬撃を放ち、青行燈の注意を引く。
「シャアアア!」
「く……!」
青行燈が私に向かって炎を吐く。
私は光の幕で防御するが、その威力に後ずさりした。
しかし、それで十分だった。
皓様が青行燈の隙を突き、渾身の一撃を放つ。
今度は刀が青行燈の肩を深く切り裂いた。
黒い血が飛び散り、青行燈が苦痛の叫びを上げる。
「ぎゃあああッ……!」
「なるほど。十分に踏み込めば、傷は与えられるようだな」
しかし、青行燈はすぐに体勢を立て直す。
傷口から青い炎が噴き出し、傷が見る見るうちに塞がっていく。
「いいえ、無駄ですよ。真打ちは不死身なのです」
当主の声と共に、青行燈が両手を広げると、奥殿全体が青い炎に包まれた。
息苦しいほどの熱気が充満し、空気がゆらめく。
「この炎の空間にいる限り、青行燈の力は無限に湧いてきます。
青行燈とは百物語の主。物語を司る灯火が、彼女に力を与えるのです」
青行燈の炎がより激しくなる。
その炎は単なる攻撃手段ではなく、青行燈自身を強化する力でもあるらしい。
「詩織、あの炎を何とかできないか?」
皓様が汗を拭いながら尋ねる。
高温の中での戦闘は、さすがの皓様でも体力を消耗するようだ。
「や……やってみます!」
私は桜の刃に霊気を集中させる。
清浄な桜の力で、青い炎を浄化できないだろうか。
「消えて……っ!」
桜の刃から放たれた薄桃色の光が、床に延焼した青い炎の一部を包み込む。
すると、光が命中した床の炎が少しずつ薄くなっていく。
「効いてます!」
「よし、続けろ」
皓様が再び青行燈に斬りかかる。
私も桜の力で辺りの炎を浄化し続けた。
青行燈の動きが、わずかに鈍くなる。
周囲の炎が弱まったことで、その力も削がれているようだ。
「へえ……力押しだけじゃない。対応力もずいぶん高いようですねぇ」
当主の声は未だ楽しげな気配を色濃く残す。
彼にとってはこの命懸けの戦いも、愉快な見世物でしかないのだろう……。
「けれど青行燈、そろそろ決着をつけなさい」
青行燈が「グルルル」と唸りながら、最後の力を振り絞るかのように、全身の炎を一点に集中させた。
青行燈の胸の部分に、巨大な青い火球が形成される。
その大きさは人間の頭ほどもあり、触れただけで消し炭になりそうな熱量を放っていた。
「皓様、危険です!」
私が叫ぶのと同時に、青行燈が火球を放った。
しかし、その狙いは皓様ではなく――
「な……」
私に向かってきていた。
「詩織!」
皓様が私を庇おうと駆け寄るが、間に合わない。
巨大な火球が、私の胸に向かって迫ってくる。
その時――体が勝手に動いた。
「……っ、光よ!」
両手を前に突き出し、ありったけの霊気を注ぎ込む。
紅と藍色の光が、二重の幕となって私の前に展開された。
ドゴォォォン――!
