「想像していた以上でした」
紅葉様の言葉に、私は首をかしげる。
「想像以上、というと……? リレーがですか?」
「そんなわけないでしょう。年相応に遅かったですよ」
(そ、そんな……)
「足ではなくあなたの力のことです、詩織さん」
紅葉様が一歩近づいてくる。その琥珀色の瞳には、驚きに似た感情が宿っていた。
「この学校全体を包む、清らかな霊気。一体の札鬼を浄化しただけで、ここまでの変化を起こすとは」
「え……?」
札鬼の浄化? あの幽霊騒動のことだろうか?
紅葉様は私が札鬼を浄化したとご存知なのだろうか。私は戸惑いながらも、その言葉の意味を理解しようとした。
(確かにあのときから、学校全体の空気が清々しいような気はしてたけど……ただ天気がいいからじゃなかったの……?)
「紅葉様、それは……」
「隠すことはありませんわ。この霊気の質は、明らかに桜花家のもの。そして、その規模は……」
紅葉様が深いため息をつく。
「私の予想を遥かに超えています」
予想を超えるって、どういう意味だろう。私は特別なことをしたつもりはないのだけれど……。
「前回お会いした時、私はあなたを過小評価していました」
紅葉様の声には、率直な反省の色が含まれている。
「未熟で、頼りなく、とても桜花家の後継者とは呼べないと思っていた。だからお飾りの当主として役に立てるつもりだった。しかし……」
紅葉様は空を見上げる。青い空に、白い雲がゆっくりと流れていた。
「これほどの浄化能力を持つ方を、私は見たことがありません」
褒められているのだろうけれど、なんだかとても重い話のような気がして、身が縮こまってしまう。
「そんな、大したことは……」
「いいえ、大したことです。だからこそ、問題なのです」
紅葉様の言葉が急に険しくなる。私は思わず身を縮こませてしまった。
「これほどの力を持つあなたを、月読家が独占していることがね」
……また、この話になるのか。私は小さくため息をついた。
前回あれほどはっきりとお断りしたのに、まだ諦めてくださらないのだろうか。
でも、私の気持ちは変わらない。絶対に変わらない。
「紅葉様、私の気持ちは前回お話しした通りです。皓様と一緒にいたいという想いは変わりません」
「ええ、分かっています」
紅葉様が手を上げて、私の言葉を制した。
その仕草には、前回のような攻撃的な雰囲気がない。
「今回は、あなたを説得しに来たわけではありません」
「え? そ、そうなのですか……?」
「あなたの力が本物だと分かった以上、もはや無理強いはできませんから」
「無理強いが……できない?」
紅葉様の言葉の意味が、よく分からない。
なぜ、私の力が本物だと分かったら、無理強いができなくなるのだろう……?
「考えてもみてください。もしもあなたが『皓様と一緒にいられないなら、もう力は使わない』と仰ったら?」
「え、えっと……?」
そんなこと、考えたこともなかった。
でも確かに、皓様と離ればなれになってしまったら、私はきっと戦う気力を失ってしまうだろう。
「わかりましたか? 帝都にとっては、月読家が力をつけるよりも、あなたの力を失う方が遥かに大きな損失なんです」
紅葉様の瞳が、真剣そのものだった。
その眼差しから、彼女が本気でそう考えていることが伝わってくる。
「つまり力を示した今、あなたには選択権があるのです。十二家といえども、あなたの意志を無視することはできません」
選択権……。そんな風に考えたことはなかった。
力があるということは、選ぶ権利があるということ。皓様も同じようなことを言っていた。
……私に、何かを選ぶ権利があるなんて。
「でも」
紅葉様の表情が、少し厳しくなる。その変化に、私は緊張した。
「その上で、あなたにお聞きしたいことがあります」
私は身を正した。きっと、重要な質問なのだろう。
「覚悟は、おありですか?」
「覚悟……?」
「夕霧家のように、話の分かる家ばかりではありません」
紅葉様の声に、警告のような響きが混じる。
その言葉を聞いて、私の胸に不安が広がった。
