会議場の扉が開かれた。
「グギャアアアアッ!!」
そこから飛び込んできたのは、醜悪な札鬼の群れ。
大小様々な怪物が、牙を剥いて襲いかかってくる。
「っ……!」
私は思わず後ずさった。しかし、十二家の当主たちは――
「では、始めよう」
九條家の当主が、まるで茶会でも始めるかのような調子で立ち上がった。
その瞬間、金色の光が会議場を満たした。菊の花びらのような光の刃が、札鬼の群れを一掃していく。
「おっと、俺の分も残しておけよ」
飛燕様が軽やかに跳躍し、空中で松の気を纏った。
緑色の風が渦巻き、放たれた矢が残った札鬼を次々と切り裂いていく。
梅宮家の当主は優雅に扇子を振るった。
薄紅色の光が舞い踊り、札鬼たちを氷漬けにしていく。
「まったく行儀の悪い。藤の毒にて鎮まりなさい」
「ギギィィィィッ……!」
藤原家の当主は古式ゆかしい舞を踊るように手を動かし、藤の花のような光で札鬼を包み込んでいく。
その札鬼が目を剥き、悶え苦しむように消えていくのが見えた。
「あ、あの……」
私は圧倒された。
これが十二家の実力なのか。札鬼たちがまるで雑魚のように片付けられていく。
「詩織、君も参加するか?」
皓様が私を振り返った。
その時、比較的小さな札鬼が三体、私たちの方に向かってきた。
「は、はい!」
私は慌てて『桜に幕』の力を呼び起こす。髪のリボンが淡く光り、桜色の霊気が私を包んだ。
それが念のために持ってきていた木刀に移っていく……!
「はあっ!」
手にした桜の光で、札鬼の一体を打ち据える。
「ギャ、ア――アアアアッ」
すると餓鬼のような札鬼は悲鳴を上げ、光に包まれた。
光は桜の花びらとなって散り、後には何も残っていなかった。
(……よかった。皓様との修行はうまくいってるみたい)
「ふふ……」
その時、不気味な笑い声が聞こえた。
振り返ると、柳田家の当主が私をじっと見つめている。
その瞳には、先ほどとは明らかに違う光が宿っていた。まるで、獲物を見つけた獣のような……。
「美しい……」
柳田家の当主が小さく呟く。
「その力の使い方、その身のこなし……実に美しいですねェ」
背筋に悪寒が走る。なぜか、この人の視線はとても不快だった。
「――よし、片付いたな」
飛燕様が手を叩いた。神宮の中には、もう札鬼の姿はない。
「外の連中はどうします?」
「当然、捕らえるでしょう。十二家に喧嘩を売った以上、それ相応の覚悟はあるでしょうからね」
そう言って、紅葉様と深見家の当主様が外に出ていく。
街に出ていれば大変な騒ぎだったであろうあの札鬼が、あっという間に全滅してしまったのだ。
(す、すごい……これが、十二家……)
私はその光景に、ただ圧倒されるばかりだった。
「ご苦労だった、皆」
九條家の当主が、まるで軽い運動でも終えたかのような調子で言った。
「久しぶりに体を動かせて、良い気分転換になった」
私は呆然としていた。
あれだけの札鬼の群れが、本当にあっという間に片付けられてしまった。
「すごい……」
思わず呟くと、飛燕様が笑った。
「どうだ、詩織ちゃん。これが十二家の実力だ。誰がちょっかいかけてきても、俺らがいれば確実に守れるさ」
その言葉に、私は改めて十二家の凄さを実感した。同時に、責任の重さも。
「それにしてもなぜこのタイミングで襲撃が? まるで、この会議を妨害するかのような……」
「ああ……そうだな。詩織について共有しておかねばならないことがもう一つある」
皓様が冷静に答えた。私は喉を鳴らす。
「詩織は現在、影沼家という連中に命を狙われている。桜花家に激しい恨みを抱く100年前の亡霊だ」
その時、柳田家の当主が口を開いた。
「なるほどォ、それで詩織さんが桜花家として受け入れられるのを血眼で阻止しに来た、と……だから無謀な突撃をしてきたわけですねェ。怖い怖い……」
再び、あの不快な視線が私に向けられる。
どこか、敵の狙いを代弁するような奇妙な語り口だった。
「とはいえ、あれだけの数の呪詛花札を一気に使ったんです。ひとまずは安心していいでしょう、詩織さん」
「え、ええ……」
その言葉に込められた何かに、私はぞくりと身震いした。
(安心……本当に……?)
