優しくない君でいい


先輩と付き合ったのは、中二の冬から高一の始めまでの間だった。
同じ委員会で出会って、話しかけられるようになったのが始まり。
文化祭も一緒に回ろうと誘われて、私は軽い気持ちで了承した。
背が高くてかっこよかったし、話も面白い。恋愛経験の少ない私は、そんなことで簡単に彼を意識し始めていた。
今思えば、この辺りから私は少しずつ、自分を見失っていたんだろうと思う。

初めて付き合ったにしては、なかなか良い彼氏だった。
レディファーストは当たり前、記念日にはいつも奢ってくれた。誕生日プレゼントも豪華で。
愛されてるんだなという自覚を持たせてくれた。
ただ――デートの時に、ぶつかってきた人に舌打ちをしたり、店員さんに横柄なタメ口を使ったりするところに少しだけ不安を覚えていた。

そのモヤモヤは、日が経つにつれて無視できないほど大きくなっていった。
勉強にも集中できなくなって、日常生活にも支障をきたすようになって。
とうとう私は、別れを切り出した。先輩の家での、最後のデートの帰り際。

「私の勝手ですみません。別れてください」

絞り出すように伝えた後のことは、ショックのせいかあまり記憶にない。
ただ、私の首に突然手が飛んできて、ぎゅっと恐ろしい力で締め上げられたこと。死に物狂いで突き飛ばして、無我夢中で走って逃げたこと。
それだけが、脳裏に焼き付いて離れない。

きっと、あの人はプライドが異常に高かったんだ。
自分が引き止められる側ならともかく、私のような下に見ている存在から、自分の意思で離れられることが許せなかったんだろう。
今なら、よくわかる。

その日は怖くて、ずっと手が震えていた。やけに、身体が熱かった。
そしてこの日を境に、決心した。

もう、誰にも優しくしないようにしよう。
最低限の関わり、最低限の優しさだけで生きていく。
誰の心にも深く踏み入らないし、踏み込ませない。
そうやって、周りにバレない程度の絶妙な距離をみんなと置いて、自分を守ろうとしていた。
なのに、楠木だけは違った。
私の心の中に、土足でズカズカと踏み入ってきた。
距離は近いし、口は悪いし、いつもヘラヘラ笑いながら私の心を刺してくる。そんな楠木と先輩の姿が重なった。

楠木に対する態度も暴力も、本当は、自分の内側にある恐怖を隠すための、必死の防衛反応だったんだと思う。
今考えても、本当に馬鹿みたいな行動。
強がってそんなことしなくてもただ黙って、笑って受け流してさえいれば、やり過ごせる。
 傷つかないための処世術を、私はその後に知ってしまったから。



「……まぁ、こんな感じ。ケーキいただきます」
楠木が奢ってくれたケーキを一口、口に入れる。
優しい甘さが、心に沁みた。
どんな顔をしてるかわからなくて、俯く。
「美味しい?」
「おいしい」

いつも通りのトーンで、何事もなかったかのような楠木の声で安心したのか、私の頬に涙が伝った。
あ、やば。
こんなところで泣くつもりなかったのに。

「……ごめんなぁ。気付いてやれなくて」
 向かいに座っていた楠木はいつの間にか隣に来ていて。力が抜けた私を引き寄せて、優しく撫でた。
「しんどかったよな、どうせ一人で抱え込んでたんだろ」
「そんな事、」
 無い。大丈夫だって、言えるはずなのに。
「……そう、しんどかった。しんどかったの。」
 真っ直ぐな視線を送ってくる、真摯な態度に紛い物が打ち勝てるわけなくて。
 本心を打ち明けてしまった。
「楠木は、変な人に捕まらないようにね」
「……んー、まぁ大丈夫っしょ」
「どこから来るのよ、その自信」
「ここから?」
 自分の頭を指差して言う楠木に呆れて笑う。
 中学の頃から変わって無いなぁ。本当に嫌いだったけど、本当に話してると笑える相手だった。
 誰にでも思わせぶりみたいにしてるから、反感買いやすいのよ。ばか。

「で、そっちは?」
「なんの話?」
 唐突に、そっちは?と聞かれてもわかるはずがない。のに、楠木はなんでわかんないんだよとケラケラ笑う。
「好きな人とかいないの?ってこと。」
「いないよ。居たら放課後男子とケーキ屋なんて来ないでしょ」
 楠木と違って、私は付き合ってたら他の人と遊びになんて行かない。
「まぁ確かに」

「そうやって聞くって事は、楠木はいるんだ」
「いや、気になり出しただけ。好きな人って確定ではない」
「へぇ、まぁ応援してるよ」
「その反応、絶対興味無いでしょ」
 めちゃくちゃ興味があるわけではないけど、無いこともない。
「無くはないよ、良いなーとは思う。恋愛とか楽しそうじゃん、他の人の見てたら」
 でも私はそもそもそんな相手がいないからね、と自嘲気味に笑う。

「……俺とか、どーですか。」

「……えっ?」