「十二家の中には、あなたと皓様を引き裂こうとする者も必ず現れるでしょう。政略のため、伝統のため、あるいは単なる嫉妬のために」
想像するだけで胸が重くなる。考えただけで息が苦しくなってしまう。
「そうなった時、あなたは月読皓を守り抜けますか? たとえ十二家全てを敵に回しても、その愛を貫けますか?」
……重い、質問だった。
でも、答えは決まっている。考える必要なんてない。
私の心は、もうずっと前から定まっているのだから。
「はい」
私は迷わず答えた。
「私は、皓様をお慕いしています。この気持ちは、誰に何を言われても変わりません」
紅葉様の瞳が、少し和らいだ気がした。その変化に、私は安堵を覚える。
「たとえ、十二家全てが敵になっても?」
「それでも」
私は真っ直ぐに紅葉様を見つめた。この答えに関しては、一片の迷いもない。
「皓様が私を選んでくださったように、私も皓様を選びます。それが例え、どんな困難を招くことになっても」
紅葉様は少しの間、私を見つめていた。その琥珀色の瞳に、何かを確かめるような光が宿っている。
それから、小さく笑った。初めて見る、本当に優しい笑顔だった。
「……分かりました」
その笑顔は、前回とは全く違う、温かなものだった。
「あなたは恋をしていらっしゃるのですね」
「え?」
「政略でもなく、打算でもなく、純粋に月読皓をお慕いしている」
顔が赤くなる。そんな風に言われると、恥ずかしくて仕方ない。
でも、確かにその通りだった。私の皓様への想いは、何の計算もない単純すぎるものだった。
「それなら……渋々ですが、応援させていただきます」
紅葉様の言葉に、私は驚いて目を見開いた。
「お、応援……してくださるのですか? こんなわがままを言っているのに……?」
「自覚があるなら自重なさい!」
「ひぃっ、すみませんすみません……!」
「ともかく。本当は桜花家として十二家に復帰していただきたいところですが……」
紅葉様がため息をつく。きっと、複雑なお気持ちなのだろう。
「恋する乙女の心を折るほど、私も野暮ではありませんから」
その言葉に、胸が熱くなった。認めてもらえた。
経緯はともあれ、私と皓様の婚姻に反対していた紅葉様に認めてもらえたのだ。
「ありがとうございます……!」
「た、だ、し!」
紅葉様の表情が、再び真剣になる。
「他の十二家への報告は必要です。あなたの実力と、あなたの意志を」
「はい……」
「反発する家も出るでしょう。ですが私からは『如月詩織の意志は尊重されるべき』と伝えます」
紅葉様がそこまでしてくださるなんて。私は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「そんな……ご迷惑をおかけしてしまって……」
「迷惑ではありません」
紅葉様が首を振る。
「十二家の安定のためでもあります。あなたのように力を持つ方を敵に回すのは、得策ではありませんから」
そう言いながらもきっと、本当は私のことを心配してくださっているのだろう。そう思うと、胸の奥がじわりと温かくなった。
「詩織」
突然、聞き慣れた声がかけられた。
振り返ると、そこには皓様が立っていた。
いつもの黒い着物姿で、でもどこか急いでやってきたような様子だった。
「こ、皓様……!?」
私は驚いて声を上げる。体育祭を、見に来てくださったのだろうか?
――でも、同時に恐ろしい事実に気がついて、顔が真っ青になった。
私は今、体操服姿なのだ。普段より明らかに肌が見え――
「リレー、見ていたぞ。よく頑張った」
「〜〜〜〜……っ!?」
皓様の言葉に、胸がいっぱいになる。見ていてくださったなんて。
でも、それと同時に、恥ずかしさで死んでしまいそうになる。
「あ、でも私、この格好……あああ……」
私は慌ててシャツの裾を引っ張り下ろして、少しでも体のラインを隠そうとする。
「す、すみません……こんな恥ずかしい格好で……」
「気にするな。というか、女学生は皆同じ服装だろう」
私は両手で顔を覆いたくなるのを必死で堪える。
確かに同じかもしれないけど……普段は着物や制服で身体を隠しているから、こう……。こう……!
