「可哀想なお姉様!」
琴は頬に手をあて、芝居がかった仕草で微笑んだ。
「千夜様のご寵愛を妹に奪われた現実を受け入れられなくて、事実を歪めて見てしまうようになったのね。本当だったら、愛されていたのはお姉様だったものねぇ? わたくしがこの後宮に来なければ、千夜様のお隣で笑っていたのはお姉様だったものね?」
嘲笑が低く、鈴のように響く。
「せめてわたくしからの愛はあると思わないと、自分を保てないんじゃない?」
くすくすと、琴は薄紅の袖で口元を隠し、楽しげに笑った。
「でも残念。わたくし、お姉様のことなんてこれっぽっちも考えていないわ」
澄珠の視界がぐらりと揺れた。熱い液体が肌を伝う感覚と、胸を抉る言葉が交互に押し寄せてくる。
「お姉様は、何の取り柄もないくせに、一番最初に後宮に入れたからって、たまたま千夜様の興味を引けただけ。そういうところが気に入らないの」
琴の目が細められ、冷たい光が宿る。
「この土地にもっと美しい女性はいるし、千夜様にふさわしい女だってごまんといる。わたくしは自分のことをわきまえているわ。今、千夜様のご寵愛を受けているのはたまたまだってね」
琴は小首を傾げ、吐き捨てるように続ける。
「たまたま、わたくしが社の放火を見つけて、水の術で社を救ったから。ただそれだけ。でも、お姉様よりは千夜様にふさわしい自覚があるわ。だって、お姉様は何をしたっていうの?」
澄珠の指先が強張る。
「千夜様のために役に立ったこと、ある?」
琴の声は鋭く、容赦がない。
「ただ子供の頃から一緒にいたというだけでしょう」
言葉の刃が澄珠の胸を突き刺す。
「千夜様の花嫁になるというのは、神としてこの地を治める千夜様を一生涯支えなければならないということよ」
紅い唇が冷笑に歪んだ。
「それが、神殿の有事の際にも隠れることしかできない、役立たずのお姉様にできるっていうの? 子供の頃の千夜様にはお姉様が必要だったかもしれないけれど、それはあくまでも成長の途中の、お遊びの相手としてよ。これから成人して、土地を統治する神となる千夜様に、自分がふさわしいって本気で思っているの? 笑っちゃう」
個室の空気が凍り付いたように冷たい。
澄珠の喉が小さく震え、音にならない息が漏れる。
――全て、事実だ。琴の言っていることが正しい。だからこそ、何も言い返せない。
個室の灯りがゆらりと揺れ、影が壁に歪んで映る。
澄珠の胸が早鐘のように鳴っていた。
「……一つだけ、教えて。琴は、反政府組織と関わりがあるわけではないのよね?」
これ以上琴と話したくない。話していると、元々なかった自信がもっとなくなっていく。惨めになる。でも、この問いだけはどうしても確かめなければならなかった。
琴の瞳が細められ、愉快そうに光る。
「ああ、そう。そういうこと」
その唇の端が持ち上がる。
「お姉様、もしかしてわたくし達のことを探っていたの?」
「……勝手に盗み聞きしてごめんなさい。あなたと夕映の会話を、聞いてしまって」
「相変わらず、気持ちの悪い能力だこと! 姿を消して近付くなんて、陰湿なお姉様にお似合いの術ね」
皮肉に胸がえぐられる。けれど、その次の言葉は、澄珠にとってもっと衝撃的なものだった。
「その通り。わたくしが千夜様に近付いたのは、香霞の地の神による統治をなくすためよ」
「え……?」
「花神の統治を外から崩すのは難しい。だから、内部から壊そうと思ったの」
琴はくすくすと笑い、茶碗を指先で弄ぶ。その瞳が妖しく光る。
「神殿の中には、花神に神としての力を与えている核がある。それは大きな大きな花だと言われているわ。でも神殿に近付くことは、何人たりとも許されない。花神と、花神の正室にしか」
澄珠の背に冷たいものが走る。
「だからわたくしは、後宮に入ろうと思ったの。花神の統治に不満を抱える者たちと組んで放火して、それを水の術で消して、わたくしの手柄に見せかけた」
「そんな……どうしてそんなことを……? 琴、あなた、信心深い巫女だったはずじゃない。神様に背くなんて……」
まさか本当に肯定されると思っておらず、澄珠の声が震える。
栗萌が真っ先に疑ったことだ。しかし澄珠は、そんなことを信じたくなかった。
琴はさらりと長い黒髪に手を通し、澄珠を見下ろすように言い放った。
「この世界が、わたくしの思い通りにならないからよ。わたくしは全て、やり直したいの」
澄珠は一瞬、言葉を失った。
次の瞬間、胸の奥から煮えたぎるような熱がせり上がる。
これまでどんなに酷い仕打ちを受けても、怯えて縮こまり、ただ嵐が過ぎ去るのを待つばかりだった自分。その心の奥底に、こんなにも強い怒りが眠っていたことが意外だった。
「何を言っているの?」
声が、はっきりと出た。
「千夜様の統治の仕方に不満があるのなら、政策提言をして香霞の地を共に変えていくべきでしょう。この土地が豊かになったのは歴代の花神様たちの統治があったからこそ。今になって土地の基盤と信仰を揺るがすなんて、許されることではないわ」
琴の眉がぴくりと動く。
「そんな考えは時代遅れよ。異国では神ではなく人による統治が一般的になっているわ。幼い頃からこの後宮に閉じ込められて、外の情報を仕入れもせずにのほほんと過ごしてきた無知なお姉様は、なぁんにも知らないのでしょうけど」
いつも通り挑発的な笑みを向けられても、澄珠の心は揺らがなかった。
琴が千夜に近付いた理由――それが花神による統治を覆すためだと知った今、黙っているわけにはいかない。