火球が光の幕に激突し、爆発のような音が響く。
しかし、幕は持ちこたえた。巨大な火球が霧散し、青い炎の欠片が宙に舞い散る。
「よくやった、詩織!」
皓様の声が聞こえる。
私は荒い息をつきながら、なんとか立っていた。全身の力を使い果たしそうになったが……まだ、戦える。
「グルルル……」
青行燈が唸り声を上げる。
最大の攻撃を防がれ、動揺しているようだった。
「ほう、面白い」
鏡の中から当主の声が響く。驚きというより、むしろ興味深そうな響きだった。
「青行燈、立て直しなさい」
しかし、青行燈の動きは明らかに鈍くなっていた。
巨大な火球を作り出すのに、相当な力を消耗したらしい。
「今だ!」
皓様が一気に間合いを詰める。
青行燈が柳の鞭で迎撃しようとするが、動きが遅い。
皓様の刀が青行燈の胸部を貫いた。
今度は青い炎に阻まれることなく、深々と刺さる。
「ギャアアアア……!」
青行燈が絶叫を上げ、後方に跳んで距離を取る。
胸に空いた穴から、黒い血が流れ出していた。
「まだです!」
私も桜の刃を構え、青行燈に向かって斬撃を放つ。
薄桃色の光が青行燈の左腕を切り裂き、腕がだらりと垂れ下がった。
「シャアアア……!」
青行燈が苦悶の声を上げながら、残った右手で鞭を振るう。
しかし、もう先ほどまでの勢いはない。
皓様と私は息を合わせて攻撃を続けた。
私が青行燈の注意を引き、その隙に皓様が致命傷を与える。完璧な連携だった。
青行燈の体に、次々と傷が増えていく。
黒い血が床に飛び散り、青い炎も次第に弱くなっていく。
「なるほど、これが桜花と月読の力か……」
当主の声に感嘆が混じる。まるで実験を観察しているかのような口調だった。
「青行燈、最後まで役目を果たしなさい」
青行燈が「グォォォ」と咆哮を上げ、残った霊気を全て燃やし始める。
その体が一瞬、激しく燃え上がった。
しかし、それは最後の輝きだった。
燃え尽きるように、青行燈の体から力が抜けていく。
「皓様、お願いします!」
「ああ。月華――」
私が叫ぶと同時に、皓様が最後の一撃を放った。
月光を纏った刀が、青行燈の首筋を一閃する。
「――一閃!」
「ギィィィ……ッ」
青行燈の首が胴体から離れ、床に転がった。
その瞬間、青い炎が一気に消失し、奥殿に静寂が戻る。
青行燈の体が崩れ落ち、そこには美津子様の姿が現れた。
しかし、その体は青白く、明らかに瀕死の状態だった。
「美津子様……」
私は慌てて駆け寄る。
胸に埋め込まれた花札は砕け散り、そこから大量の血が流れ出していた。
「まだ息があります。急いで手当てを……」
私が美津子様に触れようとした時、皓様が私の手を止めた。
「詩織、やめろ」
「でも、このままでは……」
「もう遅い」
皓様の声は冷静だったが、その奥に警戒が込められていた。
「橘の時とは違う。呪詛花札が体に完全に融合してしまっている」
「そんな……でも、私の浄化の力なら……」
「無理だ」
皓様は首を振った。
「青行燈は術者の命を捧げて現れた札鬼だ。アレが現れた時点ですでに、この女の命は尽きたようなものだ」
私は美津子様の顔を見つめた。
その表情に苦痛は見えないが、瞳には憎悪の炎がまだ燃えている。
「……お義母様……」
私が名前を呼ぶと、美津子様の瞼がかすかに動いた。
薄っすらと目を開き、私を睨みつける。
「詩織……」
かすれた声で、私の名前を呼んだ。
「呪ってやる……あんたを……あんたたちを……永遠に……」
その言葉は憎悪に満ちていた。最後まで、私たちを恨んでいる。
「幸せになんて……なれるものか……必ず……不幸が……」
美津子様の手が力なく床に落ちる。
胸の上下が止まり、静寂が訪れた。
「……」
私は複雑な気持ちで美津子様を見下ろした。
恐ろしい人だった。でも同時に、哀れでもある。憎悪に人生を支配され続けた人。
「興味深いデータが取れたよ」
鏡の中から当主の声が響く。まるで実験が終了したかのような、冷静な口調だった。
「美津子の犠牲は無駄ではなかったね。君たちの力の程度がよーく分かった」
その声に、美津子様への哀悼の欠片もなかった。
本当に道具としか見ていないのだ。
「やはり再確認した……この時代でもやっぱり、驚異となるのは君たちじゃない」
「負け惜しみを……時代とは何のことだ」
「次はもっと効率的に行こう。札鬼の研究も進めなければ」
鏡の映像が揺らぎ、当主の姿が消えていく。