「君は綺麗だ。隠す必要なんてない」
「そ、そんな……うう」
私はさらにシャツの裾を引っ張って、なんとか体を隠そうとする。
でも、動くたびにブルマの生地が動いて、余計に恥ずかしくなってしまう。
「月読皓……」
紅葉様が咳払いする。私は紅葉様がいることすら忘れそうになっていた。
「人前でイチャつくのは程々になさい。それでも栄誉ある十二家の当主ですか」
「おっと、いたのか。わざわざ体育祭まで見に来るとは、物好きなことだ」
皓様の声は、相変わらず冷たい。でも、敵意はそれほど感じられない。
私はまだシャツの裾を握ったまま、二人の会話を聞いていた。
「札鬼浄化の報告を聞いて見に来たのです。そして……」
紅葉様が私を見る。
「彼女の覚悟も」
皓様の瞳が、私に向けられる。その瞳には、確かめるような光があった。
「そうか。それで、どうだった?」
「申し分ありません」
紅葉様がきっぱりと答える。
「詩織さんは、間違いなく優秀な花札使いになります。そして、その意志も本物でした」
皓様の表情が、微かに緩む。その安堵の表情を見て、私も少し落ち着いてきた。
「それは何よりだ」
その時、遠くから体育祭の音楽が聞こえてきた。
まだ競技は続いているのだ。私もそろそろ戻らなければならない。
「そろそろ時間のようですね。私はこれで失礼いたします」
紅葉様が立ち上がる。
「詩織さん、体育祭の続き、頑張ってくださいね」
「はい……ありがとうございました」
紅葉様は優雅に頭を下げて、その場を去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、私は安堵のため息をついた。
認めてもらえた。応援してもらえることになった。
これで、少しは状況が良くなるかもしれない。
「詩織」
皓様が私の肩に手を置く。その温かい手の感触に、私は顔を上げた。
「よくやった。紅葉を納得させるとは、大したものだ」
「い、いえ、私は何も……! 皓様が浄化を手伝ってくださったおかげです」
私は皓様を見上げる。
……でも、まだ自分の格好のことが気になって、完全にはリラックスできない。
「おかしなことを。私はついていっただけだろう」
「いいえ。皓様がいてくださるから、私は頑張れるんです」
皓様が微笑む。その笑顔を見ていると、これからどんな困難が待っていても、きっと乗り越えられる気がした。
……でも、今はとにかく着替えたい。肌の露出が低い格好になりたい……。
「そっ、それじゃ、皓様。私、そろそろ戻らないと……」
「そうだな。頑張れ。次の競技も見せてもらうとしよう」
(あ、あんまり見ないでほしいんですが……っ!)
皓様が私の頭を優しく撫でてくれる。
その優しさと恥ずかしさに目を回しながら、私は急ぎ足でクラスの席に戻った。
■
同じ頃、如月家の撫子の部屋は、カーテンを閉め切った薄暗い空間になっていた。
晴れ渡った外の空、体育祭に盛り上がる學園とは対称的だった。
「…………」
撫子は布団にくるまったまま、天井を見つめている。
もうどれくらい、こうして過ごしているのだろう。時間の感覚が曖昧になっていた。
あの夜以来、撫子は学校にも行っていない。外出することもなく、ただ部屋に籠もって過ごしている。
食事も最低限しか取らず、頬は痩せこけていた。
(なんで私が、こんな目に遭うのよ……! お母様もいなくなって、贅沢もできなくなって……!)