この人は、何か危険だ。
そんな予感が、胸の奥で警鐘を鳴らしていた。
■
「それでは、邪魔も入ったことだ。一時会議を休憩としよう」
九條家の当主が宣言すると、会議場にほっとした空気が流れた。
「詩織、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
皓様が心配そうに私を見つめる。
確かに、札鬼との戦闘や切迫した会議で思った以上に疲れていた。
「は、はい……少し、疲れただけです」
「無理をするな。別室で休もう」
皓様に促されて、私は控えの間に案内された。
そこは畳敷きの落ち着いた部屋で、お茶の用意もされている。
「お疲れ様〜、詩織ちゃん」
そこには飛燕様も一緒についてきてくれた。それだけでなく、紅葉様も。
「初めての十二家会議で、しかもいきなり札鬼まで出現とは。災難でしたわね」
「でも詩織ちゃんの戦い方、すげぇ上達してたなぁ! 力みが消えたっていうか」
「月読皓の指導の賜物でしょうか……ちょっと口惜しいですが」
「私の指導だけではない。詩織の努力によるものだ」
さ……三人に囲まれて、なんだか落ち着かない。
みんな私を心配してくれているのはわかるけれど……。
「ほら、座れ」
皓様が私の手を取って、座布団に座らせてくれる。その手がとても優しくて、思わず顔が熱くなる。
「茶を飲め。霊力回復に効く薬草を入れてある」
「あ、ありがとうございます……」
差し出された茶碗を受け取ろうとして、手が震えているのに気づく。
まだ戦闘の興奮が残っているのかもしれない……。
「手が震えているな」
皓様がその様子を見逃すはずもなく、私の手に自分の手を重ねてくれた。
「ひゃっ……!」
「冷たいな。やはり疲れているようだ」
皓様の温かい手に包まれて、ますます顔が赤くなる。
「あはは、詩織ちゃん真っ赤だぞ? 皓のやつ、人前でもお構いなしだな」
「こ、皓様、みなさんが見てます……」
恥ずかしくて俯いてしまう。
「構わない。君の体調の方が大切だ」
皓様は全く意に介さず、私の手をさらにしっかりと握ってくれる。
その真剣な表情に、心臓がどきどきしてしまう。
「あら、詩織さん。そんなに赤くなって大丈夫? 熱でもあるのではありませんか?」
「ち、違います! ただ、その……」
言い訳をしようとしても、言葉が出てこない。恥ずかしくて、どきどきしているだけなんて。
「ほら、水分補給だ」
皓様が茶碗を私の口元に持ってきた。まるで介抱でもするかのように。
「え、えっと……自分で飲めますから……」
「震えているだろう。こぼしたら大変だ」
有無を言わせぬ口調で、皓様は茶碗を私の唇に近づける。
「さあ、飲め」
「こ、皓様……むぐ」
でも、皓様の優しい眼差しに負けて、おそるおそる口をつける。
温かいお茶が喉を通って、確かに体が楽になる気がした。
「俺も手伝おうか? 肩もみとか得意なんだぜ?」
「飛燕……」
皓様が低い声で警告する。
その瞳に、危険な光が宿ったような気がする……。
「冗談だよ、冗談! そんな怖い顔しなくても」
飛燕様は苦笑いを浮かべながら両手を上げる。
「皓の嫁に手出しする気はないって」
「当然だ。だがお前は危険だからな。誰彼構わず手を出そうとする」
「おい! 俺を色魔みたいに言うんじゃねぇ」
私も釣られてくすっと笑ってしまった。
紅葉様も、その口元には明らかに笑みが浮かんでいる。
「ともかく月読皓。詩織さんをからかいすぎないように」
「からかっているわけではない。本気で心配しているのだ」
「それは分かりますが……詩織さんが困っているじゃないですの」
確かに、私は困っていた。
三人の視線を一身に受けて、どうしていいかわからない。
「あの……私、本当に大丈夫ですから。自分でやれますよ……?」
「無理をするな」
皓様が私の額に手を当てる。