「楽しみにしていてくれよ、月読皓、如月詩織……」
最後の言葉と共に、鏡は元の静寂を取り戻した。
当主の声が消えた後、奥殿には重い沈黙が降りた。
私は美津子様の亡骸を見つめ続けていた。
もう動くことのない体。閉じられた瞼。そして、最後まで私を呪った唇。
義母様が、死んでしまった。
その事実が、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。
(もう……もう二度と、あの人の声を聞くことはないんだ)
美津子様との記憶が、次々と蘇ってくる。
八歳の時、押し入れに閉じ込められて泣いていた夜。
『前妻の子のくせに』と罵られ続けた日々。
撫子と比較されて、いつも劣っていると言われたこと。
食事を抜かれ、お腹を空かせて眠った夜。
家族の団欒から締め出され、一人で雑巾がけをしていた午後。
撫子の着物は新調されるのに、私には古いお下がりしか与えられなかったこと。
客人の前で『この子は出来が悪くて』と嘲笑された屈辱。
温かい記憶なんて、一つもない。
美津子様は私にとって、ただ辛い思い出しかくれなかった人。
それなのに――
「あ……」
気がつくと、頬に涙が伝っていた。
なぜ泣いているのか、自分でもわからない。
憎んでいたはずの人なのに。苦しめられ続けた人なのに。
でも、涙は止まらなかった。
(なんで……なんで、泣いてるんだろう……)
ぽろぽろと涙が落ちて、着物の胸元を濡らしていく。
嗚咽が込み上げてきて、肩が震え始めた。
憎かった。恨んでいた。
でも同時に、どこか愛されたいと思っていた自分もいたのかもしれない。
お義母様、と呼んでいたあの人に、いつかは家族として認めてもらえると。
そんな淡い希望が、完全に断ち切られてしまった。
「うっ……ひっく……」
涙が止まらない。
七年間の記憶が一気に溢れ出してきて、胸が張り裂けそうになる。
辛かった。苦しかった。
それでも、家族だった。
歪んでいて、冷たくて、愛のない家族だったけれど――それでも。
「詩織……」
優しい声が聞こえた。
顔を上げると、皓様が私のすぐ近くにいる。
「皓様……っ、私……私……」
言葉にならない。
なんて言えばいいのかわからない。
その時、皓様の腕が私を包み込んだ。
「泣きたければ泣いていいんだ」
その一言で、私の中の何かが決壊した。
「あ、うあ……うわあああん……!!」
子供のように、声を上げて泣いた。
皓様の胸に顔を埋めて、十数年分の涙を全て流した。
……皓様は何も言わずに、ただ私を抱きしめていてくれた。
あとがき:なんだかんだキツイよね……
しかし、その炎が最初に向かったのは、私たちではなかった。
「きゃあああっ!」
床に倒れ込んでいた撫子に向かって、青い業火が襲いかかる。
撫子は恐怖で身動きが取れず、ただ目を見開いてその場に固まっていた。
「撫子!」
私は反射的に駆け出し、撫子の前に立ちはだかる。
両手を前に突き出し、藍色の光の幕を展開した。
ゴォォォォ――!
青い炎が光の幕にぶつかり、激しい音を立てて散らされる。
しかし、その熱量は凄まじく、私の頬に火傷のような痛みが走った。
「う……あつっ……」
光の幕を維持するのがやっとだった。
青行燈の炎は、今まで戦った札鬼とは比較にならないほど強力だ。
「……っ、なんで……」
私は撫子に背を向けたまま答える。
青行燈がまた炎を吐こうとしているのが見えたからだ。
「あなたがどんなに私を憎んでも、私はあなたを見捨てたりしない」
二度目の炎が襲来する。
今度は左右に分かれて、回り込むような軌道を描いていた。
私は光の幕を左右に展開し、なんとか撫子を守り抜く。
しかし、その瞬間――
「あ……」
撫子の声が途切れた。
振り返ると、彼女は気を失って倒れていた。
恐怖と衝撃で、意識を手放してしまったらしい。
「詩織、よくやった。だが下がれ」
皓様が私の前に立つ。
その背中から発せられる威圧感が、青行燈の邪気を押し返していく。
「これからが本番だ」
皓様が刀を抜く。
月光を纏った刃が、青い炎に対抗するように輝いた。
「グオオオオ……」
青行燈が低い唸り声を上げる。
美津子様の面影は完全に失われ、ただの怪物と化していた。
「フフフ……やっぱりやるねぇ、桜花のお姫様」
鏡の中から当主の声が響く。
「でも、まだ序の口だよ。青行燈、本気を出しなさい」
