翌日の昼休み、私は美咲ちゃんを図書室に呼び出した。
人気の少ない奥の席に座り、周りに誰もいないことを確認してから口を開く。
「美咲ちゃん、実は……お願いがあるの」
「何? 改まっちゃって」
美咲ちゃんは首を傾げながら、私の向かいに座った。
「行方不明になったみんなのこと、もう少し詳しく調べたくて」
「え、どうして? 気になるのはわかるけど、私たちが調べることじゃないんじゃ……?」
美咲ちゃんの疑問に、私は少し困ってしまう。
本当の理由——呪詛花札の事件かもしれないから、皓様に調査を命じられたということ——は当然言えない。
「その……でも、行方不明事件がこれで終わりとは限らないでしょう? もう少し何かわかれば、私や美咲ちゃんも安心できるかも、って……」
嘘ではない。私や美咲ちゃんの安全のためにも調査は必要だ。
……どっちにせよ、普通の女学生が調べられるものなのかはわからないんだけど。
「そっか……確かに、そうかもしれないわね」
美咲ちゃんは真剣な顔になった。それから、私の手を掴む。
「わっ……!」
「実は私も気になってたのよ! こういう不思議な事件、なんかワクワクしない!?」
「えっ!? そ、そう……ね?」
「詩織がこういうのに興味あるとは思わなかったわ! じゃあ、一緒に調べましょう!」
「あ……ありがとう、美咲ちゃん」
――こうして、少し誤解はあったものの私たちの調査が始まった。
まず、行方不明になった三人について、できる限りの情報を集めた。
一人目は三年生の田村先輩。文学部所属で、おとなしい性格。
二人目は同じく三年生の佐藤先輩。音楽が得意で、よく放課後にピアノを弾いていた。
三人目は二年生の山田さん。活発な性格で、運動が好きだった。
「性格も趣味もバラバラだね……」
「でも、何か共通点があるはず」
私たちは時間割表を見ながら、三人の授業を照らし合わせた。
学年が違うので、共通する授業は限られている。
「あ……」
そのとき、三人の時間割を比べていた美咲ちゃんが声を上げた。
「美術よ。三人とも、美術の授業を受けてる」
「美術……」
私は時間割表を見つめる。確かに、三人とも美術の授業がある。
田村先輩と佐藤先輩は選択授業で、山田さんは必修だった。
「でも、美術の授業なんて、他にもたくさんの生徒が受けてるよね……?」
「ぐぬぬ……でも、他に共通点が見つからないもん!」
疲れたように突っ伏す美咲ちゃん。私は立ち上がった。
「わかった。美術室を見に行ってみましょう」
「今?」
「うん。もう少しくらい、詳しく調べられるかもしれないし」
■
放課後、私たちは美術室に向かった。
しかし、廊下の途中で美咲ちゃんが思い出したように手を叩く。
「あ、そうだった! 今日、生徒会の会議があるのよ。すっかり忘れてた」
「生徒会?」
「うん、急遽決まったの。詩織、先に美術室見てもらえる? 私は会議が終わったらすぐに向かうから」
「う……うん。任せて!」
美咲ちゃんは急いで生徒会室の方向に走っていってしまい、私は一人、美術室に向かうことになった。
胸の奥で嫌な予感がしている……。しかし、ここで引き返すわけにはいかない。
(電気がついてる……先生がいるのね)
美術室のドアから、明かりが漏れている。確かに、中から人の気配がした。
コンコンとドアをノックする。
「失礼します」
ドアを開けると、一人の男性教師が振り返った。
三十代後半くらいだろうか。整った顔立ちで、眼鏡をかけた知的な印象の先生だった。
「やあ、どうしたのかな?」
彼は優しそうな笑顔で迎えてくれる。だというのに、なぜか少し萎縮してしまう。
「あの、美術の田中先生でしょうか?」
「そうだよ。君は……確か二年生の如月さんだったかな?」
「は、はい。如月詩織です」