「熱はないようだが……顔色はまだ悪い」
「ひゃっ……!」
突然額に触れられて、思わず声が出てしまう。
「ふふっ……詩織さん、可愛らしいですわね」
紅葉様が楽しそうに笑う。
「月読皓も、随分と積極的になりましたし」
「詩織の体調管理は私の責任だ」
皓様は真面目な顔で答えるが、その手は私の頬にまで移っている。
(こ、こそばゆい……っ)
そのまま、今度は私の手を取って、指先まで丁寧に確認し始める。
皓様の長い指が、私の手のひらを優しく揉みほぐし始めた。
その感触に、全身がぞくぞくしてしまう。
「あっ……あの……皓、さまっ……」
「どうした?」
皓様が満足そうに微笑む。その笑顔には、明らかに私の反応を楽しんでいる様子が見えた。
「皓様……意地悪です……」
「意地悪? 君の体調を気遣っているのにか?」
皓様の手が、今度は私の手首に移る。
まるで脈を確かめるかのように、親指で優しく撫でてくれる。
「ん、ふ……!」
「脈拍が早いな。やはり疲れているのだろう」
そんなわけないのに。心臓が早く打つのは、皓様が触ってくれるからで……。
「まったく……月読皓!」
紅葉様が呆れたようにため息をつく。
「詩織さんが可愛そうでしょうが」
「でも、皓の気持ちもわかるけどな」
飛燕様が苦笑いを浮かべる。
「こんなに可愛い反応されたら、ついからかいたくなるよな」
「飛燕……」
「なんで睨むんだよ! お前が俺の目の前でおっ始めたんだろうが!?」
慌てて弁解する飛燕様を見て、私は少しだけほっとした。でも、皓様の手はまだ私の手首を離さない。
「ほら、深呼吸をしろ。リラックスするんだ」
「は、はい……」
言われた通り、深く息を吸ってみる。確かに、少しだけ落ち着いた気がする。
「良い子だ」
皓様が私の頭を撫でてくれる。その優しい手に、思わず目を閉じてしまう。
「ふふ、なんだか猫みたいですわね、詩織さん」
紅葉様の言葉に、はっと目を開ける。
「ね、猫って……」
「月読皓に撫でられて、とても気持ち良さそうでしたよ」
言われて気づく。確かに、皓様に撫でられるのはとても心地良かった。
「み、見ないでください……恥ずかしいです……」
「恥ずかしがることはない。君は疲れているのだから、甘えていればいいんだ」
皓様の優しい言葉の通りに、甘えたくなってしまう。
(で、でもだめよ詩織……! 人前でそんな、だらしない姿を見せては……!)
「さて、そろそろ会議に戻るか?」
飛燕様が時間を確認する。
私はむしろ少しだけ安心した。これで皓様の甘やかし攻撃も一時中断だろう。
「詩織ちゃんの顔色も、だいぶ良くなったしな」
「そうですね。皓さんの看病の甲斐がありました」
紅葉様がくすくすと笑う。
「は、はい……ありがとうございました」
まだ少し恥ずかしいけれど、確かに体調は良くなった。
何より、お茶の影響なのか、体に気が充実しているような気がする。
……でも、会議に戻れば、またあの重々しい空気が待っている。
その事を思うと、少しだけ憂鬱になるのだった。
「それでは、戻りましょうか」
紅葉様が立ち上がり、皓様と飛燕様もそれに続く。
「詩織、行こう」
皓様が私に手を差し伸べてくれた時、ふと気づいた。
「あの……すみません。少しだけ、お手洗いに……」
「ああ、そうか。この奥にある。案内しよう」
「いえ、大丈夫です。一人で行けますから」
皓様が一緒についてきてくれようとしたが、さすがにそれは恥ずかしい。
「本当に大丈夫か?」
「はい。すぐに戻りますから」
皓様は少し心配そうだったが、最終的に頷いてくれた。
「わかった。だが、何かあったらすぐに呼べ」
「はい」
三人が本殿の方へ向かうのを見送ってから、私は教えてもらった方向へ歩いていく。
■
――神宮の境内は、夕方の柔らかい光に包まれていた。
石畳の道、古い灯籠、手入れの行き届いた庭園。とても静かで美しい場所だ。