青行燈の髪が逆立ち、全身の炎がより激しく燃え上がる。
その手にした柳の鞭が、まるで生き物のようにうねった。
「ギィィィィ!」
鞭が空気を切り裂いて皓様に向かう。
皓様は刀でそれを受け流し、同時に反撃の斬撃を放った。
銀色の光が青行燈を襲うが、青行燈は宙に舞い上がってそれを回避する。
そのまま空中から、無数の青い火球を降らせてきた。
「くっ……」
皓様が左右に跳んで火球を避ける。
しかし、数が多すぎて全てを避けきれない。
「やぁっ!」
その時、私は桜の刃を振るった。
薄桃色の斬撃が空中に舞い、火球の一部を相殺する。
「いい判断だ、詩織」
皓様が振り返って軽く頷く。
その隙を突いて、青行燈が急降下してきた。
「ガァァァ!」
「させません!」
私は光の幕を皓様の背後に展開する。
青行燈の爪が光の幕に阻まれ、皓様への攻撃が逸れた。
皓様はその瞬間を逃さず、青行燈の脇腹に斬りつける。
しかし、刀は青い炎に阻まれ、深く切り込むことができない。
「フフ……その程度では、傷一つ負いませんよ」
当主の声が愉快そうに響く。
青行燈が皓様を蹴り飛ばそうとする。
皓様は受け身を取って着地するが、その表情は険しい。
「予想以上に厄介だな」
皓様が刀を構え直す。
青行燈も再び宙に舞い上がり、今度は柳の鞭を複数に分裂させた。
「さあ、どこまで避けられるでしょうねえ」
当主の指示と共に、三本の鞭がそれぞれ異なる軌道で皓様を狙う。
皓様は華麗な身のこなしでそれらを避けていくが、段々と追い詰められていく。
そこで私は、青行燈の死角に回り込んだ。
桜の刃で斬撃を放ち、青行燈の注意を引く。
「シャアアア!」
「く……!」
青行燈が私に向かって炎を吐く。
私は光の幕で防御するが、その威力に後ずさりした。
しかし、それで十分だった。
皓様が青行燈の隙を突き、渾身の一撃を放つ。
今度は刀が青行燈の肩を深く切り裂いた。
黒い血が飛び散り、青行燈が苦痛の叫びを上げる。
「ぎゃあああッ……!」
「なるほど。十分に踏み込めば、傷は与えられるようだな」
しかし、青行燈はすぐに体勢を立て直す。
傷口から青い炎が噴き出し、傷が見る見るうちに塞がっていく。
「いいえ、無駄ですよ。真打ちは不死身なのです」
当主の声と共に、青行燈が両手を広げると、奥殿全体が青い炎に包まれた。
息苦しいほどの熱気が充満し、空気がゆらめく。
「この炎の空間にいる限り、青行燈の力は無限に湧いてきます。
青行燈とは百物語の主。物語を司る灯火が、彼女に力を与えるのです」
青行燈の炎がより激しくなる。
その炎は単なる攻撃手段ではなく、青行燈自身を強化する力でもあるらしい。
「詩織、あの炎を何とかできないか?」
皓様が汗を拭いながら尋ねる。
高温の中での戦闘は、さすがの皓様でも体力を消耗するようだ。
「や……やってみます!」
私は桜の刃に霊気を集中させる。
清浄な桜の力で、青い炎を浄化できないだろうか。
「消えて……っ!」
桜の刃から放たれた薄桃色の光が、床に延焼した青い炎の一部を包み込む。
すると、光が命中した床の炎が少しずつ薄くなっていく。
「効いてます!」
「よし、続けろ」
皓様が再び青行燈に斬りかかる。
私も桜の力で辺りの炎を浄化し続けた。
青行燈の動きが、わずかに鈍くなる。
周囲の炎が弱まったことで、その力も削がれているようだ。
「へえ……力押しだけじゃない。対応力もずいぶん高いようですねぇ」
当主の声は未だ楽しげな気配を色濃く残す。
彼にとってはこの命懸けの戦いも、愉快な見世物でしかないのだろう……。
「けれど青行燈、そろそろ決着をつけなさい」
青行燈が「グルルル」と唸りながら、最後の力を振り絞るかのように、全身の炎を一点に集中させた。
青行燈の胸の部分に、巨大な青い火球が形成される。
その大きさは人間の頭ほどもあり、触れただけで消し炭になりそうな熱量を放っていた。
「皓様、危険です!」
私が叫ぶのと同時に、青行燈が火球を放った。
しかし、その狙いは皓様ではなく――
「な……」
私に向かってきていた。
「詩織!」
皓様が私を庇おうと駆け寄るが、間に合わない。
巨大な火球が、私の胸に向かって迫ってくる。
その時――体が勝手に動いた。
「……っ、光よ!」
両手を前に突き出し、ありったけの霊気を注ぎ込む。
紅と藍色の光が、二重の幕となって私の前に展開された。
ドゴォォォン――!