撫子の心は、怒りと自己憐憫でいっぱいだった。
全て詩織のせいだ。あの女さえいなければ、こんなことにはならなかった。
月読様も、橘先輩も、お母様も全部詩織に奪われた。
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「撫子、食事だよ……」
父の宗一郎の声だった。母が行方不明になってから、父が家事を引き受けている。
でも、撫子は返事をしなかった。母の言いなりだった情けない父。
自分がこんなことになっているのに怒ってくれもせず、むしろ詩織は悪くないなどと言い出す始末だ。
「……扉の前に置いておくから」
父の足音が遠ざかっていく。撫子はまた天井を見つめた。
その時、枕元に置いた小さな鈴が、かすかに音を立てた。
チリン、チリン……。
撫子は身を起こす。その鈴は、母からもらった特別なものだった。
「何かあった時は、これが知らせてくれる」と言われていた鈴。
撫子は鈴を手に取る。すると、鈴から微かに声が聞こえてきた。
『撫子……聞こえる?』
母の声だった。
「お母様……! お母様なの!?」
撫子は鈴を耳に当てる。
『撫子、元気にしてるかしら。私がいなくて困っていない?』
「お母様ぁ……! 私、毎日が辛くって! どこにいらっしゃるの? 心配してたのよ」
『大丈夫よ。でも、もう時間がないの』
母の声に、切迫したものが混じる。
『詩織の力が強くなりすぎてしまった。このままでは、私たちの計画が……』
「計画?」
『撫子、あなたにお願いがあるの』
母の声が、更に小さくなる。
『私と一緒に、もう一度、詩織を――』
撫子の目に、暗い炎が宿った。
……そうだ。まだ終わっていない。あの姉を。自分たちを惨めにしたあの女を地獄に落とさなければ。
「分かったわ、お母様。何をすればいいの?」
鈴から聞こえる母の指示を、撫子は一言も聞き逃すまいと集中して聞いていた。
暗い部屋の中で、撫子の顔に不気味な笑みが浮かんでいた……。
あとがき:悪の権化、撫子降臨!! 家族とも決着をつけないといけませんね
紅葉様の言葉に、私は首をかしげる。
「想像以上、というと……? リレーがですか?」
「そんなわけないでしょう。年相応に遅かったですよ」
(そ、そんな……)
「足ではなくあなたの力のことです、詩織さん」
紅葉様が一歩近づいてくる。その琥珀色の瞳には、驚きに似た感情が宿っていた。
「この学校全体を包む、清らかな霊気。一体の札鬼を浄化しただけで、ここまでの変化を起こすとは」
「え……?」
札鬼の浄化? あの幽霊騒動のことだろうか?
紅葉様は私が札鬼を浄化したとご存知なのだろうか。私は戸惑いながらも、その言葉の意味を理解しようとした。
(確かにあのときから、学校全体の空気が清々しいような気はしてたけど……ただ天気がいいからじゃなかったの……?)
「紅葉様、それは……」
「隠すことはありませんわ。この霊気の質は、明らかに桜花家のもの。そして、その規模は……」
紅葉様が深いため息をつく。
「私の予想を遥かに超えています」
予想を超えるって、どういう意味だろう。私は特別なことをしたつもりはないのだけれど……。
「前回お会いした時、私はあなたを過小評価していました」
紅葉様の声には、率直な反省の色が含まれている。
「未熟で、頼りなく、とても桜花家の後継者とは呼べないと思っていた。だからお飾りの当主として役に立てるつもりだった。しかし……」
紅葉様は空を見上げる。青い空に、白い雲がゆっくりと流れていた。
「これほどの浄化能力を持つ方を、私は見たことがありません」
褒められているのだろうけれど、なんだかとても重い話のような気がして、身が縮こまってしまう。
「そんな、大したことは……」
「いいえ、大したことです。だからこそ、問題なのです」
紅葉様の言葉が急に険しくなる。私は思わず身を縮こませてしまった。
「これほどの力を持つあなたを、月読家が独占していることがね」
……また、この話になるのか。私は小さくため息をついた。
前回あれほどはっきりとお断りしたのに、まだ諦めてくださらないのだろうか。
でも、私の気持ちは変わらない。絶対に変わらない。
「紅葉様、私の気持ちは前回お話しした通りです。皓様と一緒にいたいという想いは変わりません」
「ええ、分かっています」
紅葉様が手を上げて、私の言葉を制した。
その仕草には、前回のような攻撃的な雰囲気がない。
「今回は、あなたを説得しに来たわけではありません」
「え? そ、そうなのですか……?」
「あなたの力が本物だと分かった以上、もはや無理強いはできませんから」
「無理強いが……できない?」
紅葉様の言葉の意味が、よく分からない。
なぜ、私の力が本物だと分かったら、無理強いができなくなるのだろう……?