用事を済ませた後、私は少しだけ境内を散歩することにした。
会議に戻る前に、一人で考える時間が欲しかったのだ。
(十二家会議……こんな大きな話になるなんて思ってもみなかった)
石畳の上をゆっくりと歩きながら、今日の出来事を振り返る。
十二家の当主たち。
それぞれが強大な力を持ち、長い歴史を背負っている。
そんな人たちの中に、私が本当に入っていけるのだろうか。
(それに、あの柳田家の当主の人……)
あの人だけは、違う。
他の人たちとは明らかに違う、不気味な何かを感じる。
(でも、皓様がいてくれるから……)
皓様の優しさを思い出すと、少し安心する。
どんなことがあっても、皓様が守ってくれる。そう信じられる。
とはいえ、守られてばかりではいられない。私ももっと力をつけなければ。
そうして庭園の奥にある小さな東屋まで来た時、ふと立ち止まった。
ここは静かで、考え事をするには良い場所かもしれない。
東屋に足を向けた瞬間だった。
ぐらり、と世界が歪んだ。
「え……?」
足元の石畳が波打つように揺れる。
でも、地震ではない。何か別の、もっと不自然な揺れ方だった。
空気も変わってきた。
さっきまでの清浄な神宮の空気が、急に重く、よどんだものに変わっていく。
「何……これ……?」
辺りを見回すと、景色がおかしくなっていることに気づいた。
さっきまで見えていた本殿が見えない。
灯籠も、庭園も、全て霞んで見える。まるで霧がかかったように。
「まさか……っ」
嫌な予感が頭をよぎる。これは、呪術の類ではないだろうか。
逃げようと振り返った時、足元の石畳が突然崩れ始めた。
「きゃあ!」
慌てて後ずさろうとするが、もう遅い。
崩れた石畳の下から、暗い穴が口を開けている。
そこから立ち上ってくるのは、紫色の不気味な光。
「なっ、これは……!」
助けを呼ぼうとした瞬間、強い力で下に引っ張られた。
まるで大きな手に掴まれたように、私の体が宙に浮く。
「……っ!」
必死に抵抗するが、その力はあまりにも強すぎた。
皓様の顔が頭に浮かぶ。でも、声が出ない。
(皓様……!)
そして、私の体は紫色の光の渦に飲み込まれていく。
意識が遠のく中、私はなんとか能力を発動しようとする。
(『光の幕』よ……!)
桜色の光が視界の端に輝く。
……それが薄れていき、私は意識を失った。
あとがき:急に何が……!?
「グギャアアアアッ!!」
そこから飛び込んできたのは、醜悪な札鬼の群れ。
大小様々な怪物が、牙を剥いて襲いかかってくる。
「っ……!」
私は思わず後ずさった。しかし、十二家の当主たちは――
「では、始めよう」
九條家の当主が、まるで茶会でも始めるかのような調子で立ち上がった。
その瞬間、金色の光が会議場を満たした。菊の花びらのような光の刃が、札鬼の群れを一掃していく。
「おっと、俺の分も残しておけよ」
飛燕様が軽やかに跳躍し、空中で松の気を纏った。
緑色の風が渦巻き、放たれた矢が残った札鬼を次々と切り裂いていく。
梅宮家の当主は優雅に扇子を振るった。
薄紅色の光が舞い踊り、札鬼たちを氷漬けにしていく。
「まったく行儀の悪い。藤の毒にて鎮まりなさい」
「ギギィィィィッ……!」
藤原家の当主は古式ゆかしい舞を踊るように手を動かし、藤の花のような光で札鬼を包み込んでいく。
その札鬼が目を剥き、悶え苦しむように消えていくのが見えた。
「あ、あの……」
私は圧倒された。
これが十二家の実力なのか。札鬼たちがまるで雑魚のように片付けられていく。
「詩織、君も参加するか?」
皓様が私を振り返った。
その時、比較的小さな札鬼が三体、私たちの方に向かってきた。
「は、はい!」
私は慌てて『桜に幕』の力を呼び起こす。髪のリボンが淡く光り、桜色の霊気が私を包んだ。
それが念のために持ってきていた木刀に移っていく……!