火球が光の幕に激突し、爆発のような音が響く。
しかし、幕は持ちこたえた。巨大な火球が霧散し、青い炎の欠片が宙に舞い散る。
「よくやった、詩織!」
皓様の声が聞こえる。
私は荒い息をつきながら、なんとか立っていた。全身の力を使い果たしそうになったが……まだ、戦える。
「グルルル……」
青行燈が唸り声を上げる。
最大の攻撃を防がれ、動揺しているようだった。
「ほう、面白い」
鏡の中から当主の声が響く。驚きというより、むしろ興味深そうな響きだった。
「青行燈、立て直しなさい」
しかし、青行燈の動きは明らかに鈍くなっていた。
巨大な火球を作り出すのに、相当な力を消耗したらしい。
「今だ!」
皓様が一気に間合いを詰める。
青行燈が柳の鞭で迎撃しようとするが、動きが遅い。
皓様の刀が青行燈の胸部を貫いた。
今度は青い炎に阻まれることなく、深々と刺さる。
「ギャアアアア……!」
青行燈が絶叫を上げ、後方に跳んで距離を取る。
胸に空いた穴から、黒い血が流れ出していた。
「まだです!」
私も桜の刃を構え、青行燈に向かって斬撃を放つ。
薄桃色の光が青行燈の左腕を切り裂き、腕がだらりと垂れ下がった。
「シャアアア……!」
青行燈が苦悶の声を上げながら、残った右手で鞭を振るう。
しかし、もう先ほどまでの勢いはない。
皓様と私は息を合わせて攻撃を続けた。
私が青行燈の注意を引き、その隙に皓様が致命傷を与える。完璧な連携だった。
青行燈の体に、次々と傷が増えていく。
黒い血が床に飛び散り、青い炎も次第に弱くなっていく。
「なるほど、これが桜花と月読の力か……」
当主の声に感嘆が混じる。まるで実験を観察しているかのような口調だった。
「青行燈、最後まで役目を果たしなさい」
青行燈が「グォォォ」と咆哮を上げ、残った霊気を全て燃やし始める。
その体が一瞬、激しく燃え上がった。
しかし、それは最後の輝きだった。
燃え尽きるように、青行燈の体から力が抜けていく。
「皓様、お願いします!」
「ああ。月華――」
私が叫ぶと同時に、皓様が最後の一撃を放った。
月光を纏った刀が、青行燈の首筋を一閃する。
「――一閃!」
「ギィィィ……ッ」
青行燈の首が胴体から離れ、床に転がった。
その瞬間、青い炎が一気に消失し、奥殿に静寂が戻る。
青行燈の体が崩れ落ち、そこには美津子様の姿が現れた。
しかし、その体は青白く、明らかに瀕死の状態だった。
「美津子様……」
私は慌てて駆け寄る。
胸に埋め込まれた花札は砕け散り、そこから大量の血が流れ出していた。
「まだ息があります。急いで手当てを……」
私が美津子様に触れようとした時、皓様が私の手を止めた。
「詩織、やめろ」
「でも、このままでは……」
「もう遅い」
皓様の声は冷静だったが、その奥に警戒が込められていた。
「橘の時とは違う。呪詛花札が体に完全に融合してしまっている」
「そんな……でも、私の浄化の力なら……」
「無理だ」
皓様は首を振った。
「青行燈は術者の命を捧げて現れた札鬼だ。アレが現れた時点ですでに、この女の命は尽きたようなものだ」
私は美津子様の顔を見つめた。
その表情に苦痛は見えないが、瞳には憎悪の炎がまだ燃えている。
「……お義母様……」
私が名前を呼ぶと、美津子様の瞼がかすかに動いた。
薄っすらと目を開き、私を睨みつける。
「詩織……」
かすれた声で、私の名前を呼んだ。
「呪ってやる……あんたを……あんたたちを……永遠に……」
その言葉は憎悪に満ちていた。最後まで、私たちを恨んでいる。