「考えてもみてください。もしもあなたが『皓様と一緒にいられないなら、もう力は使わない』と仰ったら?」
「え、えっと……?」
そんなこと、考えたこともなかった。
でも確かに、皓様と離ればなれになってしまったら、私はきっと戦う気力を失ってしまうだろう。
「わかりましたか? 帝都にとっては、月読家が力をつけるよりも、あなたの力を失う方が遥かに大きな損失なんです」
紅葉様の瞳が、真剣そのものだった。
その眼差しから、彼女が本気でそう考えていることが伝わってくる。
「つまり力を示した今、あなたには選択権があるのです。十二家といえども、あなたの意志を無視することはできません」
選択権……。そんな風に考えたことはなかった。
力があるということは、選ぶ権利があるということ。皓様も同じようなことを言っていた。
……私に、何かを選ぶ権利があるなんて。
「でも」
紅葉様の表情が、少し厳しくなる。その変化に、私は緊張した。
「その上で、あなたにお聞きしたいことがあります」
私は身を正した。きっと、重要な質問なのだろう。
「覚悟は、おありですか?」
「覚悟……?」
「夕霧家のように、話の分かる家ばかりではありません」
紅葉様の声に、警告のような響きが混じる。
その言葉を聞いて、私の胸に不安が広がった。
「十二家の中には、あなたと皓様を引き裂こうとする者も必ず現れるでしょう。政略のため、伝統のため、あるいは単なる嫉妬のために」
想像するだけで胸が重くなる。考えただけで息が苦しくなってしまう。
「そうなった時、あなたは月読皓を守り抜けますか? たとえ十二家全てを敵に回しても、その愛を貫けますか?」
……重い、質問だった。
でも、答えは決まっている。考える必要なんてない。
私の心は、もうずっと前から定まっているのだから。
「はい」
私は迷わず答えた。
「私は、皓様をお慕いしています。この気持ちは、誰に何を言われても変わりません」
紅葉様の瞳が、少し和らいだ気がした。その変化に、私は安堵を覚える。
「たとえ、十二家全てが敵になっても?」
「それでも」
私は真っ直ぐに紅葉様を見つめた。この答えに関しては、一片の迷いもない。
「皓様が私を選んでくださったように、私も皓様を選びます。それが例え、どんな困難を招くことになっても」
紅葉様は少しの間、私を見つめていた。その琥珀色の瞳に、何かを確かめるような光が宿っている。
それから、小さく笑った。初めて見る、本当に優しい笑顔だった。
「……分かりました」
その笑顔は、前回とは全く違う、温かなものだった。
「あなたは恋をしていらっしゃるのですね」
「え?」
「政略でもなく、打算でもなく、純粋に月読皓をお慕いしている」
顔が赤くなる。そんな風に言われると、恥ずかしくて仕方ない。
でも、確かにその通りだった。私の皓様への想いは、何の計算もない単純すぎるものだった。
「それなら……渋々ですが、応援させていただきます」
紅葉様の言葉に、私は驚いて目を見開いた。
「お、応援……してくださるのですか? こんなわがままを言っているのに……?」
「自覚があるなら自重なさい!」
「ひぃっ、すみませんすみません……!」
「ともかく。本当は桜花家として十二家に復帰していただきたいところですが……」
紅葉様がため息をつく。きっと、複雑なお気持ちなのだろう。
「恋する乙女の心を折るほど、私も野暮ではありませんから」
その言葉に、胸が熱くなった。認めてもらえた。
経緯はともあれ、私と皓様の婚姻に反対していた紅葉様に認めてもらえたのだ。
「ありがとうございます……!」
「た、だ、し!」
紅葉様の表情が、再び真剣になる。
「他の十二家への報告は必要です。あなたの実力と、あなたの意志を」
「はい……」
「反発する家も出るでしょう。ですが私からは『如月詩織の意志は尊重されるべき』と伝えます」
紅葉様がそこまでしてくださるなんて。私は感謝の気持ちでいっぱいになった。
「そんな……ご迷惑をおかけしてしまって……」
「迷惑ではありません」
