偽り咲く花神さまの後宮


 :


 花神というものは、慕われると同時に、畏れられる存在だった。
 代替わりしたばかりの俺は、民から好奇と猜疑の入り混じった目で見られていた。

「今代の花神は、まだ神格と馴染めていないのか?」
「そんな調子では、いつ力を暴走させるか分からないな」

 そんなことを囁かれていた。
 俺の足元では無数の花が、俺の意思に反して芽吹いている。彼らはそれを指さし、眉をひそめた。力の制御が効いていない証だと。

 幼い俺は、人間に嫌気がさしていた。
 勝手に祀り上げ、勝手に失望する。けれどその人間たちを、俺は守らなければならないという。何故なら、花神とはそういう存在だからだ。

 朝風は、俺をよく外へ連れ出した。
 香霞の地の山並みを巡り、肥沃な土地を歩き、特産の作物を見せ、民の暮らしを説く。全ては俺への教育の一環だった。
 でも、俺にとっては退屈でしかなかった。
 この地を守るのは義務である。ただそれだけだ。俺にとっての動機などなかった。

「千夜様も、そろそろ後宮に巫女を迎えねばなりません」

 父のように俺のことを育ててくれた朝風は、常に口うるさかった。
 花神とはこうあるべきだとか、強き巫女の花嫁を持つべきだとか、色々言って聞かされた。
 けれど俺は、その花嫁とやらにも興味はなかった。

 そう思っていた。
 彼女に出会う、その日までは。

 ある日、暴れ川と呼ばれる香霞の地の大河が氾濫した。
 朝風をはじめ神官たちが奔走し、人々を避難させていった。俺はただ、その場に立ち尽くしていた。神の力を持ちながら、何もできずに。

「新しい花神様は、川の氾濫すら止められないのか」
「これでは神の務めも果たせまい」

 人々の囁きが耳に刺さる。
 ほら。勝手に祀り上げ、勝手に落胆する――やはり人間など、好ましいものではない。

 そう思った矢先だった。
 濁流の中に、一人取り残された少女の姿が見えた。逃げ遅れたのだ。

 助けなければ。そう思うのに、体は動かなかった。
 自信がなかった。多くの人間の言う通り、俺は未熟だ。助けに行ったとて、何の役にも立てぬかもしれない。

 そう躊躇っていた次の瞬間、俺の背後から、駆け抜けていく姿があった。

 背丈は俺より低い、小柄な巫女の子だった。
 彼女は俺と違って一切躊躇わず濁流へ飛び込み、溺れる少女の手を掴んだ。
 その力では引き上げられはしない。けれど近くの木の枝にしがみつき、必死に耐えながら、大人の助けが来るのを待っていた。

 溺れていたのは、彼女の妹らしかった。
 無謀でも迷いのないその姿を、強く、美しいと感じた。

 初めて人間のことを好ましく思った。
 人間とは、互いを助け合うようにできているということを、俺に初めて教えてくれたのは彼女だった。


 だから、あの子がいい、と思った。
 将来結婚するのなら、あの子のように、己を危機に晒してでも迷わず人を助けようとする人がいい。
 後に、その感情を初恋と言うのだと朝風が教えてくれた。

 俺はその子を後宮に招き、とびきり大事にした。
 その子のことを好きになるたびに、その子が大切にしているこの地と人々のことを守りたくなった。そして彼女は、そんな俺を褒めて、慕ってくれた。
 やはり、この子がいい、と思った。

 もしも君が俺のことを選んでくれるなら。
 俺は一生、君という花の影でいい、と。




【終】