頭を下げながら、田中先生の表情を窺う。
特に変わった様子はない。普通の、優しい先生に見える。なのに……。
「美術部に興味があるのかね? それとも何か用事が?」
「あの、実は……行方不明になった先輩方のことで」
私が口を開きかけた時、田中先生の表情が一瞬変わった。
ほんの一瞬だったが、確かに見えた。冷たく、計算高い光が瞳に宿ったのを。
「ああ、そのことか」
田中先生がゆっくりと私に近づいてくる。
その瞬間、美術室のドアがゆっくりと動く音がした。
「あれ?」
振り返ると、ドアは完全に閉まっている。
風なんて吹いていないのに、どうしてひとりでに……。
「心配しなくていいよ、詩織ちゃん」
田中先生の声が、急に親しげになった。
そして、その呼び方にぞっとする。まるで、私のことをよく知っているような口調だ。
「あの子たちは、もっと『価値ある』場所で生きているからね」
「え……!?」
田中先生の笑顔が、だんだん歪んでいく。
さっきまでの優しい教師の表情ではない。何か、獲物を前にした肉食動物のような……。
「せ……先生? 何を言って……」
「しかし、あの三人に共通点なんて殆どなかったはずなんだけどな。やっぱり能力者は鋭いのか?」
口の中で呟きながら、余裕の表情でゆっくりと近付いてくる先生。
……まずい。とりあえず今は一度、離れないと。
「し、失礼します!」
私は慌ててドアに向かおうとした。しかし——
パン!
……と手を叩く音が響いた。
「!」
その瞬間、意識がふわりと浮いたような感覚に襲われた。
頭の中に霞がかかったように、思考がぼんやりとしてくる。
逃げなきゃいけないはず、なのに……足が止まってしまった。
「そんなに急がなくてもいいじゃないか」
田中先生の声が、妙に心地よく響く。
体が重い。足が、思うように動かない。
(これは……何かの、能力……?)
意識の奥底で、何かが警鐘を鳴らしている。
でも、その声がどんどん遠くなっていく。まぶたが重い。
「いい子だ。とってもいい子だよ、詩織ちゃん」
田中先生が私の目の前に立った。その瞳が、ぎらぎらと不気味に光っている。
「君は……へぇ、美しいね。黒髪が艶やかで、肌もこんなに白くて」
田中先生の手が、私の頬に触れた。
ぞっとするような冷たい手。払いのけたいのに、体が動かない。
(あれ、私……何を……されて……?)
頭の中が綿に包まれたように、ふわふわとしている。
何かされているのは分かるけれど、それが何なのかがよく理解できない。
「これが当主らが騒いでた桜花の血を引く女……影沼本家の連中、喉から手が出るほど欲しがるだろうな」
(影沼……って……何だっけ……?)
大切なことのような気がするけれど、思考がまとまらない。
意識が雲の中に沈んでいくような感覚。
「金稼ぎでもしながら距離を詰めるつもりだったけど、そっちから来てくれるとはね」
田中先生の指が、私の髪を撫でる。
でも、それが良いことなのか悪いことなのかも、だんだん分からなくなってくる。
「ふふふ……もちろん、影沼本家にお渡しする前に、私も少し『味見』をさせてもらうよ」
その言葉を聞いた時、意識の奥底で何かが叫んだ。
危険だ、逃げろ、と。
でも、その声はまるで遠い海の底から聞こえてくるように微かで、すぐに霧に飲み込まれてしまう。
(何か……嫌なのに……。でも、何が……?)
田中先生の手が、私の肩に触れる。そして腕に。でも、されていることの意味が理解できない。まるで夢の中にいるみたいに、全てがぼんやりとしている。
「怖がることはないよ。すぐに終わる。そして君は、もっと『価値ある』人生を歩むことになるんだ」
田中先生の顔が、私に近づいてくる。その口が、近付いてくる……。
(誰か……助け……て……でも、誰……?)