「はあっ!」
手にした桜の光で、札鬼の一体を打ち据える。
「ギャ、ア――アアアアッ」
すると餓鬼のような札鬼は悲鳴を上げ、光に包まれた。
光は桜の花びらとなって散り、後には何も残っていなかった。
(……よかった。皓様との修行はうまくいってるみたい)
「ふふ……」
その時、不気味な笑い声が聞こえた。
振り返ると、柳田家の当主が私をじっと見つめている。
その瞳には、先ほどとは明らかに違う光が宿っていた。まるで、獲物を見つけた獣のような……。
「美しい……」
柳田家の当主が小さく呟く。
「その力の使い方、その身のこなし……実に美しいですねェ」
背筋に悪寒が走る。なぜか、この人の視線はとても不快だった。
「――よし、片付いたな」
飛燕様が手を叩いた。神宮の中には、もう札鬼の姿はない。
「外の連中はどうします?」
「当然、捕らえるでしょう。十二家に喧嘩を売った以上、それ相応の覚悟はあるでしょうからね」
そう言って、紅葉様と深見家の当主様が外に出ていく。
街に出ていれば大変な騒ぎだったであろうあの札鬼が、あっという間に全滅してしまったのだ。
(す、すごい……これが、十二家……)
私はその光景に、ただ圧倒されるばかりだった。
「ご苦労だった、皆」
九條家の当主が、まるで軽い運動でも終えたかのような調子で言った。
「久しぶりに体を動かせて、良い気分転換になった」
私は呆然としていた。
あれだけの札鬼の群れが、本当にあっという間に片付けられてしまった。
「すごい……」
思わず呟くと、飛燕様が笑った。
「どうだ、詩織ちゃん。これが十二家の実力だ。誰がちょっかいかけてきても、俺らがいれば確実に守れるさ」
その言葉に、私は改めて十二家の凄さを実感した。同時に、責任の重さも。
「それにしてもなぜこのタイミングで襲撃が? まるで、この会議を妨害するかのような……」
「ああ……そうだな。詩織について共有しておかねばならないことがもう一つある」
皓様が冷静に答えた。私は喉を鳴らす。
「詩織は現在、影沼家という連中に命を狙われている。桜花家に激しい恨みを抱く100年前の亡霊だ」
その時、柳田家の当主が口を開いた。
「なるほどォ、それで詩織さんが桜花家として受け入れられるのを血眼で阻止しに来た、と……だから無謀な突撃をしてきたわけですねェ。怖い怖い……」
再び、あの不快な視線が私に向けられる。
どこか、敵の狙いを代弁するような奇妙な語り口だった。
「とはいえ、あれだけの数の呪詛花札を一気に使ったんです。ひとまずは安心していいでしょう、詩織さん」
「え、ええ……」
その言葉に込められた何かに、私はぞくりと身震いした。
(安心……本当に……?)
この人は、何か危険だ。
そんな予感が、胸の奥で警鐘を鳴らしていた。
■
「それでは、邪魔も入ったことだ。一時会議を休憩としよう」
九條家の当主が宣言すると、会議場にほっとした空気が流れた。
「詩織、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
皓様が心配そうに私を見つめる。
確かに、札鬼との戦闘や切迫した会議で思った以上に疲れていた。
「は、はい……少し、疲れただけです」
「無理をするな。別室で休もう」
皓様に促されて、私は控えの間に案内された。
そこは畳敷きの落ち着いた部屋で、お茶の用意もされている。
「お疲れ様〜、詩織ちゃん」
そこには飛燕様も一緒についてきてくれた。それだけでなく、紅葉様も。
「初めての十二家会議で、しかもいきなり札鬼まで出現とは。災難でしたわね」
「でも詩織ちゃんの戦い方、すげぇ上達してたなぁ! 力みが消えたっていうか」
「月読皓の指導の賜物でしょうか……ちょっと口惜しいですが」
「私の指導だけではない。詩織の努力によるものだ」
さ……三人に囲まれて、なんだか落ち着かない。
みんな私を心配してくれているのはわかるけれど……。
「ほら、座れ」
皓様が私の手を取って、座布団に座らせてくれる。その手がとても優しくて、思わず顔が熱くなる。
「茶を飲め。霊力回復に効く薬草を入れてある」
「あ、ありがとうございます……」
差し出された茶碗を受け取ろうとして、手が震えているのに気づく。
まだ戦闘の興奮が残っているのかもしれない……。
「手が震えているな」
皓様がその様子を見逃すはずもなく、私の手に自分の手を重ねてくれた。
「ひゃっ……!」
「冷たいな。やはり疲れているようだ」