「幸せになんて……なれるものか……必ず……不幸が……」
美津子様の手が力なく床に落ちる。
胸の上下が止まり、静寂が訪れた。
「……」
私は複雑な気持ちで美津子様を見下ろした。
恐ろしい人だった。でも同時に、哀れでもある。憎悪に人生を支配され続けた人。
「興味深いデータが取れたよ」
鏡の中から当主の声が響く。まるで実験が終了したかのような、冷静な口調だった。
「美津子の犠牲は無駄ではなかったね。君たちの力の程度がよーく分かった」
その声に、美津子様への哀悼の欠片もなかった。
本当に道具としか見ていないのだ。
「やはり再確認した……この時代でもやっぱり、驚異となるのは君たちじゃない」
「負け惜しみを……時代とは何のことだ」
「次はもっと効率的に行こう。札鬼の研究も進めなければ」
鏡の映像が揺らぎ、当主の姿が消えていく。
「楽しみにしていてくれよ、月読皓、如月詩織……」
最後の言葉と共に、鏡は元の静寂を取り戻した。
当主の声が消えた後、奥殿には重い沈黙が降りた。
私は美津子様の亡骸を見つめ続けていた。
もう動くことのない体。閉じられた瞼。そして、最後まで私を呪った唇。
義母様が、死んでしまった。
その事実が、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。
(もう……もう二度と、あの人の声を聞くことはないんだ)
美津子様との記憶が、次々と蘇ってくる。
八歳の時、押し入れに閉じ込められて泣いていた夜。
『前妻の子のくせに』と罵られ続けた日々。
撫子と比較されて、いつも劣っていると言われたこと。
食事を抜かれ、お腹を空かせて眠った夜。
家族の団欒から締め出され、一人で雑巾がけをしていた午後。
撫子の着物は新調されるのに、私には古いお下がりしか与えられなかったこと。
客人の前で『この子は出来が悪くて』と嘲笑された屈辱。
温かい記憶なんて、一つもない。
美津子様は私にとって、ただ辛い思い出しかくれなかった人。
それなのに――
「あ……」
気がつくと、頬に涙が伝っていた。
なぜ泣いているのか、自分でもわからない。
憎んでいたはずの人なのに。苦しめられ続けた人なのに。
でも、涙は止まらなかった。
(なんで……なんで、泣いてるんだろう……)
ぽろぽろと涙が落ちて、着物の胸元を濡らしていく。
嗚咽が込み上げてきて、肩が震え始めた。
憎かった。恨んでいた。
でも同時に、どこか愛されたいと思っていた自分もいたのかもしれない。
お義母様、と呼んでいたあの人に、いつかは家族として認めてもらえると。
そんな淡い希望が、完全に断ち切られてしまった。
「うっ……ひっく……」
涙が止まらない。
七年間の記憶が一気に溢れ出してきて、胸が張り裂けそうになる。
辛かった。苦しかった。
それでも、家族だった。
歪んでいて、冷たくて、愛のない家族だったけれど――それでも。
「詩織……」
優しい声が聞こえた。
顔を上げると、皓様が私のすぐ近くにいる。
「皓様……っ、私……私……」
言葉にならない。
なんて言えばいいのかわからない。
その時、皓様の腕が私を包み込んだ。
「泣きたければ泣いていいんだ」
その一言で、私の中の何かが決壊した。
「あ、うあ……うわあああん……!!」
子供のように、声を上げて泣いた。
皓様の胸に顔を埋めて、十数年分の涙を全て流した。
……皓様は何も言わずに、ただ私を抱きしめていてくれた。
あとがき:なんだかんだキツイよね……