紅葉様が首を振る。
「十二家の安定のためでもあります。あなたのように力を持つ方を敵に回すのは、得策ではありませんから」
そう言いながらもきっと、本当は私のことを心配してくださっているのだろう。そう思うと、胸の奥がじわりと温かくなった。
「詩織」
突然、聞き慣れた声がかけられた。
振り返ると、そこには皓様が立っていた。
いつもの黒い着物姿で、でもどこか急いでやってきたような様子だった。
「こ、皓様……!?」
私は驚いて声を上げる。体育祭を、見に来てくださったのだろうか?
――でも、同時に恐ろしい事実に気がついて、顔が真っ青になった。
私は今、体操服姿なのだ。普段より明らかに肌が見え――
「リレー、見ていたぞ。よく頑張った」
「〜〜〜〜……っ!?」
皓様の言葉に、胸がいっぱいになる。見ていてくださったなんて。
でも、それと同時に、恥ずかしさで死んでしまいそうになる。
「あ、でも私、この格好……あああ……」
私は慌ててシャツの裾を引っ張り下ろして、少しでも体のラインを隠そうとする。
「す、すみません……こんな恥ずかしい格好で……」
「気にするな。というか、女学生は皆同じ服装だろう」
私は両手で顔を覆いたくなるのを必死で堪える。
確かに同じかもしれないけど……普段は着物や制服で身体を隠しているから、こう……。こう……!
「君は綺麗だ。隠す必要なんてない」
「そ、そんな……うう」
私はさらにシャツの裾を引っ張って、なんとか体を隠そうとする。
でも、動くたびにブルマの生地が動いて、余計に恥ずかしくなってしまう。
「月読皓……」
紅葉様が咳払いする。私は紅葉様がいることすら忘れそうになっていた。
「人前でイチャつくのは程々になさい。それでも栄誉ある十二家の当主ですか」
「おっと、いたのか。わざわざ体育祭まで見に来るとは、物好きなことだ」
皓様の声は、相変わらず冷たい。でも、敵意はそれほど感じられない。
私はまだシャツの裾を握ったまま、二人の会話を聞いていた。
「札鬼浄化の報告を聞いて見に来たのです。そして……」
紅葉様が私を見る。
「彼女の覚悟も」
皓様の瞳が、私に向けられる。その瞳には、確かめるような光があった。
「そうか。それで、どうだった?」
「申し分ありません」
紅葉様がきっぱりと答える。
「詩織さんは、間違いなく優秀な花札使いになります。そして、その意志も本物でした」
皓様の表情が、微かに緩む。その安堵の表情を見て、私も少し落ち着いてきた。
「それは何よりだ」
その時、遠くから体育祭の音楽が聞こえてきた。
まだ競技は続いているのだ。私もそろそろ戻らなければならない。
「そろそろ時間のようですね。私はこれで失礼いたします」
紅葉様が立ち上がる。
「詩織さん、体育祭の続き、頑張ってくださいね」
「はい……ありがとうございました」
紅葉様は優雅に頭を下げて、その場を去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、私は安堵のため息をついた。
認めてもらえた。応援してもらえることになった。
これで、少しは状況が良くなるかもしれない。
「詩織」
皓様が私の肩に手を置く。その温かい手の感触に、私は顔を上げた。
「よくやった。紅葉を納得させるとは、大したものだ」
「い、いえ、私は何も……! 皓様が浄化を手伝ってくださったおかげです」
私は皓様を見上げる。
……でも、まだ自分の格好のことが気になって、完全にはリラックスできない。
「おかしなことを。私はついていっただけだろう」
「いいえ。皓様がいてくださるから、私は頑張れるんです」
皓様が微笑む。その笑顔を見ていると、これからどんな困難が待っていても、きっと乗り越えられる気がした。
……でも、今はとにかく着替えたい。肌の露出が低い格好になりたい……。
「そっ、それじゃ、皓様。私、そろそろ戻らないと……」
「そうだな。頑張れ。次の競技も見せてもらうとしよう」
(あ、あんまり見ないでほしいんですが……っ!)