皓様の温かい手に包まれて、ますます顔が赤くなる。
「あはは、詩織ちゃん真っ赤だぞ? 皓のやつ、人前でもお構いなしだな」
「こ、皓様、みなさんが見てます……」
恥ずかしくて俯いてしまう。
「構わない。君の体調の方が大切だ」
皓様は全く意に介さず、私の手をさらにしっかりと握ってくれる。
その真剣な表情に、心臓がどきどきしてしまう。
「あら、詩織さん。そんなに赤くなって大丈夫? 熱でもあるのではありませんか?」
「ち、違います! ただ、その……」
言い訳をしようとしても、言葉が出てこない。恥ずかしくて、どきどきしているだけなんて。
「ほら、水分補給だ」
皓様が茶碗を私の口元に持ってきた。まるで介抱でもするかのように。
「え、えっと……自分で飲めますから……」
「震えているだろう。こぼしたら大変だ」
有無を言わせぬ口調で、皓様は茶碗を私の唇に近づける。
「さあ、飲め」
「こ、皓様……むぐ」
でも、皓様の優しい眼差しに負けて、おそるおそる口をつける。
温かいお茶が喉を通って、確かに体が楽になる気がした。
「俺も手伝おうか? 肩もみとか得意なんだぜ?」
「飛燕……」
皓様が低い声で警告する。
その瞳に、危険な光が宿ったような気がする……。
「冗談だよ、冗談! そんな怖い顔しなくても」
飛燕様は苦笑いを浮かべながら両手を上げる。
「皓の嫁に手出しする気はないって」
「当然だ。だがお前は危険だからな。誰彼構わず手を出そうとする」
「おい! 俺を色魔みたいに言うんじゃねぇ」
私も釣られてくすっと笑ってしまった。
紅葉様も、その口元には明らかに笑みが浮かんでいる。
「ともかく月読皓。詩織さんをからかいすぎないように」
「からかっているわけではない。本気で心配しているのだ」
「それは分かりますが……詩織さんが困っているじゃないですの」
確かに、私は困っていた。
三人の視線を一身に受けて、どうしていいかわからない。
「あの……私、本当に大丈夫ですから。自分でやれますよ……?」
「無理をするな」
皓様が私の額に手を当てる。
「熱はないようだが……顔色はまだ悪い」
「ひゃっ……!」
突然額に触れられて、思わず声が出てしまう。
「ふふっ……詩織さん、可愛らしいですわね」
紅葉様が楽しそうに笑う。
「月読皓も、随分と積極的になりましたし」
「詩織の体調管理は私の責任だ」
皓様は真面目な顔で答えるが、その手は私の頬にまで移っている。
(こ、こそばゆい……っ)
そのまま、今度は私の手を取って、指先まで丁寧に確認し始める。
皓様の長い指が、私の手のひらを優しく揉みほぐし始めた。
その感触に、全身がぞくぞくしてしまう。
「あっ……あの……皓、さまっ……」
「どうした?」
皓様が満足そうに微笑む。その笑顔には、明らかに私の反応を楽しんでいる様子が見えた。
「皓様……意地悪です……」
「意地悪? 君の体調を気遣っているのにか?」
皓様の手が、今度は私の手首に移る。
まるで脈を確かめるかのように、親指で優しく撫でてくれる。
「ん、ふ……!」
「脈拍が早いな。やはり疲れているのだろう」
そんなわけないのに。心臓が早く打つのは、皓様が触ってくれるからで……。
「まったく……月読皓!」
紅葉様が呆れたようにため息をつく。
「詩織さんが可愛そうでしょうが」
「でも、皓の気持ちもわかるけどな」
飛燕様が苦笑いを浮かべる。
「こんなに可愛い反応されたら、ついからかいたくなるよな」
「飛燕……」
「なんで睨むんだよ! お前が俺の目の前でおっ始めたんだろうが!?」
慌てて弁解する飛燕様を見て、私は少しだけほっとした。でも、皓様の手はまだ私の手首を離さない。
「ほら、深呼吸をしろ。リラックスするんだ」
「は、はい……」
言われた通り、深く息を吸ってみる。確かに、少しだけ落ち着いた気がする。
「良い子だ」
皓様が私の頭を撫でてくれる。その優しい手に、思わず目を閉じてしまう。
「ふふ、なんだか猫みたいですわね、詩織さん」
紅葉様の言葉に、はっと目を開ける。
「ね、猫って……」
「月読皓に撫でられて、とても気持ち良さそうでしたよ」
言われて気づく。確かに、皓様に撫でられるのはとても心地良かった。
「み、見ないでください……恥ずかしいです……」
「恥ずかしがることはない。君は疲れているのだから、甘えていればいいんだ」
皓様の優しい言葉の通りに、甘えたくなってしまう。
(で、でもだめよ詩織……! 人前でそんな、だらしない姿を見せては……!)