心の中で、かすかな声が響く。
大切な人の名前を呼ぼうとしているけれど、その名前すら思い出せない。
意識が深い霧の中に沈んでいく。
何をされているのか、どこにいるのか、自分が誰なのかさえ、だんだん分からなくなっていく。
ただ、漠然とした不安だけが、胸の奥で小さく震えていた――。
あとがき:
詩織ちゃんのピンチ。多分この子は今後とも毎回ひどい目に遭います……
人気の少ない奥の席に座り、周りに誰もいないことを確認してから口を開く。
「美咲ちゃん、実は……お願いがあるの」
「何? 改まっちゃって」
美咲ちゃんは首を傾げながら、私の向かいに座った。
「行方不明になったみんなのこと、もう少し詳しく調べたくて」
「え、どうして? 気になるのはわかるけど、私たちが調べることじゃないんじゃ……?」
美咲ちゃんの疑問に、私は少し困ってしまう。
本当の理由——呪詛花札の事件かもしれないから、皓様に調査を命じられたということ——は当然言えない。
「その……でも、行方不明事件がこれで終わりとは限らないでしょう? もう少し何かわかれば、私や美咲ちゃんも安心できるかも、って……」
嘘ではない。私や美咲ちゃんの安全のためにも調査は必要だ。
……どっちにせよ、普通の女学生が調べられるものなのかはわからないんだけど。
「そっか……確かに、そうかもしれないわね」
美咲ちゃんは真剣な顔になった。それから、私の手を掴む。
「わっ……!」
「実は私も気になってたのよ! こういう不思議な事件、なんかワクワクしない!?」
「えっ!? そ、そう……ね?」
「詩織がこういうのに興味あるとは思わなかったわ! じゃあ、一緒に調べましょう!」
「あ……ありがとう、美咲ちゃん」
――こうして、少し誤解はあったものの私たちの調査が始まった。
まず、行方不明になった三人について、できる限りの情報を集めた。
一人目は三年生の田村先輩。文学部所属で、おとなしい性格。
二人目は同じく三年生の佐藤先輩。音楽が得意で、よく放課後にピアノを弾いていた。
三人目は二年生の山田さん。活発な性格で、運動が好きだった。
「性格も趣味もバラバラだね……」
「でも、何か共通点があるはず」
私たちは時間割表を見ながら、三人の授業を照らし合わせた。
学年が違うので、共通する授業は限られている。
「あ……」
そのとき、三人の時間割を比べていた美咲ちゃんが声を上げた。
「美術よ。三人とも、美術の授業を受けてる」
「美術……」
私は時間割表を見つめる。確かに、三人とも美術の授業がある。
田村先輩と佐藤先輩は選択授業で、山田さんは必修だった。
「でも、美術の授業なんて、他にもたくさんの生徒が受けてるよね……?」
「ぐぬぬ……でも、他に共通点が見つからないもん!」
疲れたように突っ伏す美咲ちゃん。私は立ち上がった。
「わかった。美術室を見に行ってみましょう」
「今?」
「うん。もう少しくらい、詳しく調べられるかもしれないし」
■
放課後、私たちは美術室に向かった。
しかし、廊下の途中で美咲ちゃんが思い出したように手を叩く。
「あ、そうだった! 今日、生徒会の会議があるのよ。すっかり忘れてた」
「生徒会?」
「うん、急遽決まったの。詩織、先に美術室見てもらえる? 私は会議が終わったらすぐに向かうから」
「う……うん。任せて!」
美咲ちゃんは急いで生徒会室の方向に走っていってしまい、私は一人、美術室に向かうことになった。
胸の奥で嫌な予感がしている……。しかし、ここで引き返すわけにはいかない。
(電気がついてる……先生がいるのね)
美術室のドアから、明かりが漏れている。確かに、中から人の気配がした。
コンコンとドアをノックする。
「失礼します」
ドアを開けると、一人の男性教師が振り返った。
三十代後半くらいだろうか。整った顔立ちで、眼鏡をかけた知的な印象の先生だった。
「やあ、どうしたのかな?」
彼は優しそうな笑顔で迎えてくれる。だというのに、なぜか少し萎縮してしまう。
「あの、美術の田中先生でしょうか?」
「そうだよ。君は……確か二年生の如月さんだったかな?」
「は、はい。如月詩織です」
頭を下げながら、田中先生の表情を窺う。