皓様が私の頭を優しく撫でてくれる。
その優しさと恥ずかしさに目を回しながら、私は急ぎ足でクラスの席に戻った。
■
同じ頃、如月家の撫子の部屋は、カーテンを閉め切った薄暗い空間になっていた。
晴れ渡った外の空、体育祭に盛り上がる學園とは対称的だった。
「…………」
撫子は布団にくるまったまま、天井を見つめている。
もうどれくらい、こうして過ごしているのだろう。時間の感覚が曖昧になっていた。
あの夜以来、撫子は学校にも行っていない。外出することもなく、ただ部屋に籠もって過ごしている。
食事も最低限しか取らず、頬は痩せこけていた。
(なんで私が、こんな目に遭うのよ……! お母様もいなくなって、贅沢もできなくなって……!)
撫子の心は、怒りと自己憐憫でいっぱいだった。
全て詩織のせいだ。あの女さえいなければ、こんなことにはならなかった。
月読様も、橘先輩も、お母様も全部詩織に奪われた。
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
「撫子、食事だよ……」
父の宗一郎の声だった。母が行方不明になってから、父が家事を引き受けている。
でも、撫子は返事をしなかった。母の言いなりだった情けない父。
自分がこんなことになっているのに怒ってくれもせず、むしろ詩織は悪くないなどと言い出す始末だ。
「……扉の前に置いておくから」
父の足音が遠ざかっていく。撫子はまた天井を見つめた。
その時、枕元に置いた小さな鈴が、かすかに音を立てた。
チリン、チリン……。
撫子は身を起こす。その鈴は、母からもらった特別なものだった。
「何かあった時は、これが知らせてくれる」と言われていた鈴。
撫子は鈴を手に取る。すると、鈴から微かに声が聞こえてきた。
『撫子……聞こえる?』
母の声だった。
「お母様……! お母様なの!?」
撫子は鈴を耳に当てる。
『撫子、元気にしてるかしら。私がいなくて困っていない?』
「お母様ぁ……! 私、毎日が辛くって! どこにいらっしゃるの? 心配してたのよ」
『大丈夫よ。でも、もう時間がないの』
母の声に、切迫したものが混じる。
『詩織の力が強くなりすぎてしまった。このままでは、私たちの計画が……』
「計画?」
『撫子、あなたにお願いがあるの』
母の声が、更に小さくなる。
『私と一緒に、もう一度、詩織を――』
撫子の目に、暗い炎が宿った。
……そうだ。まだ終わっていない。あの姉を。自分たちを惨めにしたあの女を地獄に落とさなければ。
「分かったわ、お母様。何をすればいいの?」
鈴から聞こえる母の指示を、撫子は一言も聞き逃すまいと集中して聞いていた。
暗い部屋の中で、撫子の顔に不気味な笑みが浮かんでいた……。
あとがき:悪の権化、撫子降臨!! 家族とも決着をつけないといけませんね