「さて、そろそろ会議に戻るか?」
飛燕様が時間を確認する。
私はむしろ少しだけ安心した。これで皓様の甘やかし攻撃も一時中断だろう。
「詩織ちゃんの顔色も、だいぶ良くなったしな」
「そうですね。皓さんの看病の甲斐がありました」
紅葉様がくすくすと笑う。
「は、はい……ありがとうございました」
まだ少し恥ずかしいけれど、確かに体調は良くなった。
何より、お茶の影響なのか、体に気が充実しているような気がする。
……でも、会議に戻れば、またあの重々しい空気が待っている。
その事を思うと、少しだけ憂鬱になるのだった。
「それでは、戻りましょうか」
紅葉様が立ち上がり、皓様と飛燕様もそれに続く。
「詩織、行こう」
皓様が私に手を差し伸べてくれた時、ふと気づいた。
「あの……すみません。少しだけ、お手洗いに……」
「ああ、そうか。この奥にある。案内しよう」
「いえ、大丈夫です。一人で行けますから」
皓様が一緒についてきてくれようとしたが、さすがにそれは恥ずかしい。
「本当に大丈夫か?」
「はい。すぐに戻りますから」
皓様は少し心配そうだったが、最終的に頷いてくれた。
「わかった。だが、何かあったらすぐに呼べ」
「はい」
三人が本殿の方へ向かうのを見送ってから、私は教えてもらった方向へ歩いていく。
■
――神宮の境内は、夕方の柔らかい光に包まれていた。
石畳の道、古い灯籠、手入れの行き届いた庭園。とても静かで美しい場所だ。
用事を済ませた後、私は少しだけ境内を散歩することにした。
会議に戻る前に、一人で考える時間が欲しかったのだ。
(十二家会議……こんな大きな話になるなんて思ってもみなかった)
石畳の上をゆっくりと歩きながら、今日の出来事を振り返る。
十二家の当主たち。
それぞれが強大な力を持ち、長い歴史を背負っている。
そんな人たちの中に、私が本当に入っていけるのだろうか。
(それに、あの柳田家の当主の人……)
あの人だけは、違う。
他の人たちとは明らかに違う、不気味な何かを感じる。
(でも、皓様がいてくれるから……)
皓様の優しさを思い出すと、少し安心する。
どんなことがあっても、皓様が守ってくれる。そう信じられる。
とはいえ、守られてばかりではいられない。私ももっと力をつけなければ。
そうして庭園の奥にある小さな東屋まで来た時、ふと立ち止まった。
ここは静かで、考え事をするには良い場所かもしれない。
東屋に足を向けた瞬間だった。
ぐらり、と世界が歪んだ。
「え……?」
足元の石畳が波打つように揺れる。
でも、地震ではない。何か別の、もっと不自然な揺れ方だった。
空気も変わってきた。
さっきまでの清浄な神宮の空気が、急に重く、よどんだものに変わっていく。
「何……これ……?」
辺りを見回すと、景色がおかしくなっていることに気づいた。
さっきまで見えていた本殿が見えない。
灯籠も、庭園も、全て霞んで見える。まるで霧がかかったように。
「まさか……っ」
嫌な予感が頭をよぎる。これは、呪術の類ではないだろうか。
逃げようと振り返った時、足元の石畳が突然崩れ始めた。
「きゃあ!」
慌てて後ずさろうとするが、もう遅い。
崩れた石畳の下から、暗い穴が口を開けている。
そこから立ち上ってくるのは、紫色の不気味な光。
「なっ、これは……!」
助けを呼ぼうとした瞬間、強い力で下に引っ張られた。
まるで大きな手に掴まれたように、私の体が宙に浮く。
「……っ!」
必死に抵抗するが、その力はあまりにも強すぎた。
皓様の顔が頭に浮かぶ。でも、声が出ない。
(皓様……!)
そして、私の体は紫色の光の渦に飲み込まれていく。
意識が遠のく中、私はなんとか能力を発動しようとする。
(『光の幕』よ……!)
桜色の光が視界の端に輝く。
……それが薄れていき、私は意識を失った。
あとがき:急に何が……!?