特に変わった様子はない。普通の、優しい先生に見える。なのに……。
「美術部に興味があるのかね? それとも何か用事が?」
「あの、実は……行方不明になった先輩方のことで」
私が口を開きかけた時、田中先生の表情が一瞬変わった。
ほんの一瞬だったが、確かに見えた。冷たく、計算高い光が瞳に宿ったのを。
「ああ、そのことか」
田中先生がゆっくりと私に近づいてくる。
その瞬間、美術室のドアがゆっくりと動く音がした。
「あれ?」
振り返ると、ドアは完全に閉まっている。
風なんて吹いていないのに、どうしてひとりでに……。
「心配しなくていいよ、詩織ちゃん」
田中先生の声が、急に親しげになった。
そして、その呼び方にぞっとする。まるで、私のことをよく知っているような口調だ。
「あの子たちは、もっと『価値ある』場所で生きているからね」
「え……!?」
田中先生の笑顔が、だんだん歪んでいく。
さっきまでの優しい教師の表情ではない。何か、獲物を前にした肉食動物のような……。
「せ……先生? 何を言って……」
「しかし、あの三人に共通点なんて殆どなかったはずなんだけどな。やっぱり能力者は鋭いのか?」
口の中で呟きながら、余裕の表情でゆっくりと近付いてくる先生。
……まずい。とりあえず今は一度、離れないと。
「し、失礼します!」
私は慌ててドアに向かおうとした。しかし——
パン!
……と手を叩く音が響いた。
「!」
その瞬間、意識がふわりと浮いたような感覚に襲われた。
頭の中に霞がかかったように、思考がぼんやりとしてくる。
逃げなきゃいけないはず、なのに……足が止まってしまった。
「そんなに急がなくてもいいじゃないか」
田中先生の声が、妙に心地よく響く。
体が重い。足が、思うように動かない。
(これは……何かの、能力……?)
意識の奥底で、何かが警鐘を鳴らしている。
でも、その声がどんどん遠くなっていく。まぶたが重い。
「いい子だ。とってもいい子だよ、詩織ちゃん」
田中先生が私の目の前に立った。その瞳が、ぎらぎらと不気味に光っている。
「君は……へぇ、美しいね。黒髪が艶やかで、肌もこんなに白くて」
田中先生の手が、私の頬に触れた。
ぞっとするような冷たい手。払いのけたいのに、体が動かない。
(あれ、私……何を……されて……?)
頭の中が綿に包まれたように、ふわふわとしている。
何かされているのは分かるけれど、それが何なのかがよく理解できない。
「これが当主らが騒いでた桜花の血を引く女……影沼本家の連中、喉から手が出るほど欲しがるだろうな」
(影沼……って……何だっけ……?)
大切なことのような気がするけれど、思考がまとまらない。
意識が雲の中に沈んでいくような感覚。
「金稼ぎでもしながら距離を詰めるつもりだったけど、そっちから来てくれるとはね」
田中先生の指が、私の髪を撫でる。
でも、それが良いことなのか悪いことなのかも、だんだん分からなくなってくる。
「ふふふ……もちろん、影沼本家にお渡しする前に、私も少し『味見』をさせてもらうよ」
その言葉を聞いた時、意識の奥底で何かが叫んだ。
危険だ、逃げろ、と。
でも、その声はまるで遠い海の底から聞こえてくるように微かで、すぐに霧に飲み込まれてしまう。
(何か……嫌なのに……。でも、何が……?)
田中先生の手が、私の肩に触れる。そして腕に。でも、されていることの意味が理解できない。まるで夢の中にいるみたいに、全てがぼんやりとしている。
「怖がることはないよ。すぐに終わる。そして君は、もっと『価値ある』人生を歩むことになるんだ」
田中先生の顔が、私に近づいてくる。その口が、近付いてくる……。
(誰か……助け……て……でも、誰……?)
心の中で、かすかな声が響く。
大切な人の名前を呼ぼうとしているけれど、その名前すら思い出せない。
意識が深い霧の中に沈んでいく。
何をされているのか、どこにいるのか、自分が誰なのかさえ、だんだん分からなくなっていく。
ただ、漠然とした不安だけが、胸の奥で小さく震えていた――。
あとがき:
詩織ちゃんのピンチ。多分この子は今後とも毎回ひどい目に遭います